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断章 7
閑話 第一王子執務室での、王子と従姉
しおりを挟むウーノル王子の執務室。
三人の人影が、応接テーブルに付いていた。 ウーノル王子、ロマンスティカ、そして、ウーノルの背後に控える、カービン執事長だった。 テーブルには、ティーセットが置かれ、ポットを手にした、ロマンスティカが茶を淹れていた。
暖かで、高貴なアロマが広がる。 その香しき薫りは、ウーノル王子とカービン執事長の心を和ませる。
「執事長様には、強い酒精も、お入れいたしますね」
「……申し訳ありません。 ですが……殿下の御側なれば……」
「構わない、許す」
「はい」 「御意に」
テーブルに置かれた、ブランデーを少量、カップに注ぎ込むロマンスティカ。 華やいだ香りが、執務室に広がる。
ストレートに淹れたカップは二つ。 その内の一つに口を付けて、味を確かめたのか、ニコリと微笑むロマンスティカ。 カップをソーサーに乗せ、ウーノル王子と、カービン執事長にお渡しする。 勿論、ブランデーの香りが立つ方が、カービン執事長に渡った。
香りを楽しみ、口を付ける二人。 ホウゥ と、ため息が漏れる。
「ティカ、悪いな。 時間も無いのに来てもらった。 カービンにも、癒しが必要だ。 そうであろう?」
「殿下、誠にありがとうございます。 ニトルベイン大公御息女の茶は、まこと、美味しゅうございますな」
「私の知る限り、ティカ以上に旨く茶を淹れる者は知らない。 ティカ、ニトルベイン大公閣下の呼び出しとはなんだ? 掴まれているのか?」
茶を含み、その香りを楽しんでいたロマンスティカ。 にっこりと微笑む。 そして、何も言わない。
「ティカ。 ここは私の執務室だ。 カービンは最も頼りになる漢だ。 ここでの話は、誰も聞けぬ。 従姉弟同士として、話がしたい」
「直言、御許可頂けますか? わたくしは、あの記章は頂いておりませぬ故」
「あぁ、固いな。 ティカは、固くて頑固だ。 サロンの時の様に何故振舞えぬのか…… そうは、思わないか、カービン?」
「左様に御座いますな。 しかし、ロマンスティカ様の御立場上、仕方のない事では?」
「……そうだな。 ティカ、直言を許可しよう」
「有難き幸せ。 感謝を持ちて、奏上いたしましょう」
にこやかな笑顔が剥がれ落ちるように、ロマンスティカの表情は硬く引き締まったモノに変わった。 言葉が彼女の口から紡がれる。
「御爺様からの御呼び出しの件については、想定が出来ますわ。 国務大臣の執務室ではなく、例の小部屋にとの思し召し。 想像では御座いますが、そこには宰相閣下もおられると思われます」
「こちらの動きを?」
「それは、エドワルド様の御役目。 わたくしの役目では御座いません」
「ならば、何か策を弄そうとするのか、あのご老人は」
眉を寄せ、ニトルベイン大公の行動を予測しようとするウーノル王子。 最近の執政府における懸案事項と、様々な問題が脳裏に浮かび上がる。 真剣な表情で、思案するウーノル王子を見つめていたロマンスティカは、苦笑を浮かべる。
「縁談ですわ。 わたくしの。 殿下…… 皇太子妃は、アンネテーナ様に決まりました。 未来の国母となるべきお方です。ドワイアル大公家に対しての謝罪という側面も御座います。 そして、本来の順番として、ミストラーベ大公家からも、王家は縁組をしなくてはなりません。 ベラルーシア様が、役割を持ちつつも、側妃候補として、後宮にお入りになる事もまた、決定事項ですわよね」
「あぁ、その通りだ。 だが、シアに関しては、いつでも側妃候補を辞退し、他家に嫁せる様にとの誓約を、ミストラーベ大公と約している」
「あら、殿下は本当に ” その方面 ” では、鈍く御座いますわね。 彼女、狙ってますわよ? 本来の意味で、「側妃」になる事を」
