その日の空は蒼かった

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最終章 その日の空は蒼かった

日々の研鑽は、最後の力

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 抵抗は、想像を絶する程に激しかったの。 シルフィーは未だに、目に涙を浮かべながら、私を睨みつけているし、ラムソンさんは憮然とした表情で腕を組んで私を見詰めている。

 困ったことに、彼らを説得する材料は、ほとんどないわ。 私の意思だと、そう云っても、納得は得られないの。 精霊様とのお約束と云っても、彼等もまた、精霊様とお約束をしていると云い、世界の理を正す為だと云っても、私が居ない世界など、壊れようがどうなろうが、知った事では無いと云うの。

 ほとほと、困り果ててしまったの。 だって、シルフィーは私の傍に居るのだと、そう自身で決めてしまっていたんだもの。 その決意を覆せるだけの、強い意思の力を私は持っていなかったのかもしれないわ。 だって、こんな場所にまで彼女達を同行させてしまったのは、私自身なんだもの……

 どうしよう……

 聳え立つ『障壁結界』の解析は、全くもって、進んでいないの。 だって…… アレは、とても複雑で、異なる知識体系や魔法の体系を複合して…… 捏ね上げられているシロモノなんですもの。 一朝一夕に解析なんて出来ないわ。

 多分…… 自己修復や自己保全の術式を含んでいるから、最初に捏ね上げた術式からも逸脱しているのでは無いかなって、そう思うの。 その実例は王都でこの目で見ているもの。 お母様が編み上げた最初の改変『ミルラス防壁』と、私とティカ様が再構築した際の、『ミルラス防壁』では、幾つか大きな違いが有ったんだもの。 

 アレは、お母様が意図したモノでは無い。 そう断言できる。 では、何故? 答えは、組み込まれていた、異界の魔導術式に在ったわ。 周囲の状況や、加えられた攻撃、更には、術式内部に内包する微小な矛盾を、自己修復と云う形で、細々と改変した結果の産物。

 たとえ、お母様からアノ術式に関するすべてを受け取り、思うが儘に『ミルラス防壁』を操ろうとしても、防壁の術式がそれを受け付けない…… そんな事に成っちゃってたのよ。 だから、私とティカ様は、ものすごく苦労して、術式の記述を一気に書き換えたり、術式自体の魔力励起状態未満まで落とし込んだり、色々手を考えて、書き換えを実行したんだもの……

 それが、この『障壁結界』に起こっている事は、なんとなくだけど理解できたわ。 ただ単に『盾』としての役割だけでなく、攻撃したモノに『反撃』を加える、そんな障壁結界ですもの…… 攻撃の種類は、幾つも幾つもあるんだもの。 野獣や、魔獣が、「身体大変容メタモルフォーゼ」をした、単なる『力』で攻撃するだけならいいんだけど、中には魔法で攻撃するモノも居るのよ。

 魔獣の怖い所がソレよ……

 だから、この『障壁結界』は、耐魔法だけでなく、攻撃魔法まで紡いでいるの。 それに、「身体大変容メタモルフォーゼ」は、どういった形で変容するかは未知数なの。 攻撃魔法が単なる物理魔法だけでなく、精神魔法にまで及んでいる可能性すらあるのよ。 

 それが、見て取れたのは、『障壁結界』がこちらの出方を伺っているのが見て取れたから。 私は単に『観察』しただけだったから、そこに『悪意』を見つけなかったから、『障壁結界』は、私に攻撃をしなかった。 そうとしか思えないのよ。 

 つまりは…… もう既に、この『障壁結界』は自らの『意思』を持ち、単体で稼働を続けている…… とも云えるの。 いわば、一つの生命の様な術式の塊。 たとえ、コレを編み上げた魔術師、魔導士であろうと、もう既にその方の手を離れてしまっている…… と云えるのよ。

 「疑似人格」を得てしまった、この『障壁結界』を突破する術は、短期的には存在しない。 よく話し合い、互いの理解を深め、そして、許容されるように振る舞い、障壁を抜けなければならないの。 そう、一つの人格を相手にするようなものね。 でも、それも、望み薄。 だって、『障壁結界』の存在意義と定義が、「何者もであっても、通さない」と云う、確固たる意志なんだもの……

