その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

文字の大きさ
上 下
153 / 713
思惑の迷宮

ベラルーシア=フォースト=ミストラーベ大公令嬢の興味(2)

しおりを挟む


 穏やかな空気の中、お話は始まったの。 お二人とも、にこやかな御顔だったの。 でも、私は知っている。 この人達の、穏やかな笑みの後ろ側には、あの冷たい表情が有る事をね。

 前世でね、わたしが、恋に焦がれて、常識はずれな事をしたのは、有るのだけれど…… その時の、ベラルーシア様は、私の暴走を冷ややかに見ていただけ。 それどころか、敢えて放置し私を増長させ、大人たちの思惑が上手く進む様に画策した感じもしていたもの。

 ノリステン子爵様に至っては、積極的に私のした事を暴き出し、そして、あの断罪劇を演出したのよ。 公女リリアンネ=フォス=マグノリアーナ第三王女を後ろ手に庇いながら、私を睨み続ける、マクシミリアン殿下。 そして、その前に立ち塞がる様に、彼らを護りノリステン子爵様が仰ったのよね。



 ” ―――  エスカリーナ=デ=ドワイアルが行った、マグノリア王国の第三王女 公女リリアンネ=フォス=マグノリアーナ殿下への悪行の数々。 証左は王国が「耳」「目」、『月夜の瞳』がつぶさに見ていた。 ここに報告書も有る。 申し開きは出来ぬ。 お前の罪は、明らかにされた! ――― ”



 記憶の中のノリステン子爵様の御顔はとても恐ろしげだったわ。 そして、記憶に焼き付いている、公女リリアンネ様の蔑んだ笑み。  自業自得なのは理解している。 でも…… あの青い空の記憶と、その前に蹂躙され、凌辱された記憶だけは…… 私の…… 私の心の奥底を苛むの。

 精一杯の微笑みを、顔に浮かべて、お話を伺うのよ。



 大丈夫。



 現世では、もう、エスカリーナはいない。 だから、あのような眼で見られることは無い。 そうだと信じて、笑顔を作るの。 そうしないと、心の奥底のどうしようも無い、恐怖の ” 感情 ” が、浮かびあがって、叫び出しそうになるから。

 ノリステン子爵様が、口火を切られるの。 そう、あくまでも優し気な口調でね。




「リーナさん、先日の舞踏会でのご活躍、公式では発表できませんでしたが、大変すばらしく、ウーノル殿下もお気に掛けておられました」

「〈薬師の本分〉を全うしたまでにございます」

「その様に申されるとは、思っておりました。 殿下より、下賜された記章は?」

「保管しております。 いたずらに、私が付けるような記章ではございませんし、次はいつお会いできるかもわかりませぬ故」

「そうですね。 ……父上に報告いたしました数日後、父上から話をお聞きしました。 リーナさんを薬師院の薬師から、国軍の従軍薬師に転属させると」

「はい、存じております。 ……アンネテーナ様より、お聞きしております。 が、まだ、時間は御座いますでしょ?」

「お知りになっておられましたか。 そうです。 発令は、ウーノル殿下の〈立太子の儀〉の、後となります」

「左様に御座いますか。 承知いたしました」




 ノリステン子爵は、私が転属の話を知っているのを不思議そうにされていたの。 勿論、アンネテーナ様から聞いたって言ったら、納得されていたわ。 彼だって私の「後見人」がドワイアル大公閣下と、そうご存知な筈なんだものね。 にこやかな笑顔のまま、ベラルーシア様が続けられるの。




「おめでとうございます、ウーノル殿下も、ことのほかこの決定にお喜びになっておられますのよ。 またリーナ様にお逢いできると」

「わたくしの、異動を殿下が? ですか? それは……」

「身を捧げ、その献身にとても感謝されておられます」

「有難いお言葉ですが……」

「なにか、ご不満な点でも?」




 キラッって感じで、ベラルーシア様の眼が光るの。 まぁ、不敬な事を云う事は無いんだけれどもね。 それでも、手放しで喜んでいる訳ではないのよ。 だって、身分差があり過ぎる。 殿下は陛下を除き、この国のほぼ頂点に立つ御方。 それに対し、私は庶民と云う最底辺の身分。 親しくお声など掛けられる訳でも無い。 たとえ、下賜された記章があったとしてもね。




「とても、光栄な事ではございますが、あまりにも尊き御方ですので、御宸襟ごしんきんのお言葉を賜る事に成るとは、とても想像できません。 あくまでも、「薬師」として、お役にたちたいと存じます」

「まぁ、とても謙虚なのね、貴女は」




 どうも、誤解されているのかもしれない。 まるで私がウーノル殿下に近づくために、あんな派手な事をしたと思っている節があるの。 この人達が、ウーノル殿下の〈お側勤め〉をするべく、着々とその足元を固めている最中に、いきなり襲われた殿下。 彼等が独自に張り巡らせた警護の網を易々と破られたうえ、私がその相手に立ち塞がった。

 ウーノル殿下の敵と私が通じていて、すべてはウーノル殿下の側に私を送り込むための算段だった…… そんな思いが有るのかもしれないわ。 特にノリステン子爵に至っては、お父様がこの国の宰相位にあり、王宮内の権謀術策の総本山の様な方だものね。 物事、現象を一面から見るのではなく、その裏側、斜め上、もしくは、中身から見詰め、そこにある、ありとあらゆる可能性を、考える必要がある方なんだものね。

 出自の怪しい、庶民の私などは、誰からも〈 駒 〉として扱われやすい。 私がそのつもりが無くても、誘導され、何らかの役割を果たしてしまう可能性すらある。 だからこそ、このお二人が来たのかもしれない。 私と云う人間を見極めにね。

 ふと、お二人の装いを見ると、その胸に 〈直言許可の記章〉 が鈍く光っている。 そうね、そういう事ね。 お二人もまた、ウーノル殿下の側近。 そして、直言を許可されている。


 えっ? ベラルーシア様も、記章を付けられているの? 