「……また、そのような事を」
「いずれ判りますわ。 そうですね、あと、五年もすればですが」
「いや、その話はいい。 ティカの縁談というのは、なんだ?」
扇子を広げ、口元を覆うロマンスティカ。 視線だけをウーノルに向け、心細げな声色を使い語り始める。
「わたくしは、ウーノル殿下の従姉に当たる為、後宮……側妃にはなれません。 そして、従姉という事で、記章の授与もされませんでした…… 表向きは。 四大公家において、ニトルベイン大公家の娘が、嫁すべき相手となると、フルブラント大公家くらいしかありません。 が、彼の御家は、武門において王国の藩屏となる御家柄。 わたくしの様に、小さく弱く生まれた者には荷が勝ちすぎます。 そこで、御爺様は考えられた。 わたくしの「 光 」属性を他家の家系に送り出すくらいなら、ニトルベイン大公家の内側に残すべきであると。 そして、白羽の矢が立ったのが、我が大公家の傍系たるノリステン公爵家となりましたのよ。 おそらく、お爺様の今宵の「お話」は、その事でございましょ」
「なに…… エドワルドの妻にと?!」
「おほほほ、まだ、決まっておりませんわ。 あくまでも、その方向でと云う事らしいのです。 エドワルド様と、直ぐ上の、お兄様方のどちらか…… との思し召しに御座いますわ。 年回りもよさげですし、万が一世継ぎが無くとも、御継嗣様がおられます。 予備の予備という事ですわ。 それに、わたくしには、「 魔術士 」としての御役目も御座いますし」
「……仮初の婚約か? それほど、「光」属性保持者を、手元に置いておきたいのか、あの御仁は」
「都合の良い「 駒 」ですもの、御爺様にとっての、わたくしは。 ねぇ、そうでしょ? カービン様? 貴方は噂を流した方? それとも、消した方? どちらにしても、お判りでしょ?」
不気味な沈黙が、執務室に舞い降りた。 ロマンスティカの何気ない言葉が、カービン執事長の胸を抉る。 ロマンスティカの出自をカービン執事長は知っている。 関わっていると云ってもいい。 ウーノル王子には、伝えられ無い話でもあった。
実際、ウーノル王子には、ロマンスティカは、ニトルベイン大公家の養女に入った傍系の娘と云う事になっている。 「光」属性を精霊様より授けられた事が、その理由であると…… 公式には、そうなっている。 元の家の詳細は、他者との関りがその家にとって、害悪にしかならないという判断をもって、宰相が秘匿した、と云う事に成っている。
つまりは、偽の経歴を捏造し、ロマンスティカは、ニトルベイン大公家の娘となった。 養女であると云う事で、他の大公家の娘や息子達からは、色眼鏡で見られている事もまた事実であった。
それに…… 今しがた、ロマンスティカに指摘されたようにカービンは、彼女の生まれる前後の、「 噂 」 を流し、そして、消した者達の一人でもあった。
忸怩たる思いが、カービンの心を苛む。 彼のしたことは、五歳になるまでのロマンスティカの人生を、暗く重く閉ざす事に成った原因でもあるからだった。 親の愛を知らぬロマンスティカ。 そんなロマンスティカを不憫にも思うのは、自身が行った非道に対する償いなのかもしれない……
「そんな顔しないでくださいね、カービン執事長様。 わたくしは、幸せですのよ、今は。 だって、こうやって、お話する御相手もおられますし、将来を考えて下さる方もおられるのですから」
「ティカの望む未来か、それは?」
「貴族の家に生まれ育った「 女性 」 に、自由など無いのですよ、殿下。 ……でも」
「でも?」
「『 魔術士 』 ならば、多少の自由は効くかもしれませんね」
にこやかに微笑みながらそう答える、ロマンスティカ。 しかし、その瞳は笑っていない。 なぜ、その言葉をここで云うのか。 その理由に考えを巡らしたウーノル王子は、暗い光が瞳に浮かび上がった。
