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父と 子と 精霊と
ゴンザレス卿
しおりを挟む――― 言葉を失った。
【清浄浄化】を受けて尚、その体を保持している、巨漢。 その朽ちた御身体、枯れ木の様な御顔でご自身の名前を口にされた。 その名は、『ゴンザレス=バリント=デギンズ』。
直接会ったのは、唯の一回だけ。 第四軍 第四四〇特務隊の「薬師リーナ」として『軍の錬金室』で、お会いした一回きり。 総髪で、聖職者の聖帽も被らず、無礼な言葉を吐く嫌味な方だった筈なの…… デギンズ枢機卿の懐刀にして、教会薬師所で辣腕を振るっていると云うお噂の、枢機卿の御嫡男。
何故、この場所で、まるで幽鬼の様な姿に成り果てているのか? 判らない、全然分からなかった。 さらに、この方を包み込んでいる雰囲気がまるで違う事に気が付いたの。 ゴンザレス卿って、こんな方だったかしら?
混乱が私を包み込むの。
さらに、ゴンザレス卿は慈愛に満ちた『薬師の誓い』を口にされ、怒りに満ち溢れ、鬼気を撒き散らす迷える魂達から向けられる敵意を一身に受けられている。 朽ち果てている巨躯に、遣る瀬無い『敵意』を、持って行き場の無い『害意』とを受けられ、傷つけられ、涸れ果てている筈の血潮が噴き出しているのよ。
ゴンザレス卿がお召しになっているのは、聖堂教会薬師の法衣、聖帽。 嘗ては眩い栄達の証であった美麗な法衣は、煤け、焼かれ、破れ、見るも無残な状態になり、それも新たな血で汚れつつあるのよ。
見ていられない。 何が彼をそうさせているのか。 何故、私の知っているゴンザレス卿とこれ程までに違うのか。
――― 何が彼をして、この鬼気を受け入れ慰撫するに至ったのか。
驕慢で傲慢な人だと、思っていた。 でも…… このままではいけない。 彼もまた、『鏡界玄門』をくぐらねばならない、ファンダリアの…… この世界の『魂』なのだから。
維持している魔法陣は大きい。 でも、まだ余力はあるわ。 多重詠唱の限界はまだ来ていない。 魂が傷付くのを黙って見ている事は、『薬師の誓い』に反する事。
――――― それが、たとえ、どんな人であろうとも ―――――
『魂』を癒す事。 それは、おばば様に強く教えを受けた事。 体を癒しても、魂が傷付いたままであれば、その人は容易に生きる事を放棄してしまう。 だから、最初に…… そう、最初に教えを受けたのよ。
”世界の理にまします精霊様。 この傷付き、倒れし魂に、安息と癒しを与え給え。
quid faciam? quo eam?
nudus ara, sere nudus.
qui bene serit, bene metet.
deus videt te non sentientem.
deo duce, non errabis.
cogito, ergo sum.
汝が魂は、行く果てに向いし魂。 安らかなる眠りが汝に訪れん事を希求し、精霊様に助力嘆願いたします ”
ふわりと濃い精霊様の息吹が私を取り巻き、そして、優しい手の様にゴンザレス卿に差し出されたの。 それは、私の魔力では無く、精霊様の御手が顕現したかの様。 これは…… そう、おばば様に教えを受けた、私達『薬師』が身に着けるべき、
――― ” 精霊魔法 ” ―――
……いいえ、違うわ。 ” 魔 法 ”なんかじゃない。 一心に、純粋に、精霊様に助力を助力を嘆願する、深い祈り。 精霊様の住まわれる場所に届ける、この世界の魂からの 『真摯たる祈りと願い』……
それこそが、聖堂教会の枢機卿様方が仰れる、” 精霊魔法 ” の本質なのよ。
御聞き届けになるかどうかは…… 精霊様次第の、そんな祈りの言葉なのよ。 純粋に、ただただ、純粋な祈りが必要なの。
” …………『薬師の誓い』を遵守していたのならば、きっとお聞き届けになれるさね。 ”
おばば様の声が、脳裏に木霊したわ。 ええ、その通り。 その通りに、願いは聞き届けられたの。 ゴンザレス卿のボロボロの姿は、暖かな癒しの御手に包まれ、かつての輝きを取り戻される。 周囲に悪意と敵意を向けていた『迷える魂』は、ゴンザレス卿に吸収されるが如く、彼に抱かれるが如く、彼の中へと宿っていくわ。
そして、慰撫された魂は、そんな彼を慕い、赤子の様に無限の信頼を置くかの様に彼の胸に抱かれ漂っていたの。
『井戸の口』から漏れ出し周囲に広がり始めていた『鬼気』は、瞬く間にゴンザレス卿に収束し、『その怒り』『悲しみ』を、ゴンザレス卿が依り代となった、” 昏く優しい精霊様の腕” に、委ねられ…… 迷える魂達は落ち着きを取り戻したの。
清浄な空気が、井戸の周囲を圧するわ。 まるで、大聖堂の祈りの間の様な、そんな神聖な空間になったの。 でも…… 何かが違う…… 迷える魂は既にその体を失い、魂が剝き出しになっているにも関わらず、中心に居られるゴンザレス卿は……
未だ、その巨躯を維持されておられたの。
傷付けられた生前の御身体は、もう戻せない。 既に亡くなっているのだもの、どんな高価なポーションだって、彼の御身体に何の効果も果たさない。 それを可能にすると期待されていた『エリクサー』は、この世界に存在していない。 時を経た亡骸の様な…… 枯れ果てた朽ち木の様な御身体に、まるで誂えたばかりの様な『聖堂薬師の法衣』を召されていた彼。
落ち窪み、昏き穴を穿ったような眼窩がこちらを見たような気がした。
「おお、そこに居られるのは、魂の牢獄を解き放った方々かッ! このゴンザレス、礼を云う。 この不憫な者達の魂を救わんと、努力しても力足らず、難儀しておった。 感謝する。 この者達に成り代わり、精霊様方の祝福を与えて下さった事、誠に感謝の至り。 そこもとは…… 獣人族……か? この穢された聖域に敢えて訪れると云う事は、狐人族の神官殿か? この聖地の浄化に御帰還されたのか? さても、さても、尊き御方だ」
……問われる言葉に、又も言葉を失ったの。 何故、ゴンザレス卿は、そんな事情を、ご存じなの? それに、醸し出される雰囲気は、まるで貴人に対するそれ、そのものよ? 聖堂教会は…… デギンズ枢機卿達大多数の大聖堂の神官様方は、獣人族を強く蔑視していたのに…… それに最も獣人族への蔑視を強く持たれていたのは、聖堂教会の最大派閥であった、デギンズ枢機卿の一派じゃないの?
ゴンザレス卿は…… デギンズ枢機卿の御嫡男よ?
―――― どういう事?
それに…… おばば様を安息の地から引きずり出そうとしたのは、教会薬師所…… おばば様がご研究されていた『エリクサー』の秘密を引き出そうと、教会に出仕を求められていたのではないの? 強権を以て…… ガングータス王の宣下まで持ち出して……
これは…… どういう事なの?
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