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断章 7
閑話 第一王子、執務室控えの間にて
しおりを挟むウーノル第一王子 付侍従長 カービン=ビッテンフェルト宮廷伯は、そっと、執務室の扉を閉めた。
控室に入り、ウーノル殿下からの要望を、纏め、各部署に伝達する。 その行動に澱みは無い。 伝令士に通達、指示、そして、依頼書を持たせ、早々に部屋を出る。
更に奥の間に向かう。
ウーノル殿下には専属の王宮侍女がお茶出ししている時間でもあった。 束の間の休憩時間。 しかし、カービンには、その時間すら取れない。 薄暗いこの部屋は、特別の指令を待つ者達が居る。 勿論、その姿は、様々な姿に偽装されていた。
侍女、伝令士、衛士、侍従……
また、姿が見えない者達も居る。
彼は、矢継ぎ早に、指示をその者達に与えていた。 落ち着いた低い声の命令は、時に厳しく、時に酷な事柄も話す。 報告も受ける。 彼が出した指令に対しての経過報告、そして、その始末を的確に淀みなく。
組み上がった指令の数々は、ウーノル殿下の意志でもあった。 彼はそれを実態に即した形で、提供する事を目的とした組織の指揮官でもある。
王宮諜報部隊。 俗に云う……
――― 王家の見えざる手 ―――
王宮内の隠された思惑や、計画、善意、悪意、そして、殺意を、いち早く察知し、王族の宸襟を護る手の者。 王族に名を連ねる者に忠誠を誓い、命令を遂行する。 カービンの上司に当たるものは、長年この役職に就き、王家を見守っている。
カービンへの指示は、簡潔にして、重大であった。
――― 王宮にて、ウーノル殿下をお守りし、殿下のご意志を具現せよ。 人員には糸目をつけない。 他の方々の人員は縮小する。 必要な者をすべて使え。 王宮内において、玉体に如何なる『 傷 』もつけるな。 ―――
次期国王にして、ファンダリア王国の輝ける未来に導いていけるであろう、ウーノル第一王子に懸ける、王国に忠誠を捧げる、王宮の者達の総意でもあった。 よって、カービンの配下は膨大な人数になり、その統率も優秀な彼が疲れを感じる程だった。
即座に纏められる各種の指示に、その部屋に来ていた者達が散る。 やっと、一人きりになったカービンは、ふと溜息をもらす。
小さく細い明り取りの窓の向こう側を見ながら、小さく言葉を紡ぎ出した。
「立太子の儀まで、ひと月を切った。 準備は…… 問題は無い。 だが、不安を感じる……」
手を後ろ手に組み、細い窓から見える街並みに、鷹の様な視線を投げかけていた。 平穏そうな、街並み。 カービンはそこに住まう人々の姿が、好きだった。 なんの思惑も感じず、普通の日々を送っている市井の者達が、好きだった。 彼らの平穏な生活を護る為には、彼が仕えるウーノル殿下が、何としても、王座に就くことが必要だと、感じても居た。
コンコンコン
忍びやかな、ノックの音がした。 視線を細い窓から外さず、その音に声をかける。
「何用か? 入って来い」
「殿下より、コレを…… ビッテンフェルト宮廷伯様にと」
振り返り、入って来た侍従の持つ銀盆の上にある物を見た。 小さな皿の上に、焼き菓子が幾つか。 持って来た侍従は、カービンを真っすぐに見つめている。
「殿下が下賜されたのか」
「はい、ビッテンフェルト宮廷伯にと」
「……休めと、仰られたか」
「左様に御座います。 ” 疲労の色が濃い、夕刻までではあるが、休息を取れ ” との思召しに御座います」
「……ルークよ、良き主人に仕える事が出来たな、私達は」
「誠に……」
二人の視線は絡む。 表情に笑みは無いが、誇らしげではあった。 ウーノル第一王子は、優秀で在り、傑物でもある。 記録に残る 先々代 ” 獅子王 ” 陛下の幼少の頃にとても良く似ている。 身近に使える者を大切にし、その能力に見合った仕事を常に与え続ける。 自身は考え行動する。 まさしく王者の片鱗とも言えた。
” がしかし ” と、カービンは思う。
ウーノル殿下はあまりにも優秀。 とても、十二歳とは思えぬ考えと行動をする。 きたる立太子の儀も、通常執務の様にこなすことは、もはや既定の事実と云っても良い。 そして、なにより、彼は休むことをしない。 膨大な王子教育を易々とこなし、実際のファンダリア王国の執政の勉強にも、きわめて真面目に取り組んでいる。
