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第二部 『変・貌』
後編
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ーーまだもんじゃタイムの余韻が残っている。
翌日、耕助は昼頃になってもベッドで仰向けに寝転がりながら、天井に付着する小さなシミをぼぅと見つめていた。今日は平日なので無理矢理起こしてくれる母もおらず、このままだとずっとこの状態で1日を終えてしまうがーー今は何もしなくとも危機感が全く湧いて来なかった。もういっそ一日中こうしていようか。そんな事を考え始めているとーー
「犬飼氏」
玄関先で耕助の苗字を呼ぶ声がする。そして耕助はその声を聞いた瞬間ーーとある用事を思い出した。
「犬飼氏、いるかい?」
そう◯◯氏という呼び方をするのは、耕助の友達には1人しかいない。耕助はようやく重い身体を起こし玄関に向かうとーー
「あ、犬飼氏。お世話になります」
一時期の耕助と同じスキンヘッドの少女が、合掌しながら立っていた。
~~~~~~
耕助がスキンヘッドになった際、本書では◯ノ内サディスティックになぞらえて『僧になった』と形容したが…実際は罰で髪を刈られただけの耕助とは違って、この少女ーー尼崎柚子胡は正真正銘、本物の僧なのであった。いや、正確には尼と言うべきだろうか。
「しかし犬飼氏、今日は特に元気が無いように見えるが…何かあったのかい」
柚子胡が心配そうに耕助の横顔を覗き込んで言う。そして耕助が柚子胡に昨日の『もんじゃタイム』の一部始終を伝えるとーー
「なななななにぃ!?ききききききすぅ!?そそそそそそそそ」
柚子胡は耕助が2号から口づけされた話を聞いた途端、露骨に顔を真っ赤にして、着ている虹色の袈裟を振り乱しながら激しく狼狽える。
「そそそんなの、普通ならば煩悩塗れになる筈なのに…何故、犬飼氏は寧ろ、悟りを開いたような顔をしているのだ!?」
「これが『もんじゃタイム』です」
「いや、そんなメンタリズムみたいに言われても…!!くうっ…」
柚子胡は突如として唇を噛むと、おもむろにその場で座禅を組んで瞑想する。そしてしばらくするとーー
「失礼、取り乱してしまった。なるほど、もう既にその感じなら、今日は更に深い境地へと行けるかもしれないね」
柚子胡はまた平常心に戻り、平然とした表情で会話を続けた。
~~~~~~
凸洞寺。柚子胡含む尼崎家が江戸時代から代々受け継いできた、この町唯一の寺院である。耕助は小6になったくらいから1ヶ月に一度の第二月曜日、この寺院に習い事のような感じで通っており、同級生で次期住職の柚子胡と共に修行を行っていた。
「こんにちは、耕助君。お世話になります」
凸洞寺に着くと、現住職で柚子胡の父の寛永が穏やかな笑顔で迎え入れてくれた。そして寺に上がるとすぐに奥の間へ案内されーー耕助と柚子胡はいつものようにその真ん中で座禅を組みながら、各自でお経を唱え始める。そしてそうやってお経を通じて会話をする事で、お互いの心の深層部分を徐々にほぐしていき、やがて悟りの境地へとその身を預けていくのだった。
今、耕助は一面真っ白の何もない場所にいた。そして目の前には見上げる程に大きく重厚な扉ーー耕助はその扉に手をかける。そしてゆっくりとーー両足を踏ん張って扉を押す。すると鈍い音と共に扉が開いてーー耕助はその中に身を投じた。耕助がこの扉を開けて境地に入る事が出来たのは、これまでわずか2回ーー更にその2回とも、境地には何も無かった。しかし今回はーー
「あれ…」
耕助が扉の繋がった先に入るとーーそこはどこかの家のリビングであった。耕助は初めて扉の先に風景があった事に驚きながら辺りを見回す。そこに人の姿はないが、部屋の電気は付いていてーー誰かが暮らしている痕跡はあった。
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ。
赤ん坊の泣き声がして、耕助は反射的に身を隠す。
「よしよし」
そしてその赤ん坊をあやす女性ーー
その女性の顔を見て、耕助は驚く。
「叔母さん…?いや…」
その顔は叔母とそっくりであったがーー今の叔母よりは遥かに若く美人であった。そしてーー
心から幸せそうに大きな瞳を歪ませて笑っていた。
そしてその特徴的な笑い方に…耕助は心当たりがあった。
「…小雪ちゃ」
きぃ、ばたん。
