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断章 22
閑話 賢女の一喝
しおりを挟むエドワルドが空間認識を失いかけた時、小さな光が見えた。 同時に螺旋階段も終わりを告げる。 明かりは丁度エドワルドの眼の高さに有る、細い隙間から洩れていた。
顔を近づけ、光のある方に視線を向けると、そこには柔らかな魔法灯が灯されている部屋の様子が伺えた。 細い窓の向こうは夜空に掛かる星空がチラリと見える。 窓際に胸の前に手を組んだ一人の女性の姿があった。 柔らかな魔法灯の光が、彼女の姿を儚げに照らし出していた。
” ……ロマンスティカ ”
エドワルドの声に成らない声が漏れる。 あまりにも憔悴しきった彼女の姿。 彼が知るロマンスティカとは、大きく違う。 今にも消え入りそうな雰囲気。 常に凛とした彼女からすると、今のロマンスティカはあまりにも……
それに、彼女ほどの魔術士ならば、この隠し扉の後ろに居る自分を素早く察知し、此方に意識を向ける筈なのに、そんな素振りも見せないロマンスティカにエドワルドは不安を覚える。 素早くその部屋の中を確認し、彼女が一人きりで有る事を認めると、魔法術式が埋め込まれた壁に手を当て、自分の練った魔力を当てる。
音も無く横にずれる、隠し扉。 本棚に偽装されている扉が開くと、部屋の中の光が一気にエドワルドを迎えるが如く溢れる。
音を立てぬ様に、佇むロマンスティカの元に足を運ぶエドワルド。
願い出て彼女の前に来たと云うのに、ロマンスティカに対して掛ける言葉を見失ってしまった。 それほどまでに、ロマンスティカの憔悴の色は濃い。 伏した目線は、遠く街並みを見詰め、組んだ手は小さく震えても居た。
綺麗なアッシュブラウンの結い上げた髪は一部が解れ美麗な頬に掛かる。 彼の居る場所から見える、翡翠色の瞳は、光を失っていた。
” それ程までに…… 貴女は薬師リーナの失踪に心を痛めているのですか…… ”
心の内の声ならぬ声。 今の彼女に掛ける言葉を見いだせないエドワルドは、彼女を直視する事が出来ず、視線を泳がせてしまった。 その時、彼の眼に、部屋の片隅に置かれている茶器が映り込んだ。 彼女に手解きしてもらった茶の淹れ方。 今の自分にとって、何よりも大切にしている記憶でもあった。
心を決め、歩を進め、茶器に向かう。 音も無く指導を受けた通りの方法で茶を淹れる。 白磁のカップ一杯の…… 自分の心を込めた一杯の茶。 茶葉を計り、湯を魔法で沸かし、注ぎ入れ、そして蒸らす。 ティーポットの中の様子は、彼女の指導もあり、見ずとも把握できるまでになっていた。
ポットから白磁のカップに注ぎ入れる。 最後の一滴にまで心を込めて。 ソーサーに載せ、振り返る。 未だロマンスティカは窓の外を見詰めたまま。 ゆっくりと歩みを進め…… 彼女の元へ向かう。 ゆっくりと、驚かさぬ様に、彼女の心が壊れてしまわぬ様に、片眼鏡の奥の瞳に儚げな彼女をしっかりと捉えつつ……
馥郁たる茶の香り。 心を込めた一杯の茶。 ゆっくりと差し出すと、エドワルドは声を紡ぐ。
「ロマンスティカ殿」
ハッとし身体を震わせたロマンスティカ。 初めて室内に自分以外の人が居る事を認知したかの様な表情を浮かべ、振り返る。
「…………ノリステン子爵。 貴方でしたの…… ココに来られる方と云うのは……」
「はい。 不躾ながら、特別のご配慮を以て罷り越しました。 貴女の御心の乱れが大層酷いと聞き、居ても立ってもいられませんでした。 本来ならば、男子禁制となった王宮学習室に入室する事は叶いません。 しかし、どうしても、貴女の事が心配で……」
「……有難く存じます。 わたくし…… わたくし…… わたくしは、貴方に気に掛けて頂けるような者では御座いませんわ。 こんなにも罪深く、醜い心のわたくしですもの…… あんなに慕ってくれた人を死地に追いやる様な、性根の腐った様な女なのです」
「…………ロマンスティカ殿はそのような方ではありません。 薬師錬金術士リーナは、自ら北方へ旅立たれたのです。 それをお手伝いされたのが、貴女であった…… それだけです。 貴女が責めを負うべき事柄ではございますまい」
「いいえッ! いいえッ!! 違います! あの子に、西方「禁忌の森」への対処を頼んだのはわたくしッ! それが理由で、西方に行ったのです。 直接、北方に向かわずにッ!」
