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蛍降る駅
夢の残骸 変わらぬ故郷
しおりを挟む飛地とは、尾根を一つ越えたところにある、小さな畑だった。 猫の額ほどの土地を段々畑にしたと記憶している。 ミュールでは行きにくい所だったが、何とかそこにたどり着いた。 蝉の声がひときわうるさく感じた。
畑ににはメッシュのナイロン製のビニールハウスが連なっていた。 ぴっちりとかぶさりとても暑そうに見えた。 一番端のハウスに人影が動いていた。
「伊藤君!」
幼い頃の呼び名でその人影に私は呼びかけた。 人影はゆっくりと振り返り、私を見つけた。 草色の作業服両袖を捲り上げ、大きな麦藁帽子。 黒い長靴を履くその男は不審気に私を見た。 そうだろう、この風景の中では私の方が異分子だ。 七分丈のジーンズに白のカットソー、足元はミュールだし、帽子も被っていない茶髪なんかは、この辺りではいない。
「誰や?」
将一は私を忘れていた。
「涼子よ。川上の…… 忘れちゃった?」
「つっ! な、なんだ、涼ちゃんか…… びっくりしたな。帰ってきたのか?」
「ちょっとね。 ……久しぶり。 ……元気だった? なんか、お世話になったって母さんが言ってたよ」
「……まぁな。 皆が協力してくれるようになったから、だいぶやりやすくなったよ」
まぶしそうに、私を見詰めながら、将一はそう言った。 懐かしさと、なんだか恥ずかしいような、変な気分が、ないまぜになり、私は彼の眼がまともに見れなかった。 視線をそらすと、そこに大きなビニールハウスの群れがあった。
「何を作っているの?珍しい野菜かなんか?」
「あぁ、まぁな。まだ時期じゃないし、此処は、実験場だから」
「ふ~ん。 ……なに?何か変な事を言った?」
じっと私を見詰める彼の視線に耐えられなくなって私は、そう尋ねた。
「……怒っちょるって……思ってた。」
彼の声が私の耳を打つ。 そう思っているのは私も同じだった。 彼の告白を無視して都会に出て行った私。 真剣な瞳が怖くなり、わざと冷たくしたあの時。
「私の方こそ、そう思っていたわ。 ……ゴメンね」
「い、いや ……隣村で夏祭りがある。 仲間も来るだろうから、行くか?」
「……止めとこうなか。 ……私のこと ……あんまりいい噂、聞かないでしょ。 ……それに、奥さんにも悪いし」
麦藁帽子を取りながら、彼は、大きく眼を開いて尋ねてきた。
「奥さん? 誰の?」
「えっ結婚しているんじゃないの?」
将一は、肩を震わせ笑い出した。
「ははっは!俺は独身だよ。 こんな村に来る嫁なんか居ないよ」
そう、そうだったの。 まだ、独身だったの。 複雑な気持ちがした。 彼は学生の頃から結構、結婚願望が強かったのに。 未だに独身とは、思わなかった。 今の会社の妻帯者より、もっと落ち着いて見える。
「まぁ、奴等に逢いたくないんなら、仕方ないか。 気が向いたら、連絡をくれよ、電話番号は小母さんが知ってるよ」
「わかったわ。ごめんね、仕事の邪魔して」
「いいよ、別に。上がろうと思っていた所だったんだ。……いつまでこっちに居るんだ?」
「ん? う、うん。 ……週末までかな」
「そう…… そうか、4日ないな。 ……間に合うかな?」
「なにが?」
「いや、別に…… まぁ、間に合わなかったら教えてやるよ。それまでは内緒だ」
「変なの。」
「出し惜しみは昔からの癖だよ」
そう言って彼は笑っていた。
私もまた、彼の笑顔につられて笑い出した。 夏の日が、山の端に傾き始めていた。 川が連れれ来る冷風が、頬を撫で始めた。 あれほど五月蝿かった蝉の鳴き声が、変わり、ヒグラシのカナカナカナという鳴き声が、林のおくから流れてきた。 村は、足早に夜の準備を整え始めた。
「送っていくよ。 軽トラでよかったらな」
「ありがとう。 いいの?」
「遠慮するなって。 今から歩いて帰ったんじゃ、暗くなってから家に着くだろ。 おばさん、心配するよ」
「ホントね。 いつまでたっても、私のことを、子供扱いするんだから、母さんは」
「それが親ってもんさ。 じゃぁ行くか!」
彼に促され、畦に止めた軽トラックに乗り込む。軽いエンジン音がして、車は、動き出した。 軽トラの助手席に座ろうとした時に、座席に古いカメラが一台置いてあった。 思わず手に取り、膝の上に乗せる。 コレは…… 正一君の一番の宝物。 幾つもの思い出が…… このカメラに籠っている。 そう…… 私も良く知っている、彼だけの宝物…… そして、夢……
「将ちゃん……」
「ん?なんだ?」
「まだ、写真やってるの?」
「……まぁな。 暇を見つけて、ぼつぼつとな。 この頃、何かと忙しくてな……」
「いつか、公民館のパネルに俺の写真を載せてやる! って云っていたの、叶った?」
「えぇ? ああ、あれね。 昔のこと、憶えてんな! いや、まだだよ。 まだ全然いいのが撮れなくってな」
「ふ~~ん。 『夢』…… まだ、持ってるんだ……」
「……夢…… か。 そう云う、涼ちゃんの『夢』は、叶ったか?」
ハンドルを握る彼がぼそりと呟いた。 揺れる助手席で私は、唇を噛み締めて、黙ったまま前を向いていた。 答えが見つからない。
――― 私の夢 ―――
そんな言葉自体をもうすっかり忘れていた。
そう、この村を出るときに、胸の中にそれしか詰まっていなかったのに。
何処で無くしてしまったのだろうか。
言葉を失った私に、彼は……
それ以上何も言わなかった。
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