【完結】料理人は冒険者ギルドの裏で無双します

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第一部:異世界料理人の目覚め

第1章:星付きシェフの最期と再生

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 「椎名シェフ、フォアグラのソースに深みが足りません。このままでは料理長の承認が下りませんよ」

 背後から放たれた副料理長の低い声に、椎名栄作はフライパンから目を離すことなく、わずかに肩を動かして応じた。

 深夜の「メゾン・デトワール」。三ツ星の名にふさわしい格式と静謐を誇るフレンチレストランの厨房は、夜半を過ぎてもなお、緊張の熱気に包まれていた。明日の特別コースに向けた試作の追い込み――それが彼に許された、ただ一つの生き方だった。

 「……わかってる。あと数秒、火を入れれば……」

 額から滴る汗も拭わず、栄作は重みのあるフライパンをわずかに傾け、ソースの粘度と照りを確認した。木べらに絡みついた液体は、わずかに緩く、香りもまだ一段奥が足りない。

 マディラ酒の瓶を静かに傾ける。琥珀の液体が一滴、二滴――重ねられた風味がソースに溶けていき、ふわりと甘く濃密な香りが立ちのぼった。果実味と熟成香が、鉄鍋の熱に追い立てられるように広がってゆく。

 29歳。
 普通ならまだ修業中の年齢であるにもかかわらず、彼はこの店で料理長の座を目指していた。文字どおり寝食を忘れ、血を吐くような努力の果てに、ようやく手が届きかけている。才能だけでは辿り着けない場所だった。

 「椎名さん、明日って……あのヴァンクール氏が来店されるんですよね?」

 グラスを磨きながらソムリエが声をかけてくる。穏やかな口調とは裏腹に、彼の目はどこか焦りを滲ませていた。

 「体調、大丈夫ですか? 顔色……正直、ひどいですよ」

 「問題ない」

 短くそう返した栄作は、ふっと唇の端を歪めた。
 胸の奥、何かが軋むような感覚がある。重たい熱が心臓のあたりに巣食っていて、息をするたびに不快な圧迫が増していく。それでも、手を止めることはなかった。

 三日間、ほとんど眠っていない。
 シフトの合間に床に倒れるように仮眠をとる程度。だがそれも、いまさら驚くようなことではない。この世界で生きる料理人にとって、そんな生活は日常であり、誇りだった。

 ――味で、すべてを語れ。

 誰よりも美味を知り、誰よりも皿で表現できる者だけが、ここに立てる。そう信じてきた。そう信じて、体を削り続けてきた。

 ようやく、と栄作は思った。
 ソースの香りと粘度、鍋肌の温度。すべてが、彼の理想へと近づいていた。

 彼は火を落とし、木べらを外し、慎重にソースを小皿へと流し込む。
 味を見る。
 舌の上で広がる甘味と苦味のバランスに、微かに口角が上がった。

 「……これで、いける」

 まさにその瞬間だった。

 視界が、ぐらりと傾いた。

 何かが――いや、自分自身が崩れていくような、異様な浮遊感。
 次の瞬間、胸をえぐるような鋭い痛みが走る。針金を絡ませた鉄の手が、心臓を握り潰すかのように。

 「……くっ……!」

 吐息が漏れる。足元が、急に頼りなくなる。支えようとした手は空を切り、包丁の音がどこか遠くに跳ねた。

 「椎名シェフ!」

 誰かが叫ぶ。その声が届くより早く、栄作の身体はぐらりと傾き、音もなく床へと沈んでいった。

 意識が遠ざかる中、彼の視界に映ったもの――
 それは、仕上げたばかりのソースだった。

 琥珀色の艶が、照明の光を受けて、わずかに煌めいていた。

 (……こんな場所で、こんな風に……)

 (バカみたいだな……)

 意識は、真っ暗な深海のように、静かに沈んでいった。



---
 「……おい、起きろ。生きてるか?」

 耳元で聞こえた声は、粗野で重たく、現実感に乏しかった。

 意識の底に浮かび上がってきた栄作は、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
 直後、眩しさが目を刺した。木々の合間から差し込む陽光が、視界を真っ白に染める。微かに風が吹き抜け、葉擦れの音が耳に届く。

 ――森、だ。しかも、見たことのない森。

 全身が鉛のように重く、湿った土の上に寝かされていることに気づくまでに、数秒かかった。起き上がろうとした身体は、自分のものとは思えないほど鈍く、ぎこちなかった。

 身に着けているのは、粗いリネンのシャツと革のベスト。厨房で着ていた真っ白なコックコートではない。足元には、厚手の布と革で作られた丈夫そうなズボンとブーツ。すべてが見慣れない。

