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2.Born to sin.

第十七話

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 春は近かい。雪が溶けて、新芽があちらこちらで目立ってきていた。
 馬車の中の毛布も薄くなっていき、状態の酷かったユリウスも少しずつ回復していくが、未だに喋ったり動いたりすることはない。
 春風を受けながら、馬車はナンブールへ到着した。
 大きな港町で防波堤もほかの街にはない特徴だ。
 運転手に礼を告げ、馬車と離別した。アレクセイはユリウスを抱きしめながら、内戦明けの人々をかきわけ宿の店へと進む。
 王国軍から奪った食料品の無償提供が始まっていたらしい。我先にと人々がまるで神に救いを求めるように手を伸ばし、食料を貰っていく様。ぼろぼろの服や汚れた手足や怪我が痛々しい。
 ようやく、宿に移動できたアレクセイは小さな客間を借りれた。頼りないランプに、頼りないベッド。それでも、硬い板の間から、ユリウスをベッドの上に寝かせれたことに安堵する。

「少しの間、ナンブールに宿泊します。お金は気にしないでください。アルが色々考えてくれて、手元には遊べるぐらいのお金はありますから」

 返事はないと知っている。ユリウスは昏々と眠り続けていた。
 少し状態の良くなった頬を撫で、ぼろぼろの髪を指で梳いた。最初こそ酷い状態だったが、髪も前よりはいくらかマシになってきている。
 一年間、俺を守ってみろ、と過去に聞いた声がふと浮かんだ。


 ナンブールはグスタン国の中でも暖かい気候に入る。流石に国境地域を動けないユリウスを連れて通るわけにもいかず、アレクセイは悩んでいた。
 国境付近は治安が悪く、病人を連れての移動は不向きだ。

 ナンブールの生活にも慣れてきたある日のことだった。
 いつものように、お粥を彼の口に流し込んだ時、ユリウスの目がゆっくりと開いた。驚くアレクセイ。目の前のユリウスは少し驚いた顔をしたが、すぐに目を閉じて、食事を食べてくれた。

「ユリウスさん、わかりますか?」

 そっと口を離して、アレクセイは目の前の存在を確かめる様に肩を抱き直した。
 彼は目だけを瞬きさせ、かすれた声で何かを言おうとする。しかし、それは言葉にならなかった。
 けれども、目を動かして意思疎通しようとしてくれたことが嬉しく感じ、アレクセイは彼を思わず抱きしめていた。

「良かった……」

 すると、力の入らない手がそっとアレクセイの背中に回った。それに驚くアレクセイだったが、その手はすぐに離れていった。彼はまたすぐに目を瞑って気絶するように眠ってしまった。

 それから、少しずつユリウスの起きる時間が増えていった。
 最初こそは目だけ動かしていた彼だったが、指でアレクセイに触れて来たり、小さく咳き込んだりと様子は様々だった。アレクセイは彼が動くたびに嬉しくなって抱きしめる力を強くする。








 青い海と春が近い寒空が広がっていた。

「壊魔病だね……これは」

 アレクセイはユリウスを連れて、近場の船舶にやってきていた。実際はけが人が溢れかえっているこじんまりとした診療所だった。足がない患者や腕のない患者が眠る中、その隣にユリウスは寝かされていた。
 ひょうひょうとした態度の眼帯の女性。海賊をイメージさせるような黒い眼帯に、腰に差した剣。彼女はユリウスの服を脱がせて、胸元に手を置いていた。
 褐色の肌、金色の瞳を持つ彼女はどう見ても異国からやってきた者だった。長いパーマのかかった黒い髪を耳にかけ、後ろで一本に束ねていた。年齢は三十代後半だろうか。失礼になりそうで、アレクセイは年齢を聞けなかった。

「肺の損傷が酷そうだ。それにしてもまつ毛まで真っ白ね。下の毛も白いのかしら」
「やめてください。貴方医者でしょう」

 すかさず、アレクセイが呆れたように言えば、女性はカラカラと笑った。

「よくこんなになるまで放置したね。死んだ方がましだったろうに」
「あの……壊魔病は治りそうですか」
「ああ。壊魔病はどうして起きるか知っているか」

 突拍子もない言葉にアレクセイは首を横に振った。

「子供が種を食べてしまうからさ」
「種ですか」
「ああ。もちろん、知らずに種を食べてしまう場合もあるさ」

 女性はすっとユリウスに視線を落とした。

「でも、大人が食べてしまう確率は酷く低い。美味しくないからね。それに大人の魔力で消えてしまうから、リスクはないんだ」
「それは……」
「ここまで進行して生きていられたのだから、まあ、持った方ではないのかい」

