その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

文字の大きさ
上 下
590 / 714
断章 22

 閑話 賢女の一喝

しおりを挟む


 エドワルドが空間認識を失いかけた時、小さな光が見えた。 同時に螺旋階段も終わりを告げる。 明かりは丁度エドワルドの眼の高さに有る、細い隙間から洩れていた。

 顔を近づけ、光のある方に視線を向けると、そこには柔らかな魔法灯が灯されている部屋の様子が伺えた。 細い窓の向こうは夜空に掛かる星空がチラリと見える。 窓際に胸の前に手を組んだ一人の女性の姿があった。 柔らかな魔法灯の光が、彼女の姿を儚げに照らし出していた。


 ” ……ロマンスティカ ”


 エドワルドの声に成らない声が漏れる。 あまりにも憔悴しきった彼女の姿。 彼が知るロマンスティカとは、大きく違う。 今にも消え入りそうな雰囲気。 常に凛とした彼女からすると、今のロマンスティカはあまりにも……

 それに、彼女ほどの魔術士ならば、この隠し扉の後ろに居る自分を素早く察知し、此方に意識を向ける筈なのに、そんな素振りも見せないロマンスティカにエドワルドは不安を覚える。 素早くその部屋の中を確認し、彼女が一人きりで有る事を認めると、魔法術式が埋め込まれた壁に手を当て、自分の練った魔力を当てる。

 音も無く横にずれる、隠し扉。 本棚に偽装されている扉が開くと、部屋の中の光が一気にエドワルドを迎えるが如く溢れる。


 音を立てぬ様に、佇むロマンスティカの元に足を運ぶエドワルド。


 願い出て彼女の前に来たと云うのに、ロマンスティカに対して掛ける言葉を見失ってしまった。 それほどまでに、ロマンスティカの憔悴の色は濃い。 伏した目線は、遠く街並みを見詰め、組んだ手は小さく震えても居た。

 綺麗なアッシュブラウンの結い上げた髪は一部が解れ美麗な頬に掛かる。 彼の居る場所から見える、翡翠色の瞳は、光を失っていた。 



 ” それ程までに…… 貴女は薬師リーナの失踪に心を痛めているのですか…… ”



 心の内の声ならぬ声。 今の彼女に掛ける言葉を見いだせないエドワルドは、彼女を直視する事が出来ず、視線を泳がせてしまった。 その時、彼の眼に、部屋の片隅に置かれている茶器が映り込んだ。 彼女に手解きしてもらった茶の淹れ方。 今の自分にとって、何よりも大切にしている記憶でもあった。

 心を決め、歩を進め、茶器に向かう。 音も無く指導を受けた通りの方法で茶を淹れる。 白磁のカップ一杯の…… 自分の心を込めた一杯の茶。 茶葉を計り、湯を魔法で沸かし、注ぎ入れ、そして蒸らす。 ティーポットの中の様子は、彼女の指導もあり、見ずとも把握できるまでになっていた。

 ポットから白磁のカップに注ぎ入れる。 最後の一滴にまで心を込めて。 ソーサーに載せ、振り返る。 未だロマンスティカは窓の外を見詰めたまま。 ゆっくりと歩みを進め…… 彼女の元へ向かう。  ゆっくりと、驚かさぬ様に、彼女の心が壊れてしまわぬ様に、片眼鏡モノクルの奥の瞳に儚げな彼女をしっかりと捉えつつ……

 馥郁たる茶の香り。 心を込めた一杯の茶。 ゆっくりと差し出すと、エドワルドは声を紡ぐ。



「ロマンスティカ殿」



 ハッとし身体を震わせたロマンスティカ。 初めて室内に自分以外の人が居る事を認知したかの様な表情を浮かべ、振り返る。



「…………ノリステン子爵。 貴方でしたの…… ココに来られる方と云うのは……」

「はい。 不躾ながら、特別のご配慮を以て罷り越しました。 貴女の御心の乱れが大層酷いと聞き、居ても立ってもいられませんでした。 本来ならば、男子禁制となった王宮学習室に入室する事は叶いません。 しかし、どうしても、貴女の事が心配で……」

「……有難く存じます。 わたくし…… わたくし…… わたくしは、貴方に気に掛けて頂けるような者では御座いませんわ。 こんなにも罪深く、醜い心のわたくしですもの…… あんなに慕ってくれた人を死地に追いやる様な、性根の腐った様な女なのです」

「…………ロマンスティカ殿はそのような方ではありません。 薬師錬金術士リーナは、自ら北方へ旅立たれたのです。 それをお手伝いされたのが、貴女であった…… それだけです。 貴女が責めを負うべき事柄ではございますまい」

「いいえッ! いいえッ!! 違います! あの子に、西方「禁忌の森」への対処を頼んだのはわたくしッ! それが理由で、西方に行ったのです。 直接、北方に向かわずにッ!」