情報を集め、考え、そして、行動し…… あれでは、擦り切れてしまうと、心配もしていた。 周囲の者に休息を取らせるウーノル殿下自身は、休息も取らず、ひたすら勉強している。
まだ、十二歳なのに…… と、カービンは思う。
野を駆け、友人たちと遊び、駄々をこね、我儘に振舞うべき年なのだと…… 立太子の儀が終われば、王太子としての職務も彼の小さな肩に乗る事になる。 今だけなのだと…… 今、子供らしくなければ、これから先、もう、どこにもその様な時間を取る事は出来ないのだと。 そう……嘆息する。
「殿下は?」
「先ほどお届けいたしました、税収の報告書を精査されておられます」
「……あの報告書か?」
「左様に。 南部辺境域において、税が増収している理由等が、記載されている物に御座います」
「特に……、アレンティア辺境侯爵の支配地域の事だったな」
「はい、ダクレール領においての、爆発的な経済の発展と、ベネディクト=ペンスラ連合王国との交易の成果。 さらには、南方領域において広範囲に実施されている、経理の刷新。 農地の拡大。 漁業の昂進。 南西部の森林開発の進捗…… これらのことを纏め上げられ報告されたのは、アレンティア辺境侯爵様に御座います」
「……本領においても、使える手が無いか、吟味されているという訳か」
「左様に。 ” しばらく、一人にせよ ” と、言われました」
「護衛騎士は?」
「扉に控えております」
「夕刻になれば、ご友人達が見えられる。 それまでの間に、書類を読まれるのだろうな」
「ビッテンフェルト宮廷伯様…… 殿下に休息を取る様に……」
「何度も『言上』申し上げている。 ルーク、私もお前と同じ思いなのだ。 殿下は、前しか見ておられぬ。 私達は、殿下の足元を固める。 ……そのお役目もまた、「見えざる手」の役割でもある」
そう言う彼の言葉は苦く重い。 カービン自身もまた、ルークと同じ思いであった。 少しでも、少しでも休んで欲しい。 ウーノル殿下から、第一王子と云う重荷を下ろせる時間を取って欲しいと。
そして、思う。
何が、殿下をして、そこまでさせるのかと。
確かに国王ガングータス陛下は、聖堂教会の云うがままになっている。 王妃フローラル妃殿下は、豪奢を好み、王国の財政すら圧迫している。 大公家の当主達が諫め、留め、そして、巧妙に立ち回り、なんとか王国の権威を…… いや、王家の権威を保たさせていると云っても過言ではない。
間近に見ているがこそ、ウーノル殿下の憔悴感は、ただならぬものなのであろうとも、思う。
が……
その様な重荷を、十二歳の子供に背負わせている事自体が異常なのだ。 それが故の、殿下の行動かと、思案する。
「以前、ふと、漏らされた言葉が御座います」
「何か」
「表情を苦くされ、呟くように、王都を望む窓に向って、言われたのです。 ” 姉上であれば、どうするのか ”と」
「……姉上? ……ハッ! エスカリーナ様の事か!」
「おそらく…… あの方の「お披露目」の時の事ゆえのお言葉と……」
「傑物の御心には…… あのお方の影があるというのか……」
「御意に」
突き動かされる様に、前へ前へと進む、ウーノル殿下。 殿下の視線の先には、他国より「悲劇の王女」と呼ばれている、エスカリーナ=デ=ドワイアル大公令嬢の姿があったのだと、まさに今、〈 理解 〉した。
八歳にして、物おじもせず国王陛下に言上した、エリザベート前王妃の忘れ形見。 大人達を手玉に取り、彼女の望む物をすべて手に入れたあと、王宮より…… 王都より…… ファンダリア王国より…… 消えてしまった、エスカリーナ様。
失ってから、狼狽した重臣達。
今も語り継がれる、あの年の「お披露目」の物語……
「私たちの仕える御方には、導いてくれる方が居られたのだな」
「……左様に」
カービンは、ルークの捧げ持つ銀盆の上の焼き菓子を一つ摘み、口に入れる。 小麦の薫りと、甘い口当たり。
その味をしっかりと噛みしめ、彼は思う。
” エスカリーナ様が、「光」が求める、優しき「闇」なのか…… ”
と。
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