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断章 22
閑話 王宮学習室
しおりを挟むお茶の用意がされている、王宮学習室の一室。
人払いがされているその部屋の中には、二人の女性がソファーに並んで座っている。
一人は、王太子妃と成る事を約束されている女性。
もう一人は、その彼女を護衛する、王宮魔導院 特務局の、事実上の指揮官。
今は、立場が逆転しているようにも見受けられた。 側付きが誰もいないが、十分に警護されている部屋に二人きり。 憔悴の色が濃い、王宮魔導院の装束を纏っている女性に、王太子妃と成る事を約束された女性が痛ましそうに見つめていた。
「ロマンスティカ様。 いえ、今はティカと呼ばせていただくわ」
「ええ、なんでしょう、アンネテーナ様」
「この部屋では、愛称で呼んで欲しいの、ティカ」
「…………アンネテーナ…………」
「誰もいませんわ。 遠ざけております。 文句を言う人もいません」
「…………アンネ…………」
「ティカ、今の貴女は見て居られない程よ? 心の内に、とても大きな事を抱えているとしか、思えませんわ。 ウーノル王太子殿下も、相当にお気に成されておられます。 ……わたくしに、貴女の御心の内を 『 お話 』 頂けませんか?」
「…………」
悄然と項垂れてるロマンスティカ。 時折、顔を上げ唇を震わせるも、やはり項垂れてしまう。 そんな様子に、アンネテーナは、小さく溜息をつく。 既に、一月以上、こんな状態に成っていた。 誰もが ” まさか ” と、そう思うような変貌でもあった。
常に凛とし、何事が有っても動揺を見せなかったロマンスティカの情緒が不安定になったのは、一通の報告書が彼女の元に届いてからだった。
その報告書 曰く―――
” 薬師錬金術師リーナ ク・ラーシキンの街から失踪す ”
^^^^^
ファンダリア王国 西部辺境域、北西部最大の街である、ク・ラーシキンの街で『 聖女降臨 』 が報告されたとの同時にもたらされた情報だった。 彼の地にて、魔力爆発が観測されたと云う情報から始まる一連の騒動。 まずは、その魔力爆発により、長距離魔法通信は元より、長距離ハト便ですら使用不能に陥った。
『 聖 』 属性の魔法の暴走故、空間魔力の擾乱が爆発的に拡大し、現在でも十分に通信手段は回復していない。
そんな中、逐次もたらされる、彼の地の状況。 人で、馬で、繋ぎ繋ぎ…… 遥か西方辺境域からもたらされる情報は、ファンダリア本領の者達にとっては、驚愕の連続であった。
それ程の魔力爆発にも関わらず、ク・ラーシキンの街への被害は僅少。 唯一、彼の地の シャオーラン小聖堂の一部の屋根が吹き飛んだくらいが、被害らしい被害で有った。
――― しかし、爆発した魔力が 『 聖 』 属性の魔力。
続報に於いて、報告される 『 聖女降臨 』 さらに、聖女と目されている女性が、ファンダリア本領たる、王都聖堂教会への行幸を拒否し、西方辺境域に留まるとの宣言。
最初は、それらの断片的情報で、王城コンクエストムの事情を知る者達が考えたのが……
” 薬師錬金術師リーナが、ついに 『 聖女 』に目覚めたのか ”
であった。 しかし、ロマンスティカだけは違った。 それらの声を頭から否定した。
『リーナは、『闇』属性の魔力の持ち主です。 『聖』属性の魔力は、『光』属性よりも強く、『闇』属性の魔力を浸食します。 同時に存在する事は、不可能なのです。 相対消滅を起し、彼女は霧散してしまう。 もし、魔力爆発の中心に彼女が居たならば、それは取りも直さず、彼女の消滅と…… 言えるのです』
王宮魔導院、特務局の実質的指揮官である、高位魔術士としてのそう云わねばならなかったティカ。 事情を知る者達は息を飲み…… さらなる続報を待つことに成る。
次々と送られてくる続報に、憂慮の視線が向かう。
『聖女』が「身体大変容」を、起しかけていた事。
シャオーラン小聖堂の司教が、薬師錬金術師リーナに助命を懇願した事。
彼女が受け入れ、聖女の身の内から、「異界の魔力」を浄化した事。
錯乱していた『 聖女 』が、薬師錬金術師リーナを異界の魔物として誤認した事。