 「……どこだ、ここは……」

 絞り出した声は掠れていた。喉はひどく乾いていて、唇はひび割れていた。

 「お前を見つけたのは、ミスト森の東端だ。巡回中だった俺たちが、倒れてるのを見つけた」

 低く、腹から響くような声。
 視線を上げると、そこには真紅の髪を逆立てた大男が立っていた。鋼のような筋肉を持ち、肩に巨大な戦斧を担いでいる。

 彼の背後には、弓を携えた褐色の女戦士、そして、青ざめた顔をした少年が立っていた。少年は額に汗を浮かべ、時折身体を震わせている。

 「名は?」

 「……椎名、栄作」

 「シイナ、エイサク? 変わった名だな。俺はマグナス。こっちはナディア、そしてあのガキが……ルークだ」

 マグナスは少年の肩に手を置くが、その手が、わずかに震えた。

 「彼は……どうした?」

 栄作は無意識に問いかけていた。目の前の少年が、ただならぬ状態にあることは、素人目にも明らかだった。

 「毒蜘蛛に噛まれた。森の奥でな。解毒薬は使い切った。町に戻るにはあと半日はかかる」

 毒蜘蛛――。
 異世界だとわかっていても、その言葉の持つ嫌な響きは、現実のそれと変わらない。

 「どこの国だ、ここは?」

 「アストラル大陸だが?」

 「……日本は? 東京は……?」

 その言葉に、三人が顔を見合わせた。

 「聞いたこともねえな。まさか、記憶喪失か?」

 違う、と栄作は思った。
 これは記憶の喪失ではなく、すべてが“違う”のだ。世界そのものが――。
 だがそれを口にするには、自分の理解が追いついていなかった。

 「兄さん……」

 か細い声が漏れた。ルークの顔色がさらに青ざめ、膝から崩れ落ちそうになっている。

 「……限界……」

 唇の端から血のような黒ずんだ液が滲んでいた。首筋には、紫色に腫れた噛み跡があり、脈打つごとに毒が身体中に回っているように見える。

 何か、できないのか――。
 栄作は立ち上がりかけた身体をその場に残したまま、目だけを周囲へと向けた。

 そのとき。
 視界の隅に、奇妙な形状の植物が映り込んだ。広い葉をつけた低木。その色合いも、葉脈の走り方も、ただの雑草とは思えなかった。

 無意識のうちに、その葉を手に取った。

 触れた瞬間、電流のような感覚が指先から駆け抜け、脳内に情報が流れ込んできた。

 《ミンタリアの葉――解毒作用あり。アルカロイド系毒素に反応し、中和能力を発揮。煎じて使用。》

 「……ミンタリア……?」

 口にした瞬間、自分の発言にぎょっとした。
 その名を、自分は知らないはずなのに。

 「おい、それ……名前を知ってるのか?」

 マグナスが訝しげな視線を向ける。

 「わかりません。でも……この葉が、毒に効く気がします」

 確信などなかった。ただ、身体がそう動いた。脳が“それは役立つ”と告げていた。

 続けて、赤い果実を実らせた低木に目が向く。指先に触れると、再び情報が溢れ出す。

 《アシュベリー:酸味強し。解毒補助作用。煎じ薬に混ぜると効果増幅。》

 「……アシュベリー……」

 「おい、それ、名前を言ったのか? お前、まさか――」

 「説明は……できません。ただ、やってみたいんです。火と水があれば」

 数秒の沈黙ののち、マグナスはため息混じりに小さな石を取り出し、乾いた小枝へと叩きつけた。火花が散り、小さな炎が点った。ナディアも無言で水筒を差し出す。

 栄作は、地面にしゃがみ込むと、手際よく葉をちぎり、果実を潰し、即席の煎じ液を調合し始めた。
 動きは迷いがなく、研ぎ澄まされた料理人の所作そのものだった。

 煮出した葉の香りがふわりと立ちのぼる。火力を調整し、果汁を注ぎ、色の変化を見極めてタイミングを計る。

 「……これで、冷まして、濾して……」

 布を使って澄んだ液体を小瓶に注ぐ。琥珀がかったそれは、かすかにハーブのような香りを含んでいた。

 「これを、彼に――」

 マグナスは迷いながらもその瓶を受け取り、弟の口元へと運んだ。

 数分が経過した。

 沈黙の中、誰もが少年の呼吸の音を聞いていた。

 やがて――。

 「……喉の、灼熱感が……なくなってきた」

