その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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父と 子と 精霊と

娘の思い、母の想い。

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 早速行動を開始するの。


 時間が無いと、お母様も仰っていた。 お母様の事は、何に対する言葉なのかは、ちょっと判らなかった。 私もまた、時間はもう残されていないと、そう思うの。 ファンダリア王国の安寧が脅かされる、そんな状況が、目に見える様に感じられるから。

 陛下がゲルン=マンティカ連合王国との開戦を宣下する前に『決着』を付けたいのよ。 そうしないと、宣下による『国』の暴走が始まってしまうから。 いまだ、宣下されていないと云う事は、つまり……


 ガング―タス陛下が、『まだ、兵力が完全充足していない』と、そう判断されて居れば幸いね。


 でも、あれほどの『死霊兵』が居るのならば、もうすぐにでも『ご決断』されるかもしれない。 ファンダリア王国としては、『陛下の宣下は絶対』なところもあるわ。 宣下が完遂されれば、聖堂教会の有職者により、その言葉は天空に投射される。

 云わば、『宣戦の布告』として、誰の目にも判るようにするための処置。

 古来から、国と国との戦に於いて、この宣戦布告は、習慣として決められていたようなものだから。 そして、言葉を打ち上げるのは、祈りを捧げる精霊様を祀る、教会関係者がその任に当たるわ。



 ―――― つまり、ゴメイラにおいてその任に当たるのは、デギンズ枢機卿に他ならないのよ。



 既に『死霊兵』の準備は整っているのかもしれない。
 既に聖堂騎士達だけで、ゲルン=マンティカ連合王国との戦端を開く決意を固められているかもしれない。
 既に、その手続きに入られているのかもしれない。



 それは、なんとしても、阻止しなくては成らない『暴挙』なの。

 遠く獅子王陛下の御代。 獅子王陛下が列する高位貴族のモノ達に押され、ゲルン=マンティカ連合王国との戦端を開き、戦闘は泥沼の様な状況に陥り、隣国であったジュバリアン王国の国土大森林ジュノーを最終的には焼き尽くした…… あの戦争。

 御崩御前に、『二度と再び手を出しては成らない』と、強く戒められた獅子王陛下の御意志が破られてしまう。 そんな暴挙を為そうとしている、ガング―タス陛下の御宸襟をどう読み解けば良いのか、何が陛下をそこまで駆り立てているのか……


 判らないわ。 全く、判らないの。


 皆に守られつつ、太い魔力線で一筆書きする様に、【浄化】の術式を紡ぎ出し、大地に打ち込んでいく。 緻密な作業の連続なの。 でも破綻させると、この地の浄化は不可能になるわ。 プーイさんにお願いした、ソデイムの【浄化】術式と比べても、遥かに「強度」を要求されているのが実情だから。 

 それ程、この地の汚染が進んでいるのよ。

 と云うよりも、あの『死霊兵』たちが、汚染を推し進めたといっても過言では無いわ。 【重結界】【解呪】【捕縛】なんかの術式も同時に紡ぎ出して魔力線に符呪しながら打ち込んでいるから、作業的には本当に大変なのよ。 わたしの全部を使っていると云っても間違いじゃない。

 だから、皆に護衛をお願いしたの。 余裕なんて…… 本当になかったから。 ゴメイラをぐるりと取り囲むまで…… ええ、それだけの時間は絶対に…… 何が在っても…… 護って貰わないと、ゴメイラは奪還できないのよ。 もくもくと歩みを進める。 集中して…… 集中して…… 周囲の音が何も聞こえなくなる程、集中して……



 ”エスカリーナ。 破綻しますよ? 大切な『魔法陣』が…… ”



 お母様の声がする。 余りにも集中している私は、満足に応える事すらできない。



 ”『気を抜け』とは言いません。 それだけの術式を描き出すのは大変繊細な作業ですからね。 でも、あまり集中しすぎても、良くありません。 魔術士の先達として云わせてもらえば、局所を見すぎて、大局を誤る事に繋がりますよ。 エスカリーナ。 まずは、大きく息を吸い込みなさい”
 ”クハッ…… お、お母様……”



 緊張と使命感と重圧に息も出来ない程、集中していた私。 そんな私を見かねてのお母様お言葉。 やっぱり私は未熟ね。 ほんとに…… 詰めていた息。 空気を求める様に魚の様に口をパクパクして、やっとの事でお返事が出来たの。 諭される言葉をお母様が綴られるわ。 厳しく、そして、慈愛に満ちた声が耳朶に届くの……



 ”此処であまりに気を張りすぎれば、続く大きな術式の起動に支障が出ますよ? 良いですか、魔術士の神髄はわずかでも余裕を作り、平穏な心を以て大局を見る事です。 あんな魔法陣ミルラス防壁を組み上げておいて云うのもなんですが…… 少なくとも稼働当初は上手く機能しておりました。 だから、云うのです、エスカリーナ。 心に余裕を持つのです”


 ”…………判りません。 どうやればよいのか”


 ”そうですね、それでは『雑念』を混ぜましょうか。 かつて、ミルラス防壁の魔法陣を書き換えた時、わたくしが取った方法は、『それはそれ、これはこれ』ですのよ。 よく集中した部分と、手綱を緩めた部分が、魔法を行使する者の『心』には必要なのです。 わたくしには、『国政』という雑事が常に念頭に在りました。 エスカリーナには……、ありませんね。 『話題』が必要ね、エスカリーナ。 そうですね…… 母として貴女と暮らしたのは、ほんの僅かな時でしかなかった。 ……貴女の口から、その後の貴女の生活を教えて欲しいわ。 誰を頼りにして、何に心を奪われ、何処が貴女の大切な場所で、心に刻み込まれた大切な時間の事も…… わたくしは母として失格なの。 でも、ノクターナル様の思し召しで機会が与えられたの。 わたくしが、自身の娘と語らう、そんな機会をね。 だから、お話してくれるかしら?”


