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最終章 その日の空は蒼かった
濃密な『異界の魔力』の中で見たモノ
しおりを挟む北伐軍の三差路。 あの日、聖域の奪還を「託宣」された場所。 皆さんとお別れしたのは、そんな場所。 ナジール様がかつて精霊小宮があったと、そう云われておられた三差路には、確かにその気配が残っていたわ。
もう、受け継ぐ神官様が絶えてしまった、そんな場所には確かに『鏡界玄門』の薄っすらした気配が残って居るもの。 馬車の中で、非礼は承知でもう破壊され、痕跡すら残らない『精霊小宮』へ祈りを捧げるの。 多少なりとも、聖域への加護を強くしたかったから。
でも、その祈りを捧げた時から、かつての精霊小宮跡から、『遠き時の接する処』からうっすらと、彼の地の魔力が流れ出し、私達の乗る馬車に注ぎ込まれる感覚がしたの。 これは…… そうね、やっぱり、お母様は過保護だわ。 きっと、これからの道行きを心配されたお母様が贈られた魔力だと…… そう思うの。
シルフィーの傍で、頬に笑みを浮かべて静かにお母様…… いえ、闇の精霊様の眷属様に言祝ぎと感謝の祈りを捧げたわ。 不思議そうな目で私を見るシルフィー。 感覚の鋭いシルフィーでも、この細やかな心遣いである、魔力の細い流れは感知できなかったみたい。
いえ、それよりも、目の前の光景に混乱していると云ってもいいかも。 並んで座っているキャリッジのキャビン。 当然定員一杯の二人が並んで座っているのだから、もう空間的余裕はない筈なのよ。 ええ、普通の人ならね。
書き物をする為に設えられた、跳ね上げ式のテーブルが下ろされ、その上に寛ぐ姿勢で五体の妖精族の人達が居たんですものね。 どこから持ち込んだか判らない、薬草で編んだ豪奢な椅子に寛いで座るのがブラウニー。 その横に寝椅子に腰を下ろし、優雅に小さな茶器でお茶を飲むレディッシュ。 その周囲を取り囲むように、周囲に気を飛ばしながら侍る、ホワテル、グリーニー、エイロー達、妖精騎士。
完全に王族のそれよ…… 皆、 ” その立場 ” に、相応しい服を着こんでいるしね。 王の装束のブラウニー、王妃の装束のレディッシュ。三人の妖精騎士は完全武装の板金鎧姿。 まるで、女児が真似事遊びに興ずる時に使う、小さな人形の様に。 跳ね上げ式のテーブルは今や、妖精王の『謁見の間』の様に成っているしね……
「ブラウニー?」
「御役目を解かれたんや」
「御役目?」
「シュトカーナ様の警護。 御種を宿し、育まれ、それが芽吹く前段階になるまでの警護。 まぁ、言えば、シュトカーナ様が眠られて居られる時の警護やね。 時々、リーナが揺り起こすのが、困った事でもあったけどな。 まぁ、せやな…… あの穴熊に、「御種」を渡されたから、もう眠る事もないやろね」
「……つまり?」
「これからは、リーナに付いて、身辺警護するちゅうことや。 シルフィー、宜しゅうな」
「えっ、ええ…… はい……」
「驚かんでもええ。 妖精王、妖精女王、それに妖精騎士は、浜のおばばにリーナが居る時に、血の契約を結んどる。 我等、レプラカーン族の大切な御方や。 少々、困った方ではあるけどな。 よって、一族皆で警護するちゅうことや。 まぁ、そない気張る話でもないけどな」
えっと…… つまりは、シュトカーナ様の警護を離れ、私の警護に? そう云う事? ブラウニー達レプラカーン族にとって、シュトカーナは彼らの国そのものと云える『村樹』だったわよね。 それが、あの大召喚魔法陣の崩壊でパエシア一族もろとも消滅してしまったって……
お師匠様の『百花繚乱』に身を寄せていたのは、あの薬屋の空気がシュトカーナの纏う空気に近しかったからとか、聞いた覚えもあるし…… 血の契約っていうのも、私が光芒の中に消える事にした事件の初動の時だったわね…… ベネディクト=ペンスラ連合王国の上級王太子殿下と、その御仲間の皆さんの命を御救いする時に…… 『百花繚乱』の作業室で、なんか、いつの間にかに…… だったような?