 アレクセイは言葉を失くす。
 その様子を探る様に見ていた女性だったが、彼女はやがて、けらけらと笑い出した。

「冗談だよ。種や芽を少しずつ出していけば、助かるとは思う。まあ、こんなに長く生きている事例は見たことがなかったよ」

 彼女はそういうと、アレクセイに小瓶を差し出した。アレクセイは受け取り、水色の液体をじっと眺めた。

「それは私たちの国の魔力の水さ。そいつを飲ませば、少しずつ植物が出ていく。たまたま、私がここに来ていてよかったねぇ。これは魔力を持つ種に寄生された状況さ。まあ、長い年月、体内にいたんだろうが……苦しかったろうね」

 そっと見下ろした視線にはぐったりとして動かないユリウスがいた。アレクセイは薬を握り締めて、頭を深々と下げた。

「ありがとうございます」
「なあに、気にしないでくれ。恐らく、その種は私たちの国から出てしまったものだからね」
「その種は……一体」
「ウェルトと呼ばれる植物の種でね。本来は渡した瓶の水の中で育つ草なんだよ。何を思ったのか、それを他国の子供に飲ませた案件が出てね。そいつは人の体内で芽を出して、魔力を吸いあげて、壊死させていくんだ」

 アレクセイは眉間にしわを寄せた。

「ま、ここまで言えばわかるか。私がアルター国まで届けてあげてもいいが、まだ戻らない方が賢明だろうね」
「なぜそれを」
「秘密だよ」

 女性はけらけらと笑う。アレクセイはぐっと言葉に詰まる。

「私はいいから早く飲ませてあげな」
「はい……」

 遊ばれている、とアレクセイは思いながら、ユリウスの口元に薬を持っていく。しかし、眠っている彼が起きることはなく、仕方なしにアレクセイは彼の体を起こし、瓶を開けた。ふんわりと香るのは花の香だった。
 アレクセイが女性を見れば、彼女は先ほどと同じように優しい目でアレクセイを見つめていた。

「副作用はありませんか?」
「まあ、強いていえば、草が出てくるだけかな。まあ、そんだけ長い年月根付いているなら、薬一本では足りないかもね。まだ在庫はあるから、ゆっくり飲ませるといい。けれど、一週間に一本にしてあげな」

 アレクセイはこくりと頷いた。瓶の水を口に含み、口移しで飲ませる。ぴくりと肩が動き、アレクセイはユリウスが起きたと気が付いた。彼の目が薄っすらと開き、アレクセイを見つめる。
 すると、水を口に入れてやれば、彼の喉がこくりと動いた。その様子にアレクセイは酷く安堵した。

「莫大な魔力が彼を助けたんだね。相当苦しかったはずだよ。今日は安静にしてやりな。来週またここに来るといい。念のため、重度化した時用に薬を渡しておくから。何事もなかったら、取っておくんだよ」

 その様子を見ていた女性がふっと笑った。

「はい……」

 アレクセイが小さく頷く。視線はすぐにユリウスへ向いた。彼はまだ起きていた。小さく咳込んでいた。彼を抱いていれば、小さく背中が揺れて、アレクセイの腕越しで喘鳴が伝わる。

「今日は本当にありがとうございました。貴方が……えっと」
「私はメアリ。遠い大陸のナートンからやってきたんだ」
「メアリさん、本当にありがとうございました」
「いいってことさ。でも、もう一度言っておくけど、アルター国にすぐ戻るのはやめておきな。何が起きるかわからないからね」

 その時だった。ユリウスが再び咳き込んだ。アレクセイが宥めるように背中を撫でていれば、彼の咳と同時に水色の小さな花びらが口から吐き出された。きらきらとする花びらから、魔力が宿っていると分かる。

「花が咲いているのかい」
「これは……」
「彼の魔力を吸って体内で花が咲いているんだ。これが完全に消えれば、きっと症状は良くなるよ」

 アレクセイは安心したようにほっと息を吐く。彼の咳込みは小さくなっていき、やがてはまた眠りについた。

「なあ、アレクセイ。あんた、しばらくここで滞在して私の仕事手伝いな」
「えっ」

 何で俺の名前を知っているんだとアレクセイは目の前の女性を見つめる。彼女――メアリは不適に笑んでいた。

「力仕事が必要なんだ。傍のベッドを使っていてもいいから。戦争が終わって、病人を診る人が必要なんだ」
「それは……ベッドを貸して頂いて、薬をいただけるのは嬉しいですが」
「なあに、難しい仕事じゃないよ。私が怪しいのはわかるけど、私を頼った方が今はいいと思うけどねぇ? 瓶が欲しいんだろう」

 けらけらと笑うメアリに、アレクセイはぐっと眉を寄せた。

「わかりました。ですが、ユリウスさんは目の届く場所に置かせていただきます」
「おお。助かるよ」

 そういったメアリは嬉しそうに笑った。
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