そう扉が閉まる音がしてーー
耕助は現実へと引き戻された。
「犬飼氏、お疲れ様」
目を開けると、そこには柚子胡の顔があってーー耕助に冷たい麦茶を差し出していた。そして耕助はそれを一気に飲み干す。
「遂に、見えたようだね」
柚子胡が嬉しそうに笑いながら言うと、耕助は無表情で頷いた。
「多分、未来が見えた」
「未来、なるほど。それはどのようなーー」
柚子胡が目を光らせながら興味深々と言った様子で聞いてくる。しかしーー住職の寛永は片手で柚子胡の両頬を掴んで制止する。
「柚子胡、あまり他人の境地の内容は聞くものではありませんよ。境地の内容は人それぞれ。だからこそ見たものは自分自身の内のみに秘め、一人で悟りを深めていく事に意義があるのです」
「はい、申し訳ありませんん…」
柚子胡は住職に説教されて涙目で返事した後、それを隠すように走ってお茶菓子を取りに行った。その様子を見て、住職は呆れたように言う。
「あの様子では、あの子が境地に入るのはいつになる事やら…耕助君、柚子胡と結婚してここの住職になりませんか」
寛永の婿入りの勧誘に、耕助は首をぶんぶんと横に振る。結婚。先程境地の中で見た大人になった小雪ちゃんーー
その小雪ちゃんは誰かと結婚していて、子どもまで出来ていた。
「次来た時には、おめでとうって言ってあげないとな…」
耕助はそう小さく呟いて、柚子胡が持って来た高級饅頭を一つ
口に放り込む。しかし高級な割に、味はあまりしなかった。
また胸がちくちくと痛んでいた。
~~~~~~
「ただいまー」
仕事を終えて帰ってきた母の声が家にこだまする。リビングの電気は点いているが、耕助の返事は無い。母は不審に思いつつ、リビングのドアを開けるとーー
「うわ!」
その瞬間、猛烈な熱気が母の顔面を襲い仰反る。見ると何故か…耕助が真夏にも関わらず炬燵やらストーブやらを出して、布団の中で屍のように寝転がっていた。
「ちょいちょいちょい、何してんのアンタ!大丈夫!?」
母が急いで炬燵やらストーブやらの電源を切ってクーラーを点け、耕助を布団の中から引っ張り出す。すると耕助は蒸気が出る程の真っ赤な顔で、その意図を説明した。
「なんか、温まりたい気分だった」
「はぁ?今日気温何度だと思ってんの」
「うん、身体は暑いんだけど…心が寒いんだ」
「何馬鹿な事言ってんの。詩人にでもなるつもり?ほら、クーラー効くまでリビングから出ときなさい」
母は耕助の発言を軽く受け流し、リビングから耕助を連れ出す。そして耕助が廊下で扇風機に当たりながら呆けているとーーまた胸の痛みがちくりと耕助を刺す。
「うーん」
耕助はそう唸り廊下に寝転がる。先程、境地を目の当たりにした後からーー耕助はどこかおかしかった。深い闇というかーー何か底知れず暗いものが、少しずつ耕助の心を蝕んでいるような気がした。もしかすると、これに打ち勝つことが住職の言っていた「悟りを開く」という事なのだろうかーー。そう思うと耕助はその前途の見えなさに少し焦燥の汗を垂らした。
「僧ってすごいなぁ…」
耕助がそう考え込んでいると、母が思い出したように何か細長いものを耕助に手渡す。それは封筒ーーそれも耕助宛のものだった。そして差出人住所は、東京都〇〇区〇〇…
差出人、仲邑小雪。
「小雪ちゃんからだ」
耕助は声を上げる。夏祭りの際、東京に帰ったら手紙を書くと言ってくれた小雪ちゃんーーその手紙が遂に来たのだ。耕助は封筒の中の便箋を開いて、その中の手紙に書かれている文章を黙読する。
コーちゃんへ
お元気ですか。小雪です。お手紙出すのおそくなってごめんなさい。小雪は今まで東京で色々とじゅんびをしてたけど、変わらず元気です。コーちゃんとすごした時間はすごく楽しくて、とても最高で、かけがえのない時間で…
耕助は小雪ちゃんの、あまり綺麗とは言えない、象形文字のような字を食い入るように眺める。手紙の端々に付く消しゴムで消した跡、丁寧な文脈、常に述べられる耕助への感謝。その全てに、小雪ちゃんの耕助に対する想いが詰め込まれているような気がしてーー
耕助の中の何かが、張り裂ける音がした。
「耕助ごめん、マヨネーズとってくれな…」
ふとそう言って母が耕助に目を向けるとーー
耕助は手紙を読みながら、涙を流していた。
「泣いてる!?え、大丈夫?」
