その日の空は蒼かった

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エピローグ その日の空は蒼かった ― 未来へ続く蒼い空 ―

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 カイト様は、私を大切にしてくれている。 




 それは、判る。 でも、かなり、過保護。 もうね…… 本当に…… もうね。 『揺籃の聖域』からは、出る事は出来ないし、聖域内にいても、危険度の判定は相当に厳しいの。

 私は、薬師錬金術師。

 野にあり、困っている人が居れば、手を差し伸べる事を精霊様にお約束した『人』なの。 だから、彼とは色々とお話をしたわ。 ええ、彼を愛しているのは間違いないし、彼と共に歩むのは私の切実な想いでもあるわ。 

 私自身でも思うの、私って、とてもメンドウクサイ性格をしているのよ。

 でもね、世界は広いわ。 私はそれを知ってしまったのだもの。 そして、私の知恵と知識は、その世界に求められているモノでもあるしね。

 だから、色々とお話をしたの。

 シュトカーナ様の洞の中は、とても快適な住まいとなった。 彼は私以外の人にあまり感情を向けない。 私が大切にしている人々に対しては、かなり丁寧な対応を取っているのだけど、それも、『私がそう思っているから』だけでしかないの。

 それではダメよ。

 私が精霊様方とお約束したのは、この世界に生きとし生けるモノ全てに対しての慈しみ。 だから、私は私である為に、『揺籃の聖域』の外にも行かないといけないの。 それに、カイトにも私の『誓約』とも云える、この気持ちを理解して欲しいの。 

 でも、カイトも皆も、わたしが『揺籃の聖域』の外に出ると云うと、余り良い顔をしてくれないわ。 なにより、聖域の外では行動や安全に不安が有ると。


 でもねぇ……


 在野の薬師錬金術師で、私自身、何度も何度も危険な目に有って来たわ。 薬草を採取する為に迷宮にすら潜った事もある。 森の中の採取なんて日常だったのよ。 ラムソンさんに、その事を指摘すると……



「そんな日もあったな。 しかし、今は違う。 『森の聖女エスカリーナ』が、安全に暮らすのは、当たり前だ」



 とか、なんとか。 シルフィーや ウーカルさん、ラディカルさん、そして エストも、大きく頷くだけなのよ。 それに、カイト様なんか、奇麗なドレスを何着も何着も用意して、日毎にワードローブを満たしていくのよ。

 私の体は一つしかないと云うのにねッ!!

 ちょっと、なんだか、いくら何でもオカシイと思って、自分でいつもの装いを錬金釜で錬成したのよ。 ええ、いつもの黒のパンツ。 コットンの白シャツ。 濃い灰色の腹部軽装甲アンダーバストコルセット。 腰には山刀、クリスナイフ、それと魔法の杖。 コートには、薬師錬金術士と、リーナの紋章入りがしっかりと刺繍されている、アレね。

 私が私らしい装いをすると、皆がなんだか苦し気に私を見るの。 なんでかな?



「その姿に、君が苦しい想いをしていた頃の姿を重ねるからだよ。 色々な誓約を全部守ろうとして、無茶や無理を押して押して、押し通した君の姿をね。 その結果、幾度君の命が危ぶまれた事か。 そんな思いをもう、二度としたくないって…… そう云っていたよ」

「でも、それが私なの。 薬師錬金術師のリーナなのよ。 勿論、ファンダリ王国の王女エスカリーナならば、そんな事は無いだろうけど、もう王女は何処にもいないわ。 貴方の伴侶であり、貴方と共に歩く薬師錬金術師の『私』しか、此処にはいないのよ。 この装いは、私自身でもあるわ。 皆に心配を掛け続けた事は、本当に申し訳なく思うのだけど、これからは…… もう、無茶なんてしないし、する必要も無いもの」

「……いや、そうは云ってもね」

「カイト。 この世界では、この世界の理があるのよ。 貴方だってそれは知っているわよね。 私の記憶を貴方の魂に転写したんですもの。 別に、ファンダリア王国がどうのとは言っていないわ。 多分、私の軸足は、この大森林ジュノーに有る。 でも、それだけじゃ、私が私でなくなってしまうわ。 薬師錬金術師として、私は市井で暮らしていたいの」

