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蛍降る駅
郷愁さそう曇天の心
しおりを挟む都会の生活に疲れきっていた私。
何も無い、この村を出て、都会に行っていい生活をするんだと、意気込んで出て行ったあの時から……
田舎を飛び出して、デザイン学校を出たての私の就職先は、小さいが堅実なデザイン事務所。 自分が何でもできると錯覚していた。 チラシのデザインや、カット割りの仕事をこなせるようになって来たのは、入社から3年目を過ぎた頃からだっただろうか。 その時の仕事をスクラップブックに仕舞い込んであるが、今は封印して、見ることも無い。
拙い、意気込みだけが先行しての、空回り。 酷い出来の典型だった。 これでは、私の後に入社した者に見せることすら出来はしない。
毎日毎日、足で稼いだ営業先を回り、注文を受ける。微々たる金額の仕事を着実に早く、それなりに仕上げる。それが、私の役割だった。男性社員の多くは、大きな仕事を任せられるし、何ヶ月の時間をかけても許される。しかし、私に課されたのは、細かい拾い仕事だけ。
此処では、才能に溢れる者も、それなりに使いつぶされている。要は、自分の仕事についての役割を、正確に演じきれるかどうかだけだった。
私は、演じてきた。
でも、それは、もう……長くは続かない。
そう思いつつも、私は時間を重ねてやってきた。肩書きもサラリーも上がらないが、それなりの充実感は手に入れていた。そう、役割を演じきるという充実感を。
地道に堅実にやっている会社でも、昨今の不況で、業績は右肩下がりだった。高給といってよいほど貰っていた、男性社員が、大手のデザイン事務所に引き抜かれたり、大きな仕事を任された、男性社員が仕事を持ったまま、独立したり、何かと騒がしくはあった。
しかし、この業界では、そんなことは日常茶飯事だった。「やっぱり」、とか「だろうね」と言う言葉が、残された私達の口を吐いて出ていた事は確かだった。
私の所属する小商いの部署でも、色々と大変だった。
信頼して任せていた仕事を放り出し、締め切りに遅れる女性社員。能力も無いくせに、理論に走り、何かと騒動を起こす新人君。纏め役である、課長は社内でも昼行灯の異名を持つ、際目付けの《愚物》。そんな中で、私は私の役割を演じていた。こつこつと、地道に、つまらない仕事を淡々と・・・・
ある日、自分のアパートへ帰る電車の中、一枚の中吊り広告が眼に入った。
《何かを忘れてはいませんか?ほら、耳をすませて・・・・眼を閉じて・・・貴方のなかの大切なものを、忘れていませんか?》
とある旅行社の国内旅行者向けの広告だった。田園に広がる一面の緑と、暗闇に沈む村の小川に飛び回る、蛍の写真。陳腐といえばそれまでだったが、何故か、その広告にひどく心を惹かれた。不安という石が、心の水面に大きな波紋を作り出した。
「忘れていたものか……なんだろうな……」
私の口から漏れた言葉は、自分でも驚くほど素直なものだった。
私の眼は、その中吊り広告に釘付になった。遠い遠い昔、春まだ浅い、田舎の無人駅。私の他には乗る人も居ない、白い駅舎。不安は懐かしさを連れ、私の心の水面をさらに擾乱した。無性に寂しくなった。忘れていた、夢が頭をもたげ、渦巻く現実の波の遥か下層に呼び覚まされた。
「一度…… 帰ろうかな」
誰にでもなく、呟くわたし。心なしか、隣にいる見知らぬ乗客が、怪訝な顔をして私を見た。
決めた。田舎に帰って、この心の不安の元を探してみよう。そうすれば、何かが変わるかもしれない。
^^^^^
次の日、私は課長に有給休暇願いを提出した。幸い仕事の方は、少なくとも私の担当に限っては一段落していた。渋い顔をしながら、課長は、私に尋ねた。
「なんだ、男でも出来たのか?このクソ忙しいのに・・・」
(この愚物が・・・それしか思いつかないのか。忙しいのはあんたの能力が無いからだ!)
心の中で悪態を吐きつつ、顔はにこやかな営業用の笑顔を浮かべ、
「さぁ、どうでしょう。ご想像にお任せしますわ」
取り繕うことなど、簡単なことだ、媚を売らぬ代わりに、言葉では何とでも言えるのだ。課長は薄ら笑いを浮かべつつ、判子を押した。
散々迷った挙句、帰る前に電話を一本入れる事にした。
都会に出てくるときに、父と大喧嘩した手前、そうは簡単に踏ん切りがつかなかった。しかし、あの広告の写真とコピーは、私が封印して続けてきた、故郷への 「 慕情 」 と、言うべき感情を呼び覚ましてしまったのだ。 今の生活に、疲れ果てた挙句に行き着いた、感情か…… 受け入れて貰えるだろうか?
