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薬師リーナ 西へ……
瞬間と永遠の狭間 (1)
しおりを挟む部屋の中から、叫び声が聞こえる。 絹を裂くような悲鳴。 暴れて、何かが壊れる様な音。 耐えられない苦痛と苦悩。 心が壊れるそうな、そんな叫び声。
――― このままではいけない。
心が死にそうになっているわ。
制止振り切り、魔方陣で固く閉ざされていた扉を、【開錠】して扉を蹴破る程の勢いで開く。 部屋の惨状は目も当てられない程。 細く高い叫び声をあげている少女に近寄り、暴れる手足をしっかりと抱き込み、そして唱える【鎮静】の呪文。
聖女様の暴れる手足から力が抜けてゆき、ぐったりと私に身体を預けられたわ。
「もう大丈夫。 そう、大丈夫です。 いと尊き聖女様。 貴女を救いにまいりました。 薬師錬金術師の名に懸けて、御救い致しましょう」
彼女を乱れたベットに横たえるの。 その表情は苦悶に満ち、そして、なによりも…… 聖女様は、既に【身体大変容】しかかっていたの。 輝くような金髪は、ところどころ抜け落ち、白磁の肌に焔立つように漆黒の痣が浮かび上がっているわ。 指の関節が膨れ上がり、爪が尖る。 姿勢も前屈し、まるで四つ足の獣のように成りつつあったの。
早急にどうにかせねば、この方が失われてしまう。
大切な…… 『 聖 』 属性の持ち主が、『穢れ』汚染され、この世の理の外にはじき出されてしまう。 振り返り、そこに居られる司教様に叩きつけるように声を掛けるの。
「司教様、御人払いをッ! すぐに術式を編みます。 聖女様の御身体を顕わにせねばなりません。 女性の方以外、この部屋をすぐに退出してください。 ウーカルさんッ! 鎮静の香をッ! ネンテンさん、全周囲警戒をッ! ナジールさん、ニライさん、カナイさん、お部屋の窓を封印して、扉の外でこの部屋全体の結界を張ってくださいッ! 一刻の猶予もありません。 プーイさん。 万が一、聖女様が暴れて術式が解けるといけませんので、抑える用意をッ!」
矢継ぎ早にそう皆さんに命じるの。 旬刻の猶予もないわ。 これほど症状が進んでしまっていては、例のアレでさえ効くかどうか…… でも、やらねばならない。 ええ、やるしかない。 こんなことで、精霊様の最大の御加護を頂いた人を失う訳にはいかないもの。
「プーイは体内魔力を多く保持しているんだ。 わたしが、抑えましょう。 ほら、わたしは、珍しい体内魔力を持たないモノだから…… リーナ様、いいだろ?」
穴熊族の女性。 ピールさんがそう申し出てくれた。 そう……ね。 異界の魔力は、体内魔力の多き者を捕らえるもの。 肌にふれるだけで、魔力経路を通じて、他者を汚染するんだもの…… だから、『穢れ』に触れるっていうのよ。 聖女様がこんな状態になってしまったのも、それが原因なんだもの。
……ピールさん。 やってくれる?
