その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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父と 子と 精霊と

リーナの使命 皆の願い

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 ナジール様が、そうヌエルバ様に問い掛けれる。 厳しい視線を荒野に投げかけられる。 悲しくも厳しい視線だわ。 盆の様に眼下に広がる、壮絶な風景を凝視したヌエルバ様が、溜息と共に言葉を紡ぎ出すの。


「あの尖塔がある建物…… が、有る場所。 あそこに在ったと記憶が告げております。 こうも父祖たる者達の【記憶の中の風景】が変わりますと、確かではありませんが、いくつかの目印になる小島が有りました。 あの丘の様に成っている場所がそうでございましょう。 儚くなった者達の近親者が巡礼者として、聖泉であるこの湖を【葦の船】で渡る儀式が御座いました。 永遠へ最愛を送るその儀式…… その場所と一致しております故、まず間違いないかと」


 ヌエルバ様が仰る通り、涸れ果てた湖の露呈した湖底にはいくつかの丘が存在し、更に丘の頂上には石碑らしきものも見て取れたの。 ええ、遠くに…… では有るのだけれど、確かにね。

 つまり、聖堂教会のバカ者たちは、聖泉の霊泉を自身の生活の糧としていたって事ね。 そして、この地に来た者達が汚染を留めるために、湖の膨大な霊水を使いつくした ……って事に他ならない。


  ―――― なんて事! 


 その上、『霊泉』が涸れるまで霊水・・を汲み上げ、なんら処置もせず放置した結果が、この有様。 そう、奴ら最初から『異界の魔力』の浄化など、何一つ…… 出来はしなかったって事。 それが証拠に、湖底が汚染されるがままとなし、ついには霊水が湧き出る源泉が塞がれてしまった。


  ―――― 度し難い。


 なんとも、度し難い愚か者たち。 怒りに我を忘れそうになったわ。 ならば、私が役目は一つ。 少なくとも霊泉が地は浄化し、再び霊水が湧き出す事が出来る様にする事ね。 判った。 ええ、理解した。

 人族がした悪行は、人族が私が、”その対価”を支払わねばならない事をね。 スッと眼が細くなる。 異界の魔力に侵食された大地を見詰めつつ私は言葉を紡ぐ。



「プーイさん。 お願いが有ります」

「なんだい? 何なりと言いなよ」

「有難う。 出来るだけあの『汚染された魂達』を刺激しないように、この湖の周囲に私が渡した魔石から紡いだ魔糸で、魔法陣の円環浄化術式を綴って頂けないかしら? 私はあの廃聖堂で、円環の起動術式を【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】共に編み上げるわ。 そして、この聖泉を浄化する準備をします」

「いいよ!! やる。 やるよッ!! こんな悲惨な場所に成り下がってしまった聖域を、このままにはしておけない。 森の民の力見せてあげる。 あたいら穴熊族の底力、今こそ見せる時だよッ! パーレ、ピール、ペンタン、ポンッ! いいねッ!!」

「「「「 応ッ! 」」」」



 目の前の光景に怒っているのは、私だけじゃ無かった。 だって、大切な聖域がこれほどまでに蹂躙されている姿を見せつけられて、森の民達は心底 憤慨しているのよ。 ホッとした。 でもね、時と共に汚染されたのではなく、人族の愚行によって…… なのよ。 深い悔恨の情が私の心内に浮かび上がるの。 

 プーイさんの、『怒り』は真っ当な物よ。 ええ、私だった完全に同意するわ。 だからこそ、私は罪の意識に苛まれるの。 人族であった私が、何とかしなければ…… 

 プーイさん達は、早速行動に移ってくださった。 聖堂都市ソデイムに入る前に、枝分かれした側道を、かつての湖の波打ち際に沿って、私が用意した浄化の術式を組み込んだ魔力供給線円環浄化術式を敷設していってくださったの。



「シルフィー。 これより廃聖堂都市に侵入し、大聖堂内に突入します。 そこで源泉たる井戸を見つけます。 きっと奴らならそうする。 霊泉が涸れ始めると、穴を掘り地下水脈に到達する井戸を掘るでしょう。 ならば、そこが目的地。 でも、大人数で移動する事は出来ないわ」