 この『障壁結界』を前に、無力感に苛まれるのよ。 でもね、それでも、この中に入らなくてはならないの。 世界の理を壊し、やがて世界を崩壊に導くモノがこの中に有るのだもの。 そして、今も、中の圧力は増大しているわ。 いずれ、この強大な『障壁結界』にしても、耐える事が出来る限界点を突破してしまう。 そうなれば、もう、誰にも止める術は無いもの……

 そう、たとえ、精霊様方の御力を持ってしてもね。

 唯一の光明が、さっき思い付いた方法なの。 外側からは無理。 ならば、内側ならば? と云う、そういう単純な思い付きから紡ぎ出された方法。 異界の魔人様の元に向かい、そちらから、現世に魂の状態で戻れば、この『障壁結界』の向こう側に、なんの問題も無く行ける。

 さらに、本来の目的地である、『大召喚魔法陣』の傍に出現できるのは、間違いないわ。 大召喚魔法陣に囚われている異界の魔人様の中から現界に戻れば、当然そうなるに違いないもの。 そこで、ありったけの魔法を使って、『大召喚魔法陣』を昇華分解すれば…… 

 いけると思うの。

 幽界を経由して、現界に戻る。 無茶な事だとは、判っているのだけれど、この世界に残された時間を考えても、そうするほかないと、判るのよ。 ただ、本当にそんな事が出来るのかと、誰だって問うと思う。 でも、私は胸を張って、『出来る』と答えられるの。

 研鑽を積み、事例を調査し、何回も行き来した『幽界』への理解。 日々の研鑽は、何も薬師錬金術師の私だけでなく、明らかに畑違いと云える『魔術士魔女』としての研鑽も含まれているんですもの。 その日々の研鑽が、私に応えてくれたモノ……

 肉体を損なわず『仮死』した場合、私の魂がこの身魂の器から離れると、幽界に向かう。 生きても死んでも居ない、不安定な状態。 そんな魂が留め置かれるのが、『幽界』 そこに、自らの意思を持って、私は行く事が出来るの。 私が私として、意思と意識を持ったままね。

 でも、不思議なのは、その場所がいつも『異界の魔人』様が御住まいの書斎に顕現するの。 

 不思議に思って、色々と仮説を立てていたの。 ただね、どれもこれもしっくりとはこない。 なぜ、肉体を離れた私の魂が、常に幽界の一定の場所に向かうのか。 その事を考える度に瞼の裏に浮かび上がる『あの日の情景赤黒く染まった部屋』が、予測として私の中に一つの答えを導いてくれた。

 この世界に産まれ直し、私が私であると認識し、最初に見たあの『凄惨な光景』。 真っ赤な夕日に照らし出された、赤い部屋の中で、その光の『赤』よりも、もっと鮮烈な『赤い』血潮に、視界が埋まったあの日の情景が……

 お母様が私に託したモノ…… 記憶…… 知識…… 魔力…… そして、繋がり・・・……

 異界の魔人様との繋がりを期せずして持ってしまったお母様。 そして、その繋がりを受け継いでしまった私。 だから、魂が肉体を離れ、幽界に向かう不安定な状態では、あの場所に ”転移 ” してしまうんだと。 

 日々の研鑽の結果導き出された、この事をもって、私は今の困難な状態に対する、一縷の望みを見たわ。 ええ、光を見たのよ。 だから、シルフィー達にも理解して欲しかった。 わたしが、『人』として、生存したまま、魂だけが『器』から抜け出る事を……



「嫌です。 御傍を離れません」

「だから、現界に於いて、貴女は私の傍を離れないのよ。 私の『魂の器』を護って、傍に居て欲しいと、云っているの」

「それは、リーナ様ではありません。 リーナ様の魂が無い、『抜け殻』なんです。 リーナ様の守護を精霊様に誓う私には、許容できる事柄ではありません。 それに……」

「それに? なに? 言ってよ。 言葉にしないと判らないわ」

「リーナ様は…… 貴女は…… いつも、私のいない所で、ご自身を賭けられ、何かを為されます。 その存在を賭けて…… 私が居ない場所で…… 後から知らされるのなんて、御免です。 無為に待つのは、「疾風の影」の頃からしては成らない事なのです。 私は…… 私は…… 嫌です」



