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余波
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「…これは俺なのか、」
「壮士殿はお忙しいと。客人故上げたのですが」
なるほど端から面倒事と察したのかあの兄弟子は。
「…桂さんて…」
「ん?」
「いや…あの、蕨の折りに少々聞き覚えがある名でして」
「…ますます嫌だな。
ジジイが不在なのは伝えたのか?」
「はい、そうしたら「弟子の方がいると聞いた」とおっしゃいましたので…」
何か思案顔で坊主は眺める。
寺の認識ではどうやら自分は武士への対応とでもなりつつあるようだ。
「…上げちまったんじゃもうどうしようもないじゃん…」
折角暇が出来たというのに。
「手前の堂です…」とそそくさと去る坊主の対応に溜め息が出た。
「皆トキさんに甘えておいでですなぁ…」
「まぁジジイの変わりと捉えて頂いたようでっ。クッソ人をなんだと思ってんだか」
「はばかりさんやねぇ…お茶のご用意を致しましょ…」
そう言って翡翠もそそくさと台所の方へ向かう。
紙を手にしながらまぁまずは客人だしと、朱鷺貴は出来るだけ面倒を顔に出さないようにしてふぅ、と堂の戸を開けた。
広い堂の真ん中で、脱藩浪人、いや却って、そこらの金を持つ商家のように小綺麗な成りをした男がいた。
「お待たせ致ししました」
「いえいえこちらこそ火急にて申し訳ない。長州藩大組士、桂小五郎と申す」
丁寧に折り目正しく頭を下げるのに「いやぁ、あぁ…」とやりようがない思い。
「…えっと、高杉さんからの手紙ということですが」
「はい。高杉はつい先日旅立ったのですが、面白い男がいるということで参りました。しかし…」
「まぁはいそうですただの坊主です。
高杉さんと久坂さん……?は正月に会ったのみで」
「そうでしたか…。まぁ、確かに剽軽な男だとお感じにはなられたでしょうが…江戸の遊学で会ったと」
「それもすれ違ったくらいで…」
間が出来てしまった。
翡翠が茶を持って来るまで持たないなと、「…もしや師匠の幹斎ではないかと…」だなどと、あまり言いたくもない事を言うしかない。
「…いや、まぁお名前は聞きましたのでそこについてもお伺いはしたいのですが、なるほどと…。雑談しても面白いだろうなどと言われまして」
桂は少しだけ砕けたが、「いや、まぁ」とまた勝手に引き締まった。
「…どこまで行っても自分の感覚でやる男なので、言ってしまえば高杉が語る以上に我が藩は少々…殺気立っています。しかし、高杉と久坂が言うからにはと、少しだけお話をと気軽に立ち寄ってしまいました、お忙しいでしょうか」
「…さながら、見たところ貴方の方が忙しいと見える、それにしては俺に割かれる時間に見合うかと…」
「…まぁ、それはこちらから赴いたので気にしないでください」
…いや、そうは言われても過大評価だ。
何故こんな名もなき、ましてや坊主などを訪ねるのか。
あのトサキンや、あっても藤嶋くらいしか自分に宛がない。それは自分ではない。
この空気、耐えられそうにないと思い朱鷺貴は忙しない気持ちで戸を何度か眺めた。早く来ないものか。
いや、用事というものを一度聞くしかないのだろうと「それで、ご用事というのは」と桂に振ったところで漸く翡翠が茶を持って現れた。
一瞬ポカンとして見上げた桂に翡翠は「粗茶を」と、大した対応もしなかった。
「お話は盛り上がりやろうか。小姓の翡翠と申します」
「ははぁ、長州藩の」
「貴殿は、お尋ね者なんやろか」
「…はい!?」
