その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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父と 子と 精霊と

絶望に心苛まれる時。  

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 そのあまりな光景に言葉を失い、ただ、ただ、祈りを口している私に、ヌエルバ様が心配そうに言葉を紡がれる。 心乱れる私に、精一杯の気を使ってくださったわ。 ここで挫けてしまっては、何のためにこの場所に来たか……

 だから、震える手を胸に、その問いに応えるの。 ええ、考えは…… まだ、残された手は有るのだもの。



「如何されますか、リーナ殿」

「ヌエルバ様…… まずは、浄化を…… この様に穢された、『霊泉』の源泉を何としても、浄化せねばなりますまい」

「左様でしょうな。 この地の鏡界玄門はいわば霊泉の霊水に他なりません。 霊水が湧き出さねば、鏡界玄門を開くことはもとより、その姿を顕現させる事すらできますまい」

「判りました。 シルフィー。 貴女にとても大切で、貴女にしか出来ない事をお願いします」



 渋い顔をするシルフィー。 私が今から何を言い出すか、微かな予感が有るのでしょうね。 でも、とても大切で、貴女にしかできない事は確かなの。


「聖堂都市の城門前まで戻り、プーイさん達が綴り上げる【浄化の円環】の端をここに繋いでください。 貴女なら出来る筈です。 最初は残っているであろう『鏡界玄門』を開いてから、聖泉全体を浄化する【浄化の円環】を起動するつもりでいました。 しかし、この状況ではそれは叶いますまい。 よって、最初にこの『源泉』を浄化し、『鏡界玄門』を顕現為さしめます。 その後、『聖泉』を蘇らせる方策の【浄化の円環】を起動し湖全体と、聖堂都市ソデイムを同時に浄化いたします。 重結界にもなりますでしょう。 この地は…… 人が穢してはいけない地なのです。 良いですか、時間との戦いとなります。 シルフィー、貴女が頼りなのです」



 表情を硬くし、私の命を拒否するようなシルフィー。 私の命令は、彼女にこの場を離れよと云うモノだったし、こんな危険な場所で護衛を離れる事は決して良しとはしない彼女の心内は、私にだって良く判る。

 でも、それしか方策は無いの。

 それにね、不思議な事が有るのよ。 こんな『贄』の様に打ち捨てられた、井戸の底の魂達が、それほど凶悪な御霊では無いの。 何かに抑えられ、慰撫されているような気配すらあるの。 それが何かは判らないけれど、それならば、彷徨える魂が大人しいうちに浄化を完成させる必要もあるし、その依り代となる、朽ちた体を火葬する時間も稼げるかもしれない。

 だから、懇願する様にシルフィーを見詰める。

 真摯な願いは、彼女の心を動かせたのか、嫌々頷くの。 そして、怖い声で私に警告を紡ぎ出すのよ。 もう、これは有体に云えば『脅し』よね。 判ってる。 ええ、判っているわ。



「リーナ様…… 決して無理や無茶をなさいませんよう。 ヌエルバ殿とよく図り、危険だと判断されたら、この場を御離れ下さい。 ラムソンッ! 判ったか! 私が目を離すと、リーナ様はいつも、いつも、御霊を体から御放しになる。 もう二度とあんな気持ちになるのは御免だッ!」



 吐き捨てる様にシルフィーはそうラムソンさんに告げる。 ニヤリと笑うラムソンさん。 当然そんな事は判っていると云うような、そんな表情。 頷きを以て、約束されたわ。 ええ、私が拒んでも、危険有れば、私を抱えてこの場を去る事をね。

 ジッと私を見詰め、そして、風が巻く様に…… シルフィーの姿は、聖堂最奥のこの場所の闇に溶け込んで、消えたの。 ええ、約束するわ。 今度は絶対に無茶しないって。

 振り返り、ヌエルバ様とお話をする。 井戸の浄化は、私の【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】を虚空に展開して、起動。 重合する魔法陣は、【業火】の魔法陣。 浄化と火葬。 同時に行うのよ。 

 大切な魂達が遠き時の輪の接する処に向かえるように。 そして、彼らの痛んだ魂を、『癒し、助け、救う』為にね。 まさしく、薬師連奇術師の誓いの言葉、そのものなんですもの。

