その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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薬師と聖職者 精霊の至る場所

朋、遠方より来る

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 天幕の中で、本日最後の患者さんの診察を終わって、ほっと一息ついた後。


 嬉しい驚きがやって来たわ。 天幕の入り口に、三人の人影。 天幕の中には私とラムソンさんと、そして パーレさんの三人。 人影の先頭に立つのは、いつもの通り、シルフィーなのよ。 彼女は、天幕の入り口から入りつつ、これまた、何時もの通り、私に苦情を言うのよ。




「リーナ様。 また無茶をされたようですね」

「そう…… かしら?」

「小聖堂の特別室を抜け出して、市井の治癒所にて、人々を癒す。 誠、在野の薬師錬金術師様に御座いますね」

「それは…… お小言かな?」

「まぁ、そんな事は御座いませんわ。 おとなしく、ただ、佇んでいるなど、想像も出来かねますしね。 それで…… リーナ様は如何なさいました?」



 シルフィーの紡ぐ言葉はややもすると、冷たく感じるかもしれないわ。 でも、その表情と、言葉の端々に私に対する心配が見て取れる。 無茶ばかりする私の安寧が破られていないか、害されていないか、それをとても心配してくれているの。 

 素早くラムソンさんと視線を交わすのも、そのせい。 ラムソンさんに至っては、肩を竦めるだけの仕草で答えているの。 軽く、溜息を零すシルフィー。 苦笑を堪えつつ、彼女の言葉にお返事をするわ。




「為すべきを成したのよ。 それに、私ひとりの力では無いわ。 沢山の…… 本当に沢山の人たちにお手伝いして頂きました。 最後は私の意思の問題です。 皆さんの思いや、膨大な準備を使うも使わないのも、私の意思なの。 そして、私は「精霊の愛し子」 この世界の理を知る者ならば、為さねば成らないでしょ?」

「そう云われると思いました。 薬師錬金術師リーナ様。 いえ、” 第四〇〇特務隊指揮官殿 ” 」





 ちょっと疲れた表情を浮かべた、懐かしい顔の人がシルフィーの後ろから顔を覗かせるの。 白面は…… つけていないのね。 クレアさん。 傍に…… スフェラさんも居るわ。 凛とした表情で私を見つめる二人。 ちょっと、瞳が潤んでいるのは…… 嬉しいからよね? 

 私も嬉しい。 彼女たちがちゃんと生きていてくれて。 もう、心が壊れる事も無い。 非情の状況からの生還を果たした、強かな女性として…… 私の前に現れてくれた。 あぁ、精霊様…… 感謝を。 この倖薄き人達が、暴虐の果てに、強くなり魂を保った事に感謝を……

 胸の前に手を組み、簡素ながら感謝の祈りを捧げるの。




「リーナ様。 第四〇〇特務隊、軍属事務官クレア、スフェラ、参じました。 お久しぶりに御座いますッ!」




 ついに、クレアさんの瞳から涙が決壊した。 スフェラさんも同じ。 頬を伝う涙が、彼女たちの苦難の道行きを表している。 私は…… ただただ、その事実に感謝を抱いて、二人を見詰めていたの。





 ^^^^^^




 シルフィーは場所を移動しようとは言わなかった。 避難民の方々が多く滞在する、この天幕街から動こうとはしなかったの。 変よね?  簡易治癒院として使っている天幕の外に出る事も無く、休憩所として使っている一角に私たちを誘ったの。




「シルフィー? いいの? ……此処で?」

「はい。 クレアもスフェラも、此方の方々には面が割れていません。 それに、此方の方々も、リーナ様とお話になる時には、あの魔女が寄越した『白面』を、付ける事は良しとされませんでしたから。 それに……」

「それに?」

「この街の聖堂教会と、彼女たちについている王宮魔道院の目を韜晦するには、必要な事です」



 流石に胡乱な事と感じてしまったの。 エリオット小聖堂は、北方の大聖堂直轄よ? それに、二人についている、王宮魔道院の方々は、ティカ様のが特にって付けて下さった方々。 なにも…… 心配ないのでは? その疑問が私の口を突くの。



「何故? 聖堂教会にしても、王宮魔道院にしても、お味方では無いのですか?」



 私の不躾ともいえる問いかけに、静かに答えてくれたのは、クレアさん。 ちょっと、深刻な表情を浮かべられているのよ。 何事? なにが、起こっていると云うの?