 ラムソンさん…… どうしよう? ねぇ、なんとか言ってよ…… ラムソンさんも又、シルフィーと同じく、腕を組んだまま私の考えに ” 否 ” を伝えてくるのよ。 何か他の方法は無いのかと、視線はそう問いかけてくるの。 私は、そんな視線に、” 残念ながら…… ” と、無言で応えるしかないわ。 呆れ果てたラムソンさんは、大きく大きく嘆息する。 


 無茶は承知なんだけれど、それでも…… 


 成さねば成らない、大切な、大切な 『約束』 なの。 もう、個人の意思だけでは、拒絶しようも無い位、大切な『約束』なのよ。 それに、もし、魂の器肉体に欠損や、破壊が起こってしまったら、私は幽界には留まる事は出来ないの。

 だから、そんな大切な御役目の為に、シルフィーとラムソンさんに、私の肉体の守護をお願いしたのよ…… 無理やり、此処で【石化】の術式を展開しても、きっと、彼らはそれを止めようとするだろうし、万が一、術式に何らかの不具合が出たら、それこそ肉体は滅び、「私の魂」は『遠き時の接する処』へ向かってしまうわ。

 それでは、何もならない。 膠着状態が続くの……



「シルフィー。 ラムソン。 エスカリーナの意思は固いのです。 貴方達の役目は、薬師錬金術師リーナの守護。 それは、『魂の器』を護る事にも通じます。 貴方達の『精霊誓約』になんら抵触しません」


 声が…… 凛とした、奇麗に澄んだ声が私たちの耳朶を打つ。 シュトカーナ様だったの。 現界に顕現した、霊体の姿を曝し、私達の前に立つ彼女。 その視線はとても深い慈愛に満ちて、博愛の色深い表情は、優し気にシルフィーとラムソンに向いていたわ。



「エスカリーナの背負う『使命・・』は、精霊様を通じた、創造神様の願い。 ようやっと、障害が取り除かれ、正確に刻が刻み始めた、事態は急速に進行するの。 貴方達は、エスカリーナが居ない世界など、滅んでも構わないと、そう思っているのよね。 でもね…… 思い出して。 エスカリーナを慕った者達が、エスカリーナに賭けた未来を。 穴熊族、森狼族、森猫族、兎人族、そして狐人族。 貴方達の同胞でもある彼らは、今も懸命に世界の理を護ろうとしている。 全ての『森人』の安寧を願い、この世界に棲むすべての命の為に、懸命に…… そして、エスカリーナはそれに応えようとしているの。 判るわね、それは」

「…………」
「…………」

「なにも、自分を賭して『世界を救おう』なんて、エスカリーナは思っていないわ。 そんな事、思える筈も無いもの。 だって、彼女は『約束』してしまったもの」

「何をですかッ!!」



 強い嫌悪と拒絶の感情を持って、シルフィーが叫ぶようにシュトカーナ様に云う。 樹人族は、森の人にとって、崇拝する対象でもあるわ。 最初にシュトカーナ様がシルフィーの前に立った時、シルフィーが差出のは、忠誠と云う名の崇拝。 でも、今はそれすらもかなぐり捨てて、シュトカーナ様に食って掛かっているの。



「シルフィー。 忘れてない? エスカリーナは、皆と『約束』したのです。 『必ず、帰ってくる・・・・・・・・』と。 エスカリーナは、決して約束を破りません。 それが、『精霊様』とのお約束に入っているからです。 もし、万が一、魂が肉体に帰ってこれない場合があるとすれば、それは、環境がそれを拒む時くらいしかないでしょう。

 …………その為に、私が居るのです。 揺り籠の中、漂う意識の中、精霊様や、創造神様の思し召しで魂を繋いで来た私の『役割』をはっきりと理解しました。 私はこの為に生かされてきたのだと。
 シルフィー。 ラムソン。 私ならば、エスカリーナと共に『幽界』に行けます。 私と、私の妖精達がエスカリーナの守護を請け負いましょう。 なんら、心配する必要はありません。良いですね。

   ……これだけ言葉を尽くしても、判らないようね。

 ならば、はっきりと云いましょう。 貴方達では、あの場所に向かう事は出来ぬのです。 行けば、貴方達の魂は解けてしまうでしょう。 わたくしに、任せなさい。 決して、エスカリーナを失う様な事はしないと、『 約束・・ 』いたしましょう」