 ルークが、かすかな声でそう告げた。

 顔色に、わずかに血色が戻りつつある。震えも収まり、意識もはっきりしてきている。

 「おいおい、効いてる……のか?」

 マグナスが驚きと安堵の入り混じった表情で栄作を見る。

 「お前、本当に……ただの料理人か?」

 栄作は、自分の手を見つめていた。
 まるで別人のように、確信を持って動いていたこの手が、自分のものである実感が薄かった。

 「たぶん……違うんでしょうね。異世界に来て、何かが変わったんだと思います」


----

 「……ありがとう。助けてくれて、本当に……ありがとう」

 そう言ったルークの声は、まだかすかに震えていたが、そこには命の灯を取り戻した少年の、確かな生気が宿っていた。

 マグナスは静かに頷き、栄作へ向き直る。

 「お前、訳ありなんだろうが……よかったら、俺たちと一緒に町まで来るか? こんな森に一人でいたら、今度は本当に魔物の餌になるぞ」

 栄作は一瞬、空を見上げた。
 濃い緑の枝葉の隙間から、青みがかった空が覗いている。
 鳥の声が耳に届き、そよ風が頬を撫でていった。

 すべてが、見たことのない風景だった。
 けれど、不思議と恐怖はなかった。

 ――自分はもう、あの世界にはいない。
 東京の喧騒も、鍋を叩く音も、星付きの重圧も、もうここには存在しない。

 その事実が、むしろ栄作の胸に微かな安堵をもたらしていた。

 「お願いします。町まで、案内してください」

 マグナスは、厚く大きな手で栄作の背を叩いた。

 「よし、決まりだ。俺たちの向かう先は《アーケイディア》。冒険者たちが集う町だ」

 ナディアが矢筒を背負い直し、ルークはよろよろと立ち上がった。

 そして四人は、森を後にし、石と土の獣道を歩き出した。

 道中、栄作は目に映るものすべてに注意を向けた。
 緩やかにうねる道の脇には、見たこともない草花が群生し、時折、尾の長い鳥が飛び立って木々の間に消えていく。空気には土と葉の匂い、そしてどこか、異国の香辛料にも似たスパイスのような香りが混じっていた。

 「ここって、本当に“異世界”なんだな……」

 呟いた声に、マグナスが笑う。

 「お前、変わってるな。普通は、もっと取り乱すもんだが……」

 「頭のどこかが、まだ現実を受け止め切れてないのかもしれません」

 それでも、栄作の胸には確かに“実感”があった。
 料理に触れた時、食材に指先が触れた瞬間に情報が流れ込んできた、あの奇妙な感覚。それは幻想でも妄想でもなかった。

 それが“この世界での自分の力”だとしたら――
 料理人として生きてきた意味が、ここでも繋がるかもしれない。
 彼は、ゆっくりと拳を握った。

 やがて、森が途切れ、視界がひらけた。

 丘の上、石畳の道の先に、灰色の城壁と尖塔を連ねた町が広がっている。

 「……あれが、《アーケイディア》?」

 「そうだ。冒険者の町と呼ばれてる。魔物と戦う奴らも、商人も、流れ者も、あらゆる人間が集まる。お前みたいな変わり者にも、案外居場所があるかもしれんな」

 町の空を、鮮やかな色の翼を持つ鳥――否、どう見ても鳥ではない。羽根を生やした小型のドラゴンのような生き物が滑空していた。門の前には、人間だけでなく、猫のような耳を持つ種族や、銀髪で尖った耳のエルフと思しき存在までもが行き交っている。

 異種族、異世界、魔法――
 そうしたファンタジーの要素が、現実としてそこに存在していた。

 「……本当に、違う世界なんだな」

 呟きながら、栄作は胸の内でゆっくりと受け入れていく。

 自分は今、未知の大地に立っている。
 ゼロから始める、新しい人生の一歩を踏み出そうとしているのだと。

 「――壁の向こうに、新しい人生が待っているかもしれないな」

 そう呟いた言葉に、マグナスががははと笑った。

 「なら、行こうぜ。腕の立つ料理人が必要なんだ、ちょうどな」

 四人は、夕暮れに染まりかけた空の下、アーケイディアの大門へと歩を進めた。
 その足取りは、確かに“冒険”の始まりを告げていた。
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