 えっ? じゃぁ、ベラルーシア様も王太子妃候補なの?


 私の視線に気が付いたベラルーシア様。 意味ありげに、微笑みをそのお顔に浮かべられたの。 じっと私を見つけられて…… やっと、重い沈黙を解かれ、言葉を紡ぎ出されたのよ。




「わたくしも記章を下賜されております。 アンネテーナ様とは違った意味ですが。 ここに一緒に来た、ノリステン子爵と同じ時に、下賜されました。 大人たちの思惑は色々ではございますが、私の場合には、ウーノル殿下の市井の経済政策担当と、考えられております」

「それは、やはり、ミストラーベ大公家の御威光も、有るのですか?」

「多分にあると思われます。 そして、わたくしは、その理由に誇りを持ってもおります。 優秀な兄上達は、官僚として存分にその力を発揮して行く事でしょう。 なにより、ファンダリア王国の財務を、国庫を常に掌握しております大公家故に。 しかし、それは、あくまでも国王陛下と、王国に対して捧げられる忠誠にございます」

「ベラルーシア様は、その大公家とウーノル殿下の〈 橋渡し役 〉…… に、御座いますか?」

「そうです。 そして、わたくしの能力を一番に買っていただいているのも、殿下に有らせられます」

「……財務担当、ですか。 そして…… 表向きは側妃候補として?」

「話が早くて、助かります」




 成程ね、技術職として殿下のお側に立つ事まで視野に入れていて、更には、宰相ノリステン公爵や、他の大公閣下にも了承されているってわけね。 そりゃ、そんな立場だと、私の事をよく観察したいと思うわ。 いわば、同じ様な立場になるんだものね。




「リーナ様は、後宮にお入りになる、おつもりは?」

「有り得ません。 わたくしはノリステン子爵のお言葉通りだとすれば、従軍薬師となります。 下賜された記章は、戦野にて殿下の安全をお護りする時に、使えと云う意思ではございませんでしょうか? ありていに言えば、肉の壁となれ……ですわね。 ベラルーシア様とは、立場が違います。 そうでございましょ、ノリステン子爵様?」

 敢えて、ゆっくりとノリステン子爵に視線を向けたの。 それまでの、にこやかな微笑みが消え、じっと私を見つめる。 考えてるのね。 そして、それを知りながら、何故、私が 〈直言許可の記章〉を受け取ったのか、考えているよね。


 柔らかい内懐に身を置き、ウーノル殿下に ” 本当の危険が訪れた時 ”、その時に裏切り、確実に仕留める。


 そんな事も考えられるモノね。





 ――― ほんとに不本意 ―――




 ならば、言っておきましょうか。 これ以上不要な鎖を巻きつけられたくは無いもの。




「出自の怪しい、庶民が殿下の側に侍るのがそもそもの間違い。 わたくしは、海道の賢女様の名代として、この王都コンクエストムに、「薬師」としての使命を十全に果たすため、参りました。 すべての事は、それに尽きます。 学院に学びました事も、王城コンクエストムに伺候する要件として、実施されました。 いまだ、その許可はおりません。 つまり、わたくしは、王城に伺候する資格すら持ち合わせていない、単なる王宮薬師院、第九位薬師でしか御座いません。 わたくしの出自、行動、そして、思惑にご懸念あらば、ノリステン公爵閣下より、命じて頂ければよいのです。 だた一言、――― 解職する ―――と。 発令後、寸刻の内に荷物を纏め、南部辺境領に帰還いたします。 彼の地は、幸薄き者達が、大勢おります。 精霊様とのお約束を果たすべき場所と心得ております」

「薬師リーナ様の忠誠は……」

「ファンダリア王国の全ての民の安寧に」

「殿下のお側に立てると云う、栄誉よりも?」

「もとより。 殿下もまた、ファンダリア王国の最も尊き民に他なりません。 殿下の健康と御命が狙われ、損なわれる事が予測されますれば、コレを排除する。 「精霊様」への誓約として」




「…………そうですか」
「成程な…………」


 お二人にとっては、満足のいく御答えでは無かったのね。 でも、私の本心はちゃんと伝えないとね。

 言外の匂わせる程度でいいの。 だけど、ハッキリさせておいて、損は無いわ。




 私の忠誠は、「精霊様」への誓約に有るの。




 決して、国王陛下にも、ウーノル殿下にも無い。

 
 それは、信仰に似た想い。 





 祈りなのよ。







しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:901pt お気に入り:10,037

王家の影である美貌の婚約者と婚姻は無理!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:19,328pt お気に入り:4,439

君じゃない?!~繰り返し断罪される私はもう貴族位を捨てるから~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:10,821pt お気に入り:1,842

六丁の娘

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:4

召喚されたのに、スルーされた私

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:262pt お気に入り:5,599

妖精のお気に入り

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:1,718pt お気に入り:1,103

趣味を極めて自由に生きろ! ただし、神々は愛し子に異世界改革をお望みです

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:45,085pt お気に入り:12,049

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。