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濁る川
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秋も更けになる頃合い。
あれから7日ほどは経っただろうか、しかし“トサキン”は寺を去らず。
困ったもんだな…、と朱鷺貴は頭を悩ませていた。
勢い余り、寺の最高僧を謹慎処分にしたはいいが、それはそれでその他の坊主達に混乱を招いてしまったようで「どういうことなんでしょうか朱鷺貴様」と、毎日毎日代わる代わる、小姓達が朝早くから部屋を訪れる始末だった。
「ましてや、付いていた壮士様をも遠ざけあの男娼を小姓に宛がうなと、どういった心か」
翡翠はその場にいなかった。
小姓の言う通り、翡翠には寺に来た始めの公務として、幹斎の付き人を兼任させることにしたのだ。
…心持ち、と言われてしまえばそれは遥かに心許のない決定。
「いつか殺すでしょう」と翡翠が幹斎に啖呵を切ってしまった事情も、大いに朱鷺貴の胸の内にあるのだが、どうやらここ7日、幹斎は死んでいない様子だ。
「…あの浪人達は幹斎殿が「来るもの拒まず去るもの追わず」と招き入れた客人ではあるが、ああも寺を占拠されては困り者だろうよ」
確かこの寺小姓は13にもなる「悠蝉」という子供で、これも元は、狐狼狸で両親を亡くした孤児だったはずだ。
しかし、朱鷺貴が寺に帰還してから初めて出会った子供。つまりは最近寺に引き取られた子供で、だから親である幹斎を幽閉した自分は何様だという心境であるだろうと察する。
「それはそうですが、それで幹斎和尚の処罰とは何故なのですか」
「詳しくは言うつもりはないが、あの者達は君達が噂する通り反乱分子だと判断した。
その思考は皆平等と謳う寺坊主としては理に反すると」
「それは朝敵となるから、でしょうか」
「そんな小さな物差しで最高僧を幽閉すると、俺は君にとってそう思われているわけか」
悠蝉は押し黙ってしまった。
…どうにも自分は言葉がうまくないな。
目下がこのように不安、不満を持つ顔をするなど、本当は最高僧に取り変わるならばよくない。
「…威厳もクソもあったもんじゃねぇ寺だが、それでも暮らしている以上、せめてそこの道徳や規則がある。それを安売りしすぎてはいないかと意見しただけの話だ。幹斎和尚も納得したから引っ込んでいる、これは事実で。
…だが、まぁ。俺個人の人並みな意見で言えば単純にあの者達が気に入らないんだよ」
そう言って煙管に火を着けた朱鷺貴を見る悠蝉は「はぇ?」と、すっとんきょうな声を出す。
「あの人にはあの人の心情がある筈だが、それをヤクザや浪人ごときに押し流されるほど迷いはあったんだろう。
そこに気付ける程の坊主はウチにはいなかった、から招いたのだとしたら、暫く最上には黙っててもらおうか、と、こんな心だが」
予想外だったのかなんなのか、未だ悠蝉はポカンとしている。
「…そうだなぁ、君や、壮士殿や、その他幹斎を熱心するものとしては俺は反乱分子なのかもしれないな。この寺を取って変わろうとしているとか、その程度の噂は流れるだろうよ」
「…知っていたんですか」
「知らないが、わかるよ。
藤宮翡翠を何故幹斎に付けたかと聞いたな。単純だ、俺にはあれしかいないからだ」
「…ですが、朱鷺貴殿は長らくここにいらっしゃると」
「長いだけだよ。長いだけだから却って、幹斎の事を幽閉出来るんだ。助言も意見もする。俺は幹斎から、そうやって徳でもないことを教わった筈だから」
淡々と語る朱鷺貴に悠蝉がどう思ったのかはわからないが、俯いた悠蝉は「そうですか…」と声を落とした。
失望くらいはさせてしまったのかもしれないがそれが本命ならば仕方ない。