「危険です」



 半目になったシルフィーが私にそう云う。 確かに危険よ。 辺りには心の中に修羅を宿した、迷える魂達がそこかしこに居るのだもの。 なにもせず侵入すれば、必ず途轍もない攻撃を受ける。 でもね、シルフィー。 これは私の使命なの。 為さねばならない「役割」の一つなの。 心を静め、シルフィーに言葉を尽くす。


「判っているわ、シルフィー。 だから、ラムソンさんと貴女が一緒に来て。 最大強度の【隠形】と【隠遁】を纏います。 こんなことは命じたくは無いのですが、貴方達は、他の森の民とは違います。 そうでしょ?」


 その言葉に、頑な態度で私の行動を阻止しようとしていたシルフィーが折れた。 ラムソンさんと視線を交わし、一つ大きな溜息を落とす。 ラムソンさんはそんなシルフィーを感情の無い視線で見つつ、私に問う。


「他はどうするんだ? 一緒には行けないんだろ?」


 冷たい言葉の様だけど、それは彼なりの優しさ。 あんな危険な場所に皆さんを帯同する事は、危険を増大させる判断なんだもの。 だから……


「……皆さん。 少々、街の入り口で待っていてください。 出来るだけ迷える魂を刺激しないように。 残っている馬車を中心に、【聖域サンクチュアリ】を紡ぎます。 小白竜の霊水がこの地に蘇りし後、鏡界玄門へとお越しくださるよう、お願い申し上げます」


 渋い顔のナジール様。 そして、同行を願い出るヌエルバ様。 他にも森狼族のツェナーさんや、森猫族のネンテンさん、兎人族のアーギルさん迄も、同行するって聞かないの。 でも、やっぱり、そこは森の神官様であるナジール様。 静かに皆に言葉を掛けられるわ。


「皆…… 無理を言うな。 これだけの迷える魂が居る中、大人数で同行するとなると、注意を引くのは必定。 迷える魂は、その身の内に強い憎悪を抱えているのだ。 問答無用の殺意を我らに向けてくる。 遠き時の輪に接する処に行くべき魂を、お前たちの手で霧散させるか? 多くの同胞も含まれる。 魂の救済が出来ぬようになるのだ。 こらえろ。 ……同道はヌエルバ一人だ。 リーナ殿。 ヌエルバは【隠形】も、【隠遁】も使えます故、どうか同行を認めて下さい。 ヌエルバ無しでは、鏡界玄門は開きませぬ。 プーイが編みし【浄化の円環】が ”神泉 ”を一周し、円環が閉じし時、浄化の魔法陣を発動されるのでしょう。 そうなれば、この ”神泉 ”の周囲に居る迷える魂達が一斉に押し寄せる。 そうなった後で、リーナ殿と合流するのは至難の業となりまする。 しかし、鏡界玄門が開いてさえいれば、彼らは遠き時の輪の接する処に向かえます。 どうでしょうか、我が願い、お聞き入れ願いませんでしょうか」


 …………森の人達を、危険には晒したくない。 まして、神官様をそのような危険な場所には…… でも、ナジール様の仰ることは理解できるわ。 神泉をよみがえらせた後、鏡界玄門を開くためには、どうしてもヌエルバ様の御力が必要なの。 だから、最初はお迎えに此処まで帰ってくるつもりだったの。 

 でも、ナジール様の仰る通り、この地の迷える魂はその魂の内に激しい怒りを抱えてらっしゃるわ。 不測事態が発生する可能性は、限りなく高い。 ここは、受け入れなければならないわ。 ええ、そこかしこに居られる、迷える魂を救うためにも。

 永遠の眠りに…… ノクターナル様に彼らをお渡しする為にも…… ね。


「承知しました。 ヌエルバ様。 くれぐれも、私どもから離れぬ様に願います」

「おおッ! 承知しましたぞ。 リーナ殿!」



 大きく笑み崩れ、そして、表情を引き締めるヌエルバ様が其処にいたわ。




   ――――§――――




 残りの距離を馬車の車列は進む。 前方の視界が開けると、そこにはソデイムの聖堂教会大聖堂が飛び込んでくるのよ。 聖堂都市ソデイムに入る前でも、その全貌ははっきりと見て取れたわ。 そう……、聖堂都市ソデイムに入る前にね。

