その日の空は蒼かった

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断章 9

エントワーヌ=オリビス=オフレッサー侯爵 第四軍総司令の欣悦

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 口火を切ったのは、軍務大臣。 厳つい顔に苦い笑顔を浮かべながら、言葉にする。




「久しいな、エントワーヌ。 四軍には苦労を掛けている。 済まぬな」

「フルブラント大公閣下。 過分のお言葉、有難くあります」

「王太子殿下より、貴様に話があるそうだ。 心して聞け」

「有難くあります」



 言葉を交わし終えた後、ゆっくりと視線をウーノル王太子殿下に合わせるエントワーヌ。 猛禽類の様な鋭い視線は、その視線を浴びせたモノに、恐怖と威圧感を与える。 そんな視線を受けても尚、ウーノル王太子は微動だにせず、エントワーヌを見返していた。




「オフレッサー卿。 突然の呼び出しに応じてくれた事、有難く思う。 国王陛下より、第四軍の指揮権を下賜された。 本来ならば、第四軍の司令部に足を運ばねばならん所だが、時間が取れずこの様な仕儀になってしまった。 許せ」

「勿体なく。 して、臣なる我が身に、何をお話になると?」

「単刀直入だな。 嬉しく思うぞ。 卿等の働きは、報告文書にて理解している。 よく、あの状況で、四軍を纏めていると、そう思う。 王族とは言え、卿が差配している責務を、わたしが直に取る事は、出来ぬと勘案した。 卿の王国への忠誠は真なりとも、理解した。 よって、私は卿に願う。 これからも第四軍の指揮官として、将、兵を纏め、もってファンダリア王国の盾となって欲しい」

「つまり…… 指揮権は…… わたくしが保持すると?」

「なんら不思議はあるまい? 勇猛果敢な実戦指揮官にして、第四軍を纏え上げられる漢は、オフレッサー侯爵以外には居らぬからな。 まして、私は十二歳の男児。 そんな私が、軍権を下賜されたからといって、何が出来ようか。 専門家がその任を全うできるように、環境を整えるのが私の役目だ。 そうは思わないか、エルブンナイト=フォウ=フルブラント軍務大臣」

「……まさしく」




 驚きに大きく目を見開き、男児と偉丈夫の二人を見るエントワーヌ。 彼は思う、多分、後ろに控える部下も同じような顔をしていると。 指揮権を移譲すると思っていた。 そして、自分は王太子殿下の後見か、もしくは、予備役に編入されると、そう信じていた。 それが、現状のまま、第四軍を指揮せよと。 そう、ウーノル殿下が言い放ったのだ。 自分の耳から聞こえた言葉が、信じられない思いがしている。




「オフレッサー卿。 さしあたって、何か不具合は無いか。 あぁ、幕僚でもよい。 思い当ることが有れば、この場で申せ」




 強靭な精神力は、この思いもかけないウーノルの言葉に耐えた。 宿将としての、矜持を思い出し、虚勢を張りたかった。 グッと前を見詰め、” 問題ありません ” と、言い放とうとした時だった。 背後に控える次席戦務幕僚が声を上げる。




「御畏れながら、ウーノル王太子殿下に、奏上申し上げます!」




 空気を読まず、言いたい事が有れば、その場で言い放つ、そんな性格を知り尽くしていても、エントワーヌは信じられない思いを抱いてしまう。 いくら、王太子殿下から、直言を許されたとはいえ、あまりにも非礼に当たる。




「控えよ!」

「構わない。 オフレッサー卿。 問題が有れば申せと言ったのは、私だ。 よって、そちらの幕僚の言は、私が知るべき事なのだ。 卿を軽んずるわけでは無い。 卿が私を慮って、言葉にしない事を、その幕僚が云うのだ。 ……それで、何が問題か?」



 一拍の間を置き、次席戦務幕僚が言葉を紡ぐ。 急性に、そして、真摯に。 この機会を逃すまいと、そう意気込む様に。



「殿下、直言のご許可誠に有難く! 問題は山積に御座います。 まずは、予算。 現在、第一師団と交代の為に行軍中の第三師団の金蔵はもう空です。 満足に糧秣を整える事も難しくあります。 展開中の第一師団も、現地にて糧秣の手当てに困難を感じております。 さらに、王都の護りより、外された事で、士気が落ちております。 これにより、配備地域での行動に精彩を欠き、負傷兵の増加が判明しております。 さらに、医薬品、ポーション類、解毒薬等、薬品類の手当てが全くつきません。 四軍薬品備蓄庫の中はすっからかんであります! 危機的状況。 まさにこの言葉に尽きます!」




 ウーノルは、腕を組み、眼を瞑る。 思っていた以上に酷い有様だと云うように、首を横に軽く振る。




「まさに、危機的状況という訳だな。 カービン、居るか」

「お側に」




 王太子付き侍従長の任に横滑りで付いた、カービン=ヒッテンフェルト宮廷伯が、音もなくウーノル殿下の背後に付く。 恭しく首を垂れ、胸に白手袋をした手を当て、ウーノル殿下の命令を待つ。




