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閑話 26
閑話 かくて未来は紡がれる。
しおりを挟む畏れ慄きながらも老王宮女官は、王妃フローラルの言葉通り、あらゆる手練手管を使い、宰相府に当該の初老の女性を召喚する事に成功した。 成程、女性であり、既に初老とも云える、一見なんの影響力も持たない女性ならば、宰相府も目くじらを立てることも無く、了承される。
まして、王妃フローラルの乳母であったと云う者ならば、逼迫生活の無聊を慰めるのには、もってこいの人選だと納得させた。 その実、その初老の女性がどのような立場で、どのような人物かまでは、短期間の召喚と云う事もあり、詳細を確認する暇が無かったとも云える。
抜け目ない老王宮女官は、その人物に心当たりがある。 ガング―タス国王陛下の膝元に於いて、国家戦略を立案する内務寮 戦略室 情報分析局に、彼女の『夫の名』が有る事に気が付いていたからだった。
それも、筆頭情報分析官。 不穏なモノを感じさせる人選でもあるのだが、平時の宰相府とは違い、今の宰相府にその事実の重大さを勘案する余裕は失われていた。 老王宮女官が、その隙を付いたとも云えるのだが……
約束の日に、王妃フローラルが指定した人物が、『黒瑪瑙の間』に伺候した。 品の良い初老の夫人がにこやかな笑顔と共に。 老婦人は、王妃が棲む場所にしては、質素な椅子を指示される。 着席を戸惑いつつ、彼女は王妃フローラルに淑女の礼を捧げ、言葉を待った。
「久しいですね、ジークリンデ。 もう、本当に長い間、合わなくなっておりました。 恙なく過ごしていて?」
「フローラル殿下に於かれましては、ご機嫌麗しゅう。 足下に伺候したる、ジークリンデ=ベーネ=クラークス、拝謁の栄誉を与えて戴き、これに勝る栄誉は御座いません。 伺候の『勅命』を頂きし事、誠に感謝を申し上げます。 願う事叶いますならば、言葉を交わす御許可を頂きたく存じ上げます」
「許可します。 乳母殿に於かれては、壮健なご様子、フローラルも喜ばしく思います。 さぁ、堅苦しい挨拶は済みました。 嘗ての様に、叱り飛ばすなり、箴言を綴るなり、思いのままに口にしても良いのよ…… ね、乳母殿」
あっけにとられるのは、老貴婦人。 フローラルの前の椅子に腰を落としながら、訝し気に彼女を見詰める。 何が在ったのかと、視線のみで老王宮女官に尋ねる。 老王宮女官は、その視線を敢えて無視し、茶器を用意し熱いお茶の準備を進めている。
「殿下…… 何をお望みなのでしょうか?」
「ええ、少し、心配事が有るの」
「ご自身の待遇に付いてで御座いましょうか?」
「あら、そこは満足しているわ。 あれだけの事をしてしまったのだもの、命が有るだけ有難いと思わねばね。 懸念は、貴女の夫に付いて。 ジンラーデン=クラークス卿が、次代の情報分析官を手に入れた様ね。 それは、喜ばしい事なのだけれど、暗渠に深く沈め、人間性を滅するような事はしないで欲しいの」
一瞬、虚を突かれたジークリンデは、淑女の仮面を取り落とし、素の表情を浮かべてしまう。 慌てて、居住まいを正し、言葉を連ねる。
「はぁっ? そ、それは、一体 何故…… 何処からそのような事をお知りに?」
「ふふふ…… わたくしは、ニトルベイン大公家の『娘』ですわよ? 長き時が過ぎ去っても、それは変わり様がないもの。 それでね、その後継者はわたくしの ” 娘 ” の、善き伴侶と成りそうなの。 アレの心を鑑みるに、伴侶が暗渠の中を這いずり回り、心を壊してしまう様な事が無いようにしたいの。 お分かり? かつてのジークリンデの様な立場に、『 娘 』を置きたくないのよ」
「……娘 ですか。 それは、アノ?」
「他に、誰が居るのかしら? 婚姻適齢のわたくしの娘と成れば、一人しかおりますまい。 それに、出自を秘されているとは言え、ジークリンデはニトルベイン大公家の闇近くに備えし『ニトルベインの耳と口』の棟梁でしょ? 知らぬとは言わせないわ。 未だに、あなたの手の者は、王国に於いて最強の諜報関係者と云えるのだもの。 ええ、『王家の見えざる手』に匹敵する組織なんですものね。 その長にお願いするの。 『あの子の倖せを邪魔しないでね』とね」
