その日の空は蒼かった

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断章 14

 閑話 旧ブルシャトの森 湖の畔に座り込む人(1)

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 旧森都ブルシャトの森。 

 巨大な湖の湖畔。 伐採した樹々は、既に片付けられ、広く開けられたその場所は、雪に覆われていた。 

 座り込み、ぼんやりと湖水を見詰める穴熊族の男が一人。

 世代を重ねた、「穴熊族」の王族の末裔。

 身体も力も、彼等「穴熊族」を纏めるに十分な者だと、そう云われ続けていた。 護るのだ、何が有ろうと、穴熊族を護るのだと云う、強烈な想いが彼の生きる上での矜持でもあった。 そう、” あった ” のだった。

 今…… 彼の側にいる者は居ない。

 ただ、ただ、虚ろに湖水を、孤独に見つめて居た。 何を間違ったのか。 何をしてしまったのか。 魂の故郷、森都ブルシャトの森が再生したと聞き、最初に森に入った。

 父親や、祖父に聞いていた「森都ブルシャト」は、森と泉に囲まれた、それはそれは美しい場所であったと。 突如して再生された、その森は、話に聞くよりも、何倍も、何百倍も美しかった。

 かつて、森都が有った場所。

 今、目の前に広がる、巨大な湖がその場所を膨大な量の、清らかな水で埋めている。 湖がよく見える場所として、湖畔の一部を伐採し、この広場を作った。

 生存圏が被る、他種族にも森を解放するのは、かつての王族の末裔とすれば、当たり前の事。 深く原初の森に近く…… 瞬く間に豊穣の森となる事は、獣人族で在れば誰の目にも明らか。

 そんな森を「穴熊族」だけが独占する事など、出来る訳がない。 

 長きに渡る、虐げられた獣人族、各種族。 彼等の眼には、この森は 「 楽園 」 に見えた事だろうと、そう思う。 それは、なにも、獣人族の各種族だけでは無く、彼自身も感じていた。

 故に……

 この森を再生した者が、人族などと云う事は認めらなかった。

 奪い、犯し、連れ去った人族…… 憎悪の対象でしかない奴ら。 森を穢し、自分たちの住処を蹂躙する者を殺す事に、なんの躊躇いも無かった。

 森が再生されたのは、獣人族を哀れんでくださった、神様の思召し。 精霊様のご加護と奇跡…… そう、信じていた。 森の息吹に、樹々から漏れ出す、精霊様の気配に、その想いが確信に変わる。

 ”こんな事を成す、人族が居るものかよ……”

 森の再生を伝えた獣人族のモノたち。 その者達が口々に言う、認めがたき言葉。

 ”森を再生したのは、人族の少女。 感謝を! 祈りを!!”

 その声が大きくなる前に…… 何とかしなくてはならないと、そう思っていた。 この森は、神様が、精霊様が贈って下さった、奇跡の賜物。 断じて、断じて人族のなどでは無い! その思いは強く強く彼を縛り付ける。

 この森で暮したいと望む他種族の者達にも、その事を伝えた。

 戸惑いながらも、自分の云う事にも理解を示した。 当然だろうと、その時は思っていた。 ” こんな奇跡を成せる人族など、居るものか。” 心内の想いは、他種族の「束ねる者達」にも通じたと…… あり得ない事よりも、神様と精霊様に祈りを捧げる。

 この広場は、その為に急遽作り上げた。 

 祈りの場として。

 祈りを捧げる為に、整えた場所に…… 自分の話を聞かない下々の者達が、人族を呼んだ。 あり得ない。 神聖な場所に、人族を呼ぶなど……

 怒りに視界が赤く染まった事を思い出した。

 ならば、引き込んで殴殺するべきだと、そう心に誓う。 人族は、それほどの事を成した。 神様と精霊様へ、その血と肉を捧げ、守護の盟約を押し頂く。 そう、各種族の「束ねる者達」に告げた。

 暗い瞳に、妖しく光る殺意が揺らめいていた事を思い出す。

 ” そうなのだ、その者達も、人族の暴虐に晒された者達であったのだ。 ”  彼等の「心深くに燃える復讐心」を、煽ったのは確かだった。 後は、その時が来るのを待つだけ。

 人族は夜目が効かない。 漆黒の闇の中、その者が来るのを待った。

 にえとして、精霊様に差し上げる。 暴虐なる人族の血と肉は、何よりも強い にえ となる。 握りしめる拳に、否応なく力が込められていた事も…… 思い出していた。

 ふと、自身の拳を見詰める。 

 太い二の腕から、分厚い掌。 この手で、穴熊族を護ると誓った。 自嘲の笑みが苦く頬に浮かぶ。


 人族を連れて来た森猫族の女が口にする言葉を聞いた。 その言葉は、森に棲むモノ達にとっては、異端とも云える言葉だった。



「薬師リーナ様をお連れした。 お前たちの、逢いたいと云う 「 要望 」に応えられた」



 前に出て、森猫族の女は無視した。 こんな奴と言葉を交わすのも汚らわしい。 小娘だった。 人族の小さな小娘。 凛とし、暗闇の中、確かに自分を見つめて居る事に、少々驚きを覚えた。 しかし、こいつをにえにする事には変わりは無い。