「王太子予算から、第四軍に、第一軍の予算との差額分をすぐに送れ。 ミストラーベ財務大臣には、言うな。 横槍が入る。 王太子機密費より譲渡せよ」

「御意に」

「糧秣が買えぬだと? ふざけているのか? それと、フルブラント卿、何時から第四軍が王都の護りの任から、外された? 獅子王陛下の勅命だぞ? 王命か? その命令の出所は!」

「……聖堂教会、神官長補佐様が、予算の効率化を盾に、ミストラーベ大公閣下と図り、通達を出されました。 王命では御座いませんが、陛下の側近の言として、第四軍に通達された模様で御座います」

「越権行為だな。 通達を破棄せよ。 四軍は王都の護りの要。 断じてコレを反故にする事は出来ない。 しかし、現状、東側の動向も無視できない。 よって、この件は、オフレッサー卿の差配に一任する。 卿の思う通りに四軍を動かせ。 王都の護りと、王国東側国境の護り。 重き責務を負わせる事に成るが、卿であれば出来ると信じている」

「殿下……御意に」

「獅子王陛下がオフレッサー家を信じ、王都の護りを任せたのだ。 そして、その任をずっと守って来たのは、理解している。 他の者ならば、四軍はすでに壊滅的状況であったろう。 卿、貴殿の献身と矜持に、私は深く感謝を捧げよう。 神に、そして、精霊に感謝の祈りを捧げよう。 よくぞ、エントワーヌ=オリビス=オフレッサー侯爵をこの時代に使わしてくれたとな」

「で、殿下…… あ、有難きお言葉……」




 感無量であった。 これ程の言葉を、久しく会っても居ない王族、それも王太子殿下より戴ける事に、エントワーヌは、驚きと感謝を心に刻んだ。 そして、疑問が浮かび上がる。 一体、ウーノル王太子殿下は、何時から自分達を見て来たのかと。 

 軍の報告書からと…… 先程、そう聞いた。 しかし、それだけで、ここまでの信を持てるものか? 

 疑問が浮かび上がる表情に気が付いたのか、ウーノル王太子殿下がエントワーヌに声を掛ける。




「私にも目と耳が居る。 「王家の見えざる手」だ。 情報は広く深く取る事にしている。 四軍は、先ほども言ったが、王都の護りの要。 よって、情報は常に私の耳に入る様にしていた。 しかし、戦務幕僚殿が言われるような危機的状況であったとはな。 そんな状況においても尚、四軍は戦闘力を有し、王都の護りの任を全うしている。 ひとえに、卿の手腕だと断じても、おかしくはあるまい。 そんな漢に、信を置かずして、誰に信を置けと? そういう事だ」




 自然と、瞳が潤む。

 見ていらっしゃったのだと。 そう…… 思えた。 この方であれば…… この方であらばこそ…… この方に…… 忠誠を捧げる事を誓った。 突然、先程の参謀が声を上げる。




「や、薬品類は!」

「王宮薬師院から、「薬師」を一人だが、配した」




 ウーノル王太子殿下の言葉に、エントワーヌの眉が上がる




「あの小娘…… いや、失礼。 あの少女が?」

「あぁ、そうだ。 卿に信を置いたのと同様、薬師リーナに私は絶大な信を置いている。 すぐに判ると思うがな。 もし、卿があの者に無礼な言葉を吐いていたとしたら、襟を正せ。 王宮薬師院を説得するのに、どれほど苦労したか。 ある意味、要となる」




 ウーノル王太子殿下の言葉に、エントワーヌは絶句する。 これほど注意深く情報を得る為に努力されている殿下が、それほどまでに信を置く相手。 そんな相手を ” 小娘 ” と見くびっていた自分。 確認せねば。 その想いが胸を焼く。 忠誠を捧げる殿下の肝煎で、出向してきた王宮薬師院の「薬師」

 彼の心の中に憔悴感がせり上がった。




「もうこんな時間か。 済まないが次の予定がある。 あぁ、オフレッサー卿。 二週間後に全軍の情報を集め、総監を行う予定だ。 それまでに第四軍の部隊配置、戦況、消耗率、詳細情報を上げてくれ。 あて先は、王太子執務室。 私宛だ。 よいか?」

「御意に御座います。 殿下」

「うむ。 突然の呼び出しに応えてくれた事、嬉しく思う。 以上だ」

「御意に。 退室いたします」

「許可する。 王都の護り。 頼んだぞ」




 深々と頭を下げ。 王太子執務室を退出する三人。 行きとは違い、晴れやかな顔をする主席戦務幕僚。 ぶつぶつと云いながらも、嬉し気な様子の次席戦務幕僚。 いや、そう思うエントワーヌ自身、頬に笑みが刻まれていた。



 畏れ多い事ではあるが…… と、浮かぶ思い。

 担い甲斐のある、王太子殿下だと……

 宿将たる自分が、何としても護り抜く、尊き御方であると……

 そう……




 歓喜に心が震えた。





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