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断章 19
閑話 2 ユーリ(1)
しおりを挟む王都コンクエストム 聖堂教会 大聖堂。
神官長 パウレーロ=チスラス猊下が、ヨハン=エクスワイヤー枢機卿に付添われ、大聖堂『祈りの間』に於いて、精霊様に祈りを捧げていた。 深く強い信仰は、彼の周囲に精霊の息吹を呼び、周囲に精励降臨の証である、燐光を呼び寄せる。
精霊月は、特に精霊の息吹が強い時期。 各地で行われる精霊祭に於いて、精霊様のご加護と恩寵に対し、真摯に感謝を捧げる、祈りに満ちた時期でもあった。 神官長パウレーロは、深く精霊様に感謝を捧げている。 ファンダリア王国は健在なり。 民に祈りがある限り、王国の安寧は小揺るぎもしない。
呼吸する空気すら、神聖さを孕む、大聖堂『祈りの間』は、パウレーロ猊下にとって、安住の最後の地であり、長く生きた彼に、精霊様から与えられた、恩寵と捉えている。
日々の勤めである精霊様への祈りを終え、清々しい表情をその幾年月を重ねた顔に刻み込まれた深い皺に浮かべたパウレーロ猊下は、傍らに侍るエクスワイヤー枢機卿に声を掛ける。
「ヨハン。 大聖堂の邪なる者の、掃除は済んだか?」
「はい。 あの者に付き従う者は全て、あの者との同行させました。 例外は無く、全てです」
「聖堂も静かに成るな」
「幾つかの部局、有能な神官もまた、失いましたが、聖堂本来の教義を護る者達は残りました。 精霊様に祈りを捧げぬ者に、法衣は必要ありません。 聖堂教会もまた同じ。 祈りと癒しを民と王国と精霊様に捧げる存在なのですから」
「……何時からかの。 聖堂に邪なる者達が闊歩するようになったのは……」
「猊下……」
「いや、済まない。 儂が身体を壊し、表に出られぬ様になってからだったか…… 長く不在にしていた『王都聖堂教会の神官長の座』 お前たちには…… 苦労を掛けた。 四大聖堂の大司教から、次代の王都大聖堂の神官長を、選出せねばならぬ時期でもあった」
「今回、各地大聖堂の大司教様方をお呼びに成ったのも、その事に御座いますか?」
「掃除の手伝いと、今後の事を決めねばならなかったからな。 しかし、思わぬ者が、試練を受けると申し出た。 アレにはこの儂も驚いた。 古き血をその身に宿す若者は、なんと、素晴らしいモノなのか。 その様なモノを授けて下さった、精霊様に深い感謝を申し上げていたのだ」
「ユーリですか。 あのデギンズ枢機卿の血を受け継ぐ、若者。 御母堂は王都聖堂教会の女司教でした。 そちらの血が、濃く受け継がれているのでしょう。 彼の体内の内包魔力は平均的…… いいえ、平均を下回る程しか持ってはおりませんが、彼には特別な『能力』が備わっております」
「精霊の息吹を直接『視る』事が出来る事か…… 祈りを現象に変える、” 精霊魔法 ” それを行使出来る、今では、数少ない若者だったな。 獅子王陛下がご存命で、戦に奔走して居った時代には、その様な者達も大勢居ったかがな。 魔力を重視するようになり…… 祈りと精霊様への深い信仰が、現世の権能から乖離した時より、” 精霊魔法 ” の使い手も減少して行った…… ひとえに、儂の不徳の致すところだ。 あの若者は、戦にはとんと向かぬ ” 精霊魔法 ” しか行使出来ぬ。 ……『試練』を、乗り越えられるだろうか?」
「ユーリの信仰の心 ……次第に御座いましょう。 それに……」
「各地の大司教達が、助力するか。 特にアレンティアの大聖堂の大司教が…… 無理を云って、還俗から戻って貰った…… あのデギンズ大司教。 ユーリの叔父でもある者がな」
「ユーリも、幼少の時にはあちらで暮していたと。 そして、デギンズ大司教が一時、封じられていた 『 権能 』 を、振るう事を願い出られたのも、同時期でした。 アレは……」
「そうだな、あの若者を堂僕に、精霊洗礼を成す為に願い出たのだったな。 同じ古き血の血族の長としての『義務』だそうだ」
「ご存知でしたか……」
「理由を聞いたからな、デギンズ大司教には。 そして、許しを与えた。 その若者がな…… 数奇な運命と云うのは、この事か。 デギンズ大司教が、心を砕くわけでもあるな。 ヨハン…… そろそろ時間か」
「はい、猊下。 皆様、聖壇の間に御集りに成っておられます。 猊下よりの祝福を……」
「そうか…… 若人の行く先に、光を灯すのは、老人の役目でもあるからな。 では、行くか」
囁く様な声が『 祈りの間 』に流れ、衣擦れの音を残し、神官長パウレーロは、その場を後にした。 優しく温かい、精霊の息吹が舞う。 あたかも、精霊の御心が慶びを顕わにするように。 そして、加護と恩寵を授けんと、そう、意気込む様に。 神聖な風が一陣……
パウレーロ猊下の背中を押した。
^^^^^
『公儀聖壇の間』に於いて、大司教の法衣で身を包む四人の男達が、聖壇の横に並び、さらに、一人の大司教が聖壇の前に立つ。 その視線の先に、少年とも云える容姿の男が跪拝している。 少年の傍らに、『助祭』の法衣が畳み置かれ、その身に着けているのは、「神官戦士」の装束。
Memento mori.
