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断章 12
閑話 上級王皇太子妃の寝所にて
しおりを挟むそよぐ風は、潮の香を含み、暖かな温もりもまた、内包している。
白亜の柱の間には薄絹のカーテンがそよぎ、ゲープラン織のクッションは、軽く汗をかいた肌に優しい。 長椅子にしどけなく横たわりながらも、各種の報告書を読み、その裏側の真実を見る瞳は深い色をたたえている。
せりだしたお腹を護る様に、片方の手は添えられ、その肢体に ” 母なる女性 ” の神聖さを醸し出していた。
「この情報は、マグノリアに居る 『 草 』からですか?」
「はい、王太子妃殿下。 左様に御座います。 彼の地より沿岸まで運ばれ、海路にて 『 ワイバーン搭載母艦 龍の巣 』 へ、そして、先程、海軍のワイバーンによりもたらされました」
「つまりは、一ヶ月以上前の情報と云う事に成りますのね」
「御意に…… 流石にそれ以上の速さでは……」
「…………ハト便が、必要のようね……」
「はっ?」
「何でもありません」
―――― ベネディクト=ベンスラ連合王国 ――――
上級王の宮殿の奥深く。 後宮の上級王皇太子の区画。 その奥まった場所に、ハンナ=ダクレール=グランディアント上級王太子妃の寝所であった。
あの日から、四年の歳月が流れている。
意を決し、ルフーラ殿下の元に身を寄せ、そして、上級王王太子妃として、彼の側に立った。 国内はもとより、国外にも衝撃が走しったのは無理もない。 ベネディクト=ベンスラ連合王国の文字通り未来の国母となるからであった。
本来ならば、盛大な挙式と周辺各国へのお披露目もされるべき ” 慶事 ” ではあった。 が、彼女を手に入れる際に暴き出された、第四王家の醜聞。 そして、それに彼女もまた巻き込まれていた事実。 やっとの事で、「唯一」を手に入れたルフーラではあったが、妃の出身国からの、「祝福」は、皆無。
状況が状況な為、挙式も質素で簡略化したモノであり、お披露目もまた、国内の高位貴族、各王家の者達にのみ行われたに過ぎない。 そんな中で、優しく微笑み、何も異議を唱えない、ハンナに国内の王家の者達は元より、貴族の者達も不思議に思う。
リッカ=ショマーン=グランディアント上級王妃は、誰よりもハンナに厳しい指導を実践し、誰よりも彼女を優しく支えた。 立ち居振る舞いは、多分にファンダリア様式を含むが、その美しい姿に誰しもが納得し、朝議に参加するようになった彼女の見識と、情報の解析力に舌を巻く。
そんなハンナを従えるルフーラもまた、長きに渡り、海外との貿易を通じ硬軟併せ持つ政治感覚を身に着けた、正当なる上級王候補者と、そう認識されていた。
こと、ベネディクト=ベンスラ連合王国では、彼等は次代の上級王として認識されている者達であった。
慶び事は続く。 ハンナの懐妊であった。 日増しに大きくなる彼女のお腹に、ベネディクト=ベンスラ連合王国の未来が宿っている。 公職を暫し退き、御産に万全を期すと、リッカ上級王妃に宣言されてしまえば、是非も無く。
ハンナは無聊を囲っていた。
しかし、そんな中でも、彼女は情報の収集に余念は無い。 各国から届けられる情報、国内のこまごまとした、話。 彼女の元には、日々その類の報告が寄せられる。 その為の情報担当官も専任しているほどに。
「マグノリアの国内情勢は、極めて厳しい物がありますね。 今後は、彼の地の穀物の移動を重点的に監視してください。 民に廻るべき食料が、軍に廻り始めた時が、彼の国が本格的にファンダリアを狙うときでしょう。 また、奴隷商の動きにも注意が必要です。 良いですか?」
「御意に。 通達を出します」
「宜しい。 ついで、ファンダリアに対しては、王宮周辺の事情を…… 特に王太子ウーノル殿下の周辺の事情を調べなさい。 公女リリアンネ第三王女が、ファンダリア王国に遊学される事になったわ。 それに対し、お出迎えとご対応をするのが、マクシミリアン殿下。 元はマグノリアの王太子殿下でしょ? そんな厄介な人達を敢えて集めるのは、何らかの意思が有るとしか思えません。 それを企画したのが、ウーノル殿下だと、情報から推察されます。 しかし、意図が見えません。 紐付きであろうに…… 何故でしょうね」
「あちらの御都合では?」
「そんな甘い考えでは無いと思います。 これまでの王太子府の動きから見るに、何らかの意図は有る筈です。 同盟か敵対か…… 見極める必要が御座いますのよ。 敵対となると、どちらに付くか…… それも勘案せねばなりません」
「……ファンダリアでは無いのでしょうか?」
