その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

文字の大きさ
上 下
611 / 714
薬師錬金術士の歩む道

北部辺境の安寧の為に (1)

しおりを挟む
 


 隣に滑るようにシルフィーがやってきたの。


 そういえば、エストはどうなったのかな? 問いかける視線を敏感に察知したシルフィーは、黒々とした笑みをその顔に浮かべていたの。 いやだわ、なにか怖い。 




「エストは…… 理解してくれましたか?」

「勿論に御座いましょう。 あちらに崩れ落ちております」




 視線をシルフィーが云う ” あちら ” に向けてみると、『魔法の杖』の前に膝を折ったまま、俯せに倒れこんでいるエストが見て取れたの。




「何が…… 起こったのかしら?」

「それは、アレにしか判らぬ事柄でしょう。 しかし、神聖な気配が杖の周辺に充満している処を鑑みると…… シュトカーナ様が、滾々と ” お話 ” をされたと、そう思えてなりません」

「そうね…… あの方から、ご提案も有り、お願いいたしましたし…… でも、エストも理解さえすれば、あそこまで衝撃を受けるような事は無いでしょうに」

「……魂の根本。 獣人族としての矜持。 なにより、森の民としての在り方を問われたのかもしれませんね。 そして、自身の受けた教えとの差に、困惑を通り越したと。 真理を見つめ、その大きさにおそおののいた。 と、云うところが妥当かもしれません」





 シルフィーの酷薄そうな笑みが、物語る言葉は……。



      ” 痴れ者が、シュトカーナ様に、潰されただけの事 ”





 あ、あのね、シルフィー。 エストは仲間よ? 大切な私の仲間。 そりゃ勘違いやら、いろいろと遣らかしてくれたけれども、すべては私を思っての事なのよ? だから……ね。 お願い。 そんな目で見ないで上げてほしいな。 侍女の仮面が剥がれ落ちたシルフィーが、私に言葉を紡ぐの。





「リーナは優しすぎる。 大きな『 使命 』を負った、リーナの道を遮るものに慈悲を与えすぎる」

「そうは云ってもね…… でも、彼女はこれで、理解したのよね」

「あぁ、” 理解 ” はした筈。  しかし、その後のアレ自身の心の持ち方は、未だ不明。 自分一人が、リーナを護っている等と、思い上がった事を考え続けている可能性も有る。 痴れ者が…… まだ、油断は禁物だ」

「『魔法の杖』の回収…… してきます。 その上で、彼女に問いたいわ」

「そうだな。 あのままでは、役にも立たない、ドブネズミだ。 リーナの好きにすればいいと……、思う」

「ありがとう、シルフィー」

「何がだ?」

「感情を押し止めてくれた事。 私と出会う前なら、きっと……」

「あぁ…… そう云う事か。 そうだな。 『疾風の影』の名を戴く私ならば、そうなっていても不思議ではないからな」

「だから…… ありがとう」

「…………そうか」




 シルフィーの顔の黒い笑みが影を潜める。 堪らない位の優しい笑顔を私に向けているわ。 貴女は、もう、暗殺者ギルドに飼われたネコじゃ無いもの。 貴女自身の信念と矜持を以て、私の傍にいてくれる、私の大切な仲間なんだものね。

 シルフィーの傍を離れ、エストに向かうの。 後ろにはラムソンさんがそっと付き従っていてくれる。 なにか…… なにか、不測の事態があれば、容赦なく彼の爪が振るわれる。 そんな感じがするの。 チリチリとした殺気が、ラムソンさんからも漏れ出しているんだものね。

 地面に突き刺した『 魔法の杖 』 に、手を掛ける。 途端に私の頭の中に流れ込む、シュトカーナ様の御声。




 《 リーナ、お帰りなさいっ! 》

 《 ホワテル達をお貸しくださって、本当にありがとうございました。 彼らがいなければ、捕縛は難しく、あのような奇跡の情景を見る事、叶いませんでした。 精霊様のお導きと、シュトカーナ様のご助力のおかげです 》

 《 いいのよぉ。 そんな事。 私は、私の為すべきを成しただけ。 感謝は、精霊様に…… でしたっけ? 》

 《 それに…… エストの件も…… 》

 《 あの頑固娘の事ね。 まぁ、面白かったわ。 長き年月を経て、世代を重ねた鼠人族の考え方がよく分かったから。 見ものだったわよ、妖精王と妖精女王の怒りは。 私の中に取り込んだ彼女は、相当怖い思いをしたかもね 》