「リーナはん、ええんや。 アレは、僕らから望んだ事。 リーナはんは、リーナはんで居ったらええねんで。 まぁ、妖精族が近くに居るだけで、精霊様方の御助力は期待できるんやしね」
ゆるく王族の警護をしているホワテルがそう云うの。 グリーニーも、エイローも笑って頷いていたわ。 眼を白黒させているのは、シルフィーだけ。 そうね、シルフィーは私と妖精族の皆さんと出会った時の経緯は知らないんだものね。
「シルフィー、この方たちは、私の友人なの。 南部ダクレール領に居た時に友誼を結んでくださった、とても大切な仲間。 そう云う事にしておいて」
「は、はい…… ら、ラムソンも、良く知っているのか?」
「多分ね。 見知っているかも?」
「そ、そうか…… な、なら…… 私に云うべき事は無い」
あら? どうしたの? なぜか、疎外感を感じているらしいシルフィー。 膝の上に置いた手を、ポンポンと叩いてニッコリと微笑む。 貴女は貴女よ、シルフィー=ブラストン。 私を伺うような視線で見詰める彼女を、さらに大きく、ニッコリ笑ってから、しっかりと見詰め返すの。 今までも、そして、これからも、頼りにしているのよ、シルフィー。
―――――
馬車は行く。 廃れた北伐街道を。 軍道だから石畳では無いし、閉ざされた場所だから、当然整備もされて居ない。 魔法で調整している私の視界でも、ドンドンと植生がネジくれていく…… 異界の魔力が濃いわ。 しっかりと浄化魔法をキャリッジの周囲に展開しなおすの。 だって、そうしなくては、異界の魔力により汚染が、忍び寄って来るんだもの。
キャリッジの周囲の空間に【浄化魔法】を展開しなおすと、シルフィーが曳いてきてくれた、魔力線と直結するの。 中継器を設置してね。 どんどんと伸びていく魔力線の先はあの三差路に設置した魔導中継接続器に繋いであるの。 いわば、聖域からの魔力線って事。
だから、一旦起動した【浄化魔法】に私が魔力を注ぎ続ける必要は無いの。 ひたすら頑強な【浄化魔法】の術式を組み上げるだけだったわ。 外から見れば…… 私のキャリッジは黄金色に輝いているかの様に見える筈。 だってね、【浄化魔法】は、異界の魔力を昇華する術式だからね。 異界の魔力を分解して、あちらの成分で、この世界の理に入らないモノを性質がよく似ているモノに変換して昇華しているの。
それが、『光』だっただけの事。 それも金色にね。
キャリッジの内側はもちろん、御者台もきちんとその内側に入るように設置したわ。 ラムソンさん眩しくないかしら? 北上するにしたがって、周囲の異界の魔力の濃度が上がってきて、発光も徐々に強くなってきているのよ? 次の小休止で、ラムソンさんに聞かなくちゃね。
馬車は行く。 もう、この世界の理に準拠しなくなった荒野を。 禿だらけになったかつての丘。 捩子くれた棒のようになってしまった、かつての巨木。 葉が無い何処までも続く疎らな林と、黒く変色してしまった大地。 生き物の姿すら無く、鳴き声すら聞こえない。 生き物…… 野獣であろうと、たとえ魔獣であろうと、魔物であろうと…… もう、この侵された森の残滓の中では存在すらできなかった様ね。
ふぅぅぅ……
大きな溜息を付くの。 その様子を見とがめたブラウニーが私に語り掛けるわ。
「リーナはん。 きついんか?」
「貴方達も相当にきついのでは?」
「まぁ、こんな感じの中に居るのは、正直キツイなぁ…… 精霊様の息吹が欠片も感じられんもん」
「そうね。 そうだよね…… 此処まで異界の魔力が浸透しているなんて、思っても居なかったわ」
「壊れた大召喚魔法陣から、異界からの魔力が駄々洩れに成っとるちゅう訳やね」
「ええ…… その通りね。 なにも、何も出来なかったって、おばば様がそう仰っていたわ」
