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薬師錬金術士の歩む道
北部辺境の安寧の為に (1)
しおりを挟む隣に滑るようにシルフィーがやってきたの。
そういえば、エストはどうなったのかな? 問いかける視線を敏感に察知したシルフィーは、黒々とした笑みをその顔に浮かべていたの。 いやだわ、なにか怖い。
「エストは…… 理解してくれましたか?」
「勿論に御座いましょう。 あちらに崩れ落ちております」
視線をシルフィーが云う ” あちら ” に向けてみると、『魔法の杖』の前に膝を折ったまま、俯せに倒れこんでいるエストが見て取れたの。
「何が…… 起こったのかしら?」
「それは、アレにしか判らぬ事柄でしょう。 しかし、神聖な気配が杖の周辺に充満している処を鑑みると…… シュトカーナ様が、滾々と ” お話 ” をされたと、そう思えてなりません」
「そうね…… あの方から、ご提案も有り、お願いいたしましたし…… でも、エストも理解さえすれば、あそこまで衝撃を受けるような事は無いでしょうに」
「……魂の根本。 獣人族としての矜持。 なにより、森の民としての在り方を問われたのかもしれませんね。 そして、自身の受けた教えとの差に、困惑を通り越したと。 真理を見つめ、その大きさに畏れ慄いた。 と、云うところが妥当かもしれません」
シルフィーの酷薄そうな笑みが、物語る言葉は……。
” 痴れ者が、シュトカーナ様に、潰されただけの事 ”
あ、あのね、シルフィー。 エストは仲間よ? 大切な私の仲間。 そりゃ勘違いやら、いろいろと遣らかしてくれたけれども、すべては私を思っての事なのよ? だから……ね。 お願い。 そんな目で見ないで上げてほしいな。 侍女の仮面が剥がれ落ちたシルフィーが、私に言葉を紡ぐの。
「リーナは優しすぎる。 大きな『 使命 』を負った、リーナの道を遮るものに慈悲を与えすぎる」
「そうは云ってもね…… でも、彼女はこれで、理解したのよね」
「あぁ、” 理解 ” はした筈。 しかし、その後のアレ自身の心の持ち方は、未だ不明。 自分一人が、リーナを護っている等と、思い上がった事を考え続けている可能性も有る。 痴れ者が…… まだ、油断は禁物だ」
「『魔法の杖』の回収…… してきます。 その上で、彼女に問いたいわ」
「そうだな。 あのままでは、役にも立たない、ドブネズミだ。 リーナの好きにすればいいと……、思う」
「ありがとう、シルフィー」
「何がだ?」
「感情を押し止めてくれた事。 私と出会う前なら、きっと……」
「あぁ…… そう云う事か。 そうだな。 『疾風の影』の名を戴く私ならば、そうなっていても不思議ではないからな」
「だから…… ありがとう」
「…………そうか」
シルフィーの顔の黒い笑みが影を潜める。 堪らない位の優しい笑顔を私に向けているわ。 貴女は、もう、暗殺者ギルドに飼われたネコじゃ無いもの。 貴女自身の信念と矜持を以て、私の傍にいてくれる、私の大切な仲間なんだものね。
シルフィーの傍を離れ、エストに向かうの。 後ろにはラムソンさんがそっと付き従っていてくれる。 なにか…… なにか、不測の事態があれば、容赦なく彼の爪が振るわれる。 そんな感じがするの。 チリチリとした殺気が、ラムソンさんからも漏れ出しているんだものね。
地面に突き刺した『 魔法の杖 』 に、手を掛ける。 途端に私の頭の中に流れ込む、シュトカーナ様の御声。
《 リーナ、お帰りなさいっ! 》
《 ホワテル達をお貸しくださって、本当にありがとうございました。 彼らがいなければ、捕縛は難しく、あのような奇跡の情景を見る事、叶いませんでした。 精霊様のお導きと、シュトカーナ様のご助力のおかげです 》
《 いいのよぉ。 そんな事。 私は、私の為すべきを成しただけ。 感謝は、精霊様に…… でしたっけ? 》
《 それに…… エストの件も…… 》