「なぜ? わたくしは、ベネディクト=ベンスラ連合王国の王太子妃。 この国の利に成らぬならば、そのような選択は御座いませんわよ?」
「……ダクレール領は、ファンダリアの辺境域に御座いますれば」
「父は、そのような事に娘を使う事は、御座いますまい。 それに、「あの方」を蔑ろにされた方々がお住まいになる、ファンダリア王国には、これと云って何も御座いませんし…… 公平に、この国にとって何が一番大切なのかを見極めたいのです」
「御意に……」
真っ直ぐに見詰められる情報担当官は、ハンナの言葉に自らの不明を恥じた。 そこに先触れが入る。
「上級王太子殿下が御越しになります」
「どうぞ、入ってもらって」
「はい」
女官の柔らかな声の後ろから、既に入室してきたらしい、ルフーラの声が重なる。
「愛しい妻よ、また、こんなに散らかして……」
「あなた…… 必要な事ですもの」
「今、君に必要な事は、ゆっくりと休み、体調を整え、丈夫で健やかな子を産む事だよ」
「まぁ、あなた…… でも、こうやって、報告書を読むと、お腹の子も喜んで、私を蹴るのですよ? とても、楽し気に……」
「子守歌が『対外情報とその解析』と云うのが…… なんとも君らしいが、それも、どうかと思うぞ?」
「あら、結婚の時の誓いにもありましたでしょ? わたくしはこの国の民となったのです。 この国に我が身を捧げるの当然の事かと?」
「あぁ、そうだね。 わたしと国のどちらに重きを置くのか…… などとは聞かないよ。 女々しい端女の戯言の様に聞こえてしまうからね。 ただ……」
「ただ?」
「君と君が育む子を大切に想いたい。 それだけなのだよ」
つと、伸ばされるハンナの手。 その手を愛おしく包み込む様に握るルフーラ。 椅子に腰を下ろし、横抱きにハンナを支え、その額に口づけを落とす。 まろやかな風が、寝所に吹き込み彼等の頬を撫でる。
ふと思い出したように、ルフーラがハンナに告げる。
「そう云えば、公女リリアンネ第三王女の護衛に、第四四〇特務隊が任じられたと報告にあったな。 君のダクレール領での主治医であり、我が国も大恩のある、あの「薬師錬金術士」リーナ殿が率いるとあった。 そちらにもこの情報は来ているのかい?」
「えっ? それは…… 初耳に御座いますわ。 何処からの報告に御座いましょうや?」
「君の御実家だよ。 ダクレール男爵殿が、私に直々に送って下さった。 機密情報だとね。 君に良くしてくれた、あの「薬師錬金術士」殿の動向は、あの御仁も気にかけていらっしゃるようだね」
「そう…… ですの……」
深い色のハンナの瞳がキラリと光り、その光の中に様々な思惑が躍る。 父ダクレール男爵の思惑、そして、その事を伝えさせた意思。 機密情報という、宝石にもまして大切なモノを、敢えて外国の王太子に伝える行動。 その背後にある、何らかの策、謀、思惑。
自分にでは無く、敢えて王太子に報告されたその情報。
―――― 薬師錬金術士リーナが軍に帯同して公女リリアンネを護る ――――
辺境の聖女と呼ばれた彼女が、何故、本領の軍に所属して、公女リリアンネ第三王女の護衛を務めているのか。 その命令を下したのが誰か。 彼女の力を知っているのか。 膨大な魔力と、王宮魔導院の魔術師を上回る能力を秘め、高名な符呪師もまた凌ぐ力を持つ少女。 そして何より、その薬師として…… 治癒師としての能力もまた……
様々な可能性が脳裏を過る。
彼女の存在が、この先どう関係するのか。 為人は知っている。 優しく、穏やかで、思慮深く、何よりも慈しみの心を持って自分に対応してくれた。 もし、今、彼女がこの後宮に居てくれたなら…… 初産への怖れも、何もかも打ち払われ、穏やかな気持ちで過ごせるのに…… と、そう思う。
と、同時に、不思議にも思う。 なぜ、こんなにも彼女を信用し信頼しているのか、と。
それは、敬愛にも似た感情。 彼女の顔を思い出すたびに、心が揺れるのだった。 なにか…… なにか、とても大切な事を…… 忘れているような、そんな気がしてならなかったのだった。 靄の掛かったのような記憶。 そして、その靄は記憶のある時期にしかない。
思い出したくも無い一連の記憶の中に……
寂しげに見つめる、少女の姿が……
娼館の部屋の中で、粗末な椅子に座った、大切な少女の姿が、靄の中に浮かび上がる……
突然、小さな…… そして、精神的には大きな振動が彼女を引き戻した。
ポコン
ルフーラにも判るほど、ハンナのお腹を蹴る小さな衝撃。 柔らかな日差しが差し込む、王太子妃の寝所の長椅子の上で、二人は顔を見合わせ、にこやかに微笑んだ。
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