電話を受け取った実家の母は、驚いていたが、それでも、待っていると言ってくれた。
不安は…… 氷解した。
翌日の昼過ぎの、田舎へと向かう列車。 その中に私は居た。忘れていたものを思い出すためには、一度、私の生まれた村に、帰らねばならない。 そう感じていた。 丸一日を費やし、私は、その場所に戻りつつあった。
^^^^^^
夏の容赦の無い日の光が降る中、私は、田舎の小さな駅に降り立った。 たった一両しかない列車が、まばらな客を乗せて走り去ると、そこには、蝉の声だけが響く、騒々しい静寂だけが残った。 改札に駅員すら居ない。 当たり前だ。 この駅は、駅員のいない無人駅だもの
私は、蝉の声に迎えられ、誰も居ない小さな改札を抜け、村で唯一賑やかな通りにでた。 郵便局と雑貨屋。 それに、小さな食堂があるきりの通りだった。 山が直ぐ近くまで迫っており、通りの向こうに線路と平行して流れる川があった。
川沿いに歩き始めた私。 草の匂いと、水の音が私に小さい頃の記憶を取り戻させた。 実家に着く頃には、気分は十代に戻っていた。
小さな古い日本家屋。 庭には柿の木が青々と葉を茂らせている。 たしか、この木に登って、叱られた記憶がある。 苦笑いを浮かべつつ、縁側に向かった。
「ただいま」
「早かったねぇ。もうちょっと遅いかとおもっとった。 お帰り」
優しい眼をした母親が縁側に出てきた。 顔中に深く刻み付けられて皺が、彼女を年齢以上に老けて見せていた。 ごわごわの手が私の荷物をとった。
「暑いなぁ…… 何してる、上がりなぁよ」
母の声は何処までも優しかった。
「母さん、仕事は?野良に出なくてもいいの?」
母の後に続き、広縁から八畳間に上がりながら私はそう尋ねた。
「こんなに暑いのに野良になんか出れるもんかい。夕方になってからだよ」
「そう…… そうだったね」
「冷たいものでも、出そうかね」
そう言って母は、台所に立っていった。
「父さんは?」
「あん人かい?あん人は、ほれ、農協の会合とかに行ってるよ。どうせ飲んで来るんだよ」
「そう…… 母さん…… 大丈夫?」
台所からグラスに入れた冷たい麦茶を持ってきた母に私はそう尋ねた。 母は笑いながら私に応えた。
「なんね、何時もの事よ。あん人も、てれくさいんよ。大喧嘩して出て行ったあんたに会うのがね。」
「……そういうわけじゃないのよ ……そう ……暮し向きとか」
「ははっは。何ゆうとるんね。心配ないよ。これでも評判ええんよ。あたしの作る野菜は。無農薬なんちゃらゆうてな。けっこうな値段でこうてもらえる」
「そ、そうだったの…… 知らなかった」
垢抜けない母は、地に足を着け自分達の生活を生きていた。 何より、私が知っている頃の母より、よく笑うようになっていた。
「ほら、憶えておろうか? 伊藤の分家の将ちゃん。 分家が死んでから、自分で農家をやるって言い切ってな、その無農薬なんちゃらを始めたのさ。 最初は皆、笑っとったんだけどね、将ちゃんの作る野菜は旨くて、よく売れるし、将ちゃんも、そのつてをあたしらに教えてくれたんよ。 おかげで、この村の皆は、前よりいい暮らし出来とるんよ」
知らなかったよ…… 将ちゃん…… 将一…… その名前を聞くと、心の奥が微かに疼いた。
「将ちゃんなら、今頃は飛地の畑で何ぞしとるんと違うかな?・・・挨拶くらいはしとかんね」
「……そうね。」
私の言葉を聞くと、母はにっこりと微笑んだ。 やや日が西に傾き、縁側から、風が入ってきた。
「そろそろ、野良に出るんよ。あんたは、ええ様にしなさい」
「うん…… ありがとう」
母は、縁側から降りていった。 座卓の上に汗をかいた麦茶だけが乗っている。 それを飲み干すと、私も縁側から降りた。 飛地に居るだろうという、将一君に会いに行くために。
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