「あの時はそうだろうなぁ…… 獅子王が這う這うの体で逃げるのが精いっぱいやったしな。 ゲルン=マンティカ連合の方も、こないな事になるって、思っても居らんかったしな。 あっちは異界の魔物を召喚して、ファンダリアの軍勢を蹴散らした後、魔法陣を昇華させるつもり遣ったんやから」
「……手に負えなかった?」
「それもある。 けど、あの魔法陣を編み上げた奴が、浜のおばばが、アレを光魔法で壊す前に飛び込んだのが、そもそもの原因やろね」
「飛び込んだ?」
「そうや…… アイツ…… 多分、機会を狙ってたちゅうことやね。 あれだけの魔法陣を展開するには、自分一人では無理やって判ってたらしいし…… 嬉々として魔法陣に飛び込んだのを、あっちに出張って見張ってた同朋が目撃して、報告寄越してたさかいに…… けど、その後の大崩壊で、何もかもうやむやや……」
ブラウニーの話で思い出していたのは、ナゴシ村の村長さんに見せてもらった、大召喚魔法陣に関する記録。 その中にあった、主術者の走り書き…… 経緯は判らないけれど、この世界に来た異世界の人が、元の世界に戻る為に研鑽に研鑽を重ねて実行したって事。 やはり…… ね。 ブラウニーが今までこんな話をしてこなかったのに、何故、今なの? 私の疑問を察知したかのようにフラウに―が言葉を紡ぐ。
「云うても、『詮無きこと』やろ? もう、どうこうしようも無いし、当の御本人は魔法陣に飛び込みよったさかい…… それに、まともにアイツの思惑が完遂したとも思えんしな……」
「やはり……」
「そうや、おばばがあの魔法陣を壊した。 最初に魔法陣に設定しとった、アイツが居た異界の《座標》かて、当然狂いよるしな。 おかげで、この世界と相容れん異界と接続してもうた…… おばばの一撃が、魔法陣に与えた衝撃の大きさを物語るもんや…… 事によったら、アイツ、異界渡りの最中にどっか別の場所に飛ばされたかもしれん…… どうなったかは、誰にも判らん。 せやから、リーナに話しても、仕方ない事やねん」
「……アレの分解方法への手掛かりくらいは、残して欲しかったな」
「それは、まぁ、せやけど、ナゴシ村で見つけた記録から、なんとなくは掴んでんねんやろ?」
「まぁ…… それはね。 お師匠様から託された分解術式もあるし、異界の魔人様から頂いた知識の中に、それらしき記述もあるし…… この目で見て、解析すれば、なんとか……」
「やろね。 薬師錬金術師殿! 頼みにしてまっせ!」
軽口を口に乗せるブラウニーの額をツンと押す。 ”あいたたた ” なんて、大げさにひっくり返っている彼を、レディッシュが自業自得とばかりに冷たい視線で見遣る。 まぁ、いつもの事。 それにしても…… この目で見て、出来るだけの手段を以て、分解昇華するのは、事実なのよね。
―――― 壊れた、大召喚魔法陣。
どんな壊れ方にしろ、とんでもない知識と魔法の能力が、要求されるわ。 それに、アレには、魂の捕縛術式が実装されていて、多分今も、それが稼働している筈なんだもの。 そう、魔法陣が、自立稼働する為に施されていた仕掛け。
魂を糧に、魔力を供給する方法。 お母様が、ミルラス防壁への魔力供給の手本にされた方式…… その全容は、私もティカ様も研究し、実体を把握しているわ。 だから……
ブルシャトの森での事よりは、余程余裕をもって当たれる。 ただ、心配なのは、これだけ濃い異界の魔力の中で、どれだけ私が耐えられるのか…… よね。 ええ、心配なの。 シルフィーの曳く魔力線から取り出せる魔力にしても限界があるしね。
そんな心配を心の中に浮かべ始めた時、キャリッジの行き足が止まったの。 まだ、今日の予定の宿営地には距離があるはず。 思わず、昔の地図を開いて、自分が居る場所と、周辺の地形を照合したの。 壊れた大召喚魔法陣までは、この悪路では、まだ馬車で一日くらいかかる所よ? なんで、止まったの? 何かしらの脅威でも出現したの?
