その日の空は蒼かった

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父と 子と 精霊と

父と 子と 精霊と  (3)

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 ―――――  一閃いっせん  ―――――――
 


 空間に緋色の線が浮かび上がる。




 上下に緋色の線が開き、その奥から恐ろしい空虚が覗く。 何も…… 何もない空間が、裂け目の向こうに、ちらりと見える。 鬼哭の様な、魂の奥底から恐怖を煽る音が漏れ出す。 余りの恐怖にたじろぎ、一歩、二歩と後ずさる私……



「お逝きなさい。 この世界は貴方方を必要としません。 魂の救済すら必要を感じません。 我、『裁定者』がそう裁定しました。 精霊様方の承認を受け、『無間混沌の闇ゴルゴラルゴ』へ至る『シモンの門』を開きました。 理は定まれり。 断罪を」



 裂け目から、幾つもの黒い手が伸び出す。 お母様は、大鎌をピタリとデギンズ枢機卿とその仲間達に指向すると、言葉を紡がれた。



「世界の理を乱し大罪人は、そこに。 デギンズ。 あなたが『神』と崇める者も、その神にこの世界に連れてこられた魂も、既に『無間混沌の闇ゴルゴラルゴ』で彷徨っておりましょう。 神威を失った『神』は、『神』に非ず。 彼の神が降臨せしめたるマグノリアの地に於いてすら、『彼の神』への信仰を失われた。 捧げられる祈り無き ”そなたの『神』” はもう、『神』ですらないのですから。 裁定は下しました。 逝きなさい。 貴方の魂は、この世界には不要のモノと成り果てました。 『縋る神』無き世界で、永劫の罰を受けるのです」



 黒々とした手が、デギンズ枢機卿の体を掴み、必死に抵抗する彼を裂け目に引きずっていく。 彼に付き従った神官達も又、幾多の手により、同じ道を引きずられる。 絶叫が大広間に広がる。 恐怖と悔恨。 ありとあらゆる負の感情が、彼等から吹き出し、それらは瞬く間に裂け目に吸い込まれて行く。

 血走った目で、お母様を縋るように見ながら、引きずられたデギンズ枢機卿が最後の叫びを上げる。 底に何の権威も無く、何の崇高さも無く、ただ大罪人の上げる、慈悲を乞う声音こわねだけだった。



「も、申し開きを!! 申し開きを!!」

「卿は、わたくしにその機会を与えましたか? それが答えです」



 冷めたお母様の御声。 その直後に裂け目に引き込まれるデギンズ枢機卿。 黒い手に引きずられ、引きちぎられた法衣は既にボロボロであり、捕まれた部分は黒く、醜く変色を始めている。 更に、裂け目には、髪を振り乱し、醜悪な表情を浮かべた二人の女性が、怨嗟の色を濃くその相貌に浮かべ、呪いの言葉を吐きつつ、デギンズ枢機卿に掴みかかっていたの……




「ぎぁぁぁっぁぁぁぁ!!!!」




 裂け目にのみ込まれて行くデギンズ枢機卿と、その御仲間達。 世界の理を乱した『大罪』には、かくも厳しい罰を与えられるのか……。 絶叫が徐々に小さくなり、彼らの存在がこの世界から消える。 裂け目は端から閉ざされ、一本の緋色の線に戻る。 お母様はその線に手を当て、ゆっくりと撫でつける。


 光の粒がその線に沿って、吹き上がり…… 空間の傷は跡形も無く消失した。


 静けさは一瞬だったのかもしれない。 率いられる「死霊兵」達は、率いるモノがこの世界から失われた途端、制御を失う。 呻き声の様な、耳を覆いたくなるおぞましい声が、大聖堂の大広間に広がる。 そう「死霊兵」達が上げる、怨嗟と欲望の声だったわ。

 理非も無く、本能の赴くまままに、欲望に満ち満ちた視線を周囲に這わせる彼等。 其処には自尊心も、まして、「世界の条理」への敬意も、なにも無かったわ。 有るのは唯の、『自身の欲望』のみ。 

 わたしが制しているから、ラムソンさん達は、未だ隠れてくれている。【隠形】【隠遁】を纏っている、シルフィーや、ラムソンさん達は、彼らの目には映らない。 「精霊の眷属」であらせられる、お母様もまたしかり。 国王陛下は彼らの本能の奥底で、未だに畏れの対象であるから、欲望の対象としては除外。

 つまりは、「死霊兵」達は、彼らの目に映る『獲物』に焦点を合わせるのよ。 灰銀の髪と、群青色の瞳を持つ、薬師錬金術師の装束を纏った一人の少女わたしにね。

 |悍【おぞ】ましい程の淫気が、私を取り囲む。 それはもう、ひどい腐臭すら漂わせながら。 吐き出される吐息は、まるで、腐敗花ラフレシリアの様。 かつては清冽であった筈の、”聖堂騎士”の成れの果て…… 赤く灯った瞳の光がゆらりゆらりと私に向かうの。 【呪縛バインド】で縛られていても尚、その欲望の炎は、それが故にさらに燃え上がる。



