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第百七十話 クインシー男爵

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「こんにちは、クンシラン公爵令嬢。本当にいい日和ですね、お散歩ですか?」

「そうなんですの、お忍びで散歩ですわ。でも、城下に出てきてよかったですわ、こんなに素敵な庭園があるなんて知りませんでしたもの」

「そうですか、それはよかった。ところでここであったのもなにかの縁、しばらくご一緒しませんか?」

 アルメリアはその誘いに頷き了承すると、二人並んで歩き始めた。

 しばらく無言で歩いていると、クインシー男爵が口を開いた。

「クンシラン公爵令嬢、貴女は私の娘をご存知ですか?」

「はい、何度か顔を合わせたことがありますわ」

「そうですか……」

 またしばらく無言が続いた。すると、クインシー男爵は立ち止まり意を決したように話し始める。

「あの子のことは色々と社交界でも噂になっているので、ご存知かもしれませんね。私はあの子が大きくなるまで存在すら知りませんでした。そんな酷い親なので、親と名乗るのも心苦しい立場なのですが」

「いいえ、仕方のないことですわ」

 アルメリアがそう答えると、クインシー男爵は悲しげに微笑んだ。

「彼女が娘だと名乗り出てきてくれたとき、あの子の面差しが母親とそっくりで、一瞬あの子の母親であるアイシアが帰ってきてくれたかと思ったほどでした。アイシアがいなくなってから、私は絶望し毎日をただ生きるためだけに過ごしていました。だから、私はあの子に会えて天に登るような気持ちになりました。あの子がいるだけで生きる希望が沸きました。そして、これからはこの命を擲ってでもこの子を守る、と決めたのです」

 そう言って優しく微笑むと話を続ける。

「今までつらい思いをさせてきてしまいましたから、その償いをしたくて甘やかしたかもしれません。ですが、自分のできうる限りあの子との親子の絆を深めようと努力してきました。しかし、一緒にいられなかった空白の時間というものは、埋められないものなのでしょうか。私にはもうどうすることも……」

「クインシー男爵……」

「どんなに悪行を重ねようとあの子が可愛い娘には違いありません。ですが、私はクインシー家の当主として守らなければならないものが、背負うものがあるのです」

 そう言うと懐から大切そうに八つ折りにされた書類を取り出しゆっくりとそれを広げると、震える手でアルメリアに差し出した。

「これは、なんですの?」

「このメモをあの子の部屋で見つけたとき、処分してしまえと悪魔が囁きました。ですが、私の一欠片の良心がそれを許さなかった」

 クインシー男爵は青白い顔をし、今にも倒れてしまいそうだった。
 アルメリアはそのメモに目を落とす。そこにはダチュラがおそらく教皇へ向けて鉛中毒について説明しているもので、鉛のカップで徐々に相手を死に至らしめることができると書かれている。
 そして教皇に、国王陛下への献上品に最上級の鉛のカップを献上することを進めていた。

 このメモ書きは手紙の下書きかなにかだろう。自身の屋敷内で油断して放置したものかもしれなかった。

「これは……」

 アルメリアは言葉を失う。このメモはダチュラが国王陛下の暗殺を示唆したものだったからだ。
 クインシー男爵は頷くと言った。

「私もあの子の悪行に目をつぶってきましたが、このメモ書きを発見したときは背筋が凍りました。あの子は悪魔に心を売ってしまったのでしょう。ですが、やはり私の可愛い娘には変わりないのです。私にはあの子に罰を下すことはどうしてもできませんでした」

 そう言うとアルメリアを真っ直ぐ見据えた。

「我が儘かもしれませんが、貴女に娘を止めて裁きを下して欲しいのです」

 アルメリアは無言で頷いた。心なしかクインシー男爵はほっとしたような、それでいてつらそうな顔をした。

「親が娘を見捨てるなんて罪深いことです。私は今後一生この罪を償わなければならないでしょう」

 そう言うと、アルメリアへ向きなおりなにかを決意したような顔をして深々と頭を下げた。

「よろしくお願いいたします」

 アルメリアはそんなクインシー男爵が痛々しくて見ていられなかった。

「わかりましたわ、このメモはお預かりします」

 それだけ言うと、振り向かずにその場から立ち去った。




 庭園から出るとアルメリアは憤りを感じていた。ダチュラが転生者だろうとなんだろうと、これだけ自分を愛して心痛めてくれているものがいるのに、その愛情を踏みにじるなんて許せないと思った。
 ゲーム内のダチュラのように、父親と親交を深め、努力し社交界に馴染んでいればみんなが幸せになれたはずだ。

 それと同時にこのことを一刻も早くムスカリに伝えなければと思った。早くしなければ国王陛下の命が危ないかもしれない。

 屋敷に戻ると、エントランスで出迎えたペルシックに言った。

「爺、殿下に手紙を書きますわ。すぐに届けてちょうだい」

「お嬢様、その必要はないかと存じます」

 そう言われ、アルメリアは動きを止めペルシックを見つめる。

「どういうことですの?」

「客間で、ムスカリ王太子殿下がお嬢様をお待ちになられています」

 ペルシックにそう言われ、アルメリアは慌てて客間へ向かった。すると、客間のソファにまるでこの屋敷の当主のようにくつろいでいるムスカリがいた。

「殿下、わざわざお越しいただいてありがとうございます」

「うん。挨拶はいいから、ここに座って今日の報告をくれないか?」

 ムスカリは近づいてきたアルメリアの手を取ると、横に座らせた。アルメリアは恐縮しながらクインシー男爵との会話の内容を伝え、先ほど預かったメモを渡す。
 メモに目を通すとムスカリは言った。

「そうか、男爵もこれをアルメリアに渡すのは苦渋の決断だったろうね」

「えぇ、とてもつらそうでしたわ」

 そう言ったあと、アルメリアはハッとする。

「殿下、国王陛下のお体が心配ですわ! 鉛のカップについてお伝えしなければ!」

 すると、ムスカリは目を丸くしてアルメリアをじっと見つめたかと思うと、突然声を出して笑った。
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