母はその異常事態に、一旦ポテトサラダを作る手を止めて耕助に駆け寄る。というのもーー耕助は生まれてからこれまで一度も泣いた事がなかったのだ。産まれた瞬間も全く産声をあげずに医者には気味悪がられたし、赤ん坊の頃にハイハイで机に頭を強打した時も心配する自分達をよそにケロッとした顔をしていたし…その後も何があろうと、一度も泣くことはなかった。成長する度にエスカレートしていく奇行も相まって、ウチの子は何か脳の病気なのではないかと思う事もあったーー
そんな耕助が今、泣いている。
「あんたちゃんと泣けたんだ、良かった。何、どしたの」
母は耕助を心配しつつも、初めて見るその人間味のある泣き顔に思わず少し安心しながら、耕助の坊主頭を撫でて言う。
「分かんない…」
耕助は両手で目をこすりながらぐすぐすとべそをかき、そう切なげに言葉を漏らした。そしてその今までとは違う、普通の子供っぽい姿に…母は思わずきゅんとする。
やべぇ、我が子クッソ可愛いい……
そして悶えながら耕助を抱き締めるとーー母はその幸福に天を仰ぎ、片手でラオウの如くガッツポーズを天に掲げた。
ああ。
我が生涯に、一片の悔いなしーー。
「何でこんなに涙が出るのか、分かんないぃ…」
「そうなの、耕ちゃん。可哀想にぃ。ほら、ママの胸でいっぱい泣きなぁ」
胸で泣く耕助に対し、過去にないくらい優しい声音でそう声をかけるとーー耕助は上目遣いでこちらをうるうると見つめて言った。
「ママぁ…」
うっひょー。
そしてその瞬間、母の脳天は過度な興奮によって火山のように噴火しーーそしてその噴火によって飛び出た高温の火山岩が、ポテトサラダ用に置いていたジャガイモの上にみるみる敷き詰められていく。そして瞬く間にジャガイモはこんがりと焼け、家中に香ばしい匂いとーー
石焼ーきいもー。おいもー。
石焼ーきいもー。おいもー。
石焼ーきいもー。おいもー。
季節外れのBGM。
~~~~~~
小雪ちゃんが東京に帰ってから、2週間が経とうとしていた。耕助は人生初の号泣をした後、石焼きジャガイモをたらふく食べて少し元気が戻り、またいつも通りの日常を送り始めたのだがーー何をしていても、胸に蔓延り続ける喪失感と、そこから来る痛みは消える事はなかった。
「君のいない、世界など、夏休みのない8月のよう。君のいない、世界など…」
おぉぉぉぉぉぉぉ。
耕助はRADWINPSの「なんでもないや」を熱唱しながらーー梨乃の部屋でギターをでたらめに弾く。
「いや、だから何でウチでやるの。もうそろそろお隣さんから本格的なクレーム来そうなんだけど。ほらやっぱ来た、壁ドン…あれ」
梨乃は塞いでいた耳を開き、部屋中に響く音に耳を澄ます。すると…
じゃらじゃらじゃらじゃーん。
これは耕助のギターの音。そして…
どんどん、どんどん、どんどん…
よく聞くとお隣さんが、そのギターの音色に合わせるようにーー壁ドンでリズムを刻んでいた。そしてその壁ドンドラムが良いアクセントになり…いつの間にか耕助のめちゃくちゃなギターと、心地よいハーモニーを奏でていた。
「いや、セッション?てかお隣さんは何…」
梨乃が困惑していると、演奏パートが終わり、耕助がまた歌い出す。
「僕らーたーいむふらいやー」
「ハモってる!お隣さん…壁の音の吸収を生かして、ちょうど良い音量で…てか何これ、前衛的すぎない?」
梨乃が頻りに仕切り越しのセッションにツッコミを入れるも、2人の演奏は士気を下げることを知らない。
「うれしくてなくのは、かなしくてわらうのは…」
「もうやめて、頭おかしくなるぅぅぅ」
遂に梨乃はツッコミをやめて、悲痛な声を上げたーー
その時だった。
「僕を追い越したんだよ」
梨乃のすぐ後ろで耕助ではない誰かの声が聞こえーー梨乃はその恐怖に飛び上がり、そしてホラー映画のように絶叫する。
「ぎゃあああああああああああ!!!」
「うるせぇ!」
その瞬間、初めてもう一方の壁から普通のクレームが入りーー梨乃は思わず反射的に、今まで使った事のない荒々しい口調でツッコんだ。
いや遅ぇだろーーー。
~~~~~~~
「3号、ありがとう。最高だったよ」
全てが終わり、梨乃の部屋には耕助と梨乃ーーそしてもう一人、先程梨乃の後ろで『なんでもないや』の最後の歌詞を歌った、緑色のショートヘアーの凛々しい女性がいて…その女性は耕助に無言で頷くと、そのまま特に何も言わずに帰っていった。
「じゃ、僕も帰るね。ありがとう梨乃ちゃん。これお礼」
そしてまだ放心状態にある梨乃にアクエリアスを手渡し、耕助も窓から帰って行った。