「…………う、う、ううう、うううう」
「俺の……… ………『力不足』なのかッ!」

「いいえ、求められる、『 役割・・ 』が違うだけですよ、シルフィー、ラムソン。 既に、貴方達の崇高なる『役割』・・・・・・・・は示されました。 エスカリーナが背負う『約束』に、貴方達の力はとても重要で、力強いものとなるでしょう。 託されたのです。 貴方達の双肩に、『薬師錬金術師リーナ』を慕う者達の想いが」

「 …………でも………… 」

「……判りました。 リーナ、他に『道』が無いのだな。 シュトカーナ=パエシア様 この命、果てるとも、リーナが「魂の器」護りましょう。 そして、状況が許されず、魂が器に帰還できぬ時、この命の全てを以て、その道を見出しましょう。 全ての「薬師錬金術師リーナ」を慕う者達に成り代わり…… 「お約束」申し上げます。 シルフィー、俺は、肚を決めたぞ。 お前はどうする? 今のお前は、まるで、ゴミの様だ。 己の欲する儘に、リーナを蔑ろにしている」

「…………バ、馬鹿。 あ、頭じゃ…… 判っているのよ。 それでも…… それでも……」

「リーナが「魂の器」。 【石化】したら、石像となる、器はとても脆い。 『疾風の影』は、破壊や殺す事しか出来ぬのか? それで良くリーナの侍女と云えたものだな」

「ラムソン…… い、言い過ぎだ」

「いや、ゴミの様なお前が、” 出来ぬ ” と、云うなら、去れ。 『母なる森』に、お前の居場所は無い」

「…………ぐッ…… グゥゥゥゥ」


 云い過ぎよ、ラムソンさん! 崩れ落ちるシルフィーの元に向かい、うずくまる彼女を抱きしめたの。 彼女は、こんなにも震えているわ。 ゴミだなんて、酷い! シルフィーは、私にはもったいない位の私の朋であり侍女よッ! 撤回なさい! その言葉、いくら何でも、許せないわ!



「ラムソンッ!」

「リーナ、いいんだ。 真実だ。 シルフィーは判っている。 判っているからこそ、自身の感情が判らないんだ。 あの暗殺者の…… 心を殺し切ったシルフィーが、これほどの執着を見せるんだ。 でもな、判っているならば、実行せねば成らない。 俺達は、リーナを護ると誓いを立てた。 だから、リーナが行くと云うなら、俺達はそれに従う。 そして、リーナの帰る場所を護る。 それだけの事だ」

「それでもッ!」

「その『役目』を放棄したモノは、もうリーナの守護とは言えない。 それにしか、己の価値を見出せないモノにとって、『役割』を放棄すれば、それこそ、ゴミにも劣る。 現界に居場所すら失う。 精霊様からも『精霊誓約』放棄者としての烙印を押され、恩寵は無くなる。 もう疾風にすらなれなくなる。 後は、醜い躯を曝け出し、後悔と自己嫌悪に身を焼きつつ、荒野を彷徨さまよう、哀れな逸脱者ディバインダーとなるしかない。 誰にも顧みられず、誰にも意識されず、ただ、ただ、彷徨い歩くモノとなる。 シルフィー…… お前、いいのか、それで?」



 エグエグ泣くシルフィー。 抱きしめている私が心配になる程、震えても居る。 でも、……ね。 体から『震え』が抜け…… また、新たな力が盛り上がってくるのを感じたの。 シルフィーが私の胸の中で、呟く…… 小さく、でも、強く。



「いいわけ無いじゃない。 せっかく居場所を見つけたんだ…… 私が私でいても良い場所を…… 凍り付いていた私が、森猫として生きていい場所を…… 逸脱者ディバインダー? 煤けた魂の哀れな廃棄物なんて、成りたい訳無いじゃない…… 判ってる…… 判っているのよ!! 馬鹿猫! リーナ、リーナ、ごめんなさい…… 私の…… 私の我儘……だったわ。 私、貴女を護るわ。 何が在っても…… 決して、貴女の『 』を損なう事なんて無いように」



 シルフィーの言葉は、きっとラムソンさんにも届いた。 だって、あれほど蔑んでいた視線は、優しい物に代わり、ホッとした表情を浮かべているんだもの。 きっと、この言葉を引き出したくて、ラムソンさんは悪者になってくれたのよ。 ねぇ、そうよね? そうだと云ってよね?