「ロマンスティカ殿……」
何時になく感情を顕わにするロマンスティカにエドワルドは違和感を覚えずにはいられなかった。 差し出すティーカップは、小刻みに揺れる。
「ノリステン子爵。 わたくしは…… 暗渠に潜むニトルベインが一族の者。 必要とあらば肉親でさえ、切り捨て、捨て去り、罠に掛け、葬り去る様な家の女なのです。 ノリステン公爵家の方ならば、わたくしの出自はお知りになっておられるのでしょ? 生きる為には、感情の全てを切り捨てる必要があった、愛されない…… 不必要な子供だった事をッ!」
揺らぐ感情に、ロマンスティカの体内魔力が暴れ始める。 美しいが、光の失っている翡翠色の瞳に狂気が躍る。 ほつれたアッシュブラウンの髪が逆立ち、魔力が漏れ出てくる。 震える肩、力が入り真っ白になる組んだ手。 エドワルドにも判る、非常に危険な状態に陥りつつあるロマンスティカ。 彼の脳裏に浮かび上がる一つの事象。
――― 魔力暴走 ―――
彼女ほどの体内魔力を持つ魔術士が魔力暴走を起こしてしまうと、それこそ王城が半壊する程の規模の爆発になる。
” いけないッ! ここままでは、彼女が失われてしまうッ!! ”
咄嗟にエドワルドは、手にしたカップを取り落し、自身の両腕で彼女を抱きしめる。 止めなければならないと云う思いと、もう一つ、心の奥底にある想いが有る事に気が付く。
” 止められぬならば…… このまま、彼女を失うのならば…… いっそ、私も一緒に…… ”
囁く様にエドワルドはロマンスティカの耳元で告げる。
「たとえ、貴女が暗渠の中にいらっしゃっても…… 貴女は暗渠の中で一筋の光の中に咲く、一輪のロータス。 住まう場所が、どんなに汚濁が酷かろうと、貴女は崇高で矜持高い方なのです。 私の様な暗渠の最下層に棲む、汚濁塗れの者にとってどんなに眩しく感じられるかッ! だから、私は貴女を手放したというのにッ! ご自身をそこまで責めらるなんてッ! ならば、私が共に有りましょう!! ええ、貴女の汚濁や後悔や悔恨を全て引き受けましょうッ! それでもダメならば…… 貴女と共にこの世界から去りましょうッ!」
「なッ! なにをっ!!」
抱きしめられたロマンスティカは驚愕に目を見開く。 悔恨の感情がノリステンの言葉で激しく揺らぐ。 さながら、嵐に揉まれた小舟がレヴァイアサンに襲われた様に。 感情の制御が困難なほど彼女は混乱して行った。
「あ、貴方は私を厭うたのではないのですかッ! 婚約を解消して欲しいと、お爺様に…… 大公閣下に直言したと聞きましたッ! それ程までに、汚濁に満ちた私を厭うたのではッ!!」
「違います。 ロマンスティカ殿…… いえ、ロマンスティカ。 私は、私が棲場所に、貴方を誘いたくは無かった。 我が家、ノリステン大公家の本来の仕事を成すには、私は妻帯すべきでは無いのです。 しかし…… しかし、この想いは止められませんでした。 ティカ…… 貴女の全てを知った上でお伝えしたい」
「な、なんですのッ!」
「貴女を愛しております。 貴女を失うなら…… この世界など…… ファンダリアの未来など…… 私にとっては無意味。 貴女の幸せが、私の幸せなのです」
エドワルドの真摯な言葉にロマンスティカは言葉が無かった。 冷たく凍り付いていたロマンスティカの心の中に、たしかに小さな温もりが落ちた。 そして、その温もりは、凍え切った彼女の心を溶かし始める。 幾度も幾度も繰り返した世界の中で…… 初めて生まれた感情に、ロマンスティカは戸惑い、混乱し、困惑した。
故に、感情の制御はこれで、さらに難しくなる。
暴れまわる、体内魔力。 発散さる「光」の波動。
もう、限界だった…… 押さえつける物が崩れ…… 膨大な魔力が解き放たれようとした。 爆発的な「光」の魔力の奔流が引き起こされ…… その中でエドワルドの微笑みだけを、ロマンスティカの翡翠色の瞳が捉えていた。
――― ごめんなさい…… エドワルド ――――
零れ落ちる、彼女の懺悔の言葉。 抱きしめたまま頷くエドワルド。 そして、爆発光は広がり……
「この、馬鹿弟子がぁぁぁ!!! 精霊契約が元、我、ミルラスが『光の精霊』グローリアスに嘆願す! 緊急展開! 【魔力吸引】ッ!! 指向、天空ッ! 余剰魔力拡散! 光あれ! 受け流せ! この世にティカを止めん!!」
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