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遺恨
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「お前は神じゃない、それはそうだ。人だからな。なれるわけもない、その通りだ」
「…トキさん?」
「じゃぁ、仕方ないな。自分の事を考えるしかないだろうよ」
そうはっきり言われてしまえば「違う、」も言えないのだが、「違うか?」と聞かれてしまう。
「…わかりまへんよ、ただ、」
「悲しいのか、悔しいのか」
「……っ、」
「まぁ休んだらどうだ。朝から準備で働き詰めだし。あとは客待ちなんだから」
声を落ち着かせているが、結局ぼんやりと確かに、目には入る。特に知りたくもない岡田以蔵の軌跡が。彼は迷っていた、あの時は。
ふいに翡翠が自分に重ねるのもわかるのだが、恐らくそれは投影でない何かの暗示、その要素には経験則があり、だからそんな顔なのだろうと、不憫には感じた。
「…狩鳥の嘴は獲物を狩るためにある、あります」
語りだしたそれに「ん?」とわからない。
同じ傷を舐め合うほど痛みを伴う荒治療を知らないと、そういえば翡翠が前に言った。
そうか。そうだろうな。
「例えば……百舌は魚を取ったら木に首を吊るし糧にする。トキさんはそれに、何を思いますか」
そんなことを悩んでいる。
まぁ、だけどそれは互いに一緒だ。ただたまに、水面を蹴散らす鳥が現れることがあるけれど。
それは受け継がれてきたもの。考えの名残とその問いに、自然と、去る前からあった幹斎の教授が染みてくるようだ。
朱鷺貴は「そうだ」とふと、木机の中を漁り、一枚手紙を出した。
翡翠には幹斎だろうとわかったが、見てもやっぱり幹斎だった。朱鷺貴は最後あたりを指差し「ここ、ここ、」と示す。
「…近頃、俗世は物騒になってきたと目に余る。直に帰ろうとした矢先だったのだが、訳あって未だ叶わず…。
……は?」
「全く。少し前に“良い加減にどうだ”と送ったらこの様だあのジジイ」
詳細は後に話すが…と。
これは、手紙には書けないということなのか、なんなのか。事実、鷹やら藤嶋やらと、ここ1年余り特に目まぐるしかった。
目に見えず、手にも掴めず世の中は強風だ。
「はぁ…」
「昔の話だが、幹斎は俺の父に止めを刺したという話はしたと思うが、実は、俺はそれを目にしていない」
「…え?」
「気を失ったようでな。家に戻った際、父が幹斎に介錯を頼んだのまではぼんやりと…だが、幹斎にも後で話されて自覚した」
「それ…は、」
つまり。
幹斎のそれは坊主として最大の過ちということにならないか?
「武士としては介錯もしない方が…誉であるもんなんだけど、そのままであればよかったことしか…ない気もするよな。でも、幹斎は耐えられなかったと俺に語った」
「……そうだったんですか」
「父だってそうだ。母を殺さずとも…どうしても、…それは辛かったのかもしれないな。俺も側で母の看病をしながらどこか不毛な気がしていた。だから、母が俺に坊主を呼べと言ったとき、素直に気が触れたんじゃないかと一瞬過ったんだ、多分」
それになんと声を掛けろと言う。いや、求めてないとは思うけど。
いまどうして朱鷺貴は語らっているのか、これは一体…不毛なのだろうか。
朱鷺貴の言葉はいつでもはっきりとしている。だからこそ、時にこうして優しく痛めつけてくるよう。
だから彼はいつも言葉が下手なのかもしれないと、ふと翡翠は気が付いた。また、自分とは少し違う拾い方で。
「…何故今更、お前にこれを語って聞かせたか、俺に心中を知る由もない。どうしても過ぎたことだからだ」
ずっと硬く閉ざしていたのに、こんなにも考えさせてしまったのか。
「そう、ですか…」
「……さっきの話だが、苦痛かどうかはさておき、そうして生きている。それは自由で残酷かもしれなくても」
「……参りました、参りましたよトキさんには」
痛い。
「…素直に言うと俺はまぁな、岡田や壬生浪なんかより、皮肉にもお前の方を見ているからな。これはこれで情という、まともじゃないものかもしれないけど。自己投影は深くない方がいい、でも客観だって、結局主観なんだからさ、」
どの口が言うんですか。
いや、違う。そんなに冷たい事を言いたい訳じゃなく。なんせ少し遠く近い。
「わてはけして救われたいと…逃げたいと思っているわけではないのです」
「そうだろうな」
「わての羽根をむしるのは、貴方ですねトキさん」
「…生きるって何だと思う」
昔、同じ問いをした人を思い出した。
例えば、「俺もそう思うよ」と空庵に言った朱鷺貴だって、どうにも出来なかった過去があるのだから。
「俺は抗いだと思うんだ。それを受け入れたのなら、抗えばいいと、」
全く。
「すまへんね、トキさん。わてはアホで、難しくてわかりまへんよ。
少し落ち着きました。こんな話をして、すまへん」
「良いよ別に。俺こそすまない。
全くあの野郎は当たり屋だな。品がない。まず面構えが気に入らない」
「…はは、確かに。名は体を表す、みたいな?」
どこまでも下手だ。だが気持ちは痛い程よくわかった。
互いにけして、誰かを傷付けたいわけではないのだ、それははっきりしている。
「…長々駄々を捏ねてすんませんでした。トキさん、袈裟着けましょうか。昼も過ぎたし」
「忙しいなぁ、少し休まないか?少し」
「袈裟だけやっときましょ。あとは待ちやし、明日の方が忙しい。どうせ気は張りますやろ?」
