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思惑の迷宮
ベラルーシア=フォースト=ミストラーベ大公令嬢の興味(2)
しおりを挟む穏やかな空気の中、お話は始まったの。 お二人とも、にこやかな御顔だったの。 でも、私は知っている。 この人達の、穏やかな笑みの後ろ側には、あの冷たい表情が有る事をね。
前世でね、わたしが、恋に焦がれて、常識はずれな事をしたのは、有るのだけれど…… その時の、ベラルーシア様は、私の暴走を冷ややかに見ていただけ。 それどころか、敢えて放置し私を増長させ、大人たちの思惑が上手く進む様に画策した感じもしていたもの。
ノリステン子爵様に至っては、積極的に私のした事を暴き出し、そして、あの断罪劇を演出したのよ。 公女リリアンネ=フォス=マグノリアーナ第三王女を後ろ手に庇いながら、私を睨み続ける、マクシミリアン殿下。 そして、その前に立ち塞がる様に、彼らを護りノリステン子爵様が仰ったのよね。
” ――― エスカリーナ=デ=ドワイアルが行った、マグノリア王国の第三王女 公女リリアンネ=フォス=マグノリアーナ殿下への悪行の数々。 証左は王国が「耳」「目」、『月夜の瞳』がつぶさに見ていた。 ここに報告書も有る。 申し開きは出来ぬ。 お前の罪は、明らかにされた! ――― ”
記憶の中のノリステン子爵様の御顔はとても恐ろしげだったわ。 そして、記憶に焼き付いている、公女リリアンネ様の蔑んだ笑み。 自業自得なのは理解している。 でも…… あの青い空の記憶と、その前に蹂躙され、凌辱された記憶だけは…… 私の…… 私の心の奥底を苛むの。
精一杯の微笑みを、顔に浮かべて、お話を伺うのよ。
大丈夫。
現世では、もう、エスカリーナはいない。 だから、あのような眼で見られることは無い。 そうだと信じて、笑顔を作るの。 そうしないと、心の奥底のどうしようも無い、恐怖の ” 感情 ” が、浮かびあがって、叫び出しそうになるから。
ノリステン子爵様が、口火を切られるの。 そう、あくまでも優し気な口調でね。
「リーナさん、先日の舞踏会でのご活躍、公式では発表できませんでしたが、大変すばらしく、ウーノル殿下もお気に掛けておられました」
「〈薬師の本分〉を全うしたまでにございます」
「その様に申されるとは、思っておりました。 殿下より、下賜された記章は?」
「保管しております。 徒に、私が付けるような記章ではございませんし、次はいつお会いできるかもわかりませぬ故」
「そうですね。 ……父上に報告いたしました数日後、父上から話をお聞きしました。 リーナさんを薬師院の薬師から、国軍の従軍薬師に転属させると」
「はい、存じております。 ……アンネテーナ様より、お聞きしております。 が、まだ、時間は御座いますでしょ?」
「お知りになっておられましたか。 そうです。 発令は、ウーノル殿下の〈立太子の儀〉の、後となります」
「左様に御座いますか。 承知いたしました」
ノリステン子爵は、私が転属の話を知っているのを不思議そうにされていたの。 勿論、アンネテーナ様から聞いたって言ったら、納得されていたわ。 彼だって私の「後見人」がドワイアル大公閣下と、そうご存知な筈なんだものね。 にこやかな笑顔のまま、ベラルーシア様が続けられるの。
「おめでとうございます、ウーノル殿下も、ことのほかこの決定にお喜びになっておられますのよ。 またリーナ様にお逢いできると」
「わたくしの、異動を殿下が? ですか? それは……」
「身を捧げ、その献身にとても感謝されておられます」
「有難いお言葉ですが……」
「なにか、ご不満な点でも?」
キラッって感じで、ベラルーシア様の眼が光るの。 まぁ、不敬な事を云う事は無いんだけれどもね。 それでも、手放しで喜んでいる訳ではないのよ。 だって、身分差があり過ぎる。 殿下は陛下を除き、この国のほぼ頂点に立つ御方。 それに対し、私は庶民と云う最底辺の身分。 親しくお声など掛けられる訳でも無い。 たとえ、下賜された記章があったとしてもね。
「とても、光栄な事ではございますが、あまりにも尊き御方ですので、御宸襟のお言葉を賜る事に成るとは、とても想像できません。 あくまでも、「薬師」として、お役にたちたいと存じます」
「まぁ、とても謙虚なのね、貴女は」
どうも、誤解されているのかもしれない。 まるで私がウーノル殿下に近づくために、あんな派手な事をしたと思っている節があるの。 この人達が、ウーノル殿下の〈お側勤め〉をするべく、着々とその足元を固めている最中に、いきなり襲われた殿下。 彼等が独自に張り巡らせた警護の網を易々と破られたうえ、私がその相手に立ち塞がった。
ウーノル殿下の敵と私が通じていて、すべてはウーノル殿下の側に私を送り込むための算段だった…… そんな思いが有るのかもしれないわ。 特にノリステン子爵に至っては、お父様がこの国の宰相位にあり、王宮内の権謀術策の総本山の様な方だものね。 物事、現象を一面から見るのではなく、その裏側、斜め上、もしくは、中身から見詰め、そこにある、ありとあらゆる可能性を、考える必要がある方なんだものね。
出自の怪しい、庶民の私などは、誰からも〈 駒 〉として扱われやすい。 私がそのつもりが無くても、誘導され、何らかの役割を果たしてしまう可能性すらある。 だからこそ、このお二人が来たのかもしれない。 私と云う人間を見極めにね。
ふと、お二人の装いを見ると、その胸に 〈直言許可の記章〉 が鈍く光っている。 そうね、そういう事ね。 お二人もまた、ウーノル殿下の側近。 そして、直言を許可されている。
えっ? ベラルーシア様も、記章を付けられているの?