それゆえ、自身の魔力回復回路を暴走させ、魔力爆発により、自身諸共に異界の魔物を滅しようとした事。
大規模な魔法が使用され、魔力爆発で発生した膨大な魔力が、ことごとく上空に打ち上げられた事。
――― そして、魔力爆発の中心に薬師錬金術師リーナが居た事。
その直後、彼女の姿は確認されているが、自身で立つ事も叶わず、第四〇〇特務隊の者達により、何処かへと運ばれ消息を絶ってしまった事。 小聖堂の司教はもとより、ク・ラーシキンの街の者達、領主、領軍、更には、第二軍の将兵の必死の捜索にも関わらず、彼女の足取りは掴めなかった。
第四〇〇特務隊が、ク・ラーシキンの街から消えた事も又……
残されたのは、シャオーラン小聖堂のルボンテイゲス司教への手紙が一通。
” 第四〇〇特務隊は、薬師錬金術師リーナが意思の元、西方辺境域の安寧を守護する作戦を現時点を以て開始する。 我らからの連絡の必要性は認めない。 本作戦は、辺境域と「禁忌の森」の、安寧を図る為 企画された。 危険区域に進出し対処を成す。 彼の地は甚だ不安定と鑑みる。 以て、我らを追う事なかれ。 西方諸兄に於いては、その身の安全を確保されたし。 第四〇〇特務隊は、王宮魔導院、特務局 魔術士ティカ殿の御下命、果たすべし ”
断固とした決意を表明する文書。 文書にある ” 意思 ” が、” 遺志 ” にも読み取れるような、たった一通の手紙。 文字は流麗ではあるが、決して薬師錬金術師リーナの物では無かった事が…… 事情を知る者達の心を重くしていた。
王都に送られ、手紙に唯一書かれた名前がある、ロマンスティカに手渡された手紙。 文面を幾度も幾度も読み…… わなわなと震えだす彼女。 悲痛な叫び声と共に崩れ落ち…… そして、錯乱状態に陥った。
慌てたのは、なにも王宮魔導院だけではない。 ” 例の件 ” に於いて、重要な役割を担う筈であったロマンスティカの人事不詳を受け、王太子府、宰相府、執政府、そして、軍務関連の部署までもが、混乱に陥った。
王宮薬師院からも、上級薬師が呼ばれ治療に当たるも、心の安定は取り戻せず……
現状、ロマンスティカは、王宮学習室に収容され、心を落ち着かせる事を第一に治療されていた。 困ったことに、ロマンスティカが辛うじて心の平安を保てるのが、王太子妃と成るべく教育を受け続けているアンネテーナと一緒に居る時のみであったからだ。 その事実による、緊急避難的処置がウーノル王太子により、『発令』されたのだった。
他の者…… 彼女の生家である、ニトルベイン大公家の者達ですら近寄るだけで、感情の起伏が激しくなる。 彼女が制御している全ての ” 魔法 ” が揺らぐ。 危険な状態であった。 当代老公を以てしても、彼女の心はその制御を失ってしまう。
それゆえ、ウーノル王太子が命令で、ロマンスティカはアンネテーナと共に王宮学習室にて、快癒を待つことと成った。
^^^^^
「御心、優れませんね、ティカは」
「えぇ…… そうですね。 もう…… わたくしは…… 御役に立てないかも……」
「駄目ですよ。 そんな事を言っては。 リーナとも約束したのでしょ? また、一緒にお茶をしましょうって」
「…………それも、叶わぬ夢に終わりました。 どう考えても…… どんなに彼女が優秀な薬師錬金術師であろうと、魔力の相対消滅に対処する事は叶いません。 「光」属性の魔力ならば、まだしも…… 「聖」属性の魔力なんて…… 彼女の体内魔力はもとより…… その身体すら……失ってしまうのです。 観測された『聖』属性の魔力はそれほどのモノなのです」
「薬師錬金術師リーナならば、彼女ならば、道を見つけているのでは? ティカだって高く評価していたじゃない」
「…………限界が…… あるのですよ、アンネ。 『人』としての限界が…… 魔法を深く学べば学ぶほど…… その限界は自ずと理解できます。 西方から、連絡が来る度…… 状況はどんどんと悪くなるばかりでした。 そして、そんな場所に…… 送り出したのは、わたくしに他なりません。 彼女を失ったのは、全てわたくしの責任なのです…… まるで ” 贄 ” に差し出したようで…… また…… また、わたくしは……」
