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断章 25
閑話 白いハトの便り(4)
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王都ファンダルのほぼ中央に聳える王都大聖堂。
純白の大聖堂の奥深く、神官長パウレーロ猊下の御座所。 荘厳で静かなその祈りの空間の名称は、『聖壇の間』。
並ぶ白石の柱は、高いアーチ状の天井を支え、豪華なステンドグラスが日の光を受け、キラキラと輝き、中央の聖壇に淡い光を落としていた。 青く澄んだ、光の柱が幾筋も、その場を照らし出している。
中央の聖壇に祈りを捧げているパウレーロ猊下の表情は穏やかでもあり、そして、何かしら怒りにも似た表情もまた、その年老いた相貌に浮かべていた。
^^^^^
側近であり、常にパウレーロ猊下に付き従っているエクスワイヤー枢機卿。 「聖壇の間」にも随身を許されている彼の表情は優れない。 心配事を抱え続け、眉間にはいつも深い苦慮の皺が寄る。 高齢のパウレート猊下の体調を慮りつつも、最近の出来事を思い出しながら、苦悶の嘆息を漏らす。
一つには、北辺より北の荒野に向かった、聖職者の一団と、それに付き従った聖堂騎士達の事。 親征に付き従えとのパウレーロ猊下の言葉通りに、ガング―タス国王陛下の御傍に、まるで近衛騎士団の様に付き従い出兵した。
戦闘神官としてではなく、神官付きの聖堂騎士として……
問題が在る。 不必要な殺生を厳しく戒められている、戦闘神官とは違い、破落戸並みの品性しか持ち合わせていない彼らに、不殺の誓いなど、ある意味滑稽な話だと、そう理解している。
貴族家の三男、四男…… 王国軍に入る気概も無く、王国官僚団に奉職する事も出来ぬ愚か者たち。 そんな者達が、聖堂教会の名を存分に持ち出し、自らの権威を増そうとして、軋轢を引き起こした事例は、枚挙に遑がない。
パウレーロ猊下の思い切った決断に、相当慌てた様子ではあったが、それでも、親征と云う大義名分。 更には、その戦功が大きければ大きいほど、今後の彼らの発言権は増大する。 そして、それが、聖堂教会を内部から腐らす事は、誰の目にも明らかな事であろう事もまた、事実であった。
エクスワイヤー枢機卿にしてみれば、彼らは聖堂教会に住まう寄生虫の様な物である。 金穀と、権力の匂いを嗅ぎ取り、その旨味を存分に味わう為に這い寄る蛆虫のようなものだと。 そして、その暴力の力を借り、聖堂教会の中枢に座らんとする聖職者ども……
そこに、精霊様への祈りは無かった。 信仰も、真摯な祈りも何もない。
――― 吐き気すら覚えるような驕慢に、怒りを感じていた。
北辺の聖堂教会より、悲鳴のような嘆願書が、連続してハト便にて飛来していた事実は別にしても…… 決して、王国の敗戦を望むようなことはしたくは無い。 彼等とて、ファンダリア王国の国民である。 なにより、精霊様が愛される ” 人 ” でもあるのだ。 たやすく見棄てられようも無い。
頭痛の種の様な輩が、パウレーロ猊下の言葉により、親征に付き従い北辺よりソデイム、ゴメイラの聖堂都市に向かったのは、頭の痛さには何の薬にもならない。 王国の民に対しては、結局何も変わりは無かったのだからと、嘆息する。
事実の両天秤に乗る、命と命。 重苦しい重圧が、胸に重くのしかかり、さらなる困惑が広がっている。
―――― 別の心配事もある。
西方ズィシィ大聖堂よりのハト便…… アンソニー=ネスカ=ルボンテイゲス大司教よりの便りが、彼の心を重くしていた。
西方…… ク・ラーシキンの街、シャオーラン小聖堂に於いて顕現された、聖女キャスター。 彼女が王都大聖堂に向かう事を頑なに拒否していると。 ルボンテイゲス大司教よりの便りの中に同封されていた記録魔石に、彼女の自身の言葉が記録されていた。