「すでに危険域に近づいているのか?」
「御意に。 確定情報ではございませんが、いつ暴発するかも判りかねます。 確実に危険域に入っていると、思われますわ。 北の情勢は、それほどまでに緊迫しておりますのよ、殿下」
「まだ、時間はあると、思っていたのだが……」
「五年の内……と、お考え下さい。 そうなれば、婚姻とか、儀式とか言っていられなくなります。 「 力 」 ある者しか、生き残れませんわ」
「避け得ぬのか?」
「今の所、押し止める力になりそうなのは、第一軍、第二軍のみ。 それも、浸透されつつありますもの。 難しくは御座いますわね」
「第四軍の指揮権を受領する事に成るが…… 間に合わぬか?」
「……ひとつ、希望と云うには、ささやか過ぎるモノではございますが、王宮薬師院より「 薬師 」が一名、第四軍に従軍薬師として異動になりますの。 あの方の動き次第によっては…… 第四軍は化けるかもしれませんわね」
「……随分と買うな。 ティカの侍女と、とても良い話が出来たようだ」
「ええ、とても、素直で可愛いお方…… と云う報告がありましたわ。 ……でも、あの方は、殿下でも御す事は出来ないでしょう。 そういう御方ですわよ? あの方の忠誠は、「精霊様」にあります。 精霊様との誓約が全てです。 海道の賢女様の薫陶よろしく、王家には何の思いもありませんわ。 かつての『獅子王陛下』ならば、いざ知らず、現国王陛下では…… と云うより、忌避されているかもしれませんわよ」
「それは、聞き捨て成らないな。 王家への忠誠は誓わぬと、言っているようなものだ」
「ええ、その通りです。 殿下の下賜された 〈直言許可の記章〉は、彼女にとっては、首輪を付けられたのと同義。 アンネテーナが無理矢理押し付けたのよ、きっと。 多分、皆さん、基本的に誤解されているわ。 薬師錬金術士リーナの事を わざわざ、私がサロンで「あのお茶」を淹れた意味すら気が付かない方達だものね。 仕方ないわ」
悪戯猫の様な表情を浮かべ、ロマンスティカは話を続ける。
「私の評価からすると、殿下のお側に置くべきは、” 薬師錬金術士リーナ ” 只一人ね。 そうね、舞踏会の日にも見たでしょ? 彼女、装うとアンネテーナ以上に栄えるのよ。 貴方のお側に立って、ある意味、国母になる資質さえ備えていると、云えるわ。 ……でも、そんな事、彼女は望まない。 望まないどころか、彼女は、空を、大地を、森を、そして、この国に住む全ての者達への『 慈愛に満ちた献身 』を望んでいるの。 その使命は崇高で、たかがファンダリア王国の王妃に成る事なんて、それに比べれば、芥の如くよ」
「どうすればいいと、考える?」
「そうね、好きにさせる。 それが、一番いい方法かもね。 『 鎖は細く長く。 まるで、自分自身が自由に生きていると錯覚するほどに。 』 獅子王殿下の側近の言葉ね。 今は神官長なんて、柄にもない事をやっているらしいけれど。 あの方は、どんな高みに登ったとしても、骨の髄から戦闘神官 なのよ。 賢女様の相棒にして、賢女様に鎖を付けた当のご本人。 見習うべきね」
「そうか………… 難しいな」
「簡単な訳は、無いでしょ! 未だに、『ご本人』も悩んでらっしゃるのよ? おこがましいわ」
「…………そうだな。 そろそろ、時間か?」
「ええ、そうね。 笑顔の仮面をかぶり直さなきゃ。 貴方とお話すると、いつも最後にはこうなってしまうのよ。 ホントにもう……」
「最後に一つ。 ティカから見て、あの側近気取りの者達を、どう見る?」
笑顔の仮面を被り直し、薄っすらと隙の無い微笑みをたたえたロマンスティカは、短く答える。
「お子様ね」
二人の恐るべき子供達の言葉に、カービン執事長の背に冷たい汗が流れ落ちた。
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