キャリッジの御者席と、キャリッジ内に通じる通話器から、ラムソンさんの声がした。 ちょっと、唸っている感じの声。 何かに戸惑いを感じている様な…… 驚異を感じ、焦りを含んだ声だったの。
「リーナ。 悪いが、外を見てくれ。 前方だ。 馬車を回す」
そう云うラムソンさん。 馬車が右に折れ、キャリッジの窓の風景が変わる。 眼を凝らす。 私の横にブラウニー達も進んで、同じようにキャリッジの窓に張り付く。 そして、その風景に目を奪われる。
―――― 頑強な【障壁結界】が其処に立ち上がっていたの。
不透明になった、不可視の障壁。 つまり、あちら側の空気が、そういった色だと云う証左。 堅く、そして柔軟な誰が建てたか判らない【障壁結界】は、相当な強度を持ち、たとえ私が全力で『攻撃魔法』を放ったとしても、容易に打ち抜く事は出来ない。 薬師錬金術師として、障壁を観察した結果の結論。
障壁の表面に漂う、「障壁術式」に未知の術式が幾つも浮かんでいるの。 記憶を辿れば、それが異界の魔術であることは理解できるわ。 『解呪』しようにも、複雑なそれの解析には、一世代や、二世代の時が必要なのは、私が見ただけでも理解できるの。
柔らかな構造体。 たとえ傷つけられても、直ぐに修復してしまう。 ただ、じっくりと浸透するような特性の『物質』は、術式の間をすり抜けてしまう。 広範囲の空気を遮断出来ないように、空気のような『異界の魔力』もまた、浸透する様にこの【障壁結界】をすり抜けたんだと、理解できた。
もし、この【障壁結界】が無ければ……
恐ろしい現実が、其処にあった。 そう、もしこの【障壁結界】が無ければ、結界の向こう側の「異界の魔力」は何の抵抗も無く、この世界に拡散していた筈。 つまりは、異界の魔力の汚染が、何倍も、何十倍も、いいえ、何万倍もの速さで拡散していたと云う…… 事実。
――― 誰が?
導き出される『一つの答え』。 『異世界』から、この世界に召喚され、召喚途中で『大召喚魔法陣』が壊れ其処に捕らわれた人。 この世界と、異界の融合に危機感を持ち、互いの世界の魔力が、それぞれに毒になると、知っている人。 これだけの術式を編み上げる、「知識」「知見」「能力」を兼ね備え、更に、実行に移せる『魔術』に長けた人。 囚われた事に、怒りを感じず、自身が『特異点』となり両世界を結んでしまった事に、心を痛めている…… そんな人。
私は知っている。
そんな『誰か』を、私は知っている。
――― 異界の魔人様 ―――
お名前は、ついぞ頂けなかった。 名は魔術師にとって、致命的な事柄なのだと云う事は、彼から贈られ、私の記憶に『転写』した、異界の知識により、私も知っている。 だから、あの方の呼び名は 「異界の魔人」様。 彼が…… そう、彼が、長き時を囚われていて、この世界の崩壊を緩やかに進むように、この【障壁結界】を建てられた人なのよ……
「リーナはん。 どないする? この結界、相当な強度と、未知の術式で覆われとるで?」
ブラウニーが私に問い掛ける。 そうね、この小さい友人も、相当に魔法には、長けているのだものね。 でも、それは、魔法でしかない。 魔術…… 異界の法則の知見は、彼は持っていない。 だから、困惑と、恐れと、未知なる物への好奇心が漏れ出したような、そんな声で言葉を紡いでいたの。
「これは…… 多分、異界の魔人様の手に依る、結界です。 異界の魔力がこの世界に、無制限に拡散しないように、建てられたものだと。 何時建てられたのかは、判りません。 でも、この障壁が無ければ、この世界はもっとずっと前に…… 崩壊していた事は間違いありません」
私の目を通して、窓の外の光景を見ているであろう、シュトカーナ様からも声が掛かるの。 心配そうな、それでいて、とても興味深いモノを見つけた声だったわ。