” 『 聖女様 』 とは、何も 『聖』属性を有する女性の神職がそれのみにて、呼称されるべきものでは、御座いません。 その人となりと、成した業により、尊称を得る人物だと、わたくしは信じております。
わたくしは 辺境の童女。
民と共に苦しみ、民とと共に喜び、民と共に生きるべき、精霊様に仕えし者です。 わたくしの為したる事は、精霊様に捧げた誓約を遵守している迄。
『 聖女様 』とは、民への…… いいえ、生きとし生ける者達への、偽りのない深い慈しみを持ち、苦しみに嘆く者達に限りなく寄り添う方への生き方を指し示す…… そんな方への ” 尊称 ” だと、思うのです。
わたくしでは御座いません。 わたくしは、知っております。 その尊称を受けるべき方を。 わたくしの 『 聖 』の魔力を使ったどんな癒しの魔法でも癒せなかった人々を…… いいえ、人々だけではなく、大地を、川を、風を…… この世界に属するモノ全てを、癒してしまわれた方が居られることを。
「魔」に侵されてしまった方々が、唯一快癒されるのは…… あの方が置かれた『聖壇』の前にて、精霊様へ真摯にお祈りを捧げる事だけ…… わたくしには無理であった、癒しを…… そこにいる訳でも無いあの方は、易々と成し遂げられるのです。
わたくしは、これからも………… この西方辺境に於いて、精進し、鍛錬し、信仰に生きて行きたいと思います。
王都聖堂教会への御召喚は大変名誉な事であるかと存じますが、わたくしは、敢えて申し上げます。 わたくしは、『 聖女様 』などと云われるような、高貴な方では御座いません。 西方辺境の、童女なのです。 その尊称は、あの方こそ…… 薬師錬金術師リーナ様こそ、受けられるべき尊称なのです。 王都聖堂教会のお歴々の方々に置かれましては…… わたくしの事は、捨て置かれますよう、付し願い奉ります ”
聖堂教会の権威や威厳など、吹き飛んでしまう、聖女…… いや、西方辺境の「聖」属性を所持した 童女の言葉。 その関連の神官達が頭を抱え、そして、パウレーロ猊下に懇願しても居る。 なんとか、聖女を王都に呼び寄せてはもらえまいかと。
パウレーロ猊下は静かに微笑みつつそれを退けられた。
” 思う所が有るのであろう。 そっとしておくべき事柄。 その力を使い、民草に癒しを分け与えておるのであろう? 精霊様の御導きであろうな。 権を用いて、呼び寄せる事は、罷りならん。 いずれ、その折もあろう。 その時、暖かく迎え入れればよいだけの事。 良いな ”
逍遥と項垂れる担当の神官達の姿が、思い浮かぶ。 聖女が顕現し、その方が王都に身を移されると云うだけで、どれ程の民が心安らかになるか…… しかし、聖女は云うのだ、自分は聖女では無いと。 もっと、相応しい者が居るのだと……
嘆息がエクスワイヤー枢機卿の口から細く漏れ出る。
^^^^^
嘆息を続けるエクスワイヤー枢機卿に、突然静かな声が掛けられた。 ビクリと体を揺らす、エクスワイヤー枢機卿。
「……ユーリが足跡を辿る事を、放浪の聖人、精霊の御意志の番人の者達に願った。 今時珍しい若者も居たものだと、驚きを以て応えられたよ、ヨハン。 アレの足跡は、居留地の森で途絶えていた。 精霊様方より、心配無用との ” 託宣 ” は、拝領したが…… ちと、心配でな」
「はい…… 今も、ファンダリア全土…… 特に東方、北方の聖堂に対し、噂でも、酒場の話でも、ユーリが事を知れれば、どんな些細な事でも良いので、報告する様に通達を出しては居りますが、未だに……」
「…………精霊の御意志の番人の一隊が見つけたそうだ。 場所は、東部商業都市へーバリオンの程近くの林。 相当に疲労はしていたが、無事だと。 ハト便で、緊急報として、送ってくれた」
「な、なんと! それは、誠に御座いましょうかッ!」
「あぁ、誠だ。 さらに、王都ファンダルまで、同道して下さるそうだ。 いや、休めと云っても聞かぬそうだな。 ……王都にて報告する義務が有るのだと」
