その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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光への細い道

そして、前世の私を、現世の私は……

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 ダンスの授業は、まぁ…… ね。



 上手くやり過ごせたと思う。 何時もの通り、お相手は、シュバルツァー子爵様。 お約束で、シーモア子爵様からのご命令だったから、お名前呼びで、バルトナー様ね。





「……ツッ。 リーナ様……に御座いますか?」

「はい、バルトナー様。 本日も、パートナーとなっての授業、何卒よろしくお願い申し上げます」




 顔を挙げ、彼の端正なお顔を真正面から、笑顔と共に見詰める。 最初は驚きの表情のバルトナー様。 次第にそのお顔に、歓喜の色が浮かび上がる。




「装われましたね、リーナ様。 お美しいです。 やはり、思ったとおりでした」

「思った通りとは?」

「薬師装束の凛々しさは、何時もお目にかかっておりましたが、装われるとなると、相当にお美しくなると、想像しておりました。 いや、想像以上でしょうか」




 シーモア子爵の号令の元、音楽が始まる。 広いフロアは、踊りだす生徒さん達で一杯になる。 そんな中、私達も、ダンスのステップを踏む。 ダンスが始まって、バルトナー様のお話に合わせるの。




「装いは変わりましたが、中身は変わりません事よ? 庶民の薬師リーナでしか有りませんもの。 この装いは、いわば、シーモア子爵様の思し召し。 バルトナー様と、ダンスをする為の装い。 薬師装束以外に着用するべきドレスをわたくしは持っておりませんので、今までの失礼は平にご容赦を」

「何を仰る。 リーナ様の職衣です。 本来ならば正当な正装に御座います。 無理を言ってしまったと、あの後、後悔しておりました。 また、公女リリアンネ殿下にも叱責を受けました。 いらぬ事を云ってしまいました。 が、それでも尚、わたくしの願いを口にして良かったと、今はそう思います」

「……それは?」

「国の制度、組織、法に造詣が深いだけでなく、そのお姿です。 まるで、一国の王女殿下のお相手をしている様に感じます。 お手を取っていただける、幸運に身も震えるような喜びを感じます、リーナ様」

「王女…… 殿下ですか。 それは、又…… 御口外されぬように。 ファンダリア王家に対する不敬にも当りますわ。 庶民にそのようなお言葉をかけられるなど…… いけませんわよ」

「ダンスの間だけに…… いや、はや…… わたくしは果報者で御座いましょう。 きっと、フリューゲルも、レーヴェも貴女の手を取りたいと…… 今、悶々としている事でしょうね。 ほら、フリューゲルがシーモア卿の下に。 きっと、願いに行ったのでしょう」

「お上手ですわね。 ……前回のダンスの時に、お聞きになられた、王国法についての疑義について、私なりに調べましたの。 お聞きになりますか?」

「えっ…… ええ! ええ!! 勿論です。  勿論ですとも!」




 少々、お声が高いですわよ、バルトナー様。 興味深い、彼との対話。 王国の制度、組織、そして法に関する意見の交換。 更には、マグノリア王国が隣接する国の事。 深い洞察としっかりとした裏付けのある事実を絡めた、周辺国の状況のご説明。 とても、とても、役に立つ情報の数々。

 といっても、その情報を役立てるのは、ドワイアル大公閣下なんだけれどもね。 引き出せた情報は、書式に則って、報告書と云う形にして、外務寮、ドワイアル大公閣下宛に、その庇護下にある ” 薬師リーナ ” の名でお伝えしているの。

 どう使うかは、あちら次第。 でも、私だけが知っていても、どうなるものでは無いし、あちらでも、『眺訊ちょうじんの長き手』が、報告しているはずだしね。 まぁ、庇護下にある私からのちょっとした恩返し程度なのよ。



 その日…… パートナーは三度変わったの。



 フリューゲル様。 そして、レーヴェ様。 本当に皆さん、楽しそうだったわ。 それぞれの方達からも、絶賛を頂いて、そして、彼らからも様々な情報を頂く。 この姿になって、お口も軽くなったのかしら? やはり、見目麗しい方が、お口も軽くなるのかしら?