「…………フローラルお嬢様」
「やっと、その名で呼んでくれた。 久方ぶりに、貴女の非難めいた声音を聞くと、ゾクゾクしてしまうわ」
「…………お戻りに成られましたか」
「ようやっとね。 ええ、戻りました。 ……情勢は逼迫しています。 わたくしは、わたくしが生んだ子供達により善き未来を与えたいのです。 闇に心を潰すような事なく、親殺しの名を名乗る事なく、『操り人形』なんて名を嘯かれる事なく、政略の為だけに愛しても居ない者の妻になるような事もなく…… 皆が幸せを感じられるようにしたいだけ。 既に悪評が定着した”わたくし”が、その他の諸々は引き受けましょう。 協力してくれる? 乳母殿」
「…………」
マジマジとフローラル王妃を見詰めるジークリンデ。 その表情からは、一切の甘さが抜け落ち、品の良さが狡猾なドブネズミのそれと変わる。 思案が彼女の表情の上に走り、おもむろに頭を垂れ、フローラル王妃に対し奏上した。
「フローラルお嬢様。 ニトルベインが耳と口。 いかように御使いなされませ。 さしあたり、必要な情報を、お届けいたしましょう」
「いえ、その必要は無いわ。 わたくしの守護精霊様の御眷属の方々が、王都内 及び、コンクエストム城内の情報を届けてくれるのだから。 必要なのは、『口』の方。 我が儘、気儘の王妃が、またぞろ何かをやらかすのよ。 その時に、悪評をわたくしに集め、子供達に被害が及ばぬ様にしてくれればいいの。 情報操作はお手の物な筈よ、違う?」
「……いつも、貴女は私めに、辛い役割を強いますのね。 ……宜しいですわ。 御心の儘に。 しかし、貴女もまた、我が主筋の姫。 わたくしが慈しんだ、ニトルベインのお嬢様なのです。 易々とは悪評に潰されぬ様にしましょう。 それが、わたくしの……」
「「 矜持 」」
声をそろえ、フローラルとジークリンデが言葉を紡ぐ。 ニコリと妖艶な笑みを浮かべフローラルがジークリンデに投げかける。
「貴女の「矜持」は、幼少の頃に叩き込まれました。 その矜持を、ファンダリア王国の『千年の安寧』に繋げて欲しいわ」
「千年…… に、御座いますか」
「ええ、ウーノルがそう言っているの。 ならば、親として、その未来を紡ぐ土台を用意するのは当たりまえでは無くて? ウーノルだけでは無いわ。 オンドルフにしても、ティアーナにしても、小さいエレノアにしても。 『千年の安寧』とは、壮大な戯言だけど、若い彼らが追い求める物という、ある種の『理想郷』なれば、夢想するのも是と云わざるを得ないわ。 力に成ってやりたいの」
「そう…… ですね、お嬢様。 老骨に鞭打ち、もう一働きしてみる…… でしょうか。 この様なわたくしでも、若人の礎くらいには…… なりましょうから……」
「それで、最初の願いは通りますか? あの子の伴侶には、きちんと日の光の下を歩んでもらいたいのよ。 どのみち、ニトルベイン大公家の家系に連なる者達なのよ? ならば、少しでも…… と、思うの。 ダメかしら?」
フローラル王妃の、ちょっと困った表情。 美しい顔に浮かび上がる、無茶を言って済まないと云う、懺悔の表情を垣間見て、ジークリンデは胸を張る。 声音を変え、秘匿された役目を持つ者らしい、重厚な口調で彼女の問いに応えた。
「王妃殿下のお言葉の儘に。 ニトルベインの魔女には、何が在ろうと倖せに成って貰いましょう。 この婆の命に代えても」
「ありがとう。 貴女の保証が有れば、これに勝るものは無いわ。 また、色々とお話させてね」
「御意に」
『王妃』と『ニトルベインの耳と口』の棟梁が合意した、ファンダリア王国の未来への布石。 密やかに、厳密に、老王宮女官は自身の記す覚書に今日の日の出来事を書き綴らずにはおられなかった。
この日の会合が、ファンダリア王国の未来を決したと、そう後宮文書に記載される事になる。
記載したのは、老王宮女官であり、唯一、彼女達の茶会に女官として同席した者でもあった。
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