「はぁ、はぁ…いや、確かにRADWINPS、アクエリアスのCMの曲やってたけど…」
梨乃は息を荒くしながら最後にそうツッコみーー続けて言葉を漏らした。
「今度絶対、ドラムとギター持って帰ってもらお…」
~~~~~~
梨乃の家であれほど最高なセッションをしても、耕助の心は未だ晴れぬままだった。夕焼けの中をとぼとぼと歩きながら、帰路につく。耕助自身こんなにも何かを考えて気分が落ち込むのは初めてーーだからこそこういう時にどうしたら良いのか、分からなかった。
「まいどありー、いつもありがとねー」
帰り道、耕助は駄菓子屋で10円の胸キュンアイス(ソーダ味)を買い、近くの公園のブランコに座る。それは夏祭りの最後に小雪ちゃんと1号と花火を見た公園ーーしかしもう2人とも今はもう会えない。そう思えば思うほどまた、耕助の気持ちは溶けゆくアイスのように落ちていった。
「あ、アイス…」
耕助はふとそう呟き、アイスを食べ切った後のバーを見る。見るとそこには『スキ♡』の文字ーー。それはこの胸キュンアイスの「当たり」のしるしだった。
「当たった…」
耕助はそれに気付くと、少しだけ気持ちが軽くなる。それはほんのささやかな幸せーーしかし傷心の耕助にとっては、そんな少しの幸せがいつもよりありがたく…まるで1号が耕助を慰めてくれているように感じた。
「よし、交換しに行くか…」
耕助はおもむろにそう言って立ち上がる。そして当たりバーを交換するため、再び駄菓子屋に赴こうとしたーー
「コーちゃん」
その時だった。
後ろからソーダのように涼やかな声がして、耕助は振り返る。
そこには少し髪の伸びたーー
見慣れた顔の少女が立っていた。
「ふふ」
その少女は大きな眼を嬉しそうに歪ませーー
ふわりと笑った。
「また来ちゃった」
そしてその太陽のような笑顔に照らされると、耕助の胸に蔓延っていた暗いものは一瞬にして晴れーー
「小雪ちゃん」
耕助もまた太陽のような笑顔を浮かべた。
そして耕助は初めて会った時のように小雪ちゃんの手を取りーー
「アイス当たったしあげる、行こ」
小雪ちゃんの手を引いて駄菓子屋へと向かった。手元をあまり見ていなかったので耕助は気付かなかったのだが…その時の小雪ちゃんの白く細い手首にはーー
「うんっ」
『スキ♡』という切り傷が痛々しく刻まれていた。
~~~~~~
その後、耕助はまた小雪ちゃんと一緒に楽しい夏休みを過ごした。色んな所で遊んで、家族で旅行にも行って、洞窟探検でダイヤもとって…それはもう、充実した夏休みであった。しかしそんな耕助の夏休みも終盤に差し掛かり…小雪ちゃんと共に過ごす日々も再び終わりを迎えようとしていたーー
「小雪ちゃん、もうそろそろ帰っちゃうの」
「帰らないよ」
ある日の夜、耕助が少し寂しそうに聞くと、小雪ちゃんはそう食い気味に返した。
「でも、東京で学校とかあるんじゃ…」
「転校する」
その時の小雪ちゃんは冗談を言っている感じでもなくーー至って真剣な目つきをしていた。
「手首切ろうとしたらお母さんとお父さんも良いって言ってくれたし、このままここに住ませてもらって、コーちゃんと一緒の学校に転校する」
「そなんだ」
叔母さんと叔父さんからオッケー出てるならいっかーーと、耕助は何となく納得しかけたのだが…
「…手首切ろう?」
「あ、あ、えーと…そうだ、ねずみ色。東京の空はねずみ色だから嫌だって言ったの」
小雪ちゃんはかなり苦しい言い訳をしたが、耕助はどちらにしろ全く意味が分からなかったため、特にそれ以上触れる事は無かった。
「そっか、じゃあもっと一緒にいれるんだ」
「…嬉しい?」
小雪ちゃんは大きな眼をニコニコと歪ませながら耕助に擦り寄る。そしてぴったりと身体をくっつける。
「うん、小雪ちゃんといると楽しいもん」
「…小雪も」
小雪ちゃんはもじもじしながらぽっと顔を赤らめ、また耕助に頭を近付けて擦り寄る。耕助はそんな小雪ちゃんの姿がーー
「弟みたいでかわいいし」
「…弟?」
耕助がその言葉を口にした瞬間、小雪ちゃんの瞳から急にハイライトが消える。そしてその小雪ちゃんの表情の変化を見てーー耕助は自分の失言に気づいた。
「ごめん、弟じゃなくて妹だ」
「…妹」
先程の言葉を訂正すると、小雪ちゃんの瞳は少しだけマシになったが…しかし小雪ちゃんはまだどこか納得がいっていない様子で俯く。そして一言ーー
耕助に聞こえない程度で低く呟いた。
「もっと、頑張らなきゃ…」