「希望は…… 理解している。 外の状況がもう少し落ち着くまで、待ってはくれないか?」

「外の状況?」

「この大森林の中でも、色々とあるしね。 森の北側の情勢もあまり良くは無い。 ゲルン=マンティカ連合王国だったか? あちらの獣人達が、森に侵入して乱伐やら乱獲やら色々とな。 どうしたモノかと…… 一応術式は展開してきた。 それが有効なのかどうなのかは、まだ判らないからね」

「えっ? ゲルン=マンティカ連合王国の獣人さん達? シルフィーどういう事?」



 渋い顔をしたシルフィーが、説明をしてくれたの。 あちらの国は、元々獣人族、荒野型の獣人達の国 『ゲルン王国』 と、人族の遊牧民達が作り上げた『マンティカ王国』が、幾多の衝突の後、やっと一緒にやっていこうと云う合意に至った、連合王国。 

 獣人族には、ジュバリアン王国の方々とは違う種族の方々が多く、その多くが好戦的な種族の方達だったの。 例を挙げれば、獅子人族、豹人族、虎人族、とかね。 草原地帯に棲む彼等は、遊牧の民であったマンティカ王国とはその国土と生息領域が重なり、とても激しい戦を繰り返していたらしいの。

 その名残か、対外的にとても好戦的な人々なのよ。 さらに、資源の問題もあったの。 元が遊牧民、平野の獣人族の方々と云う事で、農業にはあまり国力を割り振らず狩猟採取が主な産業でもあったの。 人口が増え、とてもその人口を支える事が出来ないと判ると、外へ外へとその勢力を伸ばしていったのが、彼の国の歴史。

 今では、そうでもないわ。 侵略し国土と成した場所では、農業、畜産業、林業などが盛んな地域もあったし、そんな土地の人が、ゲルン王国、マンティカ王国のまだ開拓されていない場所に目を付けるのも自然な事なの。 獅子王陛下の時代。 彼等も自分たちの生存圏を賭けた戦に明け暮れていたという訳ね。

 そして、ドラゴンバック山脈と大森林ジュノーを挟んで両国は対峙したって事。

 それが、あの戦争に繋がっていたのよ。 両国の野心に挟まれた大森林ジュノー、ジュバリアン王国は、本当にとばっちりを受けたって事に他ならないわ。 そんな北の獣人族の方々は、ご自身が獣人族の根幹ルーツを持っているから、あの【障壁結界】をすり抜け、大森林ジュノーへの侵入が可能だったのよ。


 そして、従来通りの搾取を始めようと成されたわ。 


 でも、其処は、『原初の森』。 地面の地下深く、冥界の住人も住まう事が出来る場所。 まぁ、簡単に言えば魔物が跋扈する場所でもあるのよ。 そこで、あちらの人達が、またぞろ強力な人族の兵器や魔法を持ち込みそうになっていたって話だったの。

 それは、困るわ。



「どうにか、せねばなりませんね」



 私の言葉に、カイト様は小さく頷く。 まるで、私がそう言うであろうと、最初から判ってらしたようにね。 



「君の仕掛けたジュノー北側の【障壁結界】の内側に、違う魔術結界を沿わせた。 選別と排除を目的とした、錬金魔法の術式の応用式なんだがね」

「魔人様の元で学ばれたと云う、アレですか?」

「あぁ。 そうだよ。 いうなれば、君の【障壁結界】に符呪したとも云える。 種族を指定して、【障壁結界】の攻撃術式が起動する様にしただけさ。 あちらの国の獣人族は、人族と同じとそう規定しただけ。 簡単な符呪で済んだから、割と楽だったね。 ちょっと魔力を多く取られたけれど」

「……ちょっとって。 アレだけの広範囲の術式に、符呪されたのでしょ? ありえない……」

「なに、君の術式の一つに符呪して、あとは重複転写させただけ。 最初の符呪に力を入れたから、そのぶん、ちょっとね」

「……この世界の常識では、計り知れませんわ」

「んー、君と同じ事をしただけなんだけど?」



 私は深刻な表情で、彼は困った様に、お互いに顔を見合わた後…… プッと噴き出したの。 そうね、そうだったわね。 そう云う事ならば、私達は二人とも、この世界の常識からはずれちゃったのかもしれない。