ここで頑としなければ自分がやったことも流れてしまう、と平然だったが、
「…至らず出過ぎた事を申しました、すみません」
素直に謝られたことに拍子が抜けてしまった。
「…その様にお考えだったとは、その、失礼ながら朱鷺貴様は…私が言うのも憚られますがお若いので…そこまでと思っておりませんでした」
「まぁ、普通はそうだよ」
「ですが、」
やはり彼も、まだ若いが良いことだ。長いだけで陰口ばかりな年上よりも、と耳を傾ける気になる。
「…せめてでは、私が幹斎様のお供をしてもよろしいでしょうか。
私には貴方も、所謂反幕や攘夷や、それを語る者達と変わらないように感じる」
「…なるほど」
確かに。
己を信じ、それが建前だったとしても、その建前が正しいと信じて疑わないその言動が破壊を生む。確かに見方によっては志士と呼ばれる者達と自分は、変わらないのかもしれないが。
その果てには必ず利益、私利私欲がある者だと志士達は気付かないのか、いや、気付いているはずだ。
それをかなぐり捨てる者達もまた、破壊を生むのかもしれない。
とにかく朱鷺貴は理屈を考えたが、なるほど、だから自分は幹斎を追い出し実権を握ろうとしていると、思われているのかと理解した。
「…ならば君の一声で俺も処罰されてもいい」
「いや、」
「君の言うことも確かに通りだ。翡翠を下げよう。君から見れば、それが正しいんだろ?」
「…いや、単に幹斎様が」
「いい。俺に言う前にやってくれ。俺は少々広く浅く捉えていたのかもしれない。もっと、近くに目をやるべきかも。
まぁ、本当はそろそろ謹慎も解ける頃かなとも思ってたし。
君が側に付き…もしも幹斎の処遇にしても、何にしても、気が向いたら、伝えてくれると助かる。
しかし…壮士殿にもこの際だから掛け合っておいて欲しい。あの人もなんだかんだと己にうるさいから」
やはり悠蝉は唖然としてしまったようだ。
寺への尊皇攘夷か。思い至らなかったことへの発見に少し、朱鷺貴は楽しい気持ちになった。なるほど、こうして反乱は起きているのか。
あれから7日ほどは経っただろうか、しかし“トサキン”は寺を去らず。
困ったもんだな…、と朱鷺貴は頭を悩ませていた。
勢い余り、寺の最高僧を謹慎処分にしたはいいが、それはそれでその他の坊主達に混乱を招いてしまったようで「どういうことなんでしょうか朱鷺貴様」と、毎日毎日代わる代わる、小姓達が朝早くから部屋を訪れる始末だった。
「ましてや、付いていた壮士様をも遠ざけあの男娼を小姓に宛がうなと、どういった心か」
翡翠はその場にいなかった。
小姓の言う通り、翡翠には寺に来た始めの公務として、幹斎の付き人を兼任させることにしたのだ。
…心持ち、と言われてしまえばそれは遥かに心許のない決定。
「いつか殺すでしょう」と翡翠が幹斎に啖呵を切ってしまった事情も、大いに朱鷺貴の胸の内にあるのだが、どうやらここ7日、幹斎は死んでいない様子だ。
「…あの浪人達は幹斎殿が「来るもの拒まず去るもの追わず」と招き入れた客人ではあるが、ああも寺を占拠されては困り者だろうよ」
確かこの寺小姓は13にもなる「悠蝉」という子供で、これも元は、狐狼狸で両親を亡くした孤児だったはずだ。
しかし、朱鷺貴が寺に帰還してから初めて出会った子供。つまりは最近寺に引き取られた子供で、だから親である幹斎を幽閉した自分は何様だという心境であるだろうと察する。
「それはそうですが、それで幹斎和尚の処罰とは何故なのですか」
「詳しくは言うつもりはないが、あの者達は君達が噂する通り反乱分子だと判断した。
その思考は皆平等と謳う寺坊主としては理に反すると」
「それは朝敵となるから、でしょうか」
「そんな小さな物差しで最高僧を幽閉すると、俺は君にとってそう思われているわけか」