小雪ちゃんの瞳は覚悟を決めたように鋭く光る。
『スキ♡』の切り傷がまた、毒毒と疼いていた。
《第二部 完》
翌日、耕助は昼頃になってもベッドで仰向けに寝転がりながら、天井に付着する小さなシミをぼぅと見つめていた。今日は平日なので無理矢理起こしてくれる母もおらず、このままだとずっとこの状態で1日を終えてしまうがーー今は何もしなくとも危機感が全く湧いて来なかった。もういっそ一日中こうしていようか。そんな事を考え始めているとーー
「犬飼氏」
玄関先で耕助の苗字を呼ぶ声がする。そして耕助はその声を聞いた瞬間ーーとある用事を思い出した。
「犬飼氏、いるかい?」
そう◯◯氏という呼び方をするのは、耕助の友達には1人しかいない。耕助はようやく重い身体を起こし玄関に向かうとーー
「あ、犬飼氏。お世話になります」
一時期の耕助と同じスキンヘッドの少女が、合掌しながら立っていた。
~~~~~~
耕助がスキンヘッドになった際、本書では◯ノ内サディスティックになぞらえて『僧になった』と形容したが…実際は罰で髪を刈られただけの耕助とは違って、この少女ーー尼崎柚子胡は正真正銘、本物の僧なのであった。いや、正確には尼と言うべきだろうか。
「しかし犬飼氏、今日は特に元気が無いように見えるが…何かあったのかい」
柚子胡が心配そうに耕助の横顔を覗き込んで言う。そして耕助が柚子胡に昨日の『もんじゃタイム』の一部始終を伝えるとーー
「なななななにぃ!?ききききききすぅ!?そそそそそそそそ」
柚子胡は耕助が2号から口づけされた話を聞いた途端、露骨に顔を真っ赤にして、着ている虹色の袈裟を振り乱しながら激しく狼狽える。
「そそそんなの、普通ならば煩悩塗れになる筈なのに…何故、犬飼氏は寧ろ、悟りを開いたような顔をしているのだ!?」
「これが『もんじゃタイム』です」
「いや、そんなメンタリズムみたいに言われても…!!くうっ…」
柚子胡は突如として唇を噛むと、おもむろにその場で座禅を組んで瞑想する。そしてしばらくするとーー
「失礼、取り乱してしまった。なるほど、もう既にその感じなら、今日は更に深い境地へと行けるかもしれないね」
柚子胡はまた平常心に戻り、平然とした表情で会話を続けた。
~~~~~~
凸洞寺。柚子胡含む尼崎家が江戸時代から代々受け継いできた、この町唯一の寺院である。耕助は小6になったくらいから1ヶ月に一度の第二月曜日、この寺院に習い事のような感じで通っており、同級生で次期住職の柚子胡と共に修行を行っていた。
「こんにちは、耕助君。お世話になります」
凸洞寺に着くと、現住職で柚子胡の父の寛永が穏やかな笑顔で迎え入れてくれた。そして寺に上がるとすぐに奥の間へ案内されーー耕助と柚子胡はいつものようにその真ん中で座禅を組みながら、各自でお経を唱え始める。そしてそうやってお経を通じて会話をする事で、お互いの心の深層部分を徐々にほぐしていき、やがて悟りの境地へとその身を預けていくのだった。
今、耕助は一面真っ白の何もない場所にいた。そして目の前には見上げる程に大きく重厚な扉ーー耕助はその扉に手をかける。そしてゆっくりとーー両足を踏ん張って扉を押す。すると鈍い音と共に扉が開いてーー耕助はその中に身を投じた。耕助がこの扉を開けて境地に入る事が出来たのは、これまでわずか2回ーー更にその2回とも、境地には何も無かった。しかし今回はーー
「あれ…」
耕助が扉の繋がった先に入るとーーそこはどこかの家のリビングであった。耕助は初めて扉の先に風景があった事に驚きながら辺りを見回す。そこに人の姿はないが、部屋の電気は付いていてーー誰かが暮らしている痕跡はあった。
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ。
赤ん坊の泣き声がして、耕助は反射的に身を隠す。
「よしよし」
そしてその赤ん坊をあやす女性ーー
その女性の顔を見て、耕助は驚く。
「叔母さん…?いや…」
その顔は叔母とそっくりであったがーー今の叔母よりは遥かに若く美人であった。そしてーー
心から幸せそうに大きな瞳を歪ませて笑っていた。
そしてその特徴的な笑い方に…耕助は心当たりがあった。
「…小雪ちゃ」
きぃ、ばたん。
そう扉が閉まる音がしてーー
耕助は現実へと引き戻された。
「犬飼氏、お疲れ様」
目を開けると、そこには柚子胡の顔があってーー耕助に冷たい麦茶を差し出していた。そして耕助はそれを一気に飲み干す。