「ロマンスティカ殿……」




 何時になく感情を顕わにするロマンスティカにエドワルドは違和感を覚えずにはいられなかった。 差し出すティーカップは、小刻みに揺れる。




「ノリステン子爵。 わたくしは…… 暗渠に潜むニトルベインが一族の者。 必要とあらば肉親でさえ、切り捨て、捨て去り、罠に掛け、葬り去る様な家の女なのです。 ノリステン公爵家の方ならば、わたくしの出自はお知りになっておられるのでしょ? 生きる為には、感情の全てを切り捨てる必要があった、愛されない…… 不必要な子供だった事をッ!」




 揺らぐ感情に、ロマンスティカの体内魔力が暴れ始める。 美しいが、光の失っている翡翠色の瞳に狂気が躍る。 ほつれたアッシュブラウンの髪が逆立ち、魔力が漏れ出てくる。 震える肩、力が入り真っ白になる組んだ手。 エドワルドにも判る、非常に危険な状態に陥りつつあるロマンスティカ。 彼の脳裏に浮かび上がる一つの事象。

 ――― 魔力暴走 ―――

 彼女ほどの体内魔力を持つ魔術士が魔力暴走を起こしてしまうと、それこそ王城が半壊する程の規模の爆発になる。


 ” いけないッ! ここままでは、彼女が失われてしまうッ!! ”


 咄嗟にエドワルドは、手にしたカップを取り落し、自身の両腕で彼女を抱きしめる。 止めなければならないと云う思いと、もう一つ、心の奥底にある想いが有る事に気が付く。


 ” 止められぬならば…… このまま、彼女を失うのならば…… いっそ、私も一緒に…… ”


 囁く様にエドワルドはロマンスティカの耳元で告げる。




「たとえ、貴女が暗渠の中にいらっしゃっても…… 貴女は暗渠の中で一筋の光の中に咲く、一輪のロータス。 住まう場所が、どんなに汚濁が酷かろうと、貴女は崇高で矜持高い方なのです。 私の様な暗渠の最下層に棲む、汚濁塗れの者にとってどんなに眩しく感じられるかッ! だから、私は貴女を手放したというのにッ! ご自身をそこまで責めらるなんてッ! ならば、私が共に有りましょう!! ええ、貴女の汚濁や後悔や悔恨を全て引き受けましょうッ! それでもダメならば…… 貴女と共にこの世界から去りましょうッ!」

「なッ! なにをっ!!」




 抱きしめられたロマンスティカは驚愕に目を見開く。 悔恨の感情がノリステンの言葉で激しく揺らぐ。 さながら、嵐に揉まれた小舟がレヴァイアサンに襲われた様に。 感情の制御が困難なほど彼女は混乱して行った。



「あ、貴方は私をいとうたのではないのですかッ! 婚約を解消して欲しいと、お爺様に…… 大公閣下に直言したと聞きましたッ! それ程までに、汚濁に満ちた私をいとうたのではッ!!」

「違います。 ロマンスティカ殿…… いえ、ロマンスティカ。 私は、私が棲場所に、貴方を誘いたくは無かった。 我が家、ノリステン大公家の本来の仕事を成すには、私は妻帯すべきでは無いのです。 しかし…… しかし、この想いは止められませんでした。 ティカ…… 貴女の全てを知った上でお伝えしたい」

「な、なんですのッ!」

「貴女を愛しております。 貴女を失うなら…… この世界など…… ファンダリアの未来など…… 私にとっては無意味。 貴女の幸せが、私の幸せなのです」





 エドワルドの真摯な言葉にロマンスティカは言葉が無かった。 冷たく凍り付いていたロマンスティカの心の中に、たしかに小さな温もりが落ちた。 そして、その温もりは、凍え切った彼女の心を溶かし始める。 幾度も幾度も繰り返した世界の中で…… 初めて生まれた感情に、ロマンスティカは戸惑い、混乱し、困惑した。

 故に、感情の制御はこれで、さらに難しくなる。 

 暴れまわる、体内魔力。 発散さる「光」の波動。

 もう、限界だった…… 押さえつける物が崩れ…… 膨大な魔力が解き放たれようとした。 爆発的な「光」の魔力の奔流が引き起こされ…… その中でエドワルドの微笑みだけを、ロマンスティカの翡翠色の瞳が捉えていた。


 ――― ごめんなさい…… エドワルド ――――


 零れ落ちる、彼女の懺悔の言葉。 抱きしめたまま頷くエドワルド。 そして、爆発光は広がり……




































「この、馬鹿弟子がぁぁぁ!!!  精霊契約が元、我、ミルラスが『光の精霊』グローリアスに嘆願す! 緊急展開! 【魔力吸引マジックドレイン】ッ!! 指向、天空ッ! 余剰魔力拡散! 光あれ! 受け流せ! この世にティカを止めん!!」








しおりを挟む
感想 1,880

あなたにおすすめの小説

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。