《 あの頑固娘の事ね。 まぁ、面白かったわ。 長き年月を経て、世代を重ねた鼠人族の考え方がよく分かったから。 見ものだったわよ、妖精王と妖精女王の怒りは。 私の中に取り込んだ彼女は、相当怖い思いをしたかもね 》
《シュトカーナ様がご自身で諭されたのではないのですか? 》
《 最初はそのつもりだったのだけど、その前にブラウニーとレディッシュがねぇ…… ホワテル達を出しといて良かったって思ったわよ。 》
《 それほど…… 『いにしえ』の約定が失われていたのですか? 》
《 聖域でもそんなに高い地位は与えられていなかった、鼠人族の者達ですからね。 元来、【聖域の約定】には、重きを置きませんもの。 その上、森が焼かれてから、彼らにとっては長き時が経ちました。 教えも、約定も、何もかも、記憶の彼方に。 だからこそ、妖精王は激怒したと…… そう云う事です 》
《 鼠人族の寿命は短い…… のでしたわね 》
《 ええ、” 人族 ” の、三分の一ほどの寿命ですからね。 その分、多産と云う事もあるのでしょう。 エストで、森が焼かれてからすでに十代を重ねているわ。 だから、魂に刻み込まれた、記憶を引き出すのに少々手間取りました 》
はぁぁぁ…… そうなんだ。 獣人族なら、みんな寿命は長いとか云うのは伝説でしかないものね。 長い寿命の種族も居れば、短い寿命の種族もいるしね。 鼠人族の寿命は短いわ。 だから、エストもああ見えて、鼠人族の間では、人生の中盤に差し掛かっているともいえるの。 頑固にもなるはずよね……
《 シュトカーナ様。 杖を…… 》
《 ええ、また、貴女の中に。 暫しゆるりとしたいわ。 特に妖精王、妖精女王には英気を養ってもらわないとね。 ホワテル達も存分に暴れたのでしょ? 暫しの休息…… が、必要ね 》
《 はい、シュトカーナ様。 有難うございました 》
感謝と共に『魔法の杖』を左手に格納するの。 私の背丈よりも長い杖は、左腕の中に埋没するように消えていったわ。 そして、見下ろせば蹲るエスト。 さて…… なんて、声を掛けてあげようかな? 逡巡する間に、私の足音を聞いたエストがゆっくりと、本当に緩慢に顔を上げる。
顔に髪がかかり、赤い瞳が暗いの。 そして、私を見つめるその視線には、後悔と懺悔の光が浮かんでいたわ。
「リーナ様……」
「お疲れの様ね、エスト。 判りましたか? 私が何者で、何を成す者か」
「…………はい」
「それ以上に、貴女が何者で、どういった役割をもって、この世界に生まれてきた種族か…… 理解できた?」
「……………………」
「受け入れられないのね。 今すぐ理解を求めようとも思わない。 時間をかけて、貴女の中で消化するしか、方法はないわ」
「り、リーナ様! わたくしはッ!!」
「今は何も言わないで。 よく考えて。 貴女には、遣って貰いたい事があるの」
「…………な、なんなりと」
「皆が集まった後で、お願いするわ。 よろしくて?」
「はい……」
随分と憔悴しているわね。 よっぽど、ブラウニー達が怖かったのかしら? ある意味、妖精王達って容赦ないもの。 シュトカーナ様ですら、止めようもないほどね。 今度、お話してみよう。 あの子達も、きっと悪気があっての事じゃ…… ことじゃ…… ないよね?
泣きじゃくっている、" カル " 一族のお二人さんにも、一緒についてきてもらったの。 だって、彼女たちを放ってはおけないじゃないの。
エスタット司祭様には、辺境の薬師としての使命を全うしたってことで、ご納得して頂いたし、あとは、ちょっとしたお願いを聞いてもらうだけなの。 ええ、ちょっとした『お願』いをね。
聖堂で結界の強化に努めていらしたナジールさん達と、ピールさんも、来てもらったの。 大事なお話もあるし、必要な ” 運搬作業 ” も、” 魔力線の敷設 ” も、あるんだもの。 みんなに手伝って頂くの。
私ひとりじゃ、全部を熟すことなんて出来ないんだものね。
そう、だから、みんなで ” お話 を、するのよ。
頼りにしていますからね……
皆さんッ!
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