「遂に、見えたようだね」
柚子胡が嬉しそうに笑いながら言うと、耕助は無表情で頷いた。
「多分、未来が見えた」
「未来、なるほど。それはどのようなーー」
柚子胡が目を光らせながら興味深々と言った様子で聞いてくる。しかしーー住職の寛永は片手で柚子胡の両頬を掴んで制止する。
「柚子胡、あまり他人の境地の内容は聞くものではありませんよ。境地の内容は人それぞれ。だからこそ見たものは自分自身の内のみに秘め、一人で悟りを深めていく事に意義があるのです」
「はい、申し訳ありませんん…」
柚子胡は住職に説教されて涙目で返事した後、それを隠すように走ってお茶菓子を取りに行った。その様子を見て、住職は呆れたように言う。
「あの様子では、あの子が境地に入るのはいつになる事やら…耕助君、柚子胡と結婚してここの住職になりませんか」
寛永の婿入りの勧誘に、耕助は首をぶんぶんと横に振る。結婚。先程境地の中で見た大人になった小雪ちゃんーー
その小雪ちゃんは誰かと結婚していて、子どもまで出来ていた。
「次来た時には、おめでとうって言ってあげないとな…」
耕助はそう小さく呟いて、柚子胡が持って来た高級饅頭を一つ
口に放り込む。しかし高級な割に、味はあまりしなかった。
また胸がちくちくと痛んでいた。
~~~~~~
「ただいまー」
仕事を終えて帰ってきた母の声が家にこだまする。リビングの電気は点いているが、耕助の返事は無い。母は不審に思いつつ、リビングのドアを開けるとーー
「うわ!」
その瞬間、猛烈な熱気が母の顔面を襲い仰反る。見ると何故か…耕助が真夏にも関わらず炬燵やらストーブやらを出して、布団の中で屍のように寝転がっていた。
「ちょいちょいちょい、何してんのアンタ!大丈夫!?」
母が急いで炬燵やらストーブやらの電源を切ってクーラーを点け、耕助を布団の中から引っ張り出す。すると耕助は蒸気が出る程の真っ赤な顔で、その意図を説明した。
「なんか、温まりたい気分だった」
「はぁ?今日気温何度だと思ってんの」
「うん、身体は暑いんだけど…心が寒いんだ」
「何馬鹿な事言ってんの。詩人にでもなるつもり?ほら、クーラー効くまでリビングから出ときなさい」
母は耕助の発言を軽く受け流し、リビングから耕助を連れ出す。そして耕助が廊下で扇風機に当たりながら呆けているとーーまた胸の痛みがちくりと耕助を刺す。
「うーん」
耕助はそう唸り廊下に寝転がる。先程、境地を目の当たりにした後からーー耕助はどこかおかしかった。深い闇というかーー何か底知れず暗いものが、少しずつ耕助の心を蝕んでいるような気がした。もしかすると、これに打ち勝つことが住職の言っていた「悟りを開く」という事なのだろうかーー。そう思うと耕助はその前途の見えなさに少し焦燥の汗を垂らした。
「僧ってすごいなぁ…」
耕助がそう考え込んでいると、母が思い出したように何か細長いものを耕助に手渡す。それは封筒ーーそれも耕助宛のものだった。そして差出人住所は、東京都〇〇区〇〇…
差出人、仲邑小雪。
「小雪ちゃんからだ」
耕助は声を上げる。夏祭りの際、東京に帰ったら手紙を書くと言ってくれた小雪ちゃんーーその手紙が遂に来たのだ。耕助は封筒の中の便箋を開いて、その中の手紙に書かれている文章を黙読する。
コーちゃんへ
お元気ですか。小雪です。お手紙出すのおそくなってごめんなさい。小雪は今まで東京で色々とじゅんびをしてたけど、変わらず元気です。コーちゃんとすごした時間はすごく楽しくて、とても最高で、かけがえのない時間で…
耕助は小雪ちゃんの、あまり綺麗とは言えない、象形文字のような字を食い入るように眺める。手紙の端々に付く消しゴムで消した跡、丁寧な文脈、常に述べられる耕助への感謝。その全てに、小雪ちゃんの耕助に対する想いが詰め込まれているような気がしてーー
耕助の中の何かが、張り裂ける音がした。
「耕助ごめん、マヨネーズとってくれな…」
ふとそう言って母が耕助に目を向けるとーー
耕助は手紙を読みながら、涙を流していた。
「泣いてる!?え、大丈夫?」
母はその異常事態に、一旦ポテトサラダを作る手を止めて耕助に駆け寄る。というのもーー耕助は生まれてからこれまで一度も泣いた事がなかったのだ。産まれた瞬間も全く産声をあげずに医者には気味悪がられたし、赤ん坊の頃にハイハイで机に頭を強打した時も心配する自分達をよそにケロッとした顔をしていたし…その後も何があろうと、一度も泣くことはなかった。成長する度にエスカレートしていく奇行も相まって、ウチの子は何か脳の病気なのではないかと思う事もあったーー
