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断章 22
閑話 宰相府 第四執務室 暗渠の住人達
しおりを挟む――― ファンダリア王国 王城コンクエストム 第三層 宰相府 第四執務室。
ガングータス国王陛下の「北伐の親征」が発令されたファンダリア王国に於いて、宰相府は多忙を極めていた。 単に『親征』の準備であれば、多忙ではあるが、それなりの人員をもってすれば、通常業務の延長として事にあたる事が出来た。
しかし、この度の『 親征 』は違った。
――― 大きく違がった。
様々な策謀が、今回の『 親征 』に於いて、張り巡らされた。 その最大にしてファンダリア王国の未来を掛けた ” 事 ” が、宰相府の漢達に無理を強いている。
表立っては決して動けない。 そして、その ” 事 ” を成さねば、ファンダリア王国の未来は潰えてしまう事を理解するモノ達にとっては、成就させる事が必至の策謀でもあった。
王太子 ウーノル=ランドルフ=ファンダリアーナ が、下した決断。
決して国王陛下と、その側近たちに漏れる事は許されない思惑。 知る者が限られた中で進められる策謀。
表の組織は動けない。 つまり、策謀の多くを担うのは、裏の組織。 国務を司るニトルベイン大公は、宰相ノリステン公爵と図り、国務寮の闇の手である、『 月夜の瞳 』 を動員して事に当たっている。 ウーノル殿下の侍従長である、カービン=ビッテンフェルト宮廷伯が元、策謀は『王家の見えざる手』の者達により、取りまとめられ、実行に移されている。
――― 実務を熟すのは、『 月夜の瞳 』
現在『 月夜の瞳 』は、王国の公務に奉職していない ” シーモア子爵 ” が、差配していた。 彼の動きは闇の中に沈み、静かにそして確かに蠢動している。 子爵からの『行動』、『情報』は宰相府に報告され、情報分析官に送られる。 正確な状況分析が何よりも必要な現在。 宰相府 情報局は普段の業務を隠れ蓑に、” 事 ” を成すために多忙を極めている。
その一翼を担うのが、第四執務室。
表に出ない、暗闇の状況を手探りで把握しなくては成らない職務でもあった。
^^^^^
第四執務室の住人である、年若き特務行政官は苦悩に表情をゆがめる。 最近かけ始めた片眼鏡の汚れが、気になって仕方ない。 ポケットからチーフを取り出し、金縁のそれを拭く事が手癖の様に成り果ててしまっていた。
――― そして、その間。
彼の思考は全力で回り、状況を整理し、ウーノル王太子殿下に報告すべき内容を吟味している。 宰相である彼の父親や、内務大臣である、偉大な老公とは違い、考えて居る内容は別として、相手を韜晦するような表情は浮かべない。
常に冷徹な表情を浮かべ、周囲に冷気を感じさせるような雰囲気を纏う。
――― 屈託のない表情豊かだった少年は、もう片鱗すら無くなってしまった。
無理もない。 第四執務室の住人は、このファンダリア王国の暗渠たる、日の光差さぬ暗闇の中、のたうち回る事を強要される者に他ならないからだった。 人の昏い側面しか、彼の目の前には存在しない。
――― 酷い匂いの『秘密』を嗅ぎ出す嗅覚。
――― 目も覆いたくなるような『現実』を見詰める視覚。
――― 悪意と憎悪と妬み嫉みの塊のような『噂話』の中から『真実』を聞き取る聴覚。
要求される能力は、人の良い部分を根こそぎ削ぎ落した者にしか体得する事は難しい事柄。
覚悟を以て、この職に奉職した彼にとっても、精神的に多大な負担を強いる『現実』が、そこにあった。 この部屋の中にしか存在しない、巨大な相関関係図がある。 その図が、彼の負担の原因でもあった。
^^^^^
やりきれない想いを抱えつつも、一旦状況分析を横に置き、手にした片眼鏡を掛け直すと、執務室の傍らに置かれた茶器に手を伸ばす。
且つて、仄かな想いを抱いた者から ” 手解き ” を受けた 『茶の入れ方』。
今は、この技術だけが彼女と彼を結ぶ細く頼りない交感の証であった。 たわいない話題と共に、手解きを受けた時間は、今になって思えば、それこそ 『 宝石 』 のような貴重な時間であったと…… そう、彼は思う。
カップに注がれる、香り豊かな茶を見詰めつつ…… 思い出す彼女の薄っすらと浮かんだ笑顔。 カップの中に仄かに浮かぶ、その表情。 最後の一滴が落ち、波紋がカップの中に広がる。 同時に幻は霧散する。
「お悩みか?」
「……クラークス卿」
まるで闇から生まれた様に、滲む存在が彼の前に現れる。 宰相府 情報局 筆頭情報分析官 ジンラーデン=クラークス伯爵の姿がそこにあった。 彼の前に姿を現す時、それも、この第四執務室の中で、彼が一人で職務を遂行している時に限って言えば……
狡猾で凶悪な表情を浮かべる老人として現れる。
その得体のしれぬ、老人を前にしても彼は、普段の冷淡な表情を崩すことも無く、立ち上がる。 手に茶器を持ち、新たに茶を淹れる。 暫時の沈黙。
「王城内のドブネズミ共の排除は」
「既に八割方。 うるさい物に関しては、別の手を弄して、” 北伐 ” の人員に組み入れました」
「メス鼠は」
「檻に入れ、監視中に。 屋敷の者に、手を配し動向を制限しております」
「……排除はせぬのか?」
「子を孕む事は、男には出来ぬ事。 次代…… さらに、その先の世代を潰すわけには行きませぬ故」
「為人は度外視か。 必要なのは腹だけか」
「……有体に言えば、そうなります。 しかし、状況に流されやすいのも事実で御座いましょう。 よほどの事が無ければ、排除したくはありません」