 あちらの国境的には、短期的には、それでも良いけれど、長期的にみればちょっと困るかもしれないわ。 だって、何時までも【障壁結界】を建て続ける訳にも行かないし……

 エストがその時、声を掛けてきたの。



「エスカリーナ様。 ジュノーの民から請願が届いております。 どうか、御一考頂けないかいと、真摯に乞うておられます」

「えっ? 誰が? 何を?」



 私に何を請願するの? そんな立場じゃないでしょうに…… 一介の薬師錬金術師に何を願うって云うのよ…… そんな困惑気味の私の表情を見てから、カイト様はエストに言葉を掛けられたわ。



「エスト。 その話は、聞かないって云っただろう? エスカリーナを森の国の代表にする? する訳ないだろう。 『森の聖女』の称号は、彼女の成した事で認めたが、なぜジュバリアンの女王に成らないといけない。 獣人族の事は獣人族で為すべきであり、それを彼女に負わせるのは、筋が違う。 シュトカーナもそう云っていただろ?」

「しかし…… 現状、種族間の纏め役すら居りません。 これでは、森の民が互いに争いを始めてしまいましょう。 かつての十二王家は、その血族も僅かしか残っておりませんし、その数も多くは御座いません。 まして、ジュバリアン王国の民たちは、盟主が居らねば、纏まりの無い烏合の衆と成りましょう。 そこで、森の住人たちが心酔している『森の隠者』カイト様の『奥方・・』であり、大森林ジュノーを蘇らせて下さったエスカリーナ様を『森の盟主』に、と云うのは、間違った事に御座いましょうや?」

「あぁ。 大いに間違っているね。 彼女が請け負った精霊様方からの使命は、エストの云った、大森林ジュノーの復活まで。 その後は、その地の住人たちの責務であり、責任でもある。 それを、功労者であるエスカリーナに押し付けるような提案、受ける事など出来はしないし、させない」

「カイト様……」

「出来ない」



 薄っすらと姿を現したシュトカーナも、カイト様の陰で頷いて居られるわ。 シルフィーも、ラムソンさんも。 カイト様の云う事は至極もっともな事。 だって、森の事は、森の住人達が決めるべき事で、私にはそんな権利も権能も無いんだもの。 

 そうよ、私は薬師錬金術師なんだもの。 エストが、頭を下げ、静かになっちゃったわ。 きっと、相当に、森の多くの方々から、いろんな事を云われてたんだろうな。 鼠人族だからって…… 種族偏見って、本当に面倒で、嫌になるわね。




 ――― § ―――




 それにしても、『森の隠者』カイト様って? 彼、私が眠っている間に、何かしたの? カイト様の方を不思議な想いで見ていたら、ラディカルさんがそっと耳打ちしてくれたの。



「ウーカルや、私と子供、そしてエストさんが、ナゴシ村からリーナ様を追ってこの『揺籃の聖域』に辿り着いた頃には、そう云われておられました。 なんでも、リーナ様が御目覚めになるまで間に、少しでも『揺籃の聖域』を安全な場所に成らしめんと、かなりの無茶を成されたようです」

「と、云うと?」

「敵対的になる方々の排除。 また、何かしらの『利』をお求めになって、『揺籃の聖域』へ来られた方々への対応。 まぁ、主に排除ですけれどね。 その他、この聖域全体に対する【防御結界】の敷設と、【広域索敵】の常時配備。 森の中に捨てられ、彷徨っていた、病に侵された者、深い傷を負った者、そして、混血の人々を聖域内に誘導され、此処で暮らすようにと示唆されました」

「強者を廃し、弱者を救う…… 」

「それが、『揺籃の聖域』の聖域の在り方であると。 その言に賛同された種族方々と、協力され今に至ります。 勿論、兎人族は最初からですわ。 そんな噂を聞きつけたのか、我が種族の長老である、おばば様が、疎開先の居留地の森からこちらに移住され、カイト様の御手伝いを成されたのは、特に有名な話と成りました」