そんな耕助が今、泣いている。
「あんたちゃんと泣けたんだ、良かった。何、どしたの」
母は耕助を心配しつつも、初めて見るその人間味のある泣き顔に思わず少し安心しながら、耕助の坊主頭を撫でて言う。
「分かんない…」
耕助は両手で目をこすりながらぐすぐすとべそをかき、そう切なげに言葉を漏らした。そしてその今までとは違う、普通の子供っぽい姿に…母は思わずきゅんとする。
やべぇ、我が子クッソ可愛いい……
そして悶えながら耕助を抱き締めるとーー母はその幸福に天を仰ぎ、片手でラオウの如くガッツポーズを天に掲げた。
ああ。
我が生涯に、一片の悔いなしーー。
「何でこんなに涙が出るのか、分かんないぃ…」
「そうなの、耕ちゃん。可哀想にぃ。ほら、ママの胸でいっぱい泣きなぁ」
胸で泣く耕助に対し、過去にないくらい優しい声音でそう声をかけるとーー耕助は上目遣いでこちらをうるうると見つめて言った。
「ママぁ…」
うっひょー。
そしてその瞬間、母の脳天は過度な興奮によって火山のように噴火しーーそしてその噴火によって飛び出た高温の火山岩が、ポテトサラダ用に置いていたジャガイモの上にみるみる敷き詰められていく。そして瞬く間にジャガイモはこんがりと焼け、家中に香ばしい匂いとーー
石焼ーきいもー。おいもー。
石焼ーきいもー。おいもー。
石焼ーきいもー。おいもー。
季節外れのBGM。
~~~~~~
小雪ちゃんが東京に帰ってから、2週間が経とうとしていた。耕助は人生初の号泣をした後、石焼きジャガイモをたらふく食べて少し元気が戻り、またいつも通りの日常を送り始めたのだがーー何をしていても、胸に蔓延り続ける喪失感と、そこから来る痛みは消える事はなかった。
「君のいない、世界など、夏休みのない8月のよう。君のいない、世界など…」
おぉぉぉぉぉぉぉ。
耕助はRADWINPSの「なんでもないや」を熱唱しながらーー梨乃の部屋でギターをでたらめに弾く。
「いや、だから何でウチでやるの。もうそろそろお隣さんから本格的なクレーム来そうなんだけど。ほらやっぱ来た、壁ドン…あれ」
梨乃は塞いでいた耳を開き、部屋中に響く音に耳を澄ます。すると…
じゃらじゃらじゃらじゃーん。
これは耕助のギターの音。そして…
どんどん、どんどん、どんどん…
よく聞くとお隣さんが、そのギターの音色に合わせるようにーー壁ドンでリズムを刻んでいた。そしてその壁ドンドラムが良いアクセントになり…いつの間にか耕助のめちゃくちゃなギターと、心地よいハーモニーを奏でていた。
「いや、セッション?てかお隣さんは何…」
梨乃が困惑していると、演奏パートが終わり、耕助がまた歌い出す。
「僕らーたーいむふらいやー」
「ハモってる!お隣さん…壁の音の吸収を生かして、ちょうど良い音量で…てか何これ、前衛的すぎない?」
梨乃が頻りに仕切り越しのセッションにツッコミを入れるも、2人の演奏は士気を下げることを知らない。
「うれしくてなくのは、かなしくてわらうのは…」
「もうやめて、頭おかしくなるぅぅぅ」
遂に梨乃はツッコミをやめて、悲痛な声を上げたーー
その時だった。
「僕を追い越したんだよ」
梨乃のすぐ後ろで耕助ではない誰かの声が聞こえーー梨乃はその恐怖に飛び上がり、そしてホラー映画のように絶叫する。
「ぎゃあああああああああああ!!!」
「うるせぇ!」
その瞬間、初めてもう一方の壁から普通のクレームが入りーー梨乃は思わず反射的に、今まで使った事のない荒々しい口調でツッコんだ。
いや遅ぇだろーーー。
~~~~~~~
「3号、ありがとう。最高だったよ」
全てが終わり、梨乃の部屋には耕助と梨乃ーーそしてもう一人、先程梨乃の後ろで『なんでもないや』の最後の歌詞を歌った、緑色のショートヘアーの凛々しい女性がいて…その女性は耕助に無言で頷くと、そのまま特に何も言わずに帰っていった。
「じゃ、僕も帰るね。ありがとう梨乃ちゃん。これお礼」
そしてまだ放心状態にある梨乃にアクエリアスを手渡し、耕助も窓から帰って行った。
「はぁ、はぁ…いや、確かにRADWINPS、アクエリアスのCMの曲やってたけど…」
梨乃は息を荒くしながら最後にそうツッコみーー続けて言葉を漏らした。
「今度絶対、ドラムとギター持って帰ってもらお…」
~~~~~~
