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断章 19
閑話 3 ユーリ(2)
しおりを挟む『言祝ぎ聖綬』の儀式を終えた大司教達が見守る中、若者はゆっくりを跪拝を解き、立ち上がる。
精霊様に捧げる祈りの印呪を手に結び、深く首を垂れて、言祝ぎに対する ” 御礼 ” を、口にする。 まだ、若く…… しかし、決意を含んだ凛とした声が、『公儀聖壇の間』に広がる。 その若者の眼には、辺りに浮遊し、慶びを隠そうともしない、精霊様達の姿が映り込んでいた。
「ユーリ=カネスタント=デギンズ。 助祭を” ご返納 ” し、堂僕となりましたわたくし。 そのわたくしに、試練を受ける、「神官戦士」の装束を授けて頂きました事、感謝申し上げます。 また、試練を受けるわたくしに、『言祝ぎ聖綬』の儀式を授けて下さった事、生涯、忘するる事は有りません。 精霊様と創造神様に深く深く感謝の祈りを捧げます」
祈りは言葉で捧げられ、その言葉に精霊様達もまた喜びを顕わにする。 『公儀聖壇の間』に光が溢れ、その暖かで、慈しみ深き輝きは、若者の決心が精霊様方の御心に沿う者であることを証していた。 顕現する精霊様の息吹。 その様子は、さしもの大司教達であってもなかなか目にするような光景では無かった。
先触れも無く、『公儀聖壇の間』に神官長パウレーロ猊下の姿が現れた。 傍らには、影の様に付き従う、ヨハン=エクスワイヤー枢機卿。 慈愛に満ちた表情を浮かべ、聖壇の背後に立つ。
「『神官戦士』ユーリ=カネスタント=デギンズ。 顔を上げよ」
荘厳とも云える、神官長パウレーロ猊下の声に従い、若者はその視線を聖壇奥に向ける。 真っ直ぐで微塵も邪な光を宿さぬ視線を、パウレーロ猊下は大いに慶んだ。
「堂僕ユーリ。 試練の期間、其方は家名を名乗る事は許されない。 唯人として、一心に精霊様にお仕えせよ。 魔法が色濃くこの世界を覆い尽くしているが、神官の役割は、精霊様と我らを繋ぐ事。 其方の魔力は薄く弱い……が、しかし、類稀な能力を備える者と、大聖堂は認識している。 神官本来の役目を果たすうえで、これ程の ” 御加護 ” があった事を素直に精霊様に感謝申し上げよう。 『神官戦士』は、戦に於いて縦横に邪なる者を屠る者。 しかし、それだけでは無い。 よいな、ユーリよ。 お前にしか成せぬ事を成せ。 そして、精霊様と我ら、この世界に生きとし生ける全ての者達を繋げ」
「心に刻み込みます、神官長パウレーロ猊下。 『言祝ぎ聖綬』を頂き、わたくしは、今、最も精霊様を近くに感じております。 皆様から頂いた 『 聖句 』 を胸に、試練の場にて、誓約を果たしてまいります」
「良かろう、ユーリ。 其方が光の路に在らん事を祈願し、我ら神官長の尊称を戴いた者達、枢機卿として、精霊様を深く愛している者達より、其方に『 言祝ぎ 』を贈ろう。」
再度、跪拝する神官戦士 ユーリ。 頭を床に付け、真摯な想いを抱き、誇りと矜持を掛けた、『 誓約 』 を履行する事を誓う。 流れる言葉は『公儀聖壇の間』に満ち、充満していた、精霊様の息吹である光は、ユーリに収束して行った。
Fiat voluntas Tua
Sicut in caelo, et in terra
Et dimitte nobis debita nostra
Et ne nos inducas in tentationem
Sed libera nos a Malo
Gloria Pet, Si Santo, sicut erat inPrincipio
Et nunc et semper et in saecula saeculorum.
