その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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エスコー=トリント練兵場の「聖女」 

雨の治癒室

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 翌日も雨……




 篠突く雨が、演習場を霞ませていたわ。 雨垂れの音が物憂げに、窓から響く。 薬師の服装で、今いるのは、治癒室。 保護した女性達の面談と、その心の傷をいやす為に、私は注力しているの。 彼女達の身体の方は、エスコー=トリント練兵場の治癒士さん達の尽力も有り…… 何とかね。


 カーテンを引き回したベットに横たえられている女性達。


 一応ね、妊娠鑑定も実施したわ。 驚いた事に、彼女達…… 低級だけど、避妊薬を飲まされていたの。 鑑定結果は…… すべての女性に関して、妊娠は認められなかった。 ……性奴隷として売るつもりが、あったって事ね。


     最低……


 女性たちの年齢は、十五歳から、二十二歳。 お名前と、出身の村…… 住んで居た場所なんかを聞き取って、彼女達の親族が受け入れてくれるかどうかの確認も取ったわ。 このまま、放り出せないもの。 三十五人の女性の内、二十八人は捜索願が出されていたわ。

 直ぐに連絡を取ってもらった。 「保護いたしました」 との、言付と共にね。

 御親族の方々は、直ぐにでも引き取りたいとの「願い」では有ったのだけれども、少なくとも彼女達が、心の折り合いをつけるまでは、面会の謝絶をお願いしたの。 それほどまでの、彼女達の心は痛んでいたんだもの。

 一通りの診察を終え、ご家族、御親族の居る女性の方々には、その旨をお知らせした。 不安げな顔をしていたけれども、彼女達をきちんと受け入れてくれる。 ” たとえ、山賊どもに何をされていたとしても、大事な娘、嫁で有る事には違いない ” との彼等の言葉も合わせて伝えたわ。

 彼女達には、知らせていないけれども、ご家族、御親族の方々には、精霊様に「誓約」してもらった。 もし、彼女達を苛むような事が有れば、その身に精霊様の罰が落ちても、文句は言わないって。 

 安心して欲しい…… あなた達には帰る所が有るんだと、そう思って欲しい。 暴虐と不条理に晒された貴方たちを優しく包み込んでくれる人が居ると…… そう思って欲しい。

 心を落ち着ける、いくつかの薬草を調合し、忌まわしの記憶に苛まれた時には、飲む様に渡したの。 滲む涙を見て、心が痛む。


 問題は―――  残る、七人の女性。


 その内の五人は、村が襲撃された時、家族が殺されて、彼女達を待つ人がいない。 目の前で夫君が殺された人も居た。 励まそうにも…… どう言っていいか判らなかった。 ウーカルさんが、安息香を持って来て、彼女達の枕元にそっと置いて、深い眠りについてもらっている。

 残る二人の方々は…… なにも、仰らない、素性の判らない方々だったの。 でも…… 所作はとても美しい。 このお二人は…… 家格の高いお家のお嬢様なのかも……

 現実を見るには…… あまりに時間が無さ過ぎるの。 なにか…… そう、なにか生きる糧と成る様なモノが必要なのよ。 色々考えたのだけれど、やはり相談は必要だと感じで、女性たちが、皆が眠っているのを確認してから、治癒室を出たの。


 第四四師団の指令室に向かう為にね。


 現状、この練兵場を仕切っているのは、戦務幕僚リヒャルト=フランシス=アーバスノット子爵様。 彼に、「この問題」を相談する為に出向いたの。 雨垂れが耳に付く、そんな昼下がり。 執務室の扉を叩いたの。




「薬師リーナです。 入室許可お願いします」

「あぁ 入ってくれ。 昨日の今日で、治癒室に詰めて貰って済まないな。 座ってくれ。 なにか、必要なモノでも?」

「失礼します。 少しご相談があるのです」




 入室度同時に、アーバスノット子爵様は私に椅子をすすめながら、そう仰ったの。 椅子に座ると、従卒の方が、お茶を淹れて下さった。 フッと息を付いた。 そういえば、昨日の夜から、初めてのお茶かもしれないわ。 軽く腰を下ろした椅子に、身体がめり込みそうな疲労を感じたの。

 心配そうなアーバスノット子爵の表情。 私が練兵場に帰ってから、休まずに治癒室に詰めている事を、ご存知だものね。 でも…… 私は、大丈夫。 彼女達の心の痛みと比べたら、こんな疲労なんて無視できる。

 私はアーバスノット子爵様に治癒の進捗を伝え、比較的状態の良い方、ご家族、御親族がしっかりと面倒を見てくれそうな方から、順次村へ戻ってもらえると伝えたわ。 ただ、それまでには、少なくとも、三日…… いえ、四日くらいは必要だと云う事も付け加えたの。

 アーバスノット子爵様は黙って頷かれてたわ。

 そして……問題の七人に方達。 もう、行く先も、生きて行く希望すら無いような方達。 彼女達に付いて、思案している事を話したの。




「彼女達には生きて行く意味すら、もう無いのかもしれません。 親御さんも…… 御自身の夫も…… そして、子供達も…… みんな失ってしまったのです」

「そうか…… 絶望しか…… ないか」

「でも、わたくしは、そんな方達でも生きて欲しい。 愛する者を目の前で失った悲しみは深く、そして、絶望の色はとても濃いですが…… 自身に降りかかった理不尽すらも、その深い悲しみの前では、どうでもよい様な…… そんな言葉を紡がれます」