「あぁ、それが、あの兎人族の御婆様…… そうだったの」

「はい。 ナゴシ村からも、多くの人がこちらに。 あの地は、ゲルンの地とは近くありますし、【障壁結界】が立ち上がって、森が再生された時に、真っ先にあちらの方々が侵入してきた場所でもありますから」

「……なにか、嫌なお話ね」

「ええ、とても…… カイト様の御蔭で、もうゲルンの民は森には入れません。 ですが、村の施設は相当ひどく打ち壊されてしまいました…… カイト様の御言葉で、多くのナゴシの民はこちらに」

「幾人もの犠牲が有ったのですね」

「ええ…… ですが、数多くの者がカイト様に治療して頂き、命を繋ぐことが出来ました」

「村長様である半馴鹿王ハーフ・トランダス族の、カリバール=クエストリタ様や、半綿羊ハーフオビアリス族の リタ様方は? あちらでは、大変よくして戴きました。 心配です」

「ええ、村長も、半綿羊ハーフオビアリス族の方々も、此方に移住されておられます」

「それは、よかった…… 本当に、よかった……」




 カイト様は、『揺籃の聖域』を森の安全地帯と成す為に、色んな事をされて居たのね。 本当の意味で、魂の揺り籠と成す為に。 きっと、それは、私の為に…… 彼の愛に感謝を。 

 でも、ゲルン=マンティカ連合王国の例を引くまでも無く、森の住人達には住人たちが拠り所にする、『 国 』が必要なのも又事実。 でもカイト様も私も、元々ジュバリアン王国の者でもないし、また、彼らを纏める権能も持っていないしね。

 カイト様が仰っていた通り、『獣人族の事は獣人族で為すべき』なのよ。 だからね、私は提案したの。 かつてのジュバリアン王国 国王十二氏族の末裔を探し出し、彼らの代表を以て盟主と成せば宜しいのでは? ってね。 獅子王陛下の時代だってそうしてきたんでしょ。 十二氏族の皆が持ち回りで、王権を保持して、各種族間の調整を取るって。 そこに王国としての対外的な機能も追加すれば、それで事足りるんじゃないの?

 エストは、私の提案を『皆に伝えます』って言ってくれて、外へ向かったわ。 上手く行くと良いのだけれど……



 ―――――



 外へ出してくれないなら、何かできる事は無いのかなって、見回して見て思ったの。 外に通じる通路は、まるで『百花繚乱』の様な御薬屋さんに成っているわ。 ならば、私は、私の得意な事をする。 薬師錬金術師の本分よね。

 幸い、魔法草は洞の中にたくさんあったの。 苔むし、崩壊した、私のキャリッジだったものの傍に。 荷台に積んであった、簡易符呪台と、簡易錬金釜は、まだ機能しそうだし、壊れていても直せそうだったけど、馬車は…… キャリッジは…… もう無理だったわ。

 いくらブギットさんでも、これじゃぁね…… 直しようも無い。 辛うじて…… 本当に、辛うじて…… 鋼鉄製の緩衝装置だけは手元に残ったの。 ほんとうに…… 本当に…… 悲しくてね。 その緩衝装置を胸にぽろぽろと涙を零していたの。



「ちょっと、時間は掛かるが、その馬車を作った者と、繋ぎを付けようか?」



 余りに泣く私に、ラムソンさんがそう言ってくれたの。 なんでも、居留地の森から来た、兎人族のおばば様が、居留地の森に来た人族の商人と、お知り合いになっていてね。 その伝手で、イグバール様に繋ぎが取れそうなの。 嬉しくって、何度も何度もお礼を言ったわ。

 十二氏族の末裔の方々が揃う前に、ナゴシ村の村長さんともお会いできた。 あちらでお世話になったお礼を述べると、『なんの、なんの』って、豪快に笑われていてね。 皆さんでこの『揺籃の聖域』へ引っ越しできた事に感謝迄して頂いたの。