「…………それは、まさに試練の報告となりましょう。 ユーリは…… あの者は、獣人の森にて、” 賢者 ” の名誉を受けました。 十分に御座いましょう。 司祭…… では無く、司教としての役目すら、付託出来ましょう」
「……従僕で十分だそうだ。 聖堂教会での栄達は望まぬらしい」
「な、なんと! そ、それはッ!」
「父がアレでは、いかんともしがたい。 精霊の御意志の番人の面々からも、そう云ったアレの心情は伝えられている。 そうなのだ、アレは、父の罪を背負おうとしている。 ……全く、ままならぬものよな」
パウレーロ猊下の言葉に、深く頭を垂れるエクスワイヤー枢機卿。 家族が…… 血を分けた親兄弟が…… まさに聖堂教会を統一聖堂の教えにより、侵食するような輩であった事が…… 悔やまれて仕方なかった。
その身を以て、そんな者達とは違うのだと、誓いを立てる為に向かったのだと思っていたが……
「アレの心はもっと大きな物を見ていたな。 還俗するか…… はたまた、森に還るか…… なんとも…… な」
「いや、しかし! 研鑽を積んだ若き有望な神官ですぞッ! 易々と手を放すべきでは御座いませんッ!」
「…………それは、アレの心次第なのだ。 …………強く若い世代の者なのだ。 精霊の御意志の番人の者に零したアレの言葉が、便りにて届られている」
「…………それは?」
「 ” 大切な人 ひとりすら護れぬ者が、大勢を救い護れる筈も無し ” だ、そうだ」
「…………ぐぅ。 その言葉、覚えが御座います」
「あぁ、私もだ。 アレの伯父である、フォーバス=ヅゥーイ=デギンズ伯爵…… いや、南方特別教区 大司教 デギンズ枢機卿が還俗前に口にしたな。 ……一族の ” 誓いの言葉 ” か。 なんとも、重い言葉を紡ぐ」
「…………い、いや、それでも!」
「まぁ、待つがいい。 もうすぐ、帰ってくる。 その時まで。 心して、待つのがよかろうて……」
祈りを捧げつつ、そう口にするパウレーロ猊下。 祈りの姿勢。 胸に置く手の下。 懐に有るのは一通のハト便。 奏上文と同じく、誓紙に綴られた、祈りの言葉。
” …………神官長パウレーロ猊下。 どうぞ、どうぞ、ファンダリアに祈りを。 強く優しい『祈り』を、精霊様方に捧げて戴きとうございます。 わたくしは、北の大地に向かいます。 傷つき病んだ大地を癒すのもまた、薬師錬金術師としても役目。 人が犯した罪は、人により贖罪せねばなりません。 そして、その役目を果たす者は、その罪を犯した者の血の継承者に他なりません。 そして、連鎖は断ち切れましょう。 どうか、どうか、ウーノル王太子とアンネテーナ様に精霊様の御加護を導いてくださいませ。 ほかならぬ、神官長パウレーロ猊下にのみ、御願い出来る事なのです。 そして、ファンダリアの未来に、『光』を導いて下さい。 わたくしからの最後の願いです。 万事宜しく、お願いいたします。
―――――薬師錬金術師 エスカリーナ ”
荘厳で静かな『聖壇の間』 パウレーロ猊下の心の内は、その静粛な空間とは裏腹に、波立ち、大きくうねって居た。 荒れ狂う、海の様であるともいえる。
” …………エスカリーナ。 先の王妃殿下の愛娘。 あの娘がこうやって北の荒野に向かう前に最後のハト便を儂に寄越した理由は…… やはり、それほどまでに際どいか。 万が一の時の為に、儂にまで願いを託すか…… 本当に…… どうしようもない、優しき王女だ。 西方の聖女が云う、本当に聖女を授けられるべき者…… ”
グッと歯を食いしばるパウレーロ猊下。 胸に捧げる、祈りの印にも力が入る。
” …………しかしだ、儂は認めぬ。 この国に…… 王女エスカリーナを愛する者達の元に、帰ってこない覚悟など、私は認めぬ。 命を懸けるべき老人がのうのうと生き恥を曝し続け、未来ある若すぎる聖女が、その身を賭すなど…… 儂は認めぬ。 ……必ず、戻ってまいれ。 精霊様方…… 儂は…… 儂はッ! 祈り続けましょうぞ。 あの尊き者が、帰ってくるまで。 祈りましょうぞッ! ”