視線でそう問いかけると、慈愛に満ちた笑顔をで答えられたわ。
「とりあえず、纏っている、この襤褸切れに成った装束を解くよ。 そして私が抱きしめているから。 リーナ様、その間にお願いします。 あの魔猪みたいに成らない様に」
「ええ、ええッ! 判っておりますわ。 ピールさん。 お願いします。 皆さんも気を抜かずにッ! 男性は直ちに部屋を出て下さいッ! 司教様も!」
「いや、私は……」
「いいから早く! 時間が惜しいのです」
「いや…… その……」
「薬師錬金術師リーナが命じます。 退出してくださいッ!」
縋るような視線を残しつつも…… 司教様はお部屋を出て行ってくださった。 実際、アレを見られたら不味いのよね。 だって、使うのは、『異界の理』 この聖堂で、異界の魔法を使う処を見られたら、本当にまずいもの……
「始めます。 ピールさん、宜しくて?」
「こっちは、準備が終わった。 存分に」
「はい、宜しく。 制限解放…… 魔方陣展開…… 【聖浄浄化】、【解呪】 異界の魔力にて…… 発動ッ!!」
ほんの少し前まで、こんなことに成るとは思ってもいなかった。 あの従僕の方が駆け込んでくる前まではね。
*******
聖女様の事をお伝えくださった司教様は沈痛な面持ちで、事の次第をお聞かせくださったの。 聖女様は、原因不明の病に冒された人々を救いに、西方領域北域に向かわれたそうなの。 そこで、とある商隊の獣人族の方の治療に当たられた時に……
――― 『穢れ』に触れらたそうなの。
ご自身で、『光』魔法である、【聖浄浄化】と、『聖』魔法である、【聖清浄】をお掛けに成ったらしいのだけれど、うまく発動できなかったらしいの。
魔力経路に多分の『異界の魔力』が流れ込み、本来の力が削がれ穢されていたのだと思うわ。 王宮魔導院に集まる、幾多の症例からそれは十分に予見されていた。
あの会議場のようなお部屋で、その様なお話をされていた時に、急を知らせる従僕の方が駆け込んでいらしたの。 聖女様の御様子が急変したのだと。 彼女付の薬師や神官様ではとても手に負えないと。 激情で聖女様が暴れ出し、どうにも手の付けようが無いのだと。
切々と訴える従僕。 真摯な表情に怯えの光が浮かんでいたわ。 これはいけない。 何とかしないと。 ふと、頭を撫でられるような、そんな感じがしたの。 これは、『託宣』
――― 癒し、助け、救え。
そう、『闇』の精霊、ノクターナル様が仰っているのが理解できたの。 強く、強く、私に告げられる『託宣』。 それが、わたしの在り方であり、役目。
「すぐに参りましょう。 わたくしが成すべきを成すために」
強くそう、司教様にお伝えしたわ。 私の中に降りた、『託宣』を司教様も感じられたのか、一も二も無く、同意されたの。
シルフィーがそっと傍を離れる。
そうね、貴女にも成すべき事柄が在るのだものね。 此処はシャオーラン小聖堂の中。 私に危害が加わる事は、滅多な事では起こり得ない。 そして、傍らにはラムソンさんもいるもの。 シルフィー、お願いね。 貴女は大切な仲間なんだもの。 怪我なんかしちゃいやよ。
大講堂を抜け、別の回廊を駆け抜ける。 司教様も事が重大な事は理解されている。 誰しもが口を閉ざし、司教様の先導宜しく、聖女様のいらっしゃるお部屋への回廊を急ぐ。 何人もの神官様方と、薬師様が居られた。
そして…… 閉ざされた扉。
中から、悲鳴のような叫び声が響き渡っていたの。
******
時間との勝負だったわ。 既知の症状と照らし合わせ、既に魔力回復回路の一部に損傷が出始めているとそう判断したの。 だから、出来るだけ手早く例のアレを組み上げ、魔力を起動魔方陣に注ぎ込んだ。
自分に課した制限の一切を開放して、「異界の理」を解きほぐし魔方陣を紡ぎ出したの。 緊急 且つ 最大限に用心深く。 人払いをして、結界まで張ってもらって、そこまでして秘匿しないといけない魔方陣なんだものね。
期待通りの魔方陣が描き出され、私の魔力で起動。
魔方陣がベットの下から上に向かって移動していくの。 異界の魔力が昇華を始める。 光の粒が立ち上る。 此処までは、想定内。 でも、聖女様の属性である『聖』属性の魔力は、あまりに希少で、十分な情報が無いわ。 魔力回復回路に於いて、どのような反応が有るか判らないもの。
いつもより、多くの魔力が要求されるの。 でも、術式を途中でやめるわけには行かないわ。 注意深く、浄化の過程を見守るの。
ピールさんの両腕の筋肉が盛り上がる。
きっと、大きな力が掛かっているのだと理解できた。
もうちょっと…… もうちょっとだけ…… 我慢して……
お願い……
精霊様……
御加護を……
御力を……
助力嘆願、伏し願い奉ります……
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