第十三氏族俺の血筋は、冷たいんだ。 リーナが考えている様な事は無い」

「もう…… 尻尾が揺れて、耳がピクピクしているわよ、ラムソンさん」


 やっとの事で、説得は終わる。 成さねばならぬ事を為すために、私達は行動に移るの。 此処で【石化】の術式を編むのは、危険を孕んでいるの。 余りにも、異界の魔力が濃い。 それに、この場所では、私が【石化】した後、護る手段が少なすぎる。 シュトカーナ様が云うの。



「パエシア一族の苗床ナーサリーであった場所が、適当かと。 あそこであれば、今でも…… 多少の清浄さも残っている筈です」



 パエシア一族の苗床ナーサリー? つまりは、樹人族の保育場所って事なの? 種から幼木まで過ごす場所なの? でも…… ほら、シュトカーナ様は、『種』をプーイさんに渡したんじゃなかったの? アレも、本来ならそこ・・で育てられるべきモノなんじゃないの? 視線で問うと……



「異界の魔力に取り囲まれた、荒れた場所は苗床ナーサリーには不向きなのよ、エスカリーナ。 まだ、この森が健在であった頃は、あの場所は ”おばば様老樹 ”の内懐に抱かれし場所だったの。 あの大崩壊の時に ”おばば様老樹”も一緒に身罷られたわ。 多くの幼木達も…… 生き残ったのは、私ひとり・・・・。 賢女が、近くに居て、息も絶え絶えの私をツードツガ様の所へ送られた…… 私にとっては曰く付きの場所。 でも、今、この時、あそこほど護るに適した場所は無いわ。 どう? 行く?」



 シュトカーナ様………… だ、大丈夫なのですか? そんな場所に帰るだなんて…… 精神的外傷トラウマが呼び起こされませんか? 心の深い傷を…… 自ら抉りに行く事に成りませんか? 私の考える事は、シュトカーナ様には筒抜けよ。 伊達に長い間、左腕に居た訳じゃないもの。 シュトカーナ様は、ニコリと微笑み、私に云う……



「これから、その傷を埋めに行くのよね、エスカリーナ。 薬師錬金術師の腕前を見せてもらう時が来たのよ。 ええ、私の心の傷を癒して欲しいわ」



 えっと…… その分野の見識は…… えっと…… えっと…… 判りました。 一生懸命に努力します。 日々の研鑽を力に変えて…… シュトカーナ様を癒しましょう。 薬師の誓い『癒し、助け、救え』を以て……




     ―――― § ―――― § ――――





「障壁結界」を左手に、東へ東へ向かう私達。 向かうは、かつての樹人族パエシア一族の聖域。 捩子くれた樹々の間を通り抜け、ひたすら東へ。 一昼夜の道行きの中、シルフィーはドンドンと強くなる。 ラムソンさんは、どこ吹く風と御者台で馬車を操る。

 皆、無言で、それでいて視線で饒舌に語り合う。 

 何も捨てない。

 何も失わない。

 その決意だけが、強く私の心の中を占めている。

 やがて、左手に見えていた「障壁結界」は北へと向きを変え、私達は荒野の中のを東へ向かう。 辿り着いたのは、大きな窪地。 一際巨大な白化した巨木の残骸達が立ち並ぶ場所。 それが…… 樹人族 パエシア一族の里であり、かつての大森林ジュノーの中心に在った『聖域パエシア』だったの。

 シュトカーナ様は、ラムソンさんの隣に座り、行く先を導く。 地形を記憶と照合して、かつてのパエシア一族の苗床ナーサリーへと導いて下さったの。 其処は窪地の東の端。 円形に掘られた様な地形で、今でも滾々と湧水がしみ出していたわ。 勿論、それらすべてが『清浄』とは、云い難いモノではあったけれど、それでも、周囲と比べたら数段綺麗・・な場所だったの。



「この清浄は、おばば様老樹が最後の意思と、魔力の残滓ね。 私は此処で救い出された。 賢女ミルラスが最後まで心を砕いて、何としてもパエシアがモノを残そうとして下さった場所。 幼木の私は、まだ、霊体にすら成れなかったのよ。 それでも、何時かは…… ってね。 人の業と欲が大森林を破壊し尽くしたと、賢女ミルラスは心を痛められたのよ。 何時かは自分で取り戻そうと…… そう、荒野に誓われていた…… でも、難しかったのよ。 人の刻は短いわ。 だから、貴女に彼女は託した。 破壊するのは一瞬だった。 再生するには長い刻が必要ね。 ほんとに…… 人は……   度し難い」