「カイト殿の言葉、どれ程嬉しかったか! 何処にいても、居場所なんて無い我らに、居場所を下さったのだ。 本当に有難い事なのですよ、リーナ殿。 そうそう、何もかも打ち壊されてしまった、ナゴシ村ですが、アイツ等から隠しとおした例の文献と、そして通信機。 お持ちしました。 もし、ご興味が有れば、我らが感謝の気持ちとして、贈り物とさせて頂きたい」




 そう云われてね。 嬉しいやら申し訳ないやら…… でも、通信機。 これは、本当に嬉しいかも。 魔力線を繋げば、遠くイグバール様への通信だって、繋ぐことが出来るかもしれないし。 一度、やっているしね。 そして、この『揺籃の聖域』は、相当に濃い『闇の魔力』が充満する場所。 私の魔力回復回路を通したら、上手く繋がるかもしれないし。

 通信機をシルフィーやカイト様に見せて、遠い遠いダクレール領のイグバール商会への通信が取れないかってご相談したの。 色々と問題は有ったわ。 まず通信用の魔法糸がもう存在していない事。 通信機自体もものすごく草臥れいて、ちゃんと機能するか判らないって事も。

 でも、カイト様は涼しい顔で、いとも容易く云うのよ。




「なんだ、電話か。 映像付き? テレビ電話と云う事か。 術式は? ほう、コレは興味深い。 時間を貰えば、再構築できるが、どうする?」

「お願いできますでしょうか? 私には意味不明な術式が多々御座いますので」

「あぁ、やってみよう。 なんだか、懐かしい感じもするから…… きっと、何らかの『技術・・』を『魔法術式』に落とし込んだ物のようだしね。 これは、多分、私の居た世界の知恵が元に成っているかもしれないしね」




 それから暫くは、私は兎人族のおばば様の御手伝いがてら、いろんなお薬の錬金に没頭し、カイト様は通信機の解析と再構築に頭を悩ませる毎日になったの。 その間にラムソンさんはイグバール様に繋ぎを取り、馬車の製作依頼をして下さったし、シルフィーは南の国境である、北伐要塞までの道を魔力線を引いて歩いて行ってくれたのよ。

 魔力線については、北伐城塞城門までは、あちらの魔力線が有るはずだから、こっそりと繋いでくるからって、そう笑って言ったのよ。



  ――― § ―――



 王族十二氏族の内、三氏族はその末裔まで失ってしまった。 今は九氏族だけが残っているの。 そんな彼らが、『揺籃の聖域』に集まったのは、私が目覚めてから一年の月日が経った頃。 やっとの事でみんなが集まってからがまた大変だったけど、如何にか昔の体制を思い出して貰って、彼らの、彼らによる、彼らの為のまつりごとが出来る新体制を発足したの。

 まぁ、相談役は、押し付けられけどね。 でも、そっちも、カイト様が引き受けて下さるって。



「エスカリーナは…… リーナは今まで通りでいいよ。 リーナはリーナの成すべきを成せば」



 そう云って、ニッコリと笑ってくださったの。 ほんとにもう…… もう…… 大好きなんだから!

 でね、長らく不在だった、森の民ジュバリアンの盟主に成られたのが、蛇人ラミア族の姫様。 苦難の時は、迷宮程もある深い穴の中での暮らし。 穴の奥底は冥界の住人たる魔物達と遣り合いながら、ひたすらに時が来るのを待っていたんだって。 陽光に当たらない肌は抜ける様に白く、下半身の蛇の部分は青黒い鱗で覆われた姿。

 パッと見、本当に魔物かと思った程。 でも、獣人族が王家の氏族の一つだったのよ。 今では一族で、八百人ほどしか生き残れなかったと、悲し気に云われていたわ。 でも、朗報も有るの。 一族の長老の御婆様。 なんと、獅子王陛下の御代の生き残りなの。

 だから、あの頃のジュバリアン王国の事も良く知ってらしてね。 まさに生き字引。 ちょっと御身体を壊されていたから、直ぐに御薬屋さんに来てもらって、カイト様と二人して診察、そして治療。 御歳には違いないけれど、健康体になって頂いたわ。