ロマンスティカの深い悔恨は、彼女の心だけでなく身体も蝕む。 口にする食べ物がめっきりと減り、著しく体力を減衰している。 豊かな髪も艶を失い、皮膚の張りすら失いかけていた。 痛々しくその様子を見ていたアンネテーナ。
そんな彼女は、小箱に入った小さな瓶を取り出して、ロマンスティカの前に置く。
「ティカ…… なにか食べないと。 薬師院からポーションも貰っているでしょ?」
「……どうにも」
「なら、わたくしの取って置きを貴女に差し上げるわ。 銀の匙一杯だけよ? もう、あまり残っていないの。 本当に、本当に、わたくしの大切な物をね。 ……あのね、聞いてティカ」
「なんでしょう?」
「わたしも、貴女同様にこの上も無い喪失感に囚われた事が有るのですよ。 南方辺境域に於いて、光芒の中に消えたわたくしの姉妹の事は…… ご存じよね?」
「えっ? えぇ…… まぁ…… エ、エスカリーナ様の事に御座いますわよね?」
「そう…… お父様を含め、幾人かの人は、まだ諦めてはおられません。 でもね…… わたくしは…… だけど、わたくしには他の家族の者よりも、エスカリーナとは近しかったの。 ええ、ミレニアム兄様よりも、お父様やお母さまよりも……ね。 エスカリーナとの思い出は、わたくしの宝物。 そして、彼女が残してくれたモノが、ここにあります。 私だけの宝物として…… ずっと、大事にしてきました。 でも、喪失感に打ちひしがれているティカを見て居られないの。 だから、少しだけど……」
小瓶の蓋を開け、中に銀の匙を入れ、掻き出す様に一掬いするアンネテーナ。 大事そうに、それをそっと、ロマンスティカに差し出す。 瞳に映し出されるロマンスティカの表情が変わる。 常時【鑑定魔法】が展開されている、彼女の目には、誰が錬成したか、それが、どんな成分を含んでいるのかが映し出されている。
「こ、これは…… エスカリーナ様の御手による、シロップ…… 「水飴」と称されていた……」
「ええ、そうよ。 姉妹が、私の為に錬成してくれた最後の一瓶。 もう、これだけしか残っていないのだけど、ティカ、差し上げるわ」
「アンネ…… そのような大切なモノを…… わたくしに?」
「姉妹との思い出は大切。 でも、” 今 ” 必要なのは、貴女の心を取り戻す事。 エスカリーナは願っていたもの…… この国の平和と人々の安寧を…… ティカはその道行きに、無くてはならない人なのよ。 だから、貴女に…… このシロップに練り込まれた、” 姉妹の想い ” を、受け継いで欲しいの。 よろしくて?」
「アンネ…… 頂きます」
アンネテーナの手から、銀の匙を受け取り口に運ぶ。 ロマンスティカの口に広がる爽快感と柔らかな甘味。 ティカの瞳に涙が浮かび上がり、頬に零れ落ちる。
「美味しいです…… アンネ…… 美味しいですね」
「ええ、エスカリーナの愛情がたっぷりと詰まっているのだもの」
ティカの身体がふらりと揺れる。 彼女の肩を抱きしめるアンネテーナ。 彼女の流した涙の意味は、アンネテーナには伺い知れない。 でも…… 少しは落ち着けたかなと、感じていた。
ティカの涙……
彼女の心の中に渦巻く想い……
” リーナ…… エスカリーナ。 私の姉妹…… 貴女…… こんなにも優しく…… こんなにも深く…… 皆の心の中に棲み付いていたのですね…… そんな貴女を…… わたくしは…… ごめんなさい…… 本当に…… ごめんなさい…… ”
アンネテーナの肩を借りてしまうロマンスティカ。 嗚咽が零れる。 それは、やがて号泣に変わる…… アンネテーナは優しくロマンスティカの背を撫でる。 慰撫するがごとく、宥めるがごとく。
” ……沢山、お泣きなさい、ティカ。 声が枯れる程、全てを押し流す程に…… 且つてのわたくしがそうであった様に…… そして、立ち向かうの。 自分が何者で、何を成さねば成らないかを…… 思い出して…… 御願い。 貴方は…… この国を…… ファンダリアを光に導く…… ニトルベインの魔女なのだから…… ね ”
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