 頭が自然と下がる。 この場所は…… この場所は、パエシア一族の最後の希望でもあった場所。 だから、きっと…… 私は、一つの決断を下す。 この場所を『穢れに満ちたまま』にはしておけない。 片腕を振り上げ、気持ちを集中して、一つの魔法陣を虚空に紡ぎ出す。

 紡ぎ出すは、【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】の魔法陣。 大きさは、このパエシア一族の苗床ナーサリー一杯。 強度は私に出来る限り。 連結起動魔法陣は、お母様に教えてもらったモノ。 贖罪と感謝を込めて一心に祈り捧げる、私の魔法陣。 群青色ロイヤルブルーの瞳が輝き、銀灰色シルバーグレイの髪が私の内包魔力で逆立つ。 大きな力が湧き出して来る。 そう、精霊様方も、きっと、お喜びになるわ。

 ――― 精霊様方、どうかこの地に恵みと安寧を

 広がる、魔法陣はパエシア一族の苗床ナーサリーに広がり、定着し直ぐに効力を発揮する。 異界の魔力は金色の粒と成り吹き上がる。 この地を侵していた「穢れ」は、浄化され昇華される。 視覚的に、当たりは一面の黄金の野となり、その中に私達が佇むの。 私から切り離された、【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】は、自立作動を始め恒常的に清浄浄化の効力を発揮する。 使われる魔力は、きっと…… この地に残るパエシア一族の老樹の残滓魔力。

 老樹の意思か、それとも精霊様の思し召しか…… でも、そんなのどちらでもいいの。 『この地が清浄であれかし』と、そう願う者が沢山居た事の証左でもあるんだもの。 そして、それが具現化出来た事が、何よりも嬉しい。 本当に嬉しい。 さやさやと、足元で草がそよぐ。 老樹の意思の残滓、魂の欠片を以て、刻の精霊様が時を少し進めたのかしら?

 確かに戻って来た。 

 シュトカーナ様が云う。



「私が宿りし『杖』を、この地に。 此処パエシア一族の聖地に、戻って来た証に」



 彼女の言葉に頷き、左手から杖を振り出す。 私の身長ほどもある長い杖。 海道の賢女ミルラスお師匠様様より戴いた大切な『杖』だけど、これは、私が持って居て良いモノでは無いわ。 金色の輝く草原の中に、魔法の杖を打ち立てる。

 杖が地に付くと同時に、根を張るように杖が地面を割り自立したの。 まるで、其処に有ったかのように。 七つの宝珠の間から枝が伸び、小さな葉を付けていく。 それは…… シュトカーナ様の在り方。 樹人族、パエシア一族の最後の生き残りが、長い時を経て、故郷の聖地に帰って来た証でもあったわ。

 その直ぐ前に膝を付く。

 両手を胸に、跪いて祈りを捧げる。 やっと…… やっと、この時が来たんだ。 どれだけの人が夢想し、どれだけの人が挫折したのか…… でも、やっと…… パエシア一族の最後の一人が帰還したのよ。 精霊様方に、精一杯の感謝の祈りを捧げるの。 ぼんやりと、優し気な気配が幾つも重なる。 暖かな気配が私の中に入ってくる。

 まるで、頭を撫でられた幼子の様に、とてもくすぐったいわ。

 皆が…… この情景を夢見た皆が…… 言祝いでくれているのを理解した。

 でも、まだ、私には成さねば成らない事が有るの。 元凶たる「大召喚魔法陣」の昇華。 その玄門に挟まっている異界の魔人様の送還。 それなくして、現界に未来は無い。 だから、皆に告げる。



「よくぞここまで、付いてきてくださいました。 シルフィー、ラムソンさん。 感謝申し上げます。 事は最後の段階に向かいます。 成すべきを為し、私は戻ってきます。 それまで、私の『魂の器』…… 宜しくお願い申し上げます」