 もう一つ、あの兎人族のおばば様ともお知り合いだったの。 もうね、本当に精霊様の御采配に感謝して祈りを捧げてたのよ。 『原初の森』となってしまった、大森林ジュノーでいにしえの記憶を色濃く持つ方は、どんな宝玉よりも価値があるんだもの。 持ち回りの盟主様方の、善き導き手として、本当に大切な方々に成って頂いたわ。



 ――― § ―――



 そして、懸案事項。

 森と外の世界の関わり方について。


 『相互不可侵条約を、多国間で結んだ方が良い』


 そう仰ったのはカイト様。 一対一の条約は、この世界に於いて、片務条約と何ら変わりはないって。 多国間条約となし、相互監視した方が、国同士で牽制しあって、案外和平は長続きするって。

 まつりごとは良く判らない。 いえ、まつりごととは距離を取ろうとしていたわ。 でも、カイト様の云う事はよく理解できたの。 政治には、関わった事はあまり無いけれど、それでも、より良き未来が得られるのならば……


 ―――― 努力してみる価値は有るモノね。


 森の民、ジュバリアン王国の総意として、私とカイト様が起草し纏めたモノを 『 提案 』 として、隣接三カ国の国々に、『ジュバリアンの盟主』の親書して送り出したの。 ラムソンさんが作ってくれた、伝手を伝ってね。

 長い道のりなのは、判っていたわ。 

 だけど、それは、未来の為に必要な事柄。 だから、カイト様と二人三脚で草案を纏めて、盟主様に同意を頂いて、『 提案 』 したの。 あちら側も、ちょっとは気にしてくれていたのかな。 ご返答があったのは、ファンダリア王国が一番最初。 次いで、マグノリア王国。 最後がゲルン=マンティカ連合王国の順番で、考えてみるって。

 其処に突撃してきたのが、ベネディクト=ペンスラ連合王国の獣人族の外務官様。 上級王の御名御璽入りの親書を携えて、この『揺籃の聖域』にやって来られて、『なんとしても、大協約を成立させましょう!』 って、意気込んでおられたの。 まぁ、平和な世が続けば、商業国家であるあちらは、ますます強大になるだろうし、大協約が成立できれば、それに付随する形で彼らの商圏も広がるんだから…… まぁ、乗って来るわよね。

 ニヤリと笑むカイト様。

 さては…… この事を睨んで、色々と仕掛けていたのね。 ちょっと、腹黒さんね。




「すべては、リーナの平穏の為。 遣るだけはやるさ」




 なんて、嘯いて…… 唇を重ねて下さるのよ。 そこで、私は閃いたの。 あの約束を…… 果たす事が出来る時が来るんだって。

 彼方での調整は、想像するだけ無駄。 でも、そんな夢の様な協約が結べるのならば、一度は森を…… 『揺籃の聖域』を出ねば成らないもの。   

 蛇人ラミア族の姫様からは、どうしても一緒に行って欲しいって、お願いされていたし、それにね、移動手段も手に入れたわ。




 ――― 念願の新しい『 馬車 』。





 イグバール様やブギットさんの渾身の馬車。

 色々と材料もお送りした。 魔導通信が開通してからは、色々な打ち合わせや、図面の遣り取りもした。 馬車の各部分に符呪する符呪式の遣り取りだって、もう、数えるのが面倒なほど。 でも…… それでも…… 遣り通したの。

 私も一つ…… 大魔法の魔術式を開発したの。 いえ、改良ね。 あんまりにも皆が私の安全をうるさく云う物だから、一つ、それなりの強度を持つ移動手段をってね。

 行った事の有る場所なら、開通できるそんな『 門 』の魔術式。 おばば様が御使いになっていた、大魔法の改訂版。 私なりに色々な術式を盛り込み、安全に制限なく 『 門 』 を通り抜けられるように。

『大転移魔法』からの、改変。 転移術式は、自分を転移させる方法。 でも、私は転移する空間を固定する方法を、転移魔法から着想して織り上げてたの。 大魔法【長距離転移門】。 遠くの場所を繋ぐ方法としては、この世界になかった方法。 誇らしげに、カイト様に御見せしたら『一言』云われたの。