 それほど巨大な聖堂をこの地に立てたのよ。 

 度し難い。 全く持って、度し難いわ。 どれ程の金穀と命をこれに費やしたのか、考えるだけでも胸が悪くなる。 人族の悪行をまざまざと見せつけられている、そんな気持ちがしたわ。 廃棄された聖堂都市ソデイム。 そんなに時間は経っていないにもかかわらず、荒廃の匂いがとても強い。

 これも、異界の魔力の浸食により、この世界のことわりに属するモノを変質させているのが理由ね。 見た目、既に何百年も経た廃都と云うようなおもむきすらあるのだもの。

 聖堂都市の外壁の強固な石材を用いた土台ですら、砂に成りかけている場所が幾つも見受けられるのよ。 つまり、その上に立つ城壁は倒壊寸前と云う事。 下手に近寄る事すら危険な環境なの。 だから、皆には聖堂都市の外側で待ってもらうの。

 都市の城壁の外側。 明らかに軍駐屯地仕様の広場に到着。 きっと聖堂騎士達の駐屯所だったのだろうことは、その傍らに建てられている、朽ちている宿舎に刻まれる、聖堂教会の徽章からも想像できたわ。 

 広場に馬車の車列を入れ、丸く円陣を組むように停車する。 すぐさま私はキャリッジを降り、円陣を取り巻く様に何時もの【結界聖域】を張り巡らせる。 簡易厨房も馬車の荷台から持ち出し、籠城に耐えられるように整えたわ。


「ナジール様、お願い申し上げます。 ここに集う森の民は皆大切な人達です。 聖域を奪還した暁には、彼らがこの聖域の守護者となるべき方々なのです。 だから……」

「そこまでです、リーナ殿。 貴女の言葉はとても嬉しく思います。 しかし、覚えておいてください。 貴女が居てこその我等であることを。 貴女無くして、この場に進む事は出来なかった。 大いなる精霊様の思し召しと御加護により、我らの大願も果たせるのです。 どうぞ、ご無事にお戻りください。 人族の暴虐を敢えて、貴女が償おうとしているのは、我にのみ囁かれた『精霊様の御言葉』により、理解しております。 が、リーナ殿。 くれぐれもお忘れなく。 貴女は我らの希望なのです」

「ナジール様…… お言葉、嬉しく思います。 薬師錬金術師リーナ、ナジール様の御言葉を胸に、精霊様の『御使命』を果たします」

「ええ、誠に…… 重き荷を背負っておられる貴女には、感謝しか捧げる事が出来ぬ我の力の無さを痛感しております。 どうか、どうか、ご無事の御帰還を」

「努力いたします。 安易なお約束が出来るような状況では御座いませんので」

「……ふぅ。 いつも貴女は真摯で有りますな。 ならば、我は祈りましょう。 闇の精霊様に…… ノクターナル様に貴女の守護をと。 さぁ、御行きなさい。 そして、鏡界玄門を御開けなさい。 リーナ殿の使命と我らが大願が『叶う道』を、ただひたすらに、真っ直ぐに……」

「はい、行ってまいります」


 皆に見送られ、歩む道。 聖堂都市ソデイムの城門を通り抜ける。 かつては、厳しい通航制限があった筈の場所。 衛士たちの姿も無く、砂と埃がうずたかく積もった、城門は昔日の栄華の夢の跡。

 後も振り向くともなく歩みを進める。 足音すら立てず、静かに。 城門から続く真っ直ぐな道を、傾ぐ大聖堂の尖塔を目標に、ひたすら静かに滲む影のように、私達四人は『大聖堂への道』を辿ったのよ。


 心配そうに見送る皆を、聖堂都市の外に残したままね。

       グッとお腹に力を籠める。

           ここからが正念場だと、そう自分に言い聞かせて。

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