梨乃の家であれほど最高なセッションをしても、耕助の心は未だ晴れぬままだった。夕焼けの中をとぼとぼと歩きながら、帰路につく。耕助自身こんなにも何かを考えて気分が落ち込むのは初めてーーだからこそこういう時にどうしたら良いのか、分からなかった。
「まいどありー、いつもありがとねー」
帰り道、耕助は駄菓子屋で10円の胸キュンアイス(ソーダ味)を買い、近くの公園のブランコに座る。それは夏祭りの最後に小雪ちゃんと1号と花火を見た公園ーーしかしもう2人とも今はもう会えない。そう思えば思うほどまた、耕助の気持ちは溶けゆくアイスのように落ちていった。
「あ、アイス…」
耕助はふとそう呟き、アイスを食べ切った後のバーを見る。見るとそこには『スキ♡』の文字ーー。それはこの胸キュンアイスの「当たり」のしるしだった。
「当たった…」
耕助はそれに気付くと、少しだけ気持ちが軽くなる。それはほんのささやかな幸せーーしかし傷心の耕助にとっては、そんな少しの幸せがいつもよりありがたく…まるで1号が耕助を慰めてくれているように感じた。
「よし、交換しに行くか…」
耕助はおもむろにそう言って立ち上がる。そして当たりバーを交換するため、再び駄菓子屋に赴こうとしたーー
「コーちゃん」
その時だった。
後ろからソーダのように涼やかな声がして、耕助は振り返る。
そこには少し髪の伸びたーー
見慣れた顔の少女が立っていた。
「ふふ」
その少女は大きな眼を嬉しそうに歪ませーー
ふわりと笑った。
「また来ちゃった」
そしてその太陽のような笑顔に照らされると、耕助の胸に蔓延っていた暗いものは一瞬にして晴れーー
「小雪ちゃん」
耕助もまた太陽のような笑顔を浮かべた。
そして耕助は初めて会った時のように小雪ちゃんの手を取りーー
「アイス当たったしあげる、行こ」
小雪ちゃんの手を引いて駄菓子屋へと向かった。手元をあまり見ていなかったので耕助は気付かなかったのだが…その時の小雪ちゃんの白く細い手首にはーー
「うんっ」
『スキ♡』という切り傷が痛々しく刻まれていた。
~~~~~~
その後、耕助はまた小雪ちゃんと一緒に楽しい夏休みを過ごした。色んな所で遊んで、家族で旅行にも行って、洞窟探検でダイヤもとって…それはもう、充実した夏休みであった。しかしそんな耕助の夏休みも終盤に差し掛かり…小雪ちゃんと共に過ごす日々も再び終わりを迎えようとしていたーー
「小雪ちゃん、もうそろそろ帰っちゃうの」
「帰らないよ」
ある日の夜、耕助が少し寂しそうに聞くと、小雪ちゃんはそう食い気味に返した。
「でも、東京で学校とかあるんじゃ…」
「転校する」
その時の小雪ちゃんは冗談を言っている感じでもなくーー至って真剣な目つきをしていた。
「手首切ろうとしたらお母さんとお父さんも良いって言ってくれたし、このままここに住ませてもらって、コーちゃんと一緒の学校に転校する」
「そなんだ」
叔母さんと叔父さんからオッケー出てるならいっかーーと、耕助は何となく納得しかけたのだが…
「…手首切ろう?」
「あ、あ、えーと…そうだ、ねずみ色。東京の空はねずみ色だから嫌だって言ったの」
小雪ちゃんはかなり苦しい言い訳をしたが、耕助はどちらにしろ全く意味が分からなかったため、特にそれ以上触れる事は無かった。
「そっか、じゃあもっと一緒にいれるんだ」
「…嬉しい?」
小雪ちゃんは大きな眼をニコニコと歪ませながら耕助に擦り寄る。そしてぴったりと身体をくっつける。
「うん、小雪ちゃんといると楽しいもん」
「…小雪も」
小雪ちゃんはもじもじしながらぽっと顔を赤らめ、また耕助に頭を近付けて擦り寄る。耕助はそんな小雪ちゃんの姿がーー
「弟みたいでかわいいし」
「…弟?」
耕助がその言葉を口にした瞬間、小雪ちゃんの瞳から急にハイライトが消える。そしてその小雪ちゃんの表情の変化を見てーー耕助は自分の失言に気づいた。
「ごめん、弟じゃなくて妹だ」
「…妹」
先程の言葉を訂正すると、小雪ちゃんの瞳は少しだけマシになったが…しかし小雪ちゃんはまだどこか納得がいっていない様子で俯く。そして一言ーー
耕助に聞こえない程度で低く呟いた。
「もっと、頑張らなきゃ…」
小雪ちゃんの瞳は覚悟を決めたように鋭く光る。
『スキ♡』の切り傷がまた、毒毒と疼いていた。
《第二部 完》
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