純白の大聖堂の奥深く、神官長パウレーロ猊下の御座所。 荘厳で静かなその祈りの空間の名称は、『聖壇の間』。
並ぶ白石の柱は、高いアーチ状の天井を支え、豪華なステンドグラスが日の光を受け、キラキラと輝き、中央の聖壇に淡い光を落としていた。 青く澄んだ、光の柱が幾筋も、その場を照らし出している。
中央の聖壇に祈りを捧げているパウレーロ猊下の表情は穏やかでもあり、そして、何かしら怒りにも似た表情もまた、その年老いた相貌に浮かべていた。
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側近であり、常にパウレーロ猊下に付き従っているエクスワイヤー枢機卿。 「聖壇の間」にも随身を許されている彼の表情は優れない。 心配事を抱え続け、眉間にはいつも深い苦慮の皺が寄る。 高齢のパウレート猊下の体調を慮りつつも、最近の出来事を思い出しながら、苦悶の嘆息を漏らす。
一つには、北辺より北の荒野に向かった、聖職者の一団と、それに付き従った聖堂騎士達の事。 親征に付き従えとのパウレーロ猊下の言葉通りに、ガング―タス国王陛下の御傍に、まるで近衛騎士団の様に付き従い出兵した。
戦闘神官としてではなく、神官付きの聖堂騎士として……
問題が在る。 不必要な殺生を厳しく戒められている、戦闘神官とは違い、破落戸並みの品性しか持ち合わせていない彼らに、不殺の誓いなど、ある意味滑稽な話だと、そう理解している。
貴族家の三男、四男…… 王国軍に入る気概も無く、王国官僚団に奉職する事も出来ぬ愚か者たち。 そんな者達が、聖堂教会の名を存分に持ち出し、自らの権威を増そうとして、軋轢を引き起こした事例は、枚挙に遑がない。
パウレーロ猊下の思い切った決断に、相当慌てた様子ではあったが、それでも、親征と云う大義名分。 更には、その戦功が大きければ大きいほど、今後の彼らの発言権は増大する。 そして、それが、聖堂教会を内部から腐らす事は、誰の目にも明らかな事であろう事もまた、事実であった。
エクスワイヤー枢機卿にしてみれば、彼らは聖堂教会に住まう寄生虫の様な物である。 金穀と、権力の匂いを嗅ぎ取り、その旨味を存分に味わう為に這い寄る蛆虫のようなものだと。 そして、その暴力の力を借り、聖堂教会の中枢に座らんとする聖職者ども……
そこに、精霊様への祈りは無かった。 信仰も、真摯な祈りも何もない。
――― 吐き気すら覚えるような驕慢に、怒りを感じていた。
北辺の聖堂教会より、悲鳴のような嘆願書が、連続してハト便にて飛来していた事実は別にしても…… 決して、王国の敗戦を望むようなことはしたくは無い。 彼等とて、ファンダリア王国の国民である。 なにより、精霊様が愛される ” 人 ” でもあるのだ。 たやすく見棄てられようも無い。
頭痛の種の様な輩が、パウレーロ猊下の言葉により、親征に付き従い北辺よりソデイム、ゴメイラの聖堂都市に向かったのは、頭の痛さには何の薬にもならない。 王国の民に対しては、結局何も変わりは無かったのだからと、嘆息する。
事実の両天秤に乗る、命と命。 重苦しい重圧が、胸に重くのしかかり、さらなる困惑が広がっている。
―――― 別の心配事もある。
西方ズィシィ大聖堂よりのハト便…… アンソニー=ネスカ=ルボンテイゲス大司教よりの便りが、彼の心を重くしていた。
西方…… ク・ラーシキンの街、シャオーラン小聖堂に於いて顕現された、聖女キャスター。 彼女が王都大聖堂に向かう事を頑なに拒否していると。 ルボンテイゲス大司教よりの便りの中に同封されていた記録魔石に、彼女の自身の言葉が記録されていた。
” 『 聖女様 』 とは、何も 『聖』属性を有する女性の神職がそれのみにて、呼称されるべきものでは、御座いません。 その人となりと、成した業により、尊称を得る人物だと、わたくしは信じております。
わたくしは 辺境の童女。