 ゆらり、ゆらり……

    ゆらり、ゆらり……



 でもね…… 私は、貴方達の相手は、してあげない。 

 もう、時間なの。 貴方達は、この世界に留まる事が出来ないの。 大聖堂の天井を見上げると、ステンドグラスの天井のガラス窓が金色に輝いているのが見えるわ。 邪心に堕ちた貴方達には見えない浄化の光。



 ―――― 時は来たわ。



【円環の魔法陣】が収束するの。 外輪も内輪も、その輪が閉じる。 その中心は…… 



 ―――― 此処なのよ。



 大広間の周囲が明るく輝く。

 パリパリと云う爆ぜるような音と共に、【浄化】が始まる。

 私を取り囲む「死霊兵」達が、外側から外側から、浄化の光に炙られ、その形を失っていく。 

 音も無く、ただ、死の静けさだけが、周辺を圧倒していく。

 その輪も徐々に狭まる。

 彼等は、その事に気が付かない。 

 只々、自身の欲望を優先させる、愚かな獣の様。



 ―――― 時は満ちる。



 聖堂都市ソデイムとゴメイラにおける悪行と邪行は此処に浄化される。 穢れの深いこの場所が最後。 穢れを受け入れた彼らの魂は、既に欠けたるモノと成っていたらしいわ。 歪な魂の珠が、朽ち堕ちた彼らの体躯から抜け出すの。 

 お母様は、憐れみ深くその不完全な魂を見詰め、そっと大鎌を振るう。 頭上に振り上げて、クルリ、クルリと……

 刈り取られた、不完全な魂達は、お母様の手に持つ大鎌に絡み取られ、一連の首飾りの様に連なって、大鎌のお飾りの様に連なっていったわ。 



 ―――――  そして、最後に…… 陛下も……  ――――
 


 そうか…… 既に、陛下もあの薬・・・を盛られていたんだ…… 肉体は改変され、外見はそのままに、体躯は…… 『異界の魔力』に、浸食汚染されていたんだ……

 それまで、呆然と成り行きを見詰めておられたガング―タス陛下。 光り朽ち堕ちていく自身の体躯を感じられたのか、深い悲しみを込められた視線を、ご自身の両手に落とされる。



「……エリザ。 私も又、堕ちていたのか」

「ええ、ガング―タス。 フローラルを受け入れた時からですわね」

「そうか…… 間違いを認識するには、遅すぎたと云う事か」

「貴方はいつもそうよ」

「……耳が痛いな」

「でも、一つだけ、良い事があるの」

「なんだろうか?」

「貴方、とても愛されて・・・・いるわ。 王家の『父祖の血』が、貴方をとても……」

「?? どういう事か ??」

「他の者達と違い、貴方は『王としての矜持』を、持っていた。 少なくとも善き王と成ろうとされて精進されていた。 父祖の方々が、それを見て、最後の慈悲を貴方に掛けられていた」



 崩れ行く体。 ボロボロになり、光の粒を噴き上げる御手を見詰めつつ、ガング―タス陛下は何かを感じられたのか、小さく頷かれる。 何かを理解された、そんな風に見えたの。 小さく、言葉を紡がれたわ。



「つまり…… そうか…… 我が魂は、欠けることなく在る…… か……」

「でも、それだけ。 ガング―タス。 貴方の行く先には、二つの選択肢が闇の精霊ノクターナル様によって、用意されたわ。 一つは、デギンズ等と同じく、『無間混沌の闇ゴルゴラルゴ』へ堕ち、貴方の成した罪の対価に、未来永劫の責め苦を受ける事。 もう一つは、「裁定者」たるわたくしと共に、未来永劫ノクターナル様の眷属として、遠く時の輪の接する処エボンメイヤで、命を終えた魂達を迎えるモノ迎え火となる事。 どちらをお選びに成りますか?」



 光の粒が体中を覆い、吹き上がる奔流と成っている国王陛下。 迷われているわ。 自身の心の弱さをまざまざと見せつけられ、強い悔恨を覚えられ、自責の念に苛まれて居られる。 どのみち、もう、この世界…… 人の世には戻ってこれないと、お母様は仰った。 未来永劫、『時の狭間』を、『彷徨う』事になると……

 ふと、私に視線を向けられた。



「”薬師錬金術師 ”…… の装束か。 その髪色。 その瞳の色。 そして、耳の形…… 王家の血と、ドワイアルの血の顕現…… 何故だろう…… どこかで、そなたを見たような気がする…… 名はなんと云うのか」