「魔法版、『どこでもドア・・・・・・』かぁ…… これはまた、凄いね」




 って。 私の独創的な魔法だと思っていたら、既に名前まで…… ちょっとがっくりしちゃったのは、内緒…… 

 これを使えば、私が行った事が有る場所なら、この『揺籃の聖域』と繋ぐ事が出来るの。 でも、まだ、使った事が無かったら、いきなり本番とも行かないわ。 ちょっとづつ試してみないといけないしね。 カイト様が同道して下さって、まずは『霊泉の聖域』。 そして、『神饌の聖域』へ。 まずまずの結果。 でも、本当に遠い場所に繋ぐのは、失敗するかもしれない。 だから、試すしかない。

 王都ファンダルに行こうと思っても、長い距離を移動するのは、カイト様的にはダメと云われるのは目に見えて判っているわ。 お約束を遂行する為には、どうしても必要な魔法なんだから。

 だから、その予行演習に、ダクレール領、イグバール商会へと繋ぐ。

 あの懐かしい、ブギットさんの工房の裏手の空き地にね。 完成したと連絡の在った馬車を受け取りに。 ええ、それが可能なのよ。 この術式は。 綿密に、長い詠唱と、自身の魔力で紡ぎ出す『魔法術式』。 何時もの事と思いながらも、今回ばかりは緊張するわ。

 起動魔法陣を繋げ、私の魔力を注ぎ込み、いざ起動!

 ボワンと、『 門 』が開く。 事前に『魔導通信』で、イグバール様にお話は通していたけれど、実物を見ると、それはそれは驚かれたの。 呆然と、『 門 』の開門を見るイグバール様と、隣に居られたブギットさん。 それに、もう一人。

 浜のおばば様が、途轍もない笑顔で立っておられたわ。

「我が弟子は、何処までも規格外じゃな。 そうであろう、イグバール。 エスカリーナ、久方ぶりじゃな」

「はい、おばば様。 お元気そうで何よりです」

「お前の顔を直に見るまでは死ねんよ。 さぁ、此方に。 この婆に、もっと良くお前を見せておくれ」

「おばば様ッ!」



 門を抜け、海道の賢女様の胸の中に飛び込むの。 もう、成人した女性である私がそんな真似をするのは、少々頂けないかもしれないけれど、それは…… もう…… 感情の爆発に抗しきれなかったわ。 おばば様の胸の中で、感謝しきれない想いを抱いて、唯々、しがみついていたの。

 優し気な声が私の耳朶を打つ。 おばば様の口から紡がれる言葉。



「ところでエスカリーナ。 お前の後ろに控える御仁は、何方かの」

「はい、おばば様。 わたくし、エスカリーナの伴侶、カイト様に御座います」

「そうか…… 己の愛する者を見つけたか。 何よりじゃ。 重畳、重畳。 おい、カイトとやら。 エスカリーナを泣かしたら、おぬし、判って居るか?」

「ええ、それはもう。 しっかりと、ロマンスティカ義姉様に釘を刺されております故」

「…………ならば、何も言う事は無い。 エスカリーナとの絆、永久に光あらん事を」

「有難く、言祝ぎ戴きました事、有難く。 賢女ミルラス殿」

「…………うむ」



 図面では何度も何度も見た、新しい馬車。 とても素敵な馬車。 イグバール様とブギットさんの渾身の作。 栗色の箱馬車にちょっと大きめの荷台。 馬車の中は優に六人が乗れるし、前後のお立ち台には、四人の完全武装の兵を配する事が出来るの。 まぁ、普通は薬草箱の置き場に成るけれどね。

 簡単な宿泊施設にもなるように、色々な施設も組み込まれているわ。 イグバール様の説明に、カイト様は、また簡単に云うのよ。


「軽キャンパー仕様の馬車か。 成程、コレは便利そうだ」


 ってね。 こんな概念の馬車なんて、この世界には存在しない。 でも、やっぱり、カイト様の世界では、この概念は存在するのね…… 軽キャンパー? って云うの? へぇ…… 名前まで有るんだ……

 小さくむくれる私の腰を抱き、カイト様は快活にお笑いになりながら、言葉を紡がれるの。



「これで、何処にだって行けるよ。 安全は保たれる。 危険度がグッと減るからね」

「カイト様や、皆は……」

「なんだい?」

「過保護に過ぎますッ!」



 ガハハハと怖い顔で笑われる、ブギットさん。 苦笑いから、破顔されるイグバール様。 同じように、口に手を当て、大笑いされているおばば様…… もう、もう、もう!!! なんでよッ!! そんなに笑う事、無いじゃない!!!