「薬師リーナ。 君は、何を考えているのだ?」

「はい。 あの方たちに生きる希望を。 必死に力の限り、あの方たちを助け出した、ファンダリアの兵が居た事も事実です。 その事を理解して欲しいと…… そう、思っております」

「具体的には?」

「このエスコー=トリント練兵場には、軍属の方も働いておいでです。 少ない予算なのは、存じておりますが、彼女達に生きる希望を与える為にも…… できれば、此方で行く末を見守れないだろうかと……」

「つまりは、軍属として雇い入れ、このエスコー=トリント練兵場にて、働いてもらうという訳か?」

「はい。 厨房、洗濯室、兵舎の清掃。 仕事ならば、幾らでもあります。 そして、この練兵場には、女性の軍属の方は少ないですから」

「軍の風紀上、あまり若い女性は雇い入れていない。 ……それでもか?」

「ええ…… 厨房ならば、兵との接触も少ないかと。 それに、女性が居る方が、力を発揮する兵の方も、いらっしゃると、聞いた事がありますから」

「すべては、兵の倫理観の問題か」

「精強で崇高なる魂の持ち主たる、第四軍の兵ならばと…… そう愚考いたします」

「……副師団長と諮らせてほしい。 私の一存では、断言できないからね。 しかし、善処しよう。 彼女達は、我らの怠慢による犠牲者だ。 副師団長にはその方針でお話する」

「有難き幸せ。 何卒よしなに」

「……あの時間に、そこまで考えていたのか?」

「すべては、精霊様とのお約束ですから」




 疲れた顔でも、ニコリと微笑む。 それだけしか、私には出来ない。 少しでも…… 少しでもいいから、彼女達の力になりたいと、そう思ったから。 私の手は小さい。 私一人では何も出来ない。 だから、皆さんの力をお借りするの。

 なんとか、お話とお願いは伝えたわ。 出来るかどうかは、判らない。 でも…… 出来るだけは……




「薬師リーナ殿。 こちらかも少々お話が」

「はい…… 何で御座いましょう?」

「視察についてだ。 少々予定が変更となった。 殿下と、フルブランド大公閣下の第四軍視察に付いてだが、今週末に予定されていた」

「はい、存じております」

「それが、少々変更を伝えられた。 視察場所が、このエスコー=トリント練兵場から、王城外苑になったと連絡が入った」

「左様に御座いますか」

「それでな、薬師リーナ。 君の第四四〇特務隊は……」

「出向けませんわ。 今は。 彼女達の治癒は、女性治癒士が必須。 エスコー=トリント練兵場の衛生兵様、治癒士様は皆様男性。 今、彼女達に男性が近寄る事は、それこそ、心を壊してしまう可能性すらありますもの」

「……だろうな。 判った。 こちらから、副団長には伝えておくよ。 薬師リーナは、エスコー=トリント練兵場から離れられないとね。 相判った。 君の軍務に対する献身に感謝する」

「薬師の本分です。 感謝ならば、精霊様への祈りを…… お願い申し上げます」

「……貴女らしい言葉だ。 それとな、コレは内密だが、君が実施した『海兵式』の訓練は、正式に第四軍全体での実施を検討している。 練兵中隊の隊長二人に、君の実施した訓練を纏めて貰っている…… 今からでも…… 間に合うだろうか?」

「軍学校での教育は間違いではありません。 ただ、実際の戦地での教訓が反映されていないと、そう感じました。 今作戦では、わたくしがダクレール領で見聞きした戦訓を元に組上げたモノです。 当然、海兵の皆さんの戦訓ですので、陸戦では当てはまらないモノも多う御座います。 その点を、御考慮に入れて頂きさえすれば……」

「うむ。 伝えておこう」

「お時間を取って頂き、誠にありがとうございました。 治癒室に帰ります」

「君も…… 休んで欲しい。 君に倒れられたら、それこそ、私がグスタフに、殴り飛ばされれる」

「フフフ…… 承知いたしました。 では」

「あぁ、下がってくれ」




 重い足取りで、治癒室に帰るの。 コツンコツンと靴音が廊下に響く。 雲は重く垂れ込め、激しい雨に 窓には雨垂れが流れていた。


 涙雨…… ね。


 治癒室に戻り、様子を伺うの。 もう、すすり泣く声は聞こえない。 静かな寝息がカーテンの向こう側から漏れ聞こえる。 兎人族さん達が用意してくれた安息香の薫りが、治癒室に漂っている。

 一部、個室になっている場所に、問題の七人の人達が留め置かれているの。

 一番、危ないからね。 兎人族の人もここに詰めて貰っているの。 何かあったら、直ぐに止められるように。 狐人族のカナイさんが、低い声で精霊賛歌を口ずさんでいるわ。 落ち着いた…… まるで、聖堂の様な神聖な空気が、その場所を満たしていた。

 出来るだけ……

 そう、出来るだけ、彼女達の心に、安寧をもたらせられるように。 七つの小部屋に彼女達は横たわっているの。 扉は無いわ。 カーテンも下がっていない。 並んでいる部屋は廊下に向かっては解放されいるの。 中が良く見える様にね……

 一部屋、一部屋を確認するの。 程よく安息香が焚かれ、深い眠りに彼女達を誘っている。 もう少し、眠って居て欲しい。 今は、まだ、現実は厳しいから……




 その中の一部屋。

 眠っていると思われた、女性が二人。 

 雨垂れを見詰めて、並べた椅子に座っていたの。

 背筋がピンと伸び、真っ直ぐに窓を見てらした。 それは…… とても美しい姿で。 庶民の女性では無いと。




 力の無い視線が、窓を離れ……



 私に向いたの…………





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