 あら、もう、お忘れなのでしょうか? ちょっぴり寂しくもあり、そうだろうなと、そう思う。 だから殊更はっきりと名を述べるの。 ええ、『名』をね。



「ファンダリア王国が民。 辺境の薬師錬金術師、エスカリーナと申します」


 私の言葉が陛下の耳朶に届く。 もう、音もはっきりと届かないと思うほどボロボロになっているけれど、確かに私の声は届いたようね。 だって、私が私の名を告げると、陛下は大きく目を見開き、更に更にジッと私を見詰めたのだのだもの……


「エスカリーナ…… そうか、エスカリーナか。 思い出した。 其方が八歳が年、私の前でエリザの名誉を回復した、あの少女か…… エリザと私の間に出来た王女だったのか…… エスカリーナ…… あの時、私を父よ呼びたいと申したのは、本心でもあったか……」



 光にのみ込まれ、体躯を焼かれるガング―タス陛下の瞳はとても悲しそうだったわ。 思い出して下さったのは…… 『嬉しい』と、云えるのだろうか? あの時は唯々、王城から、貴族から、前世から逃げ出したかったのだから…… お母様の名誉を護る為もある。 でも、本当に逃げたかったのだもの。


 でもね……

    でもね……

  それでもね……


 ちょっぴりは…… 本当は…… 心の奥底では…… 誰にも言わない、私の本当の気持ちは…… お父様と呼びたかったのよ。 ガング―タス陛下。 ファンダリア王国が国王陛下。 貴方の事を、『私のお父様・・・・・』と……

 小さく…… 本当に、小さく、私は頷く。

 陛下の目に、小さな喜びの光が生まれる。 そして、傍らに居られるお母様の方を見られ、頷かれる。



「小さな貴婦人が、薬師錬金術師となり、私の過ちを質しに来てくれた。 これほど嬉しい事は無いな、エリザ。 流石はドワイアルの血だ」

「王家の血でもありますわよ、ガング―タス。 エスカリーナはわたくしの大切な娘。 そして、貴方の娘でもあるのです。 生半可な者では無いのです。 大いなる精霊様も愛された、わたくし達の愛しい『我が子』なのです」

「そうだな。 あぁ、そうだ…… 決めた。 エリザ決めたよ。 いずれ…… いずれ…… 時が巡り…… エスカリーナが ”遠き時の輪の接する処 ” に、来るのであれば、私はエスカリーナを導く光と成ろう! 私はエリザ、君と逝く。 君と共にノクターナル様の眷属として、命を終えた魂の『迎え火・・・』となろう。 それまでは…… 暫しの別れだ、エスカリーナ。 ただ、心残りは…… もう一度、私を父と呼んで貰いたかった」



 其処なのですか?!  素直になられたと思ったら、其処なのですか!!! い、いくらなんでも…… それは…… 悔恨の情はどうなされたのですかッ! 世界を壊しそうになったと云うのに!! お父様!! おかしいでしょう!!

 でも…… それでも、お父様が、役割を終え、命を全うした疲れた魂達を導いて下さるのならば…… いくらでも…… いくらでも、お呼びいたしますわッ!! 生を全うした魂を迎える火となられる陛下に、精霊様への感謝と共に私が差し出せるモノは、それくらいなのですから……



「ガング―タス陛下。 い、いえ…… お、お父様…… そう、お呼びしても、宜しいのですか?」



 燃え盛る黄金の火の中ので、大きく目を見開いて、私を見詰めるガング―タス陛下。 破顔し、満足げに頷かれる。 お母様の手を取り、燃え盛る炎が金色の粒を噴き上げ、そして……



 ―――― 崩れ落ちた。



 後に残ったのは、お母様の掌の上に残る煌々たる『光球』。 魂の光とは違う、見るモノを安心させるようなそんな光だったわ。 カランカランと音を立て、陛下の頭上に在った宝冠・・が床に落ちる。 その傍らに王笏・・も又…… 嘗て、ファンダリア王国の王達が、その権威を顕す象徴としてあった”それら”が、床の上にポツンと…… それらだけが、ガング―タス王が、この世界・・・・に残した全てだったのよ……



「『精霊誓約』は為されました。 ガング―タスは、『迎え火・・・』となり、魂が導きと成りました。 罰であり、喜びでもあり、許しでもあります。 エスカリーナ。 貴女のおかげです。 ガング―タスの妻として…… 愛しい貴女の『母』として…… 貴女に…… 礼を言います。 ありがとう。」

「お母さま……」



 ―――― 父と子と精霊。



 遠き時の輪の接する処に向かうその時に…… また、お会いする事が出来ますね……








  お父様……








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