あまりに急にぶっ込んできた翡翠に、朱鷺貴の一瞬生まれた安心が崩れ去る。
普通「お名前をお伺いしたことがございます」だとか、言い分は色々あるだろうにと横っ面を眺めれば当の翡翠は憎たらしいまでの作り笑いをしていた。
「いやはや、私共江戸へ修行に出たことがあるんやけど、蕨の色町であんさんの名前をお聞きしたんですよ。吉田さんいう方には会えましたか?」
「…吉田?どの吉田か…蕨…と…」
「やはり沢山おるんやね。なんと言いましたか…一月に久坂さんから本名をお聞きしたんやけど」
「まさかと思うが利麿ですか、」
「そないな名前やったかしら…遊郭の番頭に化けていた聞きまして」
「遊郭の…番頭…?」
何故?という顔の桂に話がえらく拗れたな、恐らく翡翠のそれは確信犯だろうしそんなに根に持っていたかと「いやぁ翡翠…」と、窘めにもならず弱々しく朱鷺貴は呼ぶ。
「まぁまぁ道中やったし我々もあんまり関わりもない話でそれ程わかる話ではないんやけど、少々厄介やなぁと思て覚えております」
「…利麿が…。となると…一昨年辺りでしょうか」
「そうやねぇ、丁度そん頃」
「確かに…私はその時江戸と萩を行き来していました。その前の年に…私共の師匠が亡くなりまして…。高杉、久坂等は特に寵愛され、高杉はその始末も含め、江戸に遊学していたんですよ。私はそれ故藩と高杉を繋ぎ止める役柄でした」
「ほう…」
いままでと違い若干表情や口調を変えた翡翠に一安心する。
確かに…ここまで、雑談だ。
「しかし、なるほど。高杉が私をここへやった理由がよくわかった。私の所在を知る者は殆どいなかった、それはつまり秘密裏だったのですよ」
まぁ…でしょうね。
「…吉田利麿とも交流はあれから持ちましたが…。特に、何も?」
「ええ。鼻に付く男やと思いましたけどね」
「まぁ、若さもありますからね…。同郷として、気休めながら詫びを入れます」
この男どうやらえらく真面目な人柄のようだ。
「壮士殿はお忙しいと。客人故上げたのですが」
なるほど端から面倒事と察したのかあの兄弟子は。
「…桂さんて…」
「ん?」
「いや…あの、蕨の折りに少々聞き覚えがある名でして」
「…ますます嫌だな。
ジジイが不在なのは伝えたのか?」
「はい、そうしたら「弟子の方がいると聞いた」とおっしゃいましたので…」
何か思案顔で坊主は眺める。
寺の認識ではどうやら自分は武士への対応とでもなりつつあるようだ。
「…上げちまったんじゃもうどうしようもないじゃん…」
折角暇が出来たというのに。
「手前の堂です…」とそそくさと去る坊主の対応に溜め息が出た。
「皆トキさんに甘えておいでですなぁ…」
「まぁジジイの変わりと捉えて頂いたようでっ。クッソ人をなんだと思ってんだか」
「はばかりさんやねぇ…お茶のご用意を致しましょ…」
そう言って翡翠もそそくさと台所の方へ向かう。
紙を手にしながらまぁまずは客人だしと、朱鷺貴は出来るだけ面倒を顔に出さないようにしてふぅ、と堂の戸を開けた。
広い堂の真ん中で、脱藩浪人、いや却って、そこらの金を持つ商家のように小綺麗な成りをした男がいた。
「お待たせ致ししました」
「いえいえこちらこそ火急にて申し訳ない。長州藩大組士、桂小五郎と申す」
丁寧に折り目正しく頭を下げるのに「いやぁ、あぁ…」とやりようがない思い。
「…えっと、高杉さんからの手紙ということですが」
「はい。高杉はつい先日旅立ったのですが、面白い男がいるということで参りました。しかし…」
「まぁはいそうですただの坊主です。
高杉さんと久坂さん……?は正月に会ったのみで」
「そうでしたか…。まぁ、確かに剽軽な男だとお感じにはなられたでしょうが…江戸の遊学で会ったと」