神聖言語が、聖壇正面の大司教の口から紡がれる。 眼差しは、厳しく、そして、限りなく優しい。 アレンティア南部辺境領、南方特別教区の大司教。 アレンティア大聖堂より王都聖堂教会、大聖堂の神官長パウレーロ猊下に招聘された、フォーバス=ヅゥーイ=デギンズ枢機卿の声であった。
声は続ける。
Jacta est alea.
Vivere est militare.
Fac, quod rectum est, dic, quod verum est.
跪拝する若者は、石の床に額を押し付け、言葉に聞き入っている。 聖壇脇の四人の大司教達もまた、重々しい表情で視線を若者に投掛け、深く同意の意を示す。 彼等にとって、この若者の ” 決断 ” は、二重にも三重の意味を以て、意外であった。 その為、この日、この場での『言祝ぎ聖綬』の儀式に当たり、彼の真意を幾度も幾度も、確かめたほどであった。
若者が望むモノは、 ” 試練 ”。
ファンダリア王国の聖堂教会が定め、そして廃れてしまった、古の精霊誓約に基づく、通過儀礼であった。 市井に於いて、民と共に有り、民の痛みを知り、民を慈しみ救う力となる。 そして、以降の信仰の道程に於いて、己の心の核と成す…… そんな、大切な意味合いを含んでいる。
いわば、『 再誕の秘儀 』とも、呼ばれているモノであった。
聖壇脇に佇む、四人の大司教達からも、彼に『言祝ぎ』が、宣せられる。 まず、南方大聖堂の神官長。 キーマ=エンマ=ズサーク大司教が、聖句を告げる。
Pleraque facilia dictu sunt, sed factu difficilia.
次に、東方大聖堂の神官長。 ベルン=ドラス=カエラレウム大司教の、沁み渡る様な声が、『公儀聖壇の間』に広がる。
Quod nimium est, fugito; parvo gaudere memento.
西方大聖堂の神官長、アンソニー=ネスカ=ルボンテイゲス大司教が、その後を受け神聖言語にて、『聖句』と告げられる。
Diriges proximum tuum sicut te ipsum.。
北方大聖堂の神官長、ヴァンケリオ=タイラル=シワーヴェ大司教が、渋い声を以て、若者に諭すように、そして、これから彼に起こり得るであろう試練の時に対する心構えを、宣せられた。
Quid faciam? quo eam?
Ndus ara, sere nudus.
Qui bene serit, bene metet.
五人の大司教が声を揃え、若者に言葉を授ける。 彼等がずっと昔に、そう授けられた通り。 真摯な祈りを精霊様に捧げつつ、この若者の行く先と道程に幸あらん事を願うが如く……
Deus videt te non sentientem.
Deo duce, non errabis.
聖句が流れる、『公儀聖壇の間』。 ―――最後の聖句が、若者の耳に届いた。 それは、何よりも、これからの彼に必要な聖句。 己の信仰心を疑う事も有るだろうし、幾多の誘惑や、外道への誘いが在る事もまた、容易に想像できる場所に、赴く彼への、指針となるべき 『 聖句 』。
Cogito, ergo sum.
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