   ――― § ――― § ―――




 準備は整ったの。 

 幾人も、幾十人も、幾百人も、努力に努力を重ね、そして、積み上げた努力を成果として未来へ繋ぐために、結ばれる協定。 千の妥協と万の努力。 全ては、未来を見据えた和平への道筋。 政治は未だに良く判らない。 だけど、のた打ち回り、泥だらけに成りながらも、掴み取った平穏は、煌びやかな戦の勝利よりも、気高く美しいと私は思うの。

 そして、未来への道は切りひらかれた。

 光へと続く道。 皆が笑い、生きる事を厭わぬ世界に……




 ……そんな大切な会議の前に。





 私はティカ様とお約束した『お茶会』を願うの。 ハト便で、お二人に、お願いしたの。

 お約束を守るために、私は頑張りました。 お茶会をしましょう。 兄弟姉妹三人で。 三人のパートナーを伴って。 今まで色んな事が有りましたねと、笑いながら。 


 これからも、安寧の未来を紡ぐ為に努力しましょうと……

 そう、綴ったの。 【長距離転移門】は、完成したし、検証も終えたわ。 私の馬車に、ホワテルの友人から贈られた八本脚の馬さんが繋がれているの。 一頭であの重い馬車を引けるよって、ホワテルは笑っていたわ。



   ―――――




 時は、早朝。 日の出前の漆黒の時間。




 馬車の御者台の上にカイト様と二人して座る。 私の姿はいつもの通り、薬師錬金術師の装束。 これが、私なのだから。 隣のカイト様も、同じような装束を身に纏う。 彼は医師だと、そう自称されているわ。 二人して、王侯貴族では無いけれど、心の気高さはそれに勝るとも劣らない。

 自身を律する『 癒し、助け、救い、護れ 』を胸に、堂々と皆様とお逢いしに行くの。 私はエスカリーナ。 森の薬師錬金術師 エスカリーナ。 お約束の『お茶会』に参加する為に、カイト様と二人で行くの。

 馬車を引く魔馬スレイプニルの手綱を持つのはカイト様。
 私は、【長距離転移門】を紡ぎ、起動魔法陣を繋ぎ起動する。

 精霊様に言祝ぎを。 世界の平穏に感謝を。


 Fiat voluntas Tuaみこころが天に行われるとおり

 Sicut in caelo, et in terra地にも行われますように。

 fac, quod rectum est, dic, quod verum est.正しい事を為し、真の事のみを語ります。

 Gloria Pet, Si Santo, sicut erat inPrincipio願わくは、創造神と聖霊とに栄えあらんことを願いましょう

 Et nunc et semper et in saecula saeculorum. 始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで平穏を

 deo duce, non errabis.神が導けば、誤ることなど、有りはしません

 cogito, ergo sum.自身の思うがまま、我が意思は、そこに有ります。


 そして、私は彼の地への道を結ぶ。 懐かしき人々との『お茶会』を為しに。 今までの苦難を分かち、これからの道を紡いで行くために。




「起動、【長距離転移魔法陣】 今」





 ポワンと光、紡がれる 『 門 』

 その向こう側に懐かしの、エスコ―=トリント練兵場の景色が広がる。 耳を澄ませば、練兵場に響き渡った、プーイさんの咆哮が聞こえる気がする。 門の向こう側に居る人影。 お忍びで出迎えてくれた人かな? 



 きっと、そうね。

 だって、大好きな兄弟姉妹なんですもの。 きっと、そう。




    夜が明ける。


      闇の帳が幕を引く。


        漆黒の夜空は、徐々に光を孕み始め……




    一片の雲も無い空が、明るくなり始める。

        始まりの予感。 紡ぐ未来を見ている様。






      ――――― その日の空は、蒼かった。 ―――――








                                                          ―― fin



                                                          2022.6.26.
                                                           龍槍 椀







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