民と共に苦しみ、民とと共に喜び、民と共に生きるべき、精霊様に仕えし者です。 わたくしの為したる事は、精霊様に捧げた誓約を遵守している迄。
『 聖女様 』とは、民への…… いいえ、生きとし生ける者達への、偽りのない深い慈しみを持ち、苦しみに嘆く者達に限りなく寄り添う方への生き方を指し示す…… そんな方への ” 尊称 ” だと、思うのです。
わたくしでは御座いません。 わたくしは、知っております。 その尊称を受けるべき方を。 わたくしの 『 聖 』の魔力を使ったどんな癒しの魔法でも癒せなかった人々を…… いいえ、人々だけではなく、大地を、川を、風を…… この世界に属するモノ全てを、癒してしまわれた方が居られることを。
「魔」に侵されてしまった方々が、唯一快癒されるのは…… あの方が置かれた『聖壇』の前にて、精霊様へ真摯にお祈りを捧げる事だけ…… わたくしには無理であった、癒しを…… そこにいる訳でも無いあの方は、易々と成し遂げられるのです。
わたくしは、これからも………… この西方辺境に於いて、精進し、鍛錬し、信仰に生きて行きたいと思います。
王都聖堂教会への御召喚は大変名誉な事であるかと存じますが、わたくしは、敢えて申し上げます。 わたくしは、『 聖女様 』などと云われるような、高貴な方では御座いません。 西方辺境の、童女なのです。 その尊称は、あの方こそ…… 薬師錬金術師リーナ様こそ、受けられるべき尊称なのです。 王都聖堂教会のお歴々の方々に置かれましては…… わたくしの事は、捨て置かれますよう、付し願い奉ります ”
聖堂教会の権威や威厳など、吹き飛んでしまう、聖女…… いや、西方辺境の「聖」属性を所持した 童女の言葉。 その関連の神官達が頭を抱え、そして、パウレーロ猊下に懇願しても居る。 なんとか、聖女を王都に呼び寄せてはもらえまいかと。
パウレーロ猊下は静かに微笑みつつそれを退けられた。
” 思う所が有るのであろう。 そっとしておくべき事柄。 その力を使い、民草に癒しを分け与えておるのであろう? 精霊様の御導きであろうな。 権を用いて、呼び寄せる事は、罷りならん。 いずれ、その折もあろう。 その時、暖かく迎え入れればよいだけの事。 良いな ”
逍遥と項垂れる担当の神官達の姿が、思い浮かぶ。 聖女が顕現し、その方が王都に身を移されると云うだけで、どれ程の民が心安らかになるか…… しかし、聖女は云うのだ、自分は聖女では無いと。 もっと、相応しい者が居るのだと……
嘆息がエクスワイヤー枢機卿の口から細く漏れ出る。
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嘆息を続けるエクスワイヤー枢機卿に、突然静かな声が掛けられた。 ビクリと体を揺らす、エクスワイヤー枢機卿。
「……ユーリが足跡を辿る事を、放浪の聖人、精霊の御意志の番人の者達に願った。 今時珍しい若者も居たものだと、驚きを以て応えられたよ、ヨハン。 アレの足跡は、居留地の森で途絶えていた。 精霊様方より、心配無用との ” 託宣 ” は、拝領したが…… ちと、心配でな」
「はい…… 今も、ファンダリア全土…… 特に東方、北方の聖堂に対し、噂でも、酒場の話でも、ユーリが事を知れれば、どんな些細な事でも良いので、報告する様に通達を出しては居りますが、未だに……」
「…………精霊の御意志の番人の一隊が見つけたそうだ。 場所は、東部商業都市へーバリオンの程近くの林。 相当に疲労はしていたが、無事だと。 ハト便で、緊急報として、送ってくれた」
「な、なんと! それは、誠に御座いましょうかッ!」
「あぁ、誠だ。 さらに、王都ファンダルまで、同道して下さるそうだ。 いや、休めと云っても聞かぬそうだな。 ……王都にて報告する義務が有るのだと」
「…………それは、まさに試練の報告となりましょう。 ユーリは…… あの者は、獣人の森にて、” 賢者 ” の名誉を受けました。 十分に御座いましょう。 司祭…… では無く、司教としての役目すら、付託出来ましょう」