〈 …………そうなのね。 やはり、精霊様方の言葉は、正しかったわ。 この【障壁結界】があっても、漏れ出す異界の魔力で、周囲の環境は激変していますからね。 何者かが、それを押し止めてくれていたと、そういう理解でいいのね、エスカリーナ 〉
〈 はい、シュトカーナ様。 わたくしは、その方を存じ上げております。 その方から異界の『魔術』体系も学ばせていただきました。 でも…… この術式は、それでも…… 解析に時間が掛ります。 私の命の時間全てを使っても、全容を理解する事は、出来ぬ程に難解で、複雑なのだけは、今のわたくしでも見て取れました 〉
〈 貴女がそういうほどの障壁結界。 でも、壊れた大召喚魔法陣はこの障壁の向こう側に有るのでしょ? 如何します? 〉
〈 それが、対処方法が判らないのです。 少々危険を伴いますが、近くであの【障壁結界】を観察してみたく存じます。 〉
〈 十分に気を付けて。 妖精族を連れて行きなさい。 〉
〈 はい。 お心遣い、有難うございます 〉
外に視線を固定しながら、私の横に座るシルフィーに声を掛ける。 一応、声掛けしないと、こういった場合、後でガッチリと怒られるのだもの。 報、連、相は、私達の間では、とても大切な事に成っていたのよ。 私の意思が過不足なく伝達できるように、緻密な意思疎通が必要なの。 特に、こんな危険な場所ではね。
「シルフィー外に出ます。 あの【障壁結界】の術式を読み解く必要がありますから。 あの【障壁結界】がいつまでも持つかもわかりません。 漏れ出す異界の魔力だけも、ファンダリア王国にあれだけの被害をもたらしたのです。 もし、あの障壁が壊れ、あの濃密な異界の魔力が解き放たれたら…… この世界は、絶対に持ちません。 全てが、飲み込まれ、生きとし生けるものが、大変容を遂げてしまいます…… それを知るすべは、実際に見てみるしか方策はないもの。」
「……おすすめはしません。 容易に承諾も出来ません。 リーナ様の安全を考えるならば、身を挺してでも、御止めしなくては成りません。 が……」
私の傍で、窓に張り付いている五人の妖精さん達を、見詰めるシルフィー。 暗殺者としての感知能力か、それとも、森の民の記憶のせいなのか、彼らを見詰めるシルフィーの視線には崇敬の色が濃い。 つまりは……
「リーナはん。 行くで。 扉、開けてぇな」
その言葉に、シルフィーは、小さく頷く。 ……勿論、妖精族の彼等にもシュトカーナ様の言葉は、届いていた。 だから、私が暴走しないように、先手を打ち外に出て、周囲の安全を確保しようとしていたの。
―――― 決まりね。
ラムソンさんにも、私が外に出ると連絡を入れる。 渋い、反応が返って来るけど、もうこれは決定事項。 シルフィーにも、視線で同行する? って、聞くと、スッと眼を細めるだけ。 ”なにを、当たり前な事を” みたいな感じでね。 判ったわよ。 此処じゃ、皆で一緒に居る方が、安全だしね。
【開錠】の魔法を無詠唱で紡ぎ、ガッチリと掛けていた【施錠】の術式を解くの。 キャリッジの扉を開け、外に出る。 濃く強い『異界の魔力』の匂いと気配。 キャリッジに掛けていたのと同等の強度の【浄化魔法】を私を中心に円状に仕掛ける。 途端に、吹き上がる、金色の粒。 まだ、キャリッジを出たばかりなのに? これほどの濃度で漏れ出しているとは、思っても無かった。
歩みを進め、皆で【障壁結界】の近くまで進むの。 何やら、ものすごい術式の気配。 これを見ようと思ったら、相当に高度な鑑定術式が必要なのは、誰だって判るわ。 手に【完全鑑定】の術式を紡ぎ出し、起動する。 起動した術式を瞳に張り付ける。 もう、他は見ない。 要らない情報が頭の中に流れ込んでくるから。