「メス鼠の毒は強烈ぞ?」
「毒消しは、潜ませております」
「……魔法や毒、入手経路に気を付けられよ」
「御意に」
蒸らされた茶。 カップに注ぎ入れる彼。 最後の一滴を注ぎ入れた後、ワゴンの下に於いてある、強い酒精のボトルを取り出す。 ラベルは掠れてもう判読もつかない。 封を解き、芳醇な香りのする琥珀色のそれを、カップに注ぐ。
カップを差し出されたクラークス伯爵は、芳醇な香りを堪能しつつ、目を細める。
「ほう…… これはまた」
「アラバスタール 40年 クラークス卿の秘蔵とまでは行きませんが、親父殿の酒蔵の封印棚に在りました故」
「ノリステン公はご存じか?」
「さぁ? 滅多に開けぬ棚故、保管されているモノに関して、何処までご存じか知り得ません。 いまだ、何も言ってこないところとみると、黙認されたか、もしくは、忙しくそれどころでは無いか…… どちらにしても、酒は飲むべきものであり、飾るものでは御座いますまい」
「…………豪胆なのか、馬鹿なのか。 エドワルド坊ちゃんは、無茶がお好きと見える」
「爺には、旨い茶を…… 飲んでもらいたいからね。 それが、『礼節』と云うものだと思うのですよ」
「……で、何をお知りに成りたい? なにか欲しいものでも、お在りか?」
エドワルドはその冷淡とも云える顔に、僅かな憂いの表情が浮かび上がる。 何かを掴み、そして、何かを想う漢の顔があった。
「卿の伝手で、王宮学習室に入る許可証を頂きたく……」
「そうか…… ウーノル殿下により、『男子禁制』とされた、あの部屋に入りたいと、そう仰られるか」
「はい」
「父君や…… ニトルベイン老公に何故頼まぬ」
「老公自身も排除されているのだそうです。 単なる一介の子爵が願いなど、とても、とても…… 反対にどやし付けられてしまいましょう」
「……御心がまだお在りか?」
なんの為の王宮学習室への入室許可証かは、二人の間では言及する必要も無い。 人の心の暗渠の中をその住みかとする二人にとっては、王城コンクエストム内の状況は掌を差すのと同じ。 そして、王宮学習室にて療養中の人物の噂話は、深い深い場所でしか語られなかったが、それすら彼らにとっては、秘密でもなんでもなく……
エドワルドの表情が苦悶に歪む。
「ロマンスティカ殿が御心を乱されておられる。 『例の件』に於ける彼女の『役割』はとても重要なのです。 しかし、未だ魔法の行使すら不安定なご様子。 魔導院も薬師院も手が出せぬ程だとか。 お身体の変調すら…… 原因は御心の中の何か…… 推測は付きます。 少しでも…… 御力に成れるのであれば、汚濁に沈みし私でも、なにかのお役に立てるのであれば…… そう思いました」
「ご婚約を解消され、汚濁に沈む覚悟を決められたのは、坊ちゃんです。 一人の友人としてでは無く、この執務室の主としてのご配慮か?」
「その側面は大いにあります。 あるのですが…… どうにも…… 心が痛いのです。 筆頭情報分析官殿への内々のお願い…… だけでなく、エドワルドの爺にも頼みたく…… 存じます」
「はぁ…… そうか、そうか…… まだ、柔らかな心は在るのだな。 坊ちゃん…… 情報分析官としては、反対致したい。 あの方への対処は、各部署の者達が懸命に努力している。 そこに子爵が首を突っ込んで、更に悪化する可能性すら予見される。 が、大切なノリステン公の坊ちゃんの願いならば、爺としては手助けしてやりたくも在る。 何とも難しい判断を迫りますな」
「済まない。 出来ぬとあれば、諦めるしか無いが…… 私が心配していると、伝えて頂くだけでも…… 無理な願いか?」
「今は、何とも。 少々時間を。 各所に諮り、判断を致しますでな」
「済まない」
「ノリステン公爵家の秘蔵のボトル。 アラバスタール 40年の香りは、何時まで経っても、策謀の香が致しますな。 はっはっ、坊ちゃんは、まさしくノリステンが漢ですな。 爺は嬉しく思いますぞ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるクラークス伯爵。 自分の職務には誇りをもっている。 しかし、その職務は、非道で非情。 何人もの漢達が、心を病み、そして、闇に消えて行った。 心が硬く硬直していく日々、どこかに柔らかな部分を残して居なければとても耐えらるようなモノではない。
クラークス伯爵の心の柔らかな部分は、目の前に居る若者。 王国と主家に忠誠を誓い、堅く硬く心を凍らせて職務に付いていたクラークス伯爵の唯一 ” 人 ” らしい感情を向ける若者。
―――― エドワルド=バウム=ノリステン子爵。
老伯爵にとってのエドワルドに当たるのが、エドワルドにとってのロマンスティカ大公令嬢に成るのかと、そっと胸の中で、安堵の溜息を吐き出した。
なんの打算も、策謀も、思惑も無く、心を向けられる対象が居るならば、若者は暗渠の中でも正気を保っていられると…… そう、老伯爵は、エドワルドが『心』を、壊して闇に消えるような事に成らぬよう、何を成すべきかを確信した。
” ……大切な坊ちゃん。 貴方の心の灯が、ニトルベインの魔女ならば、溺れる事も無いでしょう。 いや、そんなことは、魔女が許さないでしょうな。 エドワルド坊ちゃん。 爺は、お手伝いしましょう。 貴方の心を護るのも…… 爺の仕事で有りますからな。 ”
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