『路地裏の野良犬は皇子に成り代わる』

odo

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第四章

第三十八話

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 エルはミラージュ魔法を自身にかけて、小さく息をつく。やがて、会話が終わったのか、扉が開いてレイジが部屋に戻って来た。周囲に同化したエルはそのまま部屋を出る。

「あれ?」

 レイジの素っ頓狂な声。アルトが不思議そうな顔をして、室内に入って来た。

「どうしました?」

 アルトの横をエルは音もなく通り抜けて廊下を歩いた。部屋の方ではレイジが自分の名を呼ぶ声が響いている。
 エルは少し距離を取れた時点で音もなく走り出した。
 廊下を進めば、メイドや騎士が慌ただしく仕事をしていた。魔獣討伐の話をはじめとし、やはり別荘に王族が来たことを話しているメイドも多かった。

「エル皇子、はじめてみました」
「幼い頃に一回来たっきりなんでしょう?」
「ハウリア皇子もあまりここには来ませんよね。というか、こちらに来たことがあったっけ」
「今日、来るって話があったような。メイド長が話をしてましたよ。そろそろご到着の予定ですよね」

 そんな声が響き渡る。やはり、ハウリアもここに来るのかとエルは内心思う。
 廊下を出て、玄関近くのホールへ出る。
 そこにはルファとメルディの姿がある。二人は喧嘩をしているようだが、内容はご飯の話題だ。焼き台のバーベキューを食べ損なったルファが夕食は焼肉がいいと話していた。
 エルは彼らに背を向けて、玄関へ向かった。そして、ぴたりと足を止める。
 廊下には仕事終わりでこちらにやってきたと思われるハウリアがいた。エルは咄嗟に隠れる。屋敷の執事とハウリアが会話をしていた。

「お帰りなさいませ。ハウリア様」
「ただいま。遅くなってすまない。アンバーのところに寄っていてね」

 ハウリアの胸元には屋敷の人々と同じように青い宝石が彩られていた。
 その事に対し、エルは不思議に思う。王族は皆していなかったからだ。

「ハウリア皇子、こちらは?」
「みんなに振舞おうと思ってね。スターチェリーワインさ」
「しかし、スターチェリーワインはルファ皇子しか好まれませんよ」
「そうだったのかい。父上は苦手なのかい」
「ええ」

 わざとらしく言うハウリアにエルは小首を傾げた。いや、エルがそう感じているだけなのかもしれない。
 ――なんで、王族の嫌いなワインを持ってくるんだよ。
 執事は「では、ルファ皇子に振舞いましょう」とほほ笑んでいた。

「毒見はもう済ませているんだ」

 エルの瞳が大きく見開かれる。
 ハウリアの目が黒く塗りつぶされたように変化していった。口元は作り上げられた笑顔そのものだ。目からは黒いもやがかかり、少しずつ歪みを作り出していく。

「そうですか」
「とても美味しかったよ。ぜひ、ルファに……」

 ハウリアが袋から取り出したワインが執事の手に渡る。気が付けば、エルが駆けだしていた。ミラージュ魔法を切ると、ワインを掴んだ執事の腕を掴んでいた。

「おい、ちょっと待て!」
「第五皇子!? ひぃ!」

 執事がエルの姿を見て震えあがる中、ハウリアは無表情だった。

「エル、未成年の君にはまだ早いものだろう?」
「煩い!」

 ハウリアの目が真っ黒で見えない。ぐにゃりぐにゃりと歪む目元。妖精の眼が酷く反応している。
 人に影響を与えるようなちょっとの嘘ならば、その人に違和感を覚える程度だ。けれども、エルが今現在視ているハウリアの姿は異常だった。
 エルがワインを奪い取れば、ハウリアは慌てたようにワインを掴んだ。

「このワインが欲しければ、俺が好きなオレンジジュースと交換してやる。持ってこい!」

 エルが執事に命令すれば、執事は顔を真っ青にして走り去っていった。
 その後姿が完全に消えてから、エルはハウリアを睨みつける。

「お前、本当にこれはチェリースターワインか?」
「何を言って……」
「俺は飲んだことがある。チェリースターワインは瓶ボトルに入れると、元々持っている魔力成分のせいで割れるんだよ。だから、専用のボトルが必要になる。これはスラムで手に入れたんじゃないのか? 一般市民ではわからなくても、スラムではポピュラーだぜ?」

 ハウリアの目が大きく見開く。エルにとっては見慣れたボトルだった。
 スラムで良く使われるチャンポンワイン。毒が分かりづらい辛味な酒だが、旨味は格別だ。甘くするためにたくさんのものを入れる。
 人生の終わりにと、飲んでスラムのゴミたまりで倒れている人の姿は良く目につく。それを暗殺類へ転用されたものだ。スラムの住民だけが知る極秘なものでもある。

「何をしようとしたんだよ。これで!」
「返せ!」

 エルの手に持ったボトルを奪い取ろうとハウリアが腕を掴んできた。力ではかなわないと理解しているエルは舌打ちをし、ボトルを床にたたきつけた。パリンと砕け散ったボトル。そして、エルはハウリアに液体がかからないように突き飛ばした。
 液体がじゅわあああと音をたて、空気中に溶けていった。しかも、証拠が残らないせいで、検挙もされない。

「ゲホゲホ! バカ野郎……」
「お前!」

 ハウリアが慌てたように立ち上がる。エルは小さく舌打ちをし、吸い込んだ空気を吐き出すように咳き込んだ。
 心臓がバクバクと音をたて、エルはその場に膝をつく。ハウリアの心配した顔を眺め、エルは過呼吸気味になった肺を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
 そんな時だった。音もなく、二人の背後の気配が現れる。慌てて二人は振り返った。
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