「リーナ様。 この北の辺境域では、誰が味方で誰が敵か…… 容易には判別がつきかねます。 悪魔は優しい顔をして近づき、決定的な時に背後から刺します。 よって、厳重すぎる程の警戒は必須なのです。 幸い、わたくしもスフェラも、エスコ―=トリントからの軍属にして、リーナ様に助けられた者。 この北域に於いて、信用に値する者と自負しております」

「……反対に云えば、誰も信用できない? そう云う事?」

「…………その件に付きましては、わたくしから」



 スフェラさんが控えめにそう口にするの。 とても真剣で真摯な視線を私に向ける。 ちょっと怖いほどの、視線だったわ。 でも、彼女…… スフェラさんが知る事は、とても大切な事だと、私の直感が囁いたの。 天幕の中には、六人きりしかいない。 

 クレアさん、スフェラさんには、簡易テーブルについて貰ったの。 シルフィーはお茶の準備。 ピールさんは私の背後について、ラムソンさんは天幕入り口に立って、歩哨となり警戒をしているのよ。

 狭い天幕だけど、まるで前線の司令部みたいな感じが、薄っすらとしているわ。

 クレアさんが、簡易テーブルの上にこの北方辺境域の地図を広げたの。 幾種類もの記号と書き込みで覆いつくされているわ。 北方国境沿いに展開している赤く引かれた、魔法線が強く目を引くの。 北方の例の軍道入り口と、その西に延びるその赤い線は、既に当初の計画通りに展張されていた。





「これは…… ここまで進んでいたのですか?」

「はい。 プーイ以下、第四〇〇特務隊の分遣隊が精力的に動き回り、当初の予定地域への魔力網状供給線マジックネットワークの敷設はほぼ完了しております。 また、各小聖堂からの魔力供給で、全ての魔道具に魔力の供給が確認されております。 ギリギリではありますが…… よって、北部国境沿いから侵入してくる「異界の魔力」の無効化にほぼ成功しつつあります」

「そ…… そうなの。 イグバール様が符呪して下さった、魔道具は凄いのね」

「その事では御座いますが、どうも…… 聖堂騎士達が嗅ぎつけたきらいが御座います。 各結節点の魔道具を移動させようとした形跡もございました」

「全く…… 魔力網状供給線マジックネットワークに、齟齬が生じてしまうわ。 それで?」

「シルフィー様のかつての御同輩・・・様方が、【秘匿】魔法を周辺に展開されて、易々とは発見には至りません。 あいつ等、かなり焦っているように見受けられます。 北部辺境域の各小聖堂を通じ、その情報を取得しようと、やっきになっておりますので…… 特にこのエリオット小聖堂に働きかけが強う御座います」




 クレアさんが目を伏せるの。 かなり…… いいえ、状況は厳しそうね。 つまり、さっきシルフィーが云ったことを勘案するとすれば…… 私の考えを読んだように、スフェラさんが言葉を繋ぐの。





「一部神官の間でも、リーナ様、イグバール様の魔道具に興味を持つ者が居ります。 お渡しした、” 心ある小聖堂 ” の者達は別にして、情報の収集を始めております。 神官長猊下より、言外に禁止されていると云うのに。 北辺に於いても、聖堂教会は一枚岩では御座いません。 特に、この街に於いては…… 最初にお渡しした情報にこの街の小聖堂は安全であると、記載したことを少々後悔しております」