*****
朝靄に煙る、王都コンクエストム 東門。 『神官戦士』の旅装に身を包んだユーリが、東に向かう街道に立っていた。 供も連れず、馬車も馬も辺りには居ない。 瞳ははるか東の国境方面を見詰め、何も言わず、これからの試練に想いを馳せていた。
胸の中には、一通の書状が押し込まれている。
薬師錬金術士リーナから、東の居留地の森に旅立つユーリに贈られた、モノだった。
” 獣人の方々とお話する際に、御見せ下さい。 きっと、『 力 』 に、成って下さいます。 その書状には、ユーリ様が人族であろうと、この世に生きとし生ける者達の守護者に成るべき方だと、認めております。 署名はわたくしのモノと、第四〇〇〇護衛隊の主たる者達のモノ。 護衛隊の人達はですね…… みなさん、「居留地の森」 の、出身なんです。 だから、きっと、判って頂けます ”
その言葉と共に、渡された書状。 眩しく薬師錬金術士リーナの顔を見詰めながら…… 有難く受け取った。 叔父であるデギンズ大司教からも、口添えが有ったと云う。 素直に…… 素直に感謝し、受け取った。
ホッと、息を吐くと、歩みを一歩進める。 小さな足取りだが、これが、彼にとっては、大きな一歩に成る事だけは間違いなかった。 その時、彼の背後から、大きな声で彼を呼ばわる者が居た。
「はぁ、はぁ、はぁ…… ユーリ様ぁ!! ユーリ様ぁ~~~!!!ま、間に合った!! 」
背後から掛けられる、女性の柔らかい声。 大きく驚きに目を広げ、その声の主が向かってくる様を驚きを以て見詰めてしまった。 柔らかな色の、町娘が着るにしては、高価な装いに身を包んだ年若き女性が、一心に走って彼の元にやって来た。 彼女が誰か、ユーリが理解した時に、出たのは疑問でしか無かった。
「グランクラブ男爵令嬢様……? な、何故……?」
「親しい朋が、旅立つのです。 お見送りせねばなりますまい? 聖堂教会の方々も酷な事をなさいます…… 本当にお一人なんですね」
「ええ、それが 『 試練 』 と、云うモノなのです」
「お一人で……『居留地の森』へ向かわれるなんて…… どうしても…… 行かれるのですね」
「はい、グランクラブ男爵令嬢様。 わたくしには、成すべき事柄が有ります。 成すべきを成さねばならぬのです」
「……何故、名前をお呼びに成って下さいませんの?」
「はっ? えっ、ええ…… わ、わたくしは、助祭の位を返上致しました。 今は、唯人の堂僕に御座います。 貴族の御令嬢である、貴方様に対し、お名前で呼ぶことは甚だ不敬に当たりますので……」
「もう…… お友達ではないの? ユーリ様? わたくしは、貴族の娘として、お見送りしに来たのでは無いのですよ? フルーリー=グランクラブとして…… 貴方の旅の安全を祈りに、ここに参りましたのよ? それでも?」
瞳を潤ませ、ユーリを見詰めるフルーリー=グランクラブ男爵令嬢。 そんな彼女を困惑と共に見詰め、言葉を紡げなくなってしまったユーリ。
――― ” 名を呼べとは…… この場に於いて、名を呼べとは…… ”
古来より、困難な旅路を行く者に、名を以て旅の安全を祈願すると云うのは、愛情を示していると云う事に他ならない。 子が、妻が、そして、恋しい者達が、『その名』を元に、旅の安全を祈るのは、愛しいモノをその名を以て、精霊様のご加護を乞う事でもあった。
――― そう、愛しいモノへ
フルーリーの頬に朱が刺したのは、なにも急いで東の城門に来だけではないのは、朴念仁と呼ばわれる、ユーリにすら理解できた。 朱に頬を染めた彼女が、真っ直ぐにユーリを見詰め、しっかりとした声で、言葉を紡ぐ。
「帰ってきてくださいまし。 この王都に。 必ず。 命を粗末にしてはなりませんわよッ。 貴方には、待っている人が居るのですから」
「…………フルーリー嬢」
「やっと、名を御口にして下さったわ! ええ、ええ、ユーリ様。 フルーリー=グランクラブは、ユーリ様の無事の御帰還を、お待ち申し上げております。 旅路に安寧あらん事を」
「ありがとう…… フルーリー嬢。 そうですね。 私にも待って下さる人が居たのですね」
「勿論でございましょ。 だから……」
「ええ、必ず帰ってきます。 王都ファンダルに。 フルーリー嬢の元に。 では、行って参ります」
クルリと踵を返し、東方方面に続く街道を辿り出したユーリ。 試練を受けると決めた時に…… ファンダリアの安寧の為にその身を捧げようとそう決めた時に、固く閉ざされた心の扉。 無理矢理とも云える方法で、その扉をこじ開けたのは、フルーリー男爵令嬢。
命を賭した ” 試練 ” の旅路は……
硬く固まっていたユーリの心は、帰還を願う者が居ると云う、その事実で解かれていった。 彼の口元には、薄っすらと…… 本当に薄っすらとした、
――― ” 笑み ” が、浮かびあがっていた。
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