『路地裏の野良犬は皇子に成り代わる』

odo

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第二章

第十四話

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 ルファ皇子の前から立ち去り、エルたちは室内に戻ってきていた。
 気分転換にとクッキーがすぐにレイナによって準備され、彼女は帰ってきてからも口を膨らませてぷんぷんと怒っていた。
 並べられたクッキーにはくぼみがあり、いちごのジャムが乗せられている。室内には小麦とジャムの甘い香りが漂っていた。
 エルはというと、椅子に腰を下ろし、レイジが淹れる紅茶を眺めている。
 帰ってきてからは、普段の無表情のレイジに戻っていた。

「もう、ルファ皇子ってば酷すぎます! お兄様、どうして、怒らなかったんですか! 王族といえども、貴族やエル皇子への侮辱ですよ!」
「騎士は剣です。心を無にしなければいけない。レイナ、ここで生きて行くというのは、そういうことです。暗殺事件があった後にあの皇子を刺激してはいけない。今、アルトが調査しています」

 レイナの言葉にレイジが淡々と答える。感情のこもっていない声にレイナが呆れたとため息をついた。

「お兄様はいつも逃げてばかりです。本当にどうかしてます。シーツ交換の準備をしてきます!」

 レイナが扉に向かって、ズカズカと歩き、部屋を後にする。
 エルはその様子を見ていた。レイジは普段と変わりなく、皇子に言われた言葉に傷ついていないか、少しだけ心配が残る。
 レイジが視線に気が付くと、「ルファ皇子には申し訳ないですが、今回の勝負は辞退しましょう。相手が悪すぎます」とエルの前にあったお菓子の毒見を始めた。レイジの無表情は変わることがない。

「お前、どうしてなんだ? なんで、怒らなかったんだ」
「はい?」

 レイジが小首を傾げる。しかし、無表情のまま。本当に人形みたいだと。
 エルがクッキーに手を伸ばして、さくさくとした歯ごたえのそれを咀嚼する。
 味は美味しいが、ルファやレイジへの怒りのせいだろうか。口の中で広がったのは甘さよりも、クッキーに塗られていたジャムの酸っぱさだ。

「お前も侮辱されてるんだぞ。怒ればいい。騎士だって、相手が各上でも怒ってもいいんだぞ。俺は別に言われ慣れてるが、お前は違うだろ。たくさん努力してきたんじゃねぇのかよ」
「私は……」

 レイジが黙り込む。エルはその異様な様子に違和感を覚えた。

「騎士が怒ったらダメなんて、誰が言ったんだよ。騎士にだって喜怒哀楽は必要だ」
「私に感情は必要ありません」
「は?」
「その資格はありませんから……。失礼します」

 レイジが慌てたように、逃げるように部屋を後にした。
 残されたエルは扉が閉まるその様子を驚いたように見つめる。

「なんだよ、それ」

 エルは小さく息をつく。そういえば、自分はレイジの事をあまり知らないのだと改めて気が付く。
 そして、レイジは自分のことをあまり知らないのだと。
 けれど、所詮は依頼者との関係だ。自分の腕を買ってくれたのが、あくまでレイジなだけだ。

「騙されていたことやあいつの怒らない態度にも腹立つが、一番ムカつくのは何もできない俺自身か……」

 エルの呟きは誰にも届かず、部屋に溶け込むように消えた。その時だった。
 扉が再び開き、現れたのはシーツなどを抱えたレイナだ。そっとベッドにシーツをおろし、レイナがさあやるぞと言わんばかりにベッドへ向き直った。

「あの、エル皇子。シーツ交換をしますね」

 じっとエルはレイナを見つめていた。彼女は不思議そうに首を傾げる。

「なあ、レイナ。今から外に付き合ってくれねぇか」
「えっ! あの、もうすぐ暗くなりますよ」
「そんなに時間はかからないと思う。後でシーツ交換は俺がやるから、そこに置いておけ」

 きょとんとするレイナに、エルは大丈夫だと手をひらひらとさせるだけだった。









 狩猟大会当日。
 天候は快晴。前日に振った雨のせいか、地面には水たまりが点在している。
 幼い騎士の恰好をした子供たちが、小さな短剣を片手に水たまりに入っては服を汚す。時折聞こえる楽しそうな笑い声。
 そんな水溜まりを避けるように中央にはステージが設けられ、少し奥には受付用テントや救護用テントが並ぶ。
 エルはと言うと、護衛のレイジを伴って、人が集まる場所から少し離れた木陰で開催式の様子を眺めていた。

「今年の優勝はハウリア皇子か、それともルファ皇子か」
「ギルドのルージュかもしれないぞ」
「いや、騎士のアルフォンスだって」

 そんな和気あいあいとした声らを聴きながら、エルは木々に埋め込んだ魔法陣の確認をしていた。
 傍にいたレイジが話しかけてくる。

「何をしているんですか?」
「備えあれば患いなしってな」

 レイジが意味がわからないと言わんばかりに不思議そうな顔をする。エルは彼の反応に満足したのか、笑うだけだった。
 どうして、不思議そうな顔はできるのに、げらげら笑ったり、怒ったりしないのか。
 夕方、狩猟大会のための仕上げをしていた際に、レイナに尋ねてみたのだ。

『お兄様は彼のお母様が亡くなられたことを自分のせいだと思っているのです』

 彼女は暗い表情で、そんなことを言っていた。
 それ以上は何も教えてはくれず、すぐに話はそらされてしまった。

「なあ、レイジ。俺はルファ皇子との勝負に乗るからな」

 だからだろうか。目の前の無表情のレイジに話を振った。

「何を馬鹿なことを。おやめください。貴方が戦って勝てる相手ではありませんよ。彼は十五歳にして、ソードマスターの称号を得ています。賢いですし、敵に回して良いことはありません。毎年、ハウリア皇子かルファ皇子の一位争いなのですから」
「なあ、レイジ」
「はい?」
「俺はソードマスターじゃない」
「え?」
「俺は魔法使いなんだ」

 久しぶりにぽかんとした顔のレイジを見て、にっこりと笑うエル。

「見せてやるよ。お前が俺の腕を買ってくれたんだ。お前が雇った魔法使いはすごいって事を証明してやる。お前を馬鹿にしたことを後悔させてやる。だから、俺を信じてくれ」
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