 社交で、女性が装い、美を競うのは、なにも女性達だけの戦いでは無いって事なのよね。 そう云えば、前世でポエット大公夫人が、そう仰っておられた。 美しさは、王宮に於いて、武器になる。 社交外交を成す場合でも、それは変わらないって。 

 アンネテーナ様は深く頷いておられた。 私は…… 私は…… そうね、マクシミリアン殿下の歓心を乞う為に、美を求めていたから…… 目的が違うんだもの…… きっと、前世では、ポエット奥様…… 失望されていたに違いないわ。 

 ハァ…… 本当に、わたし…… 何やってたんだろう……




 ^^^^^


 ある程度して、ダンスの授業もひと段落し、休憩を何度か挟む。 壁際に生徒さん達皆でより、飲み物やタオルを使う。 憩いのひと時ね。

 勿論、シーモア子爵様は、ダンスに不備の有る方々への、追加指導を実施されているわ。 休憩に入れるのは、シーモア子爵が一定の評価を下した者達だけ。


 指導に熱が入り、教鞭が振るわれるのを、遠目に見ていたの。


 あれ、当るととても痛いのよね。 背筋が丸くなったり、ステップを間違ったりすれば、容赦なくご指導が入る。 何人かの生徒さん。 特に、女生徒さん達が、泣き出したりしているわ。 上位の貴族の方々は、ダンスもご実家でじっくりと修練されているから、そんな事は起こらないけれどね。

 けれど、男爵家とか、子爵家の御子息、ご令嬢は、そうは行かない。


 ” 頑張ってね…… ”  そうとしか、言葉は出ないわ。


 私の事を庶民と侮っていた人達…… 影で、コソコソと悪口を言っていた人達…… 前世でも、現世でも変わらず、私の事を揶揄していた人達…… いくら私でも、積極的にその人達を庇うような事は…… 出来なかったの。



 ―――― あれ? あれれ?


 その他の人達…… 今日は遠巻きに見ていただけで、変な当てこすりとか、嫌な言葉を吐いてない…… あれ? 女生徒さん達は、私を見て目を伏せるし…… 男子生徒の皆さんは…… 熱でもあるのかしら? 少し、お顔が赤くなっているわ。 授業が終わったら、さっさと薬師装束に着替えて、医務室に出張して治癒師の業務をお手伝いしようかしら?



 授業は恙無く終わる。 何人もの女生徒の鳴き声が聞こえる。 教鞭が打たれた所をさすって、肩を落としながら退出していく方々。 お疲れになったでしょうが、王宮に伺候するって言うのは、それだけ大変な事なのよ。 貴族の矜持を持って、頑張って欲しいな…… って、そう思っていたの。

 教室に最後まで残っていた、公女リリアンネ殿下と、マクシミリアン殿下が、御随身の方々を伴い、御一緒に来られたの。




「リーナ。 今日は艶やかね。 バルトナーが無理を言ったみたいね。 御免なさい。 でも、素敵よ。 本当に。 ねぇ、そうでしょ、マックス?」

「うん、そうだね、リリー。 リーナ。 君には幾度と無く驚かされるね。 その姿、アンネテーナ様にも劣らないよ。 ウーノル殿下が、慌てられるかな? さらに、秋季大舞踏会が楽しみになったよ」

「勿体無く。 本日の装いは、シーモア子爵様の思し召し。 何時も、こうとは限りませんわ。 たまたまでしょうから」

「秋季大舞踏会の時には、いつぞやの時の様に、また、その手を取らせてもらえれば、嬉しいかな。 その時は、投げ出すような事が無いはずだろうし。 警備には殊更力が入っているのでね。 今度は最後まで、踊れるかな」

「まぁ、マックスったら。 わたくしを差し置いて、もう、ダンスの申し込みですか?」

「あっ、いや…… 勿論、ファーストダンスは、君と…… リリーと踊るよ?」

「其れを聞いて安心致しましたわ。 リーナ、マックスのお願い聞いてあげてね」

「勿体無く……」





 キリキリと胸が痛む。 お二人の仲は進展しているご様子。 互いに愛称で呼び合うほどに。 互いに見詰め合う視線の中に、” 親愛の情 ” と ” 敬愛の情 ” が、浮かび上がっている。 多分…… お二人の間に 『 愛情 』 が醸されるのも…… 時間の問題。 そこに…… 前世と同じく……


 ―――― ” エスカリーナ ” の、影は無かったの。


 鼻の奥がツンとして…… 

 なんだか、耐えられないような、そんな気がして……

 失礼の無いように、淑女の礼を捧げ……

 御前を辞したの。




 泣いている…… 号泣している…… 心の奥底で、重い蓋で押さえつけた、前世のエスカリーナの心が…… もう一度…… 恋を失ったと…… そう、激情に流されつつ…… 大泣きに泣いているのが判る。 ひたすら、笑顔の仮面を被り…… 冷静を装い…… 




 心の中で泣き崩れる、前世の私を、そっと抱きしめて……

 教室から、小部屋に向かう。 そう、身も心も……

 薬師リーナに立ち戻る為に。 心の中で、泣き叫ぶ、エスカリーナを慰撫する為に。 




 彼女エスカリーナの心を抱きしめる為に……




 リーナには、やるべき事がある。 その思いだけが、唯一の心の柱。 今の私。


 誰にも告げられない。
 誰にも理解されない。


 可愛そうな、” 前世のエスカリーナ ” を、抱きしめられるのは……





 私だけなんだもの。






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