「人族の子、薬師リーナ。 「穢れし森」を浄化再生させたと、そう聞く。 誠か! 人族の子の技で森は壊滅した。 その人族の子が森を再生したなど、にわかには信じられん! 何が目的かッ! この地に何をしたのかッ! その真意を聞かせて貰おう!」




 にえには、贖罪の言葉が必要。 精霊様にこの小娘が成した罪を告げさせればよい。 この小娘が、「嘘」でも吐けば、強制的に贄にすら出来る。 威圧を放ち、小娘に対し罪の告白を強要した。 ……強要したつもりであった。 が、小娘は一片の罪も感じてはいない。 苛立ちが募る。



「大地の惨状と、異界の魔物による汚染は、人族の成した事。 その技の詳細は今は失っています。 しかし、その惨状を見、心を痛めた人族もまたいらっしゃった。 長年の研究の果て、ようやく【浄化】の術式を組上げられた。 人族の偉大なる魔術師が、心を込め編んだ魔法の術式が有ればこそ、この地の汚染は浄化されました。 樹々を育て、この原初の森を取り戻したるは、穴熊族が王、バハムート王の御霊。 偉大で誇り高く、矜持に満ち、慈しみの心を持ちし魂が、この地に森を再生されました。 そのお手伝いをしたのは、わたくしでは御座いますが、真にこの森の再生を願われたのは、彼の偉大なるバハムート王に御座います」




 云うに事欠いて、偉大なる穴熊族の王、バハムート王の聖名を出すのか。 何者なのだ、この小娘は。 ” 不敬である、不敬極まりない! ” 純粋な怒りが湧きあがる…… これほど、堂々と己に罪が無いと、そう云う小娘に怒りが抑えきれそうにないと、そう…… 思った。 しかし、精霊様への言上は必要。 更に問うた。




「その言、誠の事かどうかは知らぬ。 人族の者にそんな慈愛の心を持つ者が居るとは、信じられぬ。 さらに問う、この地で何を成そうとするのかッ! この地は、穴熊族のモノであるッ! 獣人達の国、ジュバリアンのモノであるッ! 人族が入る事、許すまじッ!」

「わたくしは、バハムート王が願いを聞き、精霊様にお願いをし、この地に森を再生致した迄。 その後の事は、この地を魂の故郷とされる方々が良きように図られるべきかと。 出て行けと云うのならば、出てゆきましょう。 以前の国境線を固持するならば、ファンダリア王国は何も言いますまい。 この地を狙うは、我が祖国では有り得ないでしょう。 偉大なる獅子王陛下が、宣下なさいました。 ジュバリアンとの諍いは厳に慎む事と。 今もその宣下は生きております。 あなた方は、あなた方の思うがまま、この地を治れば良いかと思います」

「バハムート王が願いとは何ぞやッ!」

「この地に住まう者達の安寧と、森都ブルシャトの再興。 護れず、破壊してしまった故郷の復興を願われました」



 そう、言いつのる小娘。 怒りは頂点に達する。





「その証拠はッ! この薄汚い人族めッ!!」





 そして、小娘は、問いには答えなかった。 つまり、それは 「嘘」となる。 言上には「嘘」は許されない。 ならば、このままにえとしても、なんら問題は無い。


 ―――― この小娘の、「血と肉」を持って、千年の平安を祈願する。


 冷めた口調の小娘が、怒りに身体を震わせている者達の「復讐心」をさらに煽り立てた。 とうぜん、その中に自分も含まれる。




「証拠は何処にもありません。 ただ、わたくしが真実を語るのみ。 信じられぬともそれは、そちらの心です。 わたくしはそれを咎めもしません。 わたくしの在り方が、それを許しません。 ならば、どうされるのか? 森を出ろと云わるのならば、そうします。 この命を奪うと云うのならば抗います。 わたくしにも矜持は御座います。 辺境の薬師リーナは、成すべき事を成し、精霊様のご意志を顕現させた迄。 その事に嘘偽りは、欠片も御座いません」




 これが…… コレが人族か。 これだけの殺気に包まれ、まだ、「嘘」を吐くか。 盛り上がる鬼気と殺気。 押し止める謂われも、理由も無い。 ならば、その血肉を差し出してもらう。




「わたくしの矜持に掛けて、嘘偽りは御座いません! それでも尚、わたくしを御疑いに成るのならば…… 仕方ありません。 この命、差し出しましょう! それほどまでに人族で有るわたくしの事を厭い、滅したいのならばッ!!」




 その場に居た『全ての者達』が、この小娘が発した言葉に息を飲む。 


 漢で在れ、女であれ、これほどの気迫を込めた声を聴くことは……


 なかった。


 そうか、覚悟を決めたか。 


 ならば、その覚悟と共に、小娘をにえをする事にしよう。





 強き魂は、最上たる捧げ物。 そう、供物となる。




      千年の安寧、祈りの対価。




    小娘ッ!! 弑させてもらうぞッ!!







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