「困った方が…… いらっしゃるのね」

「はい。 特に治療院や、薬師所に属する聖職者が顕著かと」

「……ご自身の信念に相当自信があったようでしたね。 全ては信仰心が足りないからだと…… そんな事を仰っておられました」

「リーナ様が設置された、各小聖堂の聖壇を確認された方もいらっしゃった様です。 その視察を元にそう判断されたとか」

「表面的な事しか見なかった…… という訳ね。 各小聖堂の聖壇にも、符呪はしてあります。 祈りを魔力に変換する術式も。 一見、精霊様に祈れば、病状の進行は止まり、やがて逆転していくように映るのでしょう。 それに、周辺の空間魔力に含まれる、「異界の魔力」の浄化もしておりますから、淡く金色の光の粒が立ち上っている…… 各小聖堂の司祭様方からの説明は、お聞きに成らなかったのでしょうか?」

「それが…… この小聖堂の治癒院の聖職者の職位は、上級司祭、もしくは準司教なのです。 下級の職位のモノの言葉には心は動かされません。 軽く見て自身の信仰心に照らし合わせ、事態を見ているのです」

「独りよがりな事……」





 思わず瞑目してしまった。 見たいものを見たいように見る。 聖職者として、一番やっては成らない事なのにね。 神官長猊下がお聞き成ったら、鉄槌を下されるわよ、きっと。 





「まさしく。 リーナ様。 申し訳ございません。 リーナ様に於かれましては、この地のエリオット小聖堂にお運びに成ることは、状況の混乱に繋がるやもしれません」

「でも…… この地に集まる避難民の方々の苦しみは、筆舌を尽くしがたいモノが有るのよ。 この街…… バルバロイの街に来ることは、精霊様の御意志でもあったわ。 ……エルグリッド=ノーマン司教様にのみ、お話しすれば、良いのでは?」

「とてもお忙しく、また、周辺には補佐する者が多々居ります。 それゆえに、かの御仁と、胸襟を開き語り合う事はかなり難しく……」

「黙って、街を出た方が?」

「宜しいかと。 北部大聖堂への繋ぎはこちらでとります。 第四〇〇特務隊の動向は、大聖堂でも気にしておられます。 特に北部大管区 教区長 ヴァンケリオ=タイラル=シワーヴェ大司教様は」

「スフェラさん…… 貴女、大司教様と面識が?」

「はい、幸いにして」




 驚いた。 本当に? シワーヴェ大司教様は、この北方辺境域を管轄する聖堂教会の大管区の長として、その偉業は鳴り響いている、最高位の聖職者様よ? 王都聖堂教会の枢機卿ですら、頭を垂れざるを得ないお人なのよ? いわば、神官長パパパウレーロ猊下と、同等の権威をお持ちの方なのよ?

 御家の方が…… そういった方面の方だったのかしら? スフェラさんのご実家って…… ブークリエ伯爵家だったわよね。 えっと…… そうかッ! ブークリエ伯爵家って、たしか、シワーヴェ大司教様の御連枝の御家柄だったっけ! そ、それでなのかぁ……

 世間て、案外狭いわね。 いえ、北部の貴族家の繋がりって…… こんな事もあるね。




「…………そう、なのね。 判ったわ。 スフェラさん。 お願いする。 第四〇〇特務隊として、情報を流してください」

「御意に」




 スフェラさん…… かなり厳しい表情を浮かべているわ。 そうよね…… そうなのよ。 信頼していた聖堂教会にも、一部、変な人が居るからだろうし…… 信仰心が暴走してしまって、精霊様の御声も聞こえなくなってしまうっていうのは…… まま、有りがちな事なのよね。 妄信の域に達してしまえば、すなわち、独り善がり。 善意の押し売りに成ってしまう。



 ―――― それは、私も同じことなの。 



 だから、精霊様の御意志を良く聞き、無心に人々の声を聴くの。





 薬師の誓いである「癒し、助け、救え」は、必要とする人に分け与えるモノ





 押し付けるモノでは無いから。 












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