そして、視界は、異界の術式で埋まるの。 頭の中に流れ込んでくる、様々な情報。 この【障壁結界】を認識できる、断片的で、類似した私達の世界の魔法術式の数々。 その詳細。 さらに、精霊魔法にも似たものが有るのか、様々な聖句が一時に流れるの。 解析不能な場所は、頭の中に浮かぶ文言まで潰し、判読不可能なままで流れている。 さらに、魂に刻み込んだ、異界の魔法の法理が、その何倍もの密度で、私の頭に注ぎ込まれるの。
頭がパンパンになって、破裂するかと思ったわッ! 無制限で、いろんな事を一時にするのは無理だ。 余りにも難解で、あまりにも複雑…… 【障壁結界】の内側に、異世界由来のモノを完全に閉じ込めようと、そんな強烈な意思と、努力が垣間見られただけ…… それは、おばば様が紡いだ、”ミルラス防壁 ”の何倍も…… 何十倍も…… いえ万倍も時間と労力をつぎ込んだ【結界】だった。
瞼を閉じ、止まっていた息が、思わず漏れ吐き出される。
「クハッ! ハァ、ハァ、ハァ……」
「リーナ…… 無茶や、アレを詳細鑑定で直視するなんて。 気配を感じただけでわかるっちゅうねん。 ホンマに無茶しはる。 脳味噌、焼切れんでッ! 全くもう!!」
魔法に長けた、妖精女王レディッシュが、非難に満ちた声を上げる。 そっと、私の額に掌を当て、加熱しすぎた、頭の中を冷やしてくれたわ。 ほんと、彼女が云う通り、頭が焼き切れそうになったもの…… 受け取った情報を少しだけ見てみると……
ダメだ…… 余りにも項目が多すぎる…… 大系的に分類するだけで、相当な時間を要するわ。 それに、こんな環境の中じゃ、十全に解析する事も出来はしない。 たとえ、馬車の後ろの荷台にある『部屋』を使っても…… この危険な場所での作業は無理…… それに、これだけの術式や情報を精査するには、熟達の魔術師さん達を大量に動員する必要があるわ。 ティカ様の御手先の魔術師の方々の魂に、異界の魔導大系を転写しても尚、一世代以上の時が掛かるのは…… なんとなくだけど、想像が出来た。
勿論そんな事は『不可能』よ…… つまり…… 結論は……
――― 短時間で、この障壁を突破する事は不可能 ―――
目の前が絶望で暗くなったの。レディッシュも、同じ結論に至ったみたい。 ぼそりと彼女が呟くのが聞こえる。
「これを短時間で突破する? それも、リーナが内包する魔力を温存して? 無茶を通り越して無謀…… 生きている限り、無理や……」
ん? 生きている限り? どういう事? もう一度、受け取った情報を見る。 この障壁は、異界の由来のモノを全て閉じ込める為だと云うのは、判った。 では、異界の由来の何を? 生の情報を、『異界由来の何を押し止めるのか』と云う条件で、漉し取ったの。 膨大な情報が流れ、そして、頭の中に浮かぶ言葉。
――― 異界由来のモノ ―――
物質? では、そのモノとは、何なのか? 更に詳細に条件を絞ってみると…… 出てくるのは、異界からこちらへ招かれたモノたちの名前、名前、名前…… う~ん、多すぎる。 では、生き物に関してならば? 先ほどよりだいぶ減ったわ。 それでも、生き物の名前、名前、名前…… 力の強さとか、どんな魔術を行使できるのかとかの情報まであるけど、そんな物は別に必要ない。
思考の淵に沈みこんでいく私。 名前の在る「生き物」が障壁でこちらへも、あちらへも、侵入を拒んでいるの。 条件なしの通行不可ね。 生き物…… 生き物……
調度、その時、私達の気配を察知したのか、あちら側からドンドンと障壁を叩く音がしたの。 障壁がそれを、障壁への攻撃と感知して、障壁に内蔵されている「異界の」攻撃魔法が炸裂したわ…… ドドン、と云う大きな音。 途端に静まる、あちらの音。 その時、ちらりと感知出来た事が一つ。
ふわりと、何かがこちらに漏れ出たの。 形の無い、何か…… なんだろう…… アレ……
「リーナ様、危ないッ!!」
