『路地裏の野良犬は皇子に成り代わる』

odo

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第三章

第二十七話

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 エルが次に目を覚ました時、机にはマルクスが座っていた。
 書類の束にペンを走らせ、仕事をする後ろ姿。エルは何とも言えない気持ちになり、「ベッドを使ってすみません」と声をかけた。ゆっくりと体を起こして、両足を床につけた。軽い頭痛こそあるが、ふらつく事はなかった。
 彼はぴたりと手を止めて、エルの方を振り返った。

「残った仕事をしているだけだよ。別に気にしないでくれ。体調は大丈夫かい?」
「はい。朝よりは……もう朝?」
「いや、今は日を跨いだ頃かな。今日はここで休んだらいい」

 マルクスはそんなことを言う。エルは首を横に振った。
 流石に一国の王のベッドを奪うことはしたくはない。

「帰ります」
「いや、まだふらつくだろう?」
「俺が休まらないから帰る……」
「そうか。なら、レイジを呼んで……ああ、彼は調査中か。私が送ろう」
「一人で帰れる。あんた、この国の王様だろ。なんで、スラムに住んでるようなやつを送るなんて言うんだよ。あとさ」
「ん?」
「どうして、俺にそんな優しくするんだ? おかしいだろ」

 マルクスは表情を変えずに「おかしいことかい?」とだけ答えた。
 不思議そうに小首を傾げて、笑っていた。ただし、それはすごく寂しそうに見えた。

「わからない。人がよくわからない。あんたの考えることもわからない」
「そうか、すまないね」
「なんで、あんたが謝るんだよ」

 調子が狂うと思いながら、エルは扉の方へ向かう。

「君は母親を覚えているか?」

 マルクスの問いに、エルは足を止めて首を横に振る。

「彼女はとても美しい女性だった」
「どうして、あんたが知っているんだよ」
「会ったことがあるからだ。妖精なのに人間との交流を好み、人間を助ける。不思議な妖精だった」

 驚いて振り返る。マルクスはすぐ後ろにいた。先程と同じように、寂しそうな表情を見せると扉をゆっくりと開けた。

「君はあの人にそっくりだよ」

 エルは何も言えずに、「ありがとうございます。失礼します」とだけ言うと部屋を後にした。
 すぐに部屋に戻り、エルは毛布を取る。ベッドの上に座ろうとしたが、ぴたりとそれをやめた。
 外で声が聞こえたからだ。先ほどの嫌な気配の男を思い浮かべ、トリネコ杖を取り出した。そして、杖を掲げる。

「シャダルマ」

 小声で呪文を唱えれば、杖の先に白い魔法陣が広がり、それが全体に結界を張った。これで、自分以外はこの部屋で魔法を使えなくなる。
 慌ててクローゼットの中に隠れ、自らにミラージュ魔法を唱え息を殺す。完全にエルの姿はクローゼットに同化した。
 それと同時に部屋の扉がゆっくりと開いた。

「あら……? またいないのね。これで三回目ね」
「戻ったと報告があったのに」

 後者は聞き覚えのある声だった。その声はラムダだったか、レティシアだったか。どちらなのかはわからない。

「あなた、きちんと調べて私に用件を伝えているの?」
「は、はい。もちろんです!」

 エルは声を聞いて目を見開く。今回は二人。コツコツと室内にヒールの音が二つ。いや、部屋の外に一つ。全部で三つだ。
 ただし、部屋に入って来たヒールの足音から、どちらも女性なのだと理解できる。

「本当に使えないわね……!」

 部屋の中でバシンッと手で痛めつける音が響いた。悲鳴が響き渡る。

「私の玩具の分際で」
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
「ここで出血されたら困るから、痛めつけないわよ。ここではね!」

 今度はすすり泣く声。しかし、エルはクローゼットから出る気はしなかった。

「まあ、いいわ。そこのクローゼットを開けて確認してちょうだい」
「は、はい」

 エルは口に両手をあてた。息を殺して、じっと開きだすクローゼットを見ていた。

「本当にいないわね」

 そこに立っていたのはレティシアそっくりな少女だった。だった、という言い方は室内が暗く、本当に彼女なのかはわからない。もしかしたら、治癒を施してくれたラムダの方かもしれない。そのため、断言はできなかった。
 もう一人の少女の姿も奥に確認はできるが、長い白髪しかわからない。

「も、もうやめませんか? エル皇子は帰ってきているんです。こんなこと……」
「こんなこと?」

 ぴたりと白い髪の少女が足を止めた。小さく悲鳴を上げるレティシアそっくりな少女。

「ふふ、ふふふ。貴方は私の苦しみをこんなことって言えるのね。私にとって苦しみしかなかったのに」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさいっ!」

 必死に謝る姿をエルは目を瞑る。

「まあいいわ。ほら、行くわよ。私の可愛い下僕聖女様
「は、はい……」

 足音が室内から消え、完全に扉が閉まる。室内に再び静けさが戻ってくる。エルは小さく息をついた。ミラージュ魔法を解き、クローゼットから出ようとした時だ。
 勢いよく扉が開いた。エルは慌てて手で口を塞ぐ。

「おやおや。可哀想に……剣を扱うことのできない魔術師は逃げるしかできませんからね?」

 聞き覚えのあるテノールの声にエルははっとする。目の前に居たのは、アルトだった。不敵な笑みを張り付けて、彼はエルの姿を確認すると、にこりとほほ笑んで見せた。

「貴方を連行します。逃げるのは、面倒なのでやめてください」
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