蛍降る駅

龍槍 椀 

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Christmas Special  (クリスマス特別編)

Madonna (聖母) 

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 Madonna (聖母) 





 世間から見ると、私と妻の間は、何の問題も無いように見える。

 事実、何の問題も無い。何故なら、夫婦と言う形体を取ってはいても、そこに何の繋がりも無いのだから。

 私は、ある金融機関の頭取の息子。しかし、庶子だった。父親は認知をし、母親は、私が10歳になるまで、一人で育ててくれた。

 しかし、10歳の春。母親は突然天に召されてしまった。

 原因は過労。突然、コトリと倒れ、そのまま逝ってしまった。

 悔やんでも悔やみ切れない死に方だった。

 私は寄る辺も無く、施設に送られそうになった。そこで、初めて父親の存在を知った。

 父親は、私を彼の家に迎え入れた。歓迎されない者として。

 子供の時は、まだ良かったが、成長するに付け、私は私の力で、自分の居場所を見つけなければならない事を理解した。誰も助けてくれる者はいなかった。そして、私は感情を捨てた。

 出来うる限りの事をし、この家の者達に私の存在を認めさせねばならなかった。




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 年月が経ち、私は一流と言われる、国立大学の法学部に入った。裁判官にも、弁護士にもなつるもりは無かったが、世の中を廻すルールを学ぶ為に選択した。

 学生生活は、充実した物だった。あの家を離れ、寮に暮らし、奨学金を受け、そして、必要な努力を怠らなかった。どこから漏れたのか、私が銀行の頭取の息子と言う事が知れた。女達が、私に群がった。なにか誤解をしているらしい。私は、裕福でもなければ、あの男を父親と認めた訳でもない。



 覚めきった感情は、女性達にたいする、嫌悪感に変った。



 そんな、私をみて、何人かの友人が、悪ふざけをした。飲みに行こうと、誘い、私をゲイ、ホモの街につれて行った。

 妖しげな店。女装する男達。そして、女性に興味を持てない、性的倒錯者達の群れ。何故か私は、その空気に、安堵感を感じた。友人たちには秘密に、その後も、何度も通った。

 大学を卒業する頃、私は、完全なホモセクシャルになっていた。



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 大学を卒業すると、父親が頭取をする、金融機関に正規のルートで、就職した。何のコネも使わず、まっとうに就職した。後で、漏れ聞くところによると、父親は露骨に嫌な顔をしたそうだ。人事部長は、私の入行試験の成績と、大学の成績で、落とす事をためらい、彼の独断で入行させたと聞いた。

 私は、行内でも、真面目に過ごした。やっている内容は、私からすればなんでも無い事だった。コネと思われるは癪だったのかもしれない。誰からも信頼される様に、勤めた。ただ一つ、私の性癖だけは、極秘にしていたが。行内でも、業界の中でも、段々と重く見られるようになり始めると、同時に、私にモーションを掛ける女性が増えた。



 しかし、女性への嫌悪感は常に持ち続けていた。




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 精密機械メーカーから何度も融資の依頼があった。融資担当となり、何度もその会社の足を運び、企業情報に強い業界誌の友人に情報を求めた。




(…………あの会社か~。今はちょっと資金繰りが辛いだろうけれども、良い物を作っている。業界でも評価は高い。それに、後継者も育ってきているし、何より、彼等は新たな製品を作ろうと努力している。その製品が完成すれば、業界でもトップの企業になるだろうな。 …………ただ、そこまで、資金が続くかどうかだ。 それだけだ。まぁ、今の御時世、そう簡単に融資が受けられるとは思わないがね)

「そうか………… いや、有難う」




 電話口で、友人の声はとても残念そうだった。彼等の人となりは、良く知っている。極めて勤勉で真面目な男達だった。好感が持てた。私は決断した。

 そんな中、父親の家から、大きな封書が届いた。中には御見合い写真が入っていた。




「もう、良い歳だ。結婚しろ」




 そう、書いた紙が入っていた。釣り書きを読むと、戸惑った。あの会社の社長の娘だった。

 …………良いだろう。 業界の人間でなかったら、私の性癖も知られる事は無い。

 その話しを受けた。見合いが済み、結婚した。




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 彼女は誤解していたらしい。融資の見返りに、結婚したと思っていたらしい。新婚初夜、彼女の口から出た言葉でそれとわかった。きっかけは、私の告白からだった。




「話したい事がある」

「はい」

「私は………… 私は異性を愛せないんだ。 …………今、言わないと、言うべき時が無いようだ。そうだ、私はホモセクシャルだ。」

「…………そ、そう」

「しかし、これは極秘なんだ。日本の、それも業界で、そういう噂がたつと、命取りになりかねん。わかるかい?」

「ええ………… つまり、私は………… 隠れ蓑?」

「……本当に済まない。 しかし、その通りだ。 君にとって、つらい結婚生活になるだろう。」

「その為の交換条件?」

「…………君が、離婚しないならば、何をしようが構わない。豪勢に暮そうが、男を引きこもうが」

「わかったわ。 外では夫婦。 中では他人………… そう言う事ね」

「……わかってくれて嬉しいよ。 今日はもう疲れた。 眠ろう」




 どっと、疲れが出た。彼女の理解力は、私の想像を越えていた。納得ずくの冷め切った結婚生活のスタートだった。そう、それで良い。




^^^^^




 数年が経っても、私達の間は何も変らなかった。妻が、他の男に熱を上げているのも知っていた。それについては最初の約束だから、異存はない。取りたてて、豪遊する訳でも無く、質素な暮らし振りだった。彼女は私に期待していなかったし、私も彼女を好きにさせていた。うまく仮面が機能していた。