…何気にそういうところ、あるよなぁ。
互いにそう思う。しかしどちら様、相手様にも全て、関係がない事情。
「…トキさん?」
「じゃぁ、仕方ないな。自分の事を考えるしかないだろうよ」
そうはっきり言われてしまえば「違う、」も言えないのだが、「違うか?」と聞かれてしまう。
「…わかりまへんよ、ただ、」
「悲しいのか、悔しいのか」
「……っ、」
「まぁ休んだらどうだ。朝から準備で働き詰めだし。あとは客待ちなんだから」
声を落ち着かせているが、結局ぼんやりと確かに、目には入る。特に知りたくもない岡田以蔵の軌跡が。彼は迷っていた、あの時は。
ふいに翡翠が自分に重ねるのもわかるのだが、恐らくそれは投影でない何かの暗示、その要素には経験則があり、だからそんな顔なのだろうと、不憫には感じた。
「…狩鳥の嘴は獲物を狩るためにある、あります」
語りだしたそれに「ん?」とわからない。
同じ傷を舐め合うほど痛みを伴う荒治療を知らないと、そういえば翡翠が前に言った。
そうか。そうだろうな。
「例えば……百舌は魚を取ったら木に首を吊るし糧にする。トキさんはそれに、何を思いますか」
そんなことを悩んでいる。
まぁ、だけどそれは互いに一緒だ。ただたまに、水面を蹴散らす鳥が現れることがあるけれど。
それは受け継がれてきたもの。考えの名残とその問いに、自然と、去る前からあった幹斎の教授が染みてくるようだ。
朱鷺貴は「そうだ」とふと、木机の中を漁り、一枚手紙を出した。
翡翠には幹斎だろうとわかったが、見てもやっぱり幹斎だった。朱鷺貴は最後あたりを指差し「ここ、ここ、」と示す。
「…近頃、俗世は物騒になってきたと目に余る。直に帰ろうとした矢先だったのだが、訳あって未だ叶わず…。
……は?」
「全く。少し前に“良い加減にどうだ”と送ったらこの様だあのジジイ」
詳細は後に話すが…と。
これは、手紙には書けないということなのか、なんなのか。事実、鷹やら藤嶋やらと、ここ1年余り特に目まぐるしかった。
目に見えず、手にも掴めず世の中は強風だ。
「はぁ…」
「昔の話だが、幹斎は俺の父に止めを刺したという話はしたと思うが、実は、俺はそれを目にしていない」
「…え?」
「気を失ったようでな。家に戻った際、父が幹斎に介錯を頼んだのまではぼんやりと…だが、幹斎にも後で話されて自覚した」
「それ…は、」
つまり。
幹斎のそれは坊主として最大の過ちということにならないか?
「武士としては介錯もしない方が…誉であるもんなんだけど、そのままであればよかったことしか…ない気もするよな。でも、幹斎は耐えられなかったと俺に語った」
「……そうだったんですか」
「父だってそうだ。母を殺さずとも…どうしても、…それは辛かったのかもしれないな。俺も側で母の看病をしながらどこか不毛な気がしていた。だから、母が俺に坊主を呼べと言ったとき、素直に気が触れたんじゃないかと一瞬過ったんだ、多分」
それになんと声を掛けろと言う。いや、求めてないとは思うけど。
いまどうして朱鷺貴は語らっているのか、これは一体…不毛なのだろうか。
朱鷺貴の言葉はいつでもはっきりとしている。だからこそ、時にこうして優しく痛めつけてくるよう。
だから彼はいつも言葉が下手なのかもしれないと、ふと翡翠は気が付いた。また、自分とは少し違う拾い方で。
「…何故今更、お前にこれを語って聞かせたか、俺に心中を知る由もない。どうしても過ぎたことだからだ」
ずっと硬く閉ざしていたのに、こんなにも考えさせてしまったのか。
「そう、ですか…」
「……さっきの話だが、苦痛かどうかはさておき、そうして生きている。それは自由で残酷かもしれなくても」
「……参りました、参りましたよトキさんには」
痛い。
「…素直に言うと俺はまぁな、岡田や壬生浪なんかより、皮肉にもお前の方を見ているからな。これはこれで情という、まともじゃないものかもしれないけど。自己投影は深くない方がいい、でも客観だって、結局主観なんだからさ、」
どの口が言うんですか。
いや、違う。そんなに冷たい事を言いたい訳じゃなく。なんせ少し遠く近い。
「わてはけして救われたいと…逃げたいと思っているわけではないのです」
「そうだろうな」
「わての羽根をむしるのは、貴方ですねトキさん」
「…生きるって何だと思う」
昔、同じ問いをした人を思い出した。
例えば、「俺もそう思うよ」と空庵に言った朱鷺貴だって、どうにも出来なかった過去があるのだから。
「俺は抗いだと思うんだ。それを受け入れたのなら、抗えばいいと、」
全く。
「すまへんね、トキさん。わてはアホで、難しくてわかりまへんよ。
少し落ち着きました。こんな話をして、すまへん」
「良いよ別に。俺こそすまない。
全くあの野郎は当たり屋だな。品がない。まず面構えが気に入らない」
「…はは、確かに。名は体を表す、みたいな?」
どこまでも下手だ。だが気持ちは痛い程よくわかった。
互いにけして、誰かを傷付けたいわけではないのだ、それははっきりしている。
「…長々駄々を捏ねてすんませんでした。トキさん、袈裟着けましょうか。昼も過ぎたし」
「忙しいなぁ、少し休まないか?少し」
「袈裟だけやっときましょ。あとは待ちやし、明日の方が忙しい。どうせ気は張りますやろ?」
…何気にそういうところ、あるよなぁ。
互いにそう思う。しかしどちら様、相手様にも全て、関係がない事情。
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