その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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薬師リーナ 西へ……

瞬間と永遠の狭間 (3)

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「聞いて…… 聖女様。 貴女は失われてはいけない人。 この世界の理の中、精霊様の御意思の元、生まれて来たのが貴女。 だから、自らその魂を、遠き時の輪の接する処に流すような事はしてはいけない。 貴女の目を眩ませていた「異界の魔力」による『汚染』は、わたしが昇華せしめました。  眩しいと思います。 ゆっくりと瞼を開いて。 そして、私を見て下さい」




 ピールさんが抑え込んで居れ呉れたから、彼女はピールさんの腕の中。 そんな彼女達を覆いかぶさるようにして、抱き込んでいる私。 聖女様は、しっかりと両目を閉じ、美しい御顔は苦悩に歪んでいたわ。 彼女の溢れんばかりの聖なる魔力が、「異界の魔力」が消失した為に、彼女自身の本来の姿に戻していたの。


 ――― とても稀有な出来事なの。


 一旦、【身体大変容メタモルフォーゼ】を起こしてしまった身体は、ゆっくりとしか元には戻らない。 だから、十分な時間と休養と養生が必要なの。 王都での治療でも、その点だけは皆さんに周知徹底してきたんだもの。 

 身体の外側だけでなく、内臓や筋肉組織も強制的に変容されていたんですもの。 この世界の理に叶うように、元に戻る為には相当な時間を要するんですもの。

 でも、聖女様はそれをご自身の『聖』属性の魔力で、一瞬で成されたの。 自己修復能力の極限化されたような状態ね。 【神聖治療ホーリーキュア】だったかしら? 文献に残る、「聖女」様の特別な能力。 精霊様が御与えになった、特別で…… そして、尊い聖属性大魔法。


 こんな爆発的な魔力の奔流が無ければ、きっと成し得なかったと思うのよ。

 轟々と聖女様から紡ぎ出される『聖』なる魔力。 



 でも…… このままじゃ、聖女様が持たない。 何としても、意識を取り戻してもらわねばいけない。 さまよえる魂を呼び覚まさないと、彼女にとっても…… そして、この周辺一帯にとっても、悲劇しか起こさない。

 ピールさんに抱きしめられている聖女様の額に私の額を押し当て、一心に祈る。



 ” どうか、どうか、精霊様、ご助力を伏し願い奉ります。 この迷える聖女が魂を救う力をお貸しください ”



 私自身の鼓動が遅くなり…… 身体が冷たく成って行く。 そうか…… 魂が身体を離れるのね。 いいわ、それで。 彼女の魂を直接叩く必要があるんだもの。 肉体は邪魔になりこそすれ、必要ないわ。

 きっと、精霊様の思し召し。 かくあるべきと、そう云われて、成すべきを成せと、使命を受けたんだものね。 ノクターナル様。 ご助力感謝申し上げます。

 ふっと頭を撫でられたような気がしたわ。 この『聖』なる魔力が渦巻く中で、『闇』の精霊様が顕現する事など、有り得ないんだけれど…… でも…… きっと…… そう、きっと、わたしの傍に降臨されたのよ。



   ―――― 心が定まった。



 光の奔流の中……


 私は、聖女様と接する額から……


 彼女の中に侵入したの。




     +++++++++++++++





 そこは、静謐な空間。

 真っ白な雪の平原のような場所。

 ただ、寒くはないわ。


 光溢れるその空間に足りないものは、



    ” 暖かさ ”   だったの。



 清浄で冷徹な聖なる場所に、人が人で有る為の暖かな感情が存在していない。 ただ、ただ、無限に続くように思われる、そんな空間だった。 周囲を見渡し、聖女様を探す。 きっと…… この白い空間のどこかにいらっしゃる筈。


   ――― だから、目を凝らし、探索するの。


 魂の姿に成った私は、詠唱も、魔方陣を紡ぎ出す事も、精霊様に祈る事も無く、複雑で緻密な高位魔法を行使できる。 まして、『異界の魔法』の法理すら魂に刻んだ私なんだもの。 目を凝らせば、一筋の足跡がそこにあった。

 雪の上に点々と残る、兎の足跡の様に……

 そして、その足跡を辿ってゆけば、そこに……


   ――― いらっしゃった。


 蹲り、膝を抱え、頭をその間にねじ込む様にしている、聖女様が。



 **************



 ゆっくりと近寄るの。 やがて聞こえて来る慟哭の声。 しゃくりあげるなんてモノじゃなかった。 悲痛な泣き声。 身も心も砕け散ったかのような、そんな、嗚咽が私の聴覚を打つの。

 わたしが、近寄る事も知覚できないくらい、嘆き悲しんでおられたのよ。

 泣きじゃくる彼女の前に膝を折り、ゆっくりと彼女のこうべを撫でるの。 ゆっくりとね。




「……どうしました。 嘆き悲しみは、何処から来ているのですか」

「精霊様…… わたしは、成し得ませんでした。 人々を「穢れ」から引き離すことも、穢された人々を癒す事も…… 癒し、救い、助け、護る…… 何一つとして成し得ませんでした」

「それは、貴女の精一杯だったの?」

「そうですッ! ただ、ただ、自分の不甲斐無さを見せつけられるばかりだったのですッ! あの方・・・の様になりたくて、頑張って頑張って…… 自分が『聖』なる魔力を戴いた事は、まさに天啓だと、確信いたしました。 でも……  でも、ダメなんです。 あの方の様には出来ませんッ」

「貴女は、誰を目指していたのです? 聖女様は、精霊様がお遣わしになった、至高の存在なのです。 貴女は、貴女が成すべきを成せば良いのです。 鍛錬の途中なのでしょう? 精進の最中なのでしょう? 力不足を感じるならば、鍛錬し精進し精霊様の御加護を乞うべきなのでは?」