大きな音に反応して、シルフィーが私を抱きかかえ、障壁の前からキャリッジの所まで退避したの。 当然、皆が周囲を警戒しつつ、一緒に退避。 こちら側は、この濃密な異界の魔力のせいで、野獣はおろか、魔獣も魔物もこの近くは存在していない。 それは、広域感知で確認済みなのよ…… シルフィーが私を放り込むように、キャリッジに戻す。 扉を閉め、【施錠】の術式を編んで、しっかりと鍵を閉めるの……
ホッと息を付いて、私に水筒に入った水を手渡してくれた。 その顔色は青いんだけど、必死に微笑を作り出しながらね。
「ありがとう……」
「いえ。 あそこに居たのは、相当に強力な魔物だと、そう感知しました。 ラムソンや私でも、対処に困難を覚えるほどのモノ…… それを、あの障壁は一撃で始末してました…… アレは、危険です。 ええ、とても、危険です。 近寄る事さえも、良くありません」
そうね…… そうよね。 あの障壁は、ただ、『通せんぼ』するだけじゃなくて、障壁に攻撃を加えた者に、自立反射で反撃を加えていたんですものね。 ただ見るだけならば、攻撃とは受け取られなかっただけで……
もし、何らかの解除を試していたら…… ちょっと、ゾッとしたわ。 背筋に冷たい流れを感じるくらい。 でも、あのモヤッとした物は何だったのかしら? 水筒に入った冷たい水を飲みながら、また思考の淵にもぐりこんだの。 コクリと喉を鳴らして、冷たい水を飲みこむ。
美味しいなぁ……
シルフィーの心遣いを、とても嬉しく思うの。 もう一口…… 口に含んだ時に、何かを感じたの…… 小さな事。 心に引っ掛かる、何か……
水……
水筒……
堅い、水筒に、形の無い水…… 異界の魔物…… 霧散するモノ…… こちらの世界には留められない物。 一撃で死んでしまった、異界の魔物…… あの魔法の規模からすると、肉体は吹き飛ばされ、原型は留められない筈ね…… 肉体の消滅……
肉体? たしか…… 精霊様は仰られたわ。 今の私の魂を受け止められる、器は、人族のモノでは無理があると。 だから、私の体は、精霊様の御手によって、「原初の人」に作り替えられたって。
―――― 肉体は、魂の器。
そして、魂は…… あちらの魂は、此方の世界には留められない。 だって、あちらの世界では、魂の『輪廻』と云う概念や、その仕組みも無いから。 それは、異界の魔人様の知識の中にあった。 だから、あちらでは、『死霊術』なんてものは存在していない。 生命活動が止まるか、肉体が形を失うかすると、魂は保持出来なくなり、霧散するって……
つまり…… あのモヤッとしたものが、異界の生き物の魂? 魂なの? 魂が個を特定する力は、あちらよりも、この世界のモノの方が強い? だって、この世界には、死して尚、行く先が有るのだもの。 『遠く時の輪の接する処』へ、どんな魂だって向かうのよ。 そして、時が来るまで、あちらで休息を取り、やがて新たな肉体に降臨する。 『遠く時の輪の接する処』で、記憶が意味を為さぬ時間を経てから、無垢なる魂として…… 生きている間に、積んだ研鑽により、次に生まれ来る何かが、決定されると……
闇の精霊様の『愛し子』たる私には、その流れが、本能的に理解できている。 お母様もそれを知っていた。 知っていたからこそ、闇の精霊様に乞い、精霊様の眷属と成り、お父様を迎えにいらしたんだもの……
ちょっとまって…… つまり…… あの障壁は…… 物質を通さないだけで、精神体である魂は通してしまうの? そう云えば…… そう云えば……
私……
行っていた事になるのか……
あの障壁の向こう側に。
異界の魔人様の御住まいに成っている、囚われの御屋敷に…… だとしたら、直接 『内側』から、行けないかしら? そうよね、今まで、異界の魔人様の所へ行った時は、あの御屋敷の外には出られなかった。 いえ、出る事すら考えなかった。 バルコニーから外は見る事は出来ても、それが、仮初の空であったとすれば?