 ラムソンさんが周囲を警戒する中、私は虚空に魔法陣を紡ぎ出す。 差し渡し30メルの井戸の上を覆う様に、魔法陣は展開される。 起動魔法陣はそれに付随して、小さくまとめる。

 無詠唱ながら、十分な強度を持った魔法陣が、井戸の上に出現したわ。 私は精霊様方に願う。 この地の穢れし魂達の平安と安寧を……



「起動、【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】 そして、井戸の底に倒れたる、彷徨える魂の亡骸を焚き上げ、以てこの世界への執着を解きほぐさん」



 起動魔法陣がうなりを上げて回る。 十分に練り込まれた私の魔力が、魔法陣全体に行き渡り、励起する。 赤黒く輝く魔法陣は、ゆっくりと井戸の底に向かって、降りて行ったわ。

 井戸の擁壁にこびり付く、異界の魔力を含め、全てを浄化しつつ、しずしずと魔法陣は下降していく。 光の粒が吹き上がり、天井のステンドグラスを細かく揺らしているの。

 ヌエルバ様もその様子をご覧よ。 膝を折られ、精霊様に深く感謝の祈りを捧げられていたわ。 特大の加護を頂けそうね…… 高位の神官様の祈りは、遅滞なく精霊様の御許に届くんだもの……

 浄化の痛み、この世界に繋がる為の骸が燃え上がる、魂の純化。 どのくらい、この井戸の底に投げ捨てられたか、その人数は判らない。 でも、とても多くの魂が居る事だけは、理解できたの。 声無き悲痛な悲しみの咆哮が、井戸の底から湧き上がるの。

 渦巻く様な、『怨嗟の声』が、『怒りの声』が……

 井戸の口から吹き上がるそんな声に、ラムソンさんは最大限の警戒をしているの。 いつ、暴走した迷える魂が私に危害を加えるとも、その時は身を以て私を護り、そして、私を攫うが如きに、引っ掴んで逃げ出そうとしている事が嫌でも判ってしまうの。

 井戸の口から漏れ出した鬼気は、周囲を圧倒し…… ヌエルバ様の祈りの言葉にすら、嫌悪を顕わにする。 ううぅ、無理よ…… こんな荒ぶり、怒れる御霊を落ち着かせる事なんて…… どうやったって、落ち着かせる事なんて出来はしない。


 絶望が私を覆い尽くす。


 この場で出来る事は…… もう、『祈る』しかない。 もしくは…… 精霊さま、どうか、どうか、この迷える魂達に平安を…… 荒ぶる御霊に、この世の理を…… 

 鬼気が圧力を以て、井戸の口の周囲に広がり始める…… 祈りを以てしても…… もう…… ダメかもしれない。 迷える魂達を抑えるには、彼等に対して刃を向けねばならない…… 深く息を吸い込んで、そんな覚悟を決めようとしたの。




 『 忘我の悪鬼と成るならば、彼らを滅する事も又……


 ――――『癒し、助け、救う』 事 』





 おばば様からの薫陶なの…… 助けるために敢えて滅するのだと…… 

 でも、でも…… この御霊の方々は、何も悪くないのよ…… 被害を受けられ、その身を怨嗟で焼き尽くした方々なのよ……

 どうして…… どうして、こんなにも、哀しい運命に翻弄されなくては成らないのよッ! お教えください、精霊様。 無辜の人々の悲しみは、救う事が出来ない事柄なのですかッ!






















   そんな千々に乱れる私が、決断を戸惑っている中、『一つの声』が、響き渡った・・・・・の。



















 ”―――恐れるるな。 遠き時の輪の接する処に向かう、浄化の炎だ。 そなたたちの頸木を解き放つ祝福なのだ。 もう、苦しむことも無い。 怒りを発露する事も無い。 そな達はこの魂の牢獄から出られるのだ。 良きかな。 もし、思う事あらば、この私に告げよ。 憎しみあらば、私に叩きつけよ。 痛みあらば、私が癒そう。 我は其方達を、『癒し・・助け・・救う・・』為、この場に存在を許されたのだ。

  我は…… 



     我は、聖堂教会が教会薬師 薬師長……





 ――――― ゴンザレス=バリント=デギンズ である。 ”





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