 ”……え、ええ。 お母様……”



 優しく微笑まれる、お母様。 促されるように、釣られるように、私はお話を始めてしまう。 そう、あの真っ赤に夕日に照らされたお部屋での出来事から…… わずかな年月でもあり、膨大で濃密な時間でもあり…… お話することはいくらでも、そう、いくらでもあったの。 並行して、精緻な魔法陣は大地に打ち込まれて行くわ。 

 お母様の仰る通り、あまりにも集中しすぎていれば、大局を見失い魔法陣にゆがみをもたらすの。 それが、理解できた。 小さな修正を掛けつつ、大地に打ち込んでいく魔法陣。 その作業自体がとても楽になった気がしたの。



 ―――― 『お話』は、ずっと続けながらね。



 ドワイアル大公家、王都ファンダル公邸での幼少期。 ハンナさんの事。 大公家御一家の事。 「お披露目の儀」での事。 市井に降りるとそう決めて、向かったダクレール領。 そこで出会った、大切な大切なお師匠様方の事。 ダクレール男爵家の方々、奇跡の鍛冶屋さんの事。 ” 大人な方々の集う ”場所にもお邪魔して、奇麗なお姉さん達の『治療』をした事とか…… 

 そして、光芒の彼方に消える事にした事。 辺境の薬師錬金術師として、南方辺境域、西方辺境域の『倖薄き場所』を巡った事。

 おばば様に王都、聖堂教会から召喚状が届き、約定により動けないおばば様の代わりに私が王都に出向いた事。

 自身の出自を隠した王都での暮らし。 第十三号棟での日常。 そこで出会った、私の大切な朋達の事。 あのニトルベイン大公家のお嬢様の事。 私の姉妹…… ティカ様の事。 

 包み隠さず、出会った方々の事をお話したわ。 お母様は頷きつつ、軽く相槌を打ちながら、聞いて下さったの。 本当に、本当に、こんな時間が欲しかった。 聞いて欲しかった。 見つめて欲しかった…… お母様の愛情が、私を包み込んでいるそんな気持ちに成れたの。



 ”良く判ったわ。 エスカリーナはとても有意義な人生を歩んでいるのね。 何者にも縛られず、『薬師の誓い』を遵守し、大いなる精霊様の御心に沿う。 わたくしには出来なかった、そんな豊かな人生を送っているのね。 わたくしが貴女に託した、『お願い』すら、全うしながら…… とても、とても、豊かで充実した人生を歩んでいるのね。 ……でも、一つ懸念が有るの。 エスカリーナ…… 刻還誕生・・・・した時、精霊様ノクターナル様に誓いを立てたでしょ?”


 ” 『誓い』? ですか? あまり…… その、覚えが有りませんわ”


 ” ええ…… 前世に於いて、悲惨な最後を遂げた貴女。 この事は、精霊様の眷属と成りし後、精霊様ノクターナル様に教えてもらったの。 そう、貴女が前世の記憶を以て現世に産まれなおしたと云う事も。 そして、その際に…… いえ、前世の『最後の時』に、精霊様に誓った『誠志心からの誓い』は未だ貴女を縛り続けているわ。 『もう、恋なんてしない・・・・・・・』 それは、貴女の魂に強く刻み込まれている。 母としてそれはあまりに残念な事よ。 貴女の心に沿う者は数多いるでしょう。 でも、貴女・・が心から寄り添いたいと『想う方・・・』が居るとは思えないわ。 それが、問題なのですよ”


 ”…………判りません”



 脳裏にふと、カイトさんの笑みが浮かぶ。 ブンブンと頭を振り、その残像を消そうとしたわ。 ええ、アレは…… 決して名前を付けてはいけない 『感情』 なんだもの。



 ”『決死の覚悟』を以て事に当たる時、貴女の心の中に『想う人』無くば、容易に魂は『解脱』してしまうでしょう。 この世界を愛し、この世界に生れしモノたちを限りなく慈しむ貴女にとって、貴女の封印した『心情』は、貴方をこの世界に繋ぎとめる唯一のモノであるにも関わらずね。 精霊様方との誓約は容易くは解消できません。 が、母は願うでしょう。 貴女の精霊誓約が、貴女の成す事柄が成就する時に、全うされたと”


 ”お母様……”


 ”貴女がわたくしの名誉を守ってくれた。 お礼が出来ていないのよ。 ドワイアル大公家の墓所で、魂の抜けた体躯は、安らかな永遠の眠りに付けた。 優しい祖先の方々に見守られながら、永劫の眠りに付けたのよ。 それは、取りも直さず…… わたくしをして、完全な精霊様の『使徒』と成さしめたのよ。 だから、それに報いたいわ。 我が愛しき娘エスカリーナ。 貴女にも、心より『愛する者』が出来る様に、その心情を許してもらえるように、精霊様方に祈りを捧げます”


 ”お母様…… そ、それは…… 大き過ぎる願いなのでは?”


 ”娘の倖せを願うのは、母にとっては、当たり前の事なのです。 ええ、そうですよ、わたくしは、エスカリーナ、貴女の母なのですからね ”





 涙が…… 涙が零れ落ちそうになるの。 こんなにも、想ってくださるの。 ほんの少ししか、一緒に居て下さらなかったお母様。 でも、心は…… 心はずっと、共に居て下さったのだと……



  ―――――― そう、思ったの。



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