「「応」」



 静かに、そう答えてくれたシルフィーとラムソンさんの二人。 あれほど嫌がっていたのに、やっと、落ち着いてくれた。 私が【石化】の魔法を自分に掛ける事を、許してくれた。 必要な事だと、理解してくれた。 良かった…… 皆で頷き合い、最後の旅路を駆け抜けるために、術式を紡ぎ出す。

 私の魔力で紡がれた魔法円は、私の頭上に顕現する。 小さな起動魔法陣も直ぐに用意できた。 今まで使った魔力を回復する為に用意しておいた、魔力回復ポーションの封を切り、ごくりと呷る。 途端に体内魔力が満ち溢れる。 あの聖地で作ったポーションは、今まで作った中でも、最高のモノだと…… ぞう自負していたけど、これほどまでなのかぁ…… 凄いわ。 流石、精霊様の恵み深き場所に育った、魔法草だけなわけあるわ。

 にこやかに二人に微笑みかけ、そして、もう一度跪拝の姿に戻る。 此処からは、何が在っても、動けない。 完全に【石化】するまでは、動いてはいけない。 魂の器たる体を保全するためには、万全を期せねばならない。 跪拝の姿は、それにちょうどいいの。 安定した姿勢で、長時間祈れるこの姿は、【石化】した後でも、安定した姿勢を崩す事なく保持できるんだもの。

 シュトカーナ様も既に準備を終えているわ。 私の傍らに立って、肩に手をのせられているの。 私の魂が ” 転移 ” した時、付いてこられるように、魂との繋がりを確保されていたの。 シュトカーナ様の肩には、妖精族の面々。 彼等も、一緒に付いてくるのね。 判った…… 血の盟約は、それを是としている。 精神体に近い彼等ならば、私と一緒に『幽界』に行っても、自我が霧散するような事は無いと思うし……

 さて…… 始めましょう。

 行く先は、「異界の魔人様」が御座所。 懐かしき、知識の聖殿。 そして、カイト様が居られる場所。 想いが、心の奥底から溢れだしてきたの。 名も付けられない私の想いは…… 脳裏に彼の姿を伴って、私の魂を揺さぶるの。 私は…… ちょっと…… ちょっとだけ……


 ときめく胸のざわめきを抑えきる事が出来なかったの。 一息ついて、雑念を払い、一気に魔法陣を稼働させるべく、普段は使わない呪文を口にする。



「起動、【石化】。 我が身を固く、時を止めよッ!」



 起動を始める、私が紡いだ魔法陣。

 手足から、硬くなっていく。 四肢が固まり、体幹も動かなくなる。 鼓動が小さくなり、徐々に意識が白濁していく。 強張る顔。 瞼を閉じ、【石化】が完了する時をを待つ。 体表が固化し、体の内部もその機能を止める。 視覚を失い、触覚が無くなり、嗅覚も漂う緑の匂いが感じられなくなった。 最後に聴覚が失われる直前…… ラムソンさんの言葉は、耳朶に届いたの。

 囁くような森の御伽噺・・・・・をなぞる『その言葉』に、” ちょっと待って ” と、云い掛けたのは…… 内緒……








 ”……『母なる森』が壊れ滅んだ、荒野に一人の魔術師が降り立つ。 荒れ果て、穢れし『大地』を大いに憂い、渾身の力を籠め、一つの魔法を放つ。 寸土…… ほんの一握り領域より、『瘴気』抜ける。 穢れた大地は浄化さるる。 魔力を使い放たしたる魔術師は、懐から一粒の種を取り出し、その浄化された大地に植えた。 最後に残る魔力の残滓を使い水を注ぎ、そして、その場で「魂が器」壊れん。 聖樹と大地蘇り、『母なる森』は、此処に立ち戻る。 魔術師が魂は、幾久しく聖樹をみまもらん。

 …………悠久の時を超え、またいつの日か『母なる森』壊れし時、その魂も又天空に帰らん。


 が、案ずるな、『乞い求め』よ。 再び、魔術師が蘇る事を。


 その魔術師、緑の大地を踏みしめる者。 生きとし生けるの者に慈愛の心を捧げる者。 夜空の月光から織られた髪・・・・・・・・・・・・昼の紺碧の空の様な瞳・・・・・・・・・・を持ちしその魔術師。 その到来を望むなら、神と精霊に真摯な祈りを、森の民の矜持をもって捧げるべし……”

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