あの御屋敷が、大召喚魔法陣に囚われている、異界の魔人様の魂の中だったら?
尋ねて見るのが、正解かも知れない。 直接、あの方に。 「異界の魔人」様に。 もし、あの屋敷から出る事が叶えば、それは、まさしく、崩壊した大召喚魔法陣の『中心部』に違いないわ。 だって、云い方は悪いけれど、「異界の魔人」様は、大召喚魔法陣の召喚玄門に挟まれた状態なんだもの……
そこで、おばば様から手渡された、【昇華分解】の術式を駆使すれば? 異界の魔力に染まって居れば、私の 【妖気浄化】と改良した【清浄浄化】を重合すれば? いけるんじゃないかしら?
手詰まりになってしまった私達。 一縷の希望の光。 問題解決の一筋の光。 もし、ダメだったとしても、「異界の魔人」様が紡がれた【障壁結界】なんだもの。 きっと、穴をあける方法とか、通り抜ける方法とか、何かしらご教授頂ける筈よね。 うん、そうだ。 この考えを実行して、何も損は無いわ。
ただ、私が ” 仮死状態 ” になるって所だけが、問題なんだけどね。 何回も、「異界の魔人」様の所へ行っているので判る。 魂があまりにも遠くに、長く離れてしまったら、二度とは元に戻れないって。 だけど、一つだけ、方策は有るのよ。
――― ええ、あるの。
肉体の時間を止めてしまえばいいの。
冒険者さん達が、本当に、本当に、最後の手段として、ダンジョンの奥深くで、救出を待つときに使う手段。 【石化】の術式を、自分に行使する事。 まぁ、その時は、魂も一緒に時間を止めてしまうのだけど、私は、自分で抜け出せる。 問題は、【石化】した時、石像と化した自身の肉体が欠損してしまえば、絶対に助からないと云う事。 その場合は、魂は直ぐに『遠き時の輪の接する処』へ向かってしまうって事だけ。
後は、覚悟の問題よね。
思考の淵から浮かび上がるの。 目の前に、手に持った水筒があるわ。 膝の上に…… 隣で心配そうに私の顔を覗き込んでいたシルフィーに気が付いたの。 心配するだろうなぁ…… 怒り出すかも知れない。 でもね……
でも、云わなくてはならないわ。
だって、今、最良の手段は、コレしかない物。 もう、お願いの段階じゃないわ、それに、きっと認めてはくれないだろうしね。 久しく使っていなかった、『命令』を彼らに下さないと…… だって、私の大切な人達は、『お友達』であり、『侍女と従者』なんだもの。
『命じる』のは、本当に嫌なんだけどね……
「我が『侍女』シルフィーと、我が『従者』ラムソンに、『使命』を命じます。 これより、わたくしエスカリーナは、「異界の魔人」様の元に向かい、現状を打破します。 その為には、冒険者緊急避難方法を実施します。 わたくしの肉体をこの場に置いて、幽界へと向かいます。 何が在っても、何一つ欠損する事なく【石化】した『わたくしの肉体』を守り通してください。 それが、わたくしを護ると誓った、貴方達の『使命』と成ります。 わたくしの、精霊様方との『精霊誓約』を遂行する為に、是が非でも遣って貰わねばなりません。 そして、多くの方々との『約束』を守る為に。 下命します、侍女シルフィー、従者ラムソン」
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連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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