えっ? じゃぁ、ベラルーシア様も王太子妃候補なの?
私の視線に気が付いたベラルーシア様。 意味ありげに、微笑みをそのお顔に浮かべられたの。 じっと私を見つけられて…… やっと、重い沈黙を解かれ、言葉を紡ぎ出されたのよ。
「わたくしも記章を下賜されております。 アンネテーナ様とは違った意味ですが。 ここに一緒に来た、ノリステン子爵と同じ時に、下賜されました。 大人たちの思惑は色々ではございますが、私の場合には、ウーノル殿下の市井の経済政策担当と、考えられております」
「それは、やはり、ミストラーベ大公家の御威光も、有るのですか?」
「多分にあると思われます。 そして、わたくしは、その理由に誇りを持ってもおります。 優秀な兄上達は、官僚として存分にその力を発揮して行く事でしょう。 なにより、ファンダリア王国の財務を、国庫を常に掌握しております大公家故に。 しかし、それは、あくまでも国王陛下と、王国に対して捧げられる忠誠にございます」
「ベラルーシア様は、その大公家とウーノル殿下の〈 橋渡し役 〉…… に、御座いますか?」
「そうです。 そして、わたくしの能力を一番に買っていただいているのも、殿下に有らせられます」
「……財務担当、ですか。 そして…… 表向きは側妃候補として?」
「話が早くて、助かります」
成程ね、技術職として殿下のお側に立つ事まで視野に入れていて、更には、宰相ノリステン公爵や、他の大公閣下にも了承されているってわけね。 そりゃ、そんな立場だと、私の事をよく観察したいと思うわ。 いわば、同じ様な立場になるんだものね。
「リーナ様は、後宮にお入りになる、おつもりは?」
「有り得ません。 わたくしはノリステン子爵のお言葉通りだとすれば、従軍薬師となります。 下賜された記章は、戦野にて殿下の安全をお護りする時に、使えと云う意思ではございませんでしょうか? ありていに言えば、肉の壁となれ……ですわね。 ベラルーシア様とは、立場が違います。 そうでございましょ、ノリステン子爵様?」
敢えて、ゆっくりとノリステン子爵に視線を向けたの。 それまでの、にこやかな微笑みが消え、じっと私を見つめる。 考えてるのね。 そして、それを知りながら、何故、私が 〈直言許可の記章〉を受け取ったのか、考えているよね。
柔らかい内懐に身を置き、ウーノル殿下に ” 本当の危険が訪れた時 ”、その時に裏切り、確実に仕留める。
そんな事も考えられるモノね。
――― ほんとに不本意 ―――
ならば、言っておきましょうか。 これ以上不要な鎖を巻きつけられたくは無いもの。
「出自の怪しい、庶民が殿下の側に侍るのがそもそもの間違い。 わたくしは、海道の賢女様の名代として、この王都コンクエストムに、「薬師」としての使命を十全に果たすため、参りました。 すべての事は、それに尽きます。 学院に学びました事も、王城コンクエストムに伺候する要件として、実施されました。 いまだ、その許可はおりません。 つまり、わたくしは、王城に伺候する資格すら持ち合わせていない、単なる王宮薬師院、第九位薬師でしか御座いません。 わたくしの出自、行動、そして、思惑にご懸念あらば、ノリステン公爵閣下より、命じて頂ければよいのです。 だた一言、――― 解職する ―――と。 発令後、寸刻の内に荷物を纏め、南部辺境領に帰還いたします。 彼の地は、幸薄き者達が、大勢おります。 精霊様とのお約束を果たすべき場所と心得ております」
「薬師リーナ様の忠誠は……」
「ファンダリア王国の全ての民の安寧に」
「殿下のお側に立てると云う、栄誉よりも?」
「もとより。 殿下もまた、ファンダリア王国の最も尊き民に他なりません。 殿下の健康と御命が狙われ、損なわれる事が予測されますれば、コレを排除する。 「精霊様」への誓約として」
「…………そうですか」
「成程な…………」
お二人にとっては、満足のいく御答えでは無かったのね。 でも、私の本心はちゃんと伝えないとね。
言外の匂わせる程度でいいの。 だけど、ハッキリさせておいて、損は無いわ。
私の忠誠は、「精霊様」への誓約に有るの。
決して、国王陛下にも、ウーノル殿下にも無い。
それは、信仰に似た想い。
祈りなのよ。
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