「それもすれ違ったくらいで…」
間が出来てしまった。
翡翠が茶を持って来るまで持たないなと、「…もしや師匠の幹斎ではないかと…」だなどと、あまり言いたくもない事を言うしかない。
「…いや、まぁお名前は聞きましたのでそこについてもお伺いはしたいのですが、なるほどと…。雑談しても面白いだろうなどと言われまして」
桂は少しだけ砕けたが、「いや、まぁ」とまた勝手に引き締まった。
「…どこまで行っても自分の感覚でやる男なので、言ってしまえば高杉が語る以上に我が藩は少々…殺気立っています。しかし、高杉と久坂が言うからにはと、少しだけお話をと気軽に立ち寄ってしまいました、お忙しいでしょうか」
「…さながら、見たところ貴方の方が忙しいと見える、それにしては俺に割かれる時間に見合うかと…」
「…まぁ、それはこちらから赴いたので気にしないでください」
…いや、そうは言われても過大評価だ。
何故こんな名もなき、ましてや坊主などを訪ねるのか。
あのトサキンや、あっても藤嶋くらいしか自分に宛がない。それは自分ではない。
この空気、耐えられそうにないと思い朱鷺貴は忙しない気持ちで戸を何度か眺めた。早く来ないものか。
いや、用事というものを一度聞くしかないのだろうと「それで、ご用事というのは」と桂に振ったところで漸く翡翠が茶を持って現れた。
一瞬ポカンとして見上げた桂に翡翠は「粗茶を」と、大した対応もしなかった。
「お話は盛り上がりやろうか。小姓の翡翠と申します」
「ははぁ、長州藩の」
「貴殿は、お尋ね者なんやろか」
「…はい!?」
あまりに急にぶっ込んできた翡翠に、朱鷺貴の一瞬生まれた安心が崩れ去る。
普通「お名前をお伺いしたことがございます」だとか、言い分は色々あるだろうにと横っ面を眺めれば当の翡翠は憎たらしいまでの作り笑いをしていた。
「いやはや、私共江戸へ修行に出たことがあるんやけど、蕨の色町であんさんの名前をお聞きしたんですよ。吉田さんいう方には会えましたか?」
「…吉田?どの吉田か…蕨…と…」
「やはり沢山おるんやね。なんと言いましたか…一月に久坂さんから本名をお聞きしたんやけど」
「まさかと思うが利麿ですか、」
「そないな名前やったかしら…遊郭の番頭に化けていた聞きまして」
「遊郭の…番頭…?」
何故?という顔の桂に話がえらく拗れたな、恐らく翡翠のそれは確信犯だろうしそんなに根に持っていたかと「いやぁ翡翠…」と、窘めにもならず弱々しく朱鷺貴は呼ぶ。
「まぁまぁ道中やったし我々もあんまり関わりもない話でそれ程わかる話ではないんやけど、少々厄介やなぁと思て覚えております」
「…利麿が…。となると…一昨年辺りでしょうか」
「そうやねぇ、丁度そん頃」
「確かに…私はその時江戸と萩を行き来していました。その前の年に…私共の師匠が亡くなりまして…。高杉、久坂等は特に寵愛され、高杉はその始末も含め、江戸に遊学していたんですよ。私はそれ故藩と高杉を繋ぎ止める役柄でした」
「ほう…」
いままでと違い若干表情や口調を変えた翡翠に一安心する。
確かに…ここまで、雑談だ。
「しかし、なるほど。高杉が私をここへやった理由がよくわかった。私の所在を知る者は殆どいなかった、それはつまり秘密裏だったのですよ」
まぁ…でしょうね。
「…吉田利麿とも交流はあれから持ちましたが…。特に、何も?」
「ええ。鼻に付く男やと思いましたけどね」
「まぁ、若さもありますからね…。同郷として、気休めながら詫びを入れます」
この男どうやらえらく真面目な人柄のようだ。
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