「……従僕で十分だそうだ。 聖堂教会での栄達は望まぬらしい」
「な、なんと! そ、それはッ!」
「父がアレでは、いかんともしがたい。 精霊の御意志の番人の面々からも、そう云ったアレの心情は伝えられている。 そうなのだ、アレは、父の罪を背負おうとしている。 ……全く、ままならぬものよな」
パウレーロ猊下の言葉に、深く頭を垂れるエクスワイヤー枢機卿。 家族が…… 血を分けた親兄弟が…… まさに聖堂教会を統一聖堂の教えにより、侵食するような輩であった事が…… 悔やまれて仕方なかった。
その身を以て、そんな者達とは違うのだと、誓いを立てる為に向かったのだと思っていたが……
「アレの心はもっと大きな物を見ていたな。 還俗するか…… はたまた、森に還るか…… なんとも…… な」
「いや、しかし! 研鑽を積んだ若き有望な神官ですぞッ! 易々と手を放すべきでは御座いませんッ!」
「…………それは、アレの心次第なのだ。 …………強く若い世代の者なのだ。 精霊の御意志の番人の者に零したアレの言葉が、便りにて届られている」
「…………それは?」
「 ” 大切な人 ひとりすら護れぬ者が、大勢を救い護れる筈も無し ” だ、そうだ」
「…………ぐぅ。 その言葉、覚えが御座います」
「あぁ、私もだ。 アレの伯父である、フォーバス=ヅゥーイ=デギンズ伯爵…… いや、南方特別教区 大司教 デギンズ枢機卿が還俗前に口にしたな。 ……一族の ” 誓いの言葉 ” か。 なんとも、重い言葉を紡ぐ」
「…………い、いや、それでも!」
「まぁ、待つがいい。 もうすぐ、帰ってくる。 その時まで。 心して、待つのがよかろうて……」
祈りを捧げつつ、そう口にするパウレーロ猊下。 祈りの姿勢。 胸に置く手の下。 懐に有るのは一通のハト便。 奏上文と同じく、誓紙に綴られた、祈りの言葉。
” …………神官長パウレーロ猊下。 どうぞ、どうぞ、ファンダリアに祈りを。 強く優しい『祈り』を、精霊様方に捧げて戴きとうございます。 わたくしは、北の大地に向かいます。 傷つき病んだ大地を癒すのもまた、薬師錬金術師としても役目。 人が犯した罪は、人により贖罪せねばなりません。 そして、その役目を果たす者は、その罪を犯した者の血の継承者に他なりません。 そして、連鎖は断ち切れましょう。 どうか、どうか、ウーノル王太子とアンネテーナ様に精霊様の御加護を導いてくださいませ。 ほかならぬ、神官長パウレーロ猊下にのみ、御願い出来る事なのです。 そして、ファンダリアの未来に、『光』を導いて下さい。 わたくしからの最後の願いです。 万事宜しく、お願いいたします。
―――――薬師錬金術師 エスカリーナ ”
荘厳で静かな『聖壇の間』 パウレーロ猊下の心の内は、その静粛な空間とは裏腹に、波立ち、大きくうねって居た。 荒れ狂う、海の様であるともいえる。
” …………エスカリーナ。 先の王妃殿下の愛娘。 あの娘がこうやって北の荒野に向かう前に最後のハト便を儂に寄越した理由は…… やはり、それほどまでに際どいか。 万が一の時の為に、儂にまで願いを託すか…… 本当に…… どうしようもない、優しき王女だ。 西方の聖女が云う、本当に聖女を授けられるべき者…… ”
グッと歯を食いしばるパウレーロ猊下。 胸に捧げる、祈りの印にも力が入る。
” …………しかしだ、儂は認めぬ。 この国に…… 王女エスカリーナを愛する者達の元に、帰ってこない覚悟など、私は認めぬ。 命を懸けるべき老人がのうのうと生き恥を曝し続け、未来ある若すぎる聖女が、その身を賭すなど…… 儂は認めぬ。 ……必ず、戻ってまいれ。 精霊様方…… 儂は…… 儂はッ! 祈り続けましょうぞ。 あの尊き者が、帰ってくるまで。 祈りましょうぞッ! ”
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