 クリスマス・イブを挟んだ、4日間、私は付き合っている、男と、密会する為に、ホテルの一室を借りた。妻には一応、海外出張と、言う事にしてある。彼女もそれで納得していた。別にウソをつく必要も無かったが、なぜか、その時だけは、彼女にウソを付いた。

 私は男と逢い、愛し合った。

 二日目、男が一度家に帰ると、言い出した。

 私は了承した。独りで、ホテルのスイートから下界を見下ろしていた。ふと、妻が風邪を引いていた事を思い出した。しかし、彼女のことだ。きっと男を家に引き込んでいるだろう。そういう約束だ。頬に冷笑がうかんだ。




「所詮、女など…………」




 曇り空に沈んだ、街並みを見ながら私は呟いていた。ふと、思った。そう言えば妻は、一度も私を嘲ったり、愚痴をこぼした事が無かった。いつも冷静に、私を見ていた。不思議な感覚が私を捕らえた。妻に対しては、嫌悪感がわかなかった。


 何故だ?


 反対に、私と、付き合っている男に対して、おかしな感情が湧いた。彼は本当に私を愛してくれているのだろうか。



 不安になった。



 私は、ホテルを出ると、男の家に向かった。あるマンションだった。車を飛ばした。そこで、私は見てしまった。男が、女性と小さな女の子を連れ、楽しげに歩いている姿を。

 男は、独身のはずだ。 何故だ?裏切りの不安は、確信に変り、私の心を凍らせた。 女性の姿が嫌悪感と共に瞼に焼きついた。




 ダメだ。このままでは…………

 ホテルに戻り、男を待った。




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 夕方遅くに男が帰ってきた。




「ただいま」

「………………」

「どうした?」

「いや………… 昼間、お前の家に行った」




 男の顔色が変った。




「独身と言っていたな」

「…………それは…………」

「良い訳はいい。お前が私にウソをついた事実に変りはない」

「…………うぐっ」

「私達の関係は、合意の上の物だ。法的拘束力も、何の保障もない。御互いの心だけが、関係を続ける基本だった。」

「…………だった?」

「ウソはそれを覆すんだ。信じられない者とは、一緒にいられない。それだけだ」

「わ、別れると、言うのか?」

「わかっているじゃ無いか。ここの払いは終わっている。後は、あの女性でも呼ぶがいい。さようなら」

「お、おい…………」




 私は、あとも見ずに部屋を出た。無性に腹が立っていた。どこにも行く当てなど無かった。車を飛ばし、行き付けの静かなバーに向かった。




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 小さな店。私の隠れ家。ここは誰にも教えていない。荒れた心を引きずり、カウンターについた。



「ギムレット」



 マスターは、寡黙な老人だった。

 カウンターにギムレットが差し出された。一気にあおいだ。



「もう一杯」



 マスターはなにも言わずに、差し出した。

 何度か目のオーダーで、さすがにマスターは遮った。




「御客様………… もう、止めて置かれた方が」

「そうか…………そうだな。 すまない。 最後に、熱いコーヒーを」

「かしこまりました。」




 白いコーヒーカップで、差し出された物を飲みながら、私は自分の心と向き合った。果たして、私は、今まで、本気で誰かを愛した事があるのだろうか?クリスマス・イブの夜。こうして、一人で飲んでいると私。目の端にクリスマスのリースが入った。なんの変哲も無いヒイラギと、紅いリボンで作った物だった。ヒイラギのとげのある葉っぱを見ながら思った。



(私の心も、あの棘のようにいつも外側を向いていたのだろうか)



 マスターに別れを告げ、店を出た。もう夜半を過ぎている。右に行くと家。左だとホテルだった。

 私は、迷った挙句、右に車を向けた。




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 しんと静まりかえった家の中。誰かがいる気配は無い。セントラルヒーティングも止っている。クリスマスらしい飾り付けさえなかった。きっと妻はいない。

 一人を強く感じた。

 妻の顔が見たい。

 強い衝動が私を襲った。

 そして、私は、結婚以来初めて妻の寝室に入った。



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 妻は、一人で眠っていた。サイドボードに紅い靴下が、置かれていた。眠りながら軽く咳をする彼女。また、不思議な感覚が私を襲った。そう、いとおしいのだ。

 紅い靴下を手に取ってしまった。

 その時、彼女の目があいた。




「誰!!」




 ゆっくりと答えた。驚かした事を詫びる様に。




「私だよ。」

「あなた!!」

「早くに帰って来れた。済まない。君がこれを用意していると知ってたなら、中身を買っておくべきだったな」

「…………初めてね」




 熱にうなされていたのか、彼女の顔は赤く、そして、なにかとても懐かしい匂いがした。




「何が?」

「あなたが、私の寝室に入って来たのは」

「調子悪かったんだろ。 心配もするさ。 それに…………」

「それに?」

「君一人で、聖夜を過ごすなんて思ってもいなかったよ」

「…………だって、私、 …………貴方の妻ですもの」

「……………………」




 私は、真剣な目で妻をみた。妻は起き上がり、ベットの端に腰を掛けた。私は彼女の横に座った。そして、心の衝動の赴くまま、しっかりと妻を抱き、私は言った。




「まだ、私は、異性を好きにはなれない。でも、君は、君だけは別だ。寂しい思いをさせて済まなかった。もし君が許してくれるなら、私と今日から、築いてくれないか。夫婦と言う人の絆を」




 妻は、ただ、黙ったまま頷いた。

 彼女の匂い。それは、とても古い記憶を呼び起こさせた。母の記憶だった。逝ってしまうまえに、母は、私をしっかりと抱いて、言った。




「辛い時、哀しい時には、おもいだしなさい。 私は、いつも貴方の側に付いている事を」




 私は、妻に、母の愛と、それに重ねる、妻の愛を感じていた。




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