「精霊様! あの方に少しでも近寄りたくて…… 鍛錬も精進も致しました。 でも…… 上手く出来ないのです」

「聖女様。 精霊様より人に与えられし『使命』は、人により全く違いますわ。 貴女には、貴女に与えられた、『使命』が在るのです。 貴女が、「あの人」と呼称される方も、察するに何かしらの『使命』がおありになったのでしょう? それは、その方の特異な『使命』なのでは? 貴女の『使命』ではないのでは? ならば、努力の方向が違うと言う事では? …………大丈夫です。 精霊様は、「愛し子」に寛大です。 間違った道を歩もうとしていても、精霊様の『使命』を思い出し、本来あるべき道に戻りさえすれば、御加護はきっと与えられます。 だから、顔を上げて。 貴女は、貴女の有るべき姿に立ち戻るべきです」

「精霊様?」




 抱き込んだ膝の間から、ゆっくりと顔を上げる聖女様。 滂沱の涙に泣き濡れている聖女様の顔が見えたの。 うん、この調子ね。 私の顔を見詰めてた聖女様。 ちょっと笑ってしまったの。 だってね、彼女、呆けた様な表情を浮かべたんだもの。




「どうしましたか?」

「い、いえ、……あの、貴女は?」



 そうよね、その質問は、大切ね。 彼女の前に、精霊様は ” ご降臨 ” されていたはず。 そして、私は絶対に精霊様に見えないものね。 只人の姿だものね。 



「……ここは、何処ですか…… その御姿…… 貴族の方? ……いいえ、その御髪、瞳の色…… 司教様が御教え下さったのですが…… その御姿…… 王族の方ですか?」



 えっと…… やっぱりそうかぁ…… 魂の状態になったら、本来の私の姿になるんだものね。 それにしても、司教様ったら何てことを聖女様に御教えになったのかしら? まぁ…… しかたないか、だって、聖女様なんだし、そのうち王都にだって話は伝わるだろうしね。



「わたくしは、貴族や、まして、王族などではありません。 また、この姿も、この場所に来るための仮初の姿。 わたくしは……」



 ふと、脳裏の過るのは、ここで自身の事を告げるのは、不味いかもしれないって事。 聖女様は私のこの姿を見てしまった。 明らかにファンダリア王族の特徴を顕わにしている私をね。 どうしよう…… そうだ、この場所に来られたのは、精霊様の思し召し。 ノクターナル様の、そして、精霊様方の御意思。 ならば……




「精霊様に導かれた者に御座います。 貴女は聖女様。 選び抜かれし魂の持ち主。 貴女様はこの世界にとって今後、この世界には、無くてはならぬ ” 人 ” でありましょう。 わたくしは、この場所に誘われたのです。 そして、貴女を…… 聖女様を救えと、『使命』を受けました。 よって、わたくしは、精霊様の「願い」に応えし者」

「そ…… そうだったのですか…… でも…… 私は司教様に禁止されていた『禁呪』を使って、私を惑わす者 諸共に……」

「まだ、間に合います。 この場所は……」




 魂がこうして存在できる場所。 そして、遠き時の輪の接する処と現世の狭間…… つまりは……




「 ――― 幽界 ――― に御座います。 魂が遠き時の輪の接する処と、現世間にある不安定な場所。 そして、この場は渡りの場でもあるようです。 今、現世ではこの地に、たまたま立ち寄られてた 『薬師錬金術師』が【禁呪】である【魔力暴走】を、【魔力昇華マジックドレイン】にて、天空に打ち上げております。 今ならば、その暴走を止める事もまた可能かと。 それには、貴方様の「意志の力」が必要なのです。 前に進む確固たる「意志」 なによりも、必要な強き心。 貴女の生還にこの世の未来が掛かっている事も、精霊様の御意思である『使命』も、貴女の存在意義レイゾンディティールなのです。 お判りですね。 そう、貴女は、貴女の道を歩まねばなりません。 弛まぬ努力、道を進む意思、必要な物はそれだけに御座います。 宜しいでしょうか?」

「ハッ、はいッ!! 私に出来るのでしょうか?」

「ご自身に ” 未来 ” を、御覧下さい。 出来る出来ないのではありません。 意思をもって、やる・・のです。」

「はっ、はいッ!!」

「……帰りましょう。 貴女の身体に。 魂が身体から抜け出し、この ” 幽界 ” に来ると言う事は、貴女の身体は仮死状態になっている筈です。 だから早々に魂を身体に戻さねばなりません。 わたくしにはその方法は判りかねますが、わたくしが信奉しております、『闇』の精霊、ノクターナル様ならば、方法もご存じでしょう。 命終わる時、時の輪の接する処に誘う御方ですから」



 そう呟き、手を目の前に組む。 真摯な祈りを、ノクターナル様に捧げるの。 此処で終わる命ではないと言う事は、誰よりもノクターナル様がご存じですから。 



「あ、あの……」

「なんでしょう?」

「私の身体を護ってくださっている…… 方…… とは? 薬師錬金術師……なのですよね。 貴女様は、そう仰いました。 それで…… あの…… その御方の、御名前を…… 御教え下さいまし」

「……ええ。 まぁ…… わたくしが知る限りでは……」




 えっと…… これは…… 仕方ないか。



「精霊様の御話では、『薬師錬金術師リーナ』様とか……」




 私と、聖女様の間に沈黙が通り過ぎるの。 一瞬にして永遠の時が流れる様な、そんな刻が……

 




「えっ? 薬師錬金術師リーナ様? ……あの方・・・が、何故? 」





 聖女様の表情が……固まったの。

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