悠蝉は押し黙ってしまった。
…どうにも自分は言葉がうまくないな。
目下がこのように不安、不満を持つ顔をするなど、本当は最高僧に取り変わるならばよくない。
「…威厳もクソもあったもんじゃねぇ寺だが、それでも暮らしている以上、せめてそこの道徳や規則がある。それを安売りしすぎてはいないかと意見しただけの話だ。幹斎和尚も納得したから引っ込んでいる、これは事実で。
…だが、まぁ。俺個人の人並みな意見で言えば単純にあの者達が気に入らないんだよ」
そう言って煙管に火を着けた朱鷺貴を見る悠蝉は「はぇ?」と、すっとんきょうな声を出す。
「あの人にはあの人の心情がある筈だが、それをヤクザや浪人ごときに押し流されるほど迷いはあったんだろう。
そこに気付ける程の坊主はウチにはいなかった、から招いたのだとしたら、暫く最上には黙っててもらおうか、と、こんな心だが」
予想外だったのかなんなのか、未だ悠蝉はポカンとしている。
「…そうだなぁ、君や、壮士殿や、その他幹斎を熱心するものとしては俺は反乱分子なのかもしれないな。この寺を取って変わろうとしているとか、その程度の噂は流れるだろうよ」
「…知っていたんですか」
「知らないが、わかるよ。
藤宮翡翠を何故幹斎に付けたかと聞いたな。単純だ、俺にはあれしかいないからだ」
「…ですが、朱鷺貴殿は長らくここにいらっしゃると」
「長いだけだよ。長いだけだから却って、幹斎の事を幽閉出来るんだ。助言も意見もする。俺は幹斎から、そうやって徳でもないことを教わった筈だから」
淡々と語る朱鷺貴に悠蝉がどう思ったのかはわからないが、俯いた悠蝉は「そうですか…」と声を落とした。
失望くらいはさせてしまったのかもしれないがそれが本命ならば仕方ない。
ここで頑としなければ自分がやったことも流れてしまう、と平然だったが、
「…至らず出過ぎた事を申しました、すみません」
素直に謝られたことに拍子が抜けてしまった。
「…その様にお考えだったとは、その、失礼ながら朱鷺貴様は…私が言うのも憚られますがお若いので…そこまでと思っておりませんでした」
「まぁ、普通はそうだよ」
「ですが、」
やはり彼も、まだ若いが良いことだ。長いだけで陰口ばかりな年上よりも、と耳を傾ける気になる。
「…せめてでは、私が幹斎様のお供をしてもよろしいでしょうか。
私には貴方も、所謂反幕や攘夷や、それを語る者達と変わらないように感じる」
「…なるほど」
確かに。
己を信じ、それが建前だったとしても、その建前が正しいと信じて疑わないその言動が破壊を生む。確かに見方によっては志士と呼ばれる者達と自分は、変わらないのかもしれないが。
その果てには必ず利益、私利私欲がある者だと志士達は気付かないのか、いや、気付いているはずだ。
それをかなぐり捨てる者達もまた、破壊を生むのかもしれない。
とにかく朱鷺貴は理屈を考えたが、なるほど、だから自分は幹斎を追い出し実権を握ろうとしていると、思われているのかと理解した。
「…ならば君の一声で俺も処罰されてもいい」
「いや、」
「君の言うことも確かに通りだ。翡翠を下げよう。君から見れば、それが正しいんだろ?」
「…いや、単に幹斎様が」
「いい。俺に言う前にやってくれ。俺は少々広く浅く捉えていたのかもしれない。もっと、近くに目をやるべきかも。
まぁ、本当はそろそろ謹慎も解ける頃かなとも思ってたし。
君が側に付き…もしも幹斎の処遇にしても、何にしても、気が向いたら、伝えてくれると助かる。
しかし…壮士殿にもこの際だから掛け合っておいて欲しい。あの人もなんだかんだと己にうるさいから」
やはり悠蝉は唖然としてしまったようだ。
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