 《シュトカーナ様がご自身で諭されたのではないのですか? 》

 《 最初はそのつもりだったのだけど、その前にブラウニーとレディッシュがねぇ…… ホワテル達を出しといて良かったって思ったわよ。 》

 《 それほど…… 『いにしえ』の約定が失われていたのですか? 》

 《 聖域でもそんなに高い地位は与えられていなかった、鼠人族の者達ですからね。 元来、【聖域の約定】には、重きを置きませんもの。 その上、森が焼かれてから、彼らにとっては長き時が経ちました。 教えも、約定も、何もかも、記憶の彼方に。 だからこそ、妖精王は激怒したと…… そう云う事です 》

 《 鼠人族の寿命は短い…… のでしたわね 》

 《 ええ、” 人族 ” の、三分の一ほどの寿命ですからね。 その分、多産と云う事もあるのでしょう。 エストで、森が焼かれてからすでに十代を重ねているわ。 だから、魂に刻み込まれた、記憶を引き出すのに少々手間取りました 》

 はぁぁぁ…… そうなんだ。 獣人族なら、みんな寿命は長いとか云うのは伝説でしかないものね。 長い寿命の種族も居れば、短い寿命の種族もいるしね。 鼠人族の寿命は短いわ。 だから、エストもああ見えて、鼠人族の間では、人生の中盤に差し掛かっているともいえるの。 頑固にもなるはずよね……

 《 シュトカーナ様。 杖を…… 》

 《 ええ、また、貴女の中に。 暫しゆるりとしたいわ。 特に妖精王、妖精女王には英気を養ってもらわないとね。 ホワテル達も存分に暴れたのでしょ? 暫しの休息…… が、必要ね 》

 《 はい、シュトカーナ様。 有難うございました 》





 感謝と共に『魔法の杖』を左手に格納するの。 私の背丈よりも長い杖は、左腕の中に埋没するように消えていったわ。 そして、見下ろせば蹲るエスト。 さて…… なんて、声を掛けてあげようかな? 逡巡する間に、私の足音を聞いたエストがゆっくりと、本当に緩慢に顔を上げる。

 顔に髪がかかり、赤い瞳が暗いの。 そして、私を見つめるその視線には、後悔と懺悔の光が浮かんでいたわ。




「リーナ様……」

「お疲れの様ね、エスト。 判りましたか? 私が何者で、何を成す者か」

「…………はい」

「それ以上に、貴女が何者で、どういった役割をもって、この世界に生まれてきた種族か…… 理解できた?」

「……………………」

「受け入れられないのね。 今すぐ理解を求めようとも思わない。 時間をかけて、貴女の中で消化するしか、方法はないわ」

「り、リーナ様! わたくしはッ!!」

「今は何も言わないで。 よく考えて。 貴女には、遣って貰いたい事があるの」

「…………な、なんなりと」

「皆が集まった後で、お願いするわ。 よろしくて?」

「はい……」





 随分と憔悴しているわね。 よっぽど、ブラウニー達が怖かったのかしら? ある意味、妖精王達って容赦ないもの。 シュトカーナ様ですら、止めようもないほどね。 今度、お話してみよう。 あの子達も、きっと悪気があっての事じゃ…… ことじゃ…… ないよね?

 泣きじゃくっている、" カル " 一族のお二人さんにも、一緒についてきてもらったの。 だって、彼女たちを放ってはおけないじゃないの。

 エスタット司祭様には、辺境の薬師としての使命を全うしたってことで、ご納得して頂いたし、あとは、ちょっとしたお願いを聞いてもらうだけなの。 ええ、ちょっとした『』いをね。


 聖堂で結界の強化に努めていらしたナジールさん達と、ピールさんも、来てもらったの。 大事なお話もあるし、必要な ” 運搬作業 ” も、” 魔力線の敷設 ” も、あるんだもの。 みんなに手伝って頂くの。 

私ひとりじゃ、全部を熟すことなんて出来ないんだものね。





 そう、だから、みんなで ”  を、するのよ。



 頼りにしていますからね……



 皆さんッ!








しおりを挟む
感想 1,880

あなたにおすすめの小説

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。