『路地裏の野良犬は皇子に成り代わる』

odo

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第三章

第二十六話

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 エルがゆっくりと体を起こそうとした時だ。男の握っていた大きな杖がエルの目の前を遮る。

「約束でしたヨネ? 忘れていませんヨネ?」

 男が歌うように片言な言葉で言う。こんな気色悪い男と約束した覚えなどない。なら、誰がと思えば、約束する人物は一人しかいない。

「生憎と記憶を失っていてな……王族にこんなことしていいと思っているのか?」
「んんん? アイツジャない?」

 相手も違和感を感じ取ったようだ。杖を払えば、男が目をぎょろつかせながら、エルを探る様に見てくる。

「何者かと思えば、妖精? いや、人間? いや、変なニオイがスル」
「なんだよ、お前……」

 エルがゆっくりと体を起こす。警戒するように、ゆっくりと距離を取る。相手はエルの心境を知ってか知らずか。気にしていないようで、エルの顔を覗き込むように見つめてきた。

「約束していた人間ジャない?」
「だから、知らないって言ってるだろ!」

 気持ちが悪い。探るようにこちらを見る紫色の瞳は人間ではないような気がする。
 では、何だと聞かれても、エルには答える術はない。ただ、紫色の瞳に見つめられると、まるで体が地面に縫われたように動けなくなる。
 逃げることは得意なはずだったのに、と足を何とか奮い立たせようとした時だ。

「おやおや、可愛い息子をあまり虐めないでほしいのだが」

 聞き覚えのある声にエルがはっとする。後ろを振り返れば、すぐ傍にマルクス陛下がいた。その隣には警戒態勢をとっているレイジの姿があった。

「マルクス陛下、お下がりください!」
「なあに、大丈夫だ」

 男の纏っていた空気が変わった。ギョロギョロとしていた目がマルクスへ固定される。

「マルクス国王陛下……?」
「エル、おいで」

 エルは慌ててマルクスの後ろに隠れる。ぽんっと頭に手が乗せられ、嫌いなはずが酷く安心を抱く。それを見たマルクスは安心したように微笑むと、目の前の男を睨みつけた。

「ここは立ち入り禁止にしていたはずだが?」
「約束シタ」
「ふむ。お金なら渡そう」
「違う、違う違う」

 レイジとマルクスの空気が変わる。マルクスがエルを庇うように抱き寄せると、「エルの命かい?」と問う。
 しかし、男は応えなかった。レイジが剣を抜き、男を詰めていく。

「イヤだイヤだイヤだ!!!」

 それに気が付いた男は顔を抑え、泣き叫ぶような声をあげるとそのまま床に吸い込まれるように消えた。

「あいつ……!」
「レイジ、ここを去ったようだ。深追いはするな。エル、大丈夫かい?」

 抱き寄せられていたエルは放心状態だったが、はっとして頷く。
 マルクスはエルの様子を見ると、我がことのように安心した様子を見せた。その様子に困惑しながらも、エルは距離を取った。
 レイジは剣を戻し、マルクスとエルの傍に寄ってくる。

「あいつ、何者ですか……人間ではなさそうですが」
「恐らくは魔族だとは思われるよ。何度か城門の前にやってきていてね。報告にはあがっていたが、城内に侵入するとは」
「どうして、魔族がここに」
「恐らくは第五皇子として育ったエルが、魔族と契約していたと思うのが一番だろう。恐らく、君は妖精と人間のハーフだろう。魔族は妖精を食い物にする。怖かっただろう?」

 安心させるような声にエルはただただ困惑していた。魔族とは何か、あいつは何で第五皇子と約束していたのか。聞きたいことは山のようにある。
 しかし、身体が動かなかった。

「まだ様子が優れないね。レイジ、彼を私の部屋に連れて行く。同行をお願いできるかい」
「はい」

 マルクスに手を引かれ、エルはゆっくりと歩を進めた。部屋につけば、驚くほど殺風景な部屋に案内された。
 絵画もなければ、きらびやかな彫刻品があるわけでもない。普通の部屋にふかふかのキングベッドと一人用の机があるのみ。まるで、宿屋か仕事部屋だ。
 机の上には写真立てがあったが、マルクスによってすぐに伏せられた。
 その流れでエルはベッドの上に座らされた。そんなエルを見たマルクスはくすりと笑う。

「なんだか、借りてきた猫みたいだね」

 いつもなら、一つぐらい言い返すところだが、疲れのせいか、言い返す元気もなかった。
 その事に気が付いているのだろう。その後に続く言葉は誰からもなかった。

「この部屋には何重にも結界が貼ってある。少し休むといい。疲れただろう? レイジ、すまないが……」
「はい。アルバ・レリアンの調査に行ってきます」
「よろしく頼むよ。エルはここで休んでいなさい。メイドたちも来させないから」

 エルは瞬きして事が動く様子を眺める。レイジが部屋を出て行き、マルクスはエルを布団にいれると、そのまま部屋を後にしようとする。その背中が不思議で、ただただエルは困惑していた。

「あんたは一体……?」
「私はこの国の王様だよ。それ以下でもそれ以上でもない。今は何も考えずに休むといい」

 そう言ったマルクスの表情はとても寂しそうなものだった。一瞬にして、いつもの食えない微笑を携えると、部屋を出て行った。残されたエルは深いため息をつく。
 ただ、酷く疲れていた。思い出したくない過去に、わからない魔族、わからない陛下。

「お前、どこに行ったんだよ……」

 本当の第五皇子がよくわからない。エルは目を瞑り、眠ることにした。
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