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第百四十三話 鍵
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そう言ってアウルスはつらそうに微笑むと、アルメリアの頬を撫でた。
そして、アルメリアをじっと見つめると言った。
「このままこうしていたら離れがたくなってしまうね。私たちには、まだやらなければならないことがある。それらすべての決着をつけてからもう一度話をしよう」
アウルスはアルメリアのピアスをしている耳をそっと撫で、執務室を出ていった。
アルメリアとムスカリの婚約の話は、社交界を駆け巡った。アブセンティーに顔を出す面々も、それを知っていたはずだが、誰もそのことに触れようとしなかった。
アルメリアはふとした瞬間に、どうしても婚約のことやアウルスのこと、ムスカリのことを考えてしまうが、どんなに悩んでもそう簡単に答えは出せそうになかった。
それに今はスカビオサを追い詰める重要な局面にきていて、他のことに気を取られている余裕はない。
「アルメリア、恋愛にうつつを抜かしている暇は貴女にはありませんわ、しっかりしなさい」
早朝屋敷の執務室で書類を目の前に、アルメリアはそう呟いて自分を鼓舞した。
そのときペルシックがドアをノックした。
「爺、なんですの?」
「お嬢様、珍しいお客様がお越しです」
そう言われ、机に視線を落としたままドアの向こうにいるペルシックへ苦笑しながら答える。
「最近はどんな方がいらしても、もう驚きませんわ……。それで、どなたがお見えなの?」
「キャサリン様でございます」
アルメリアは顔をあげると、慌てて言った。
「すぐに会いますわ」
もしかしたらキャサリンの身になにかあって、助けを求めてきたのかもしれない。アルメリアはそう思い、急いでキャサリンの待つ客間へ向かうと、キャサリンは部屋のソファの前に立って待っていた。
「キャサリン、なにかあったんですの?」
部屋に入り、キャサリンの姿を見て開口一番にそう質問した。
「急に訪ねてきたりして、ごめんなさい」
キャサリンはそう言ってペコリと頭を下げた。
「そんな心配いりませんわ。とにかく座りましょう」
ソファに腰かけると、萎縮してしまっているキャサリンに優しく話しかけた。
「久しぶりね、会えてよかったですわ。仕事はどう? 忙しいのかしら?」
「えっ、はい。まぁ」
「クインシー家の人たちは、優しくしてくださるの?」
「はい。えっとそれで、あの、今日ここへ伺った理由なんですけど、これを渡しにきました」
そう言ってキャサリンは鍵を差し出した。
「これはなんですの?」
「私にもわかりません」
「そう……」
アルメリアは渡された鍵をじっと見つめると、それをテーブルの上に置いてキャサリンをじっと見つめた。
「キャサリン、私が貴族の令嬢だと知っていましたのね」
するとキャサリンが話し始めた。
「この前の、孤児院にお芝居をしにいらしてくれたときに、アンジー……アルメリアお嬢様が」
「アンジーでいいですわ、口調も前と同じにしてちょうだい。私たちはお友達でしょう? そう思っているのは私だけかしら?」
すると、キャサリンは照れ臭そうに微笑んで話を続けた。
「私、アンジーが舞台裏でみんなと話してる会話の内容を聞いちゃって、アンジーが貴族だって知ったんだ。それで、いつも孤児院にきたりするのは貴族お嬢様の道楽だと思ったんだよね」
「そう、でしたの……。貴女を騙していてごめんなさい。謝っても許してもらえることではないと思うけれど……」
「か、勘違いしないでよね! 今はそんなこと思ってないんだから! 嫌いだったらこんなとこにこないし。あっ、いや、こんなとこじゃなくてお屋敷にわざわざこないっていうか、迷惑になりそうだし……。あの、えっと、それで、その頃は、もう二度と会いたくないとか思ってたんだけど」
「だけど?」
「クインシー家のメイドたちがさ、アンジーのことを色々言ってたんだよね。クンシラン家のメイドになりたかった、クンシラン領に住みたい。アルメリアお嬢様は素晴らしい方だって。最初は信じられなくてさ」
「そう……」
「うん。でも色んな話しを聞いてるうちに、アンジーが孤児院にきてたのだって道楽じゃないって気づいたんだ。アンジーは他の貴族と違うって思ったんだ。それで、なんかそのみんなが噂してるアルメリアお嬢様と友達だ! って思ったら、なんか、私嬉しくなってきちゃって、アンジーがよく孤児院にきていて、私はアンジーの友達だってメイド友達に言っちゃったんだよね」
「待ってキャサリン。その話しをしたのは、そのお友達にだけかしら?」
「あっ、心配いらないよ。その友達も他のメイドたちも執事もみんなアンジーのこと大好きだから、絶対に変なこと言わないと思う」
「な、なんでですの?」
「だって、なにかしらアンジーにお世話になってるもん。子どもたちがクンシラン領に住んで農園で働いてたり、旦那が船乗りでレモンで助けられたり。流行り病でクンシラン領の治療班に助けられたり。そもそも、病が流行ると必ず無償で治療班を送ってくる貴族なんて、他にはいないよね」
自分のためにやってきたことで褒められ、アルメリアは思わず苦笑した。
キャサリンは話を続ける。
「それで、その話をしたら、あっ、その前にダチュラお嬢様のこと、アンジーは知ってる?」
アルメリアは頷いて返す。
「お会いしたことはないけれど、噂で聞いたことがありますわ」
「私もお嬢様のお世話係じゃないから、直接話したこともないんだけど、すっごい我が儘なお嬢様らしくて、旦那様はとても優しくていい方なのに、なんであんな我が儘なお嬢様がいるのかわかんないぐらい」
「そうなんですの……」
「それで、みんなあのお嬢様がきてからクインシー家がおかしくなった、あのお嬢様はなにか隠してるんじゃないか? って思い始めたんだよね」
そこまで話すと、キャサリンは喉が渇いたのかお茶を一気飲みした。
「キャサリン、お茶はたくさんあるからおかわり言ってね」
「ありがとう、私あんまりお茶の味なんてわからないけど、このお茶はとっても美味しいと思う」
キャサリンは相変わらず可愛い、そんなことを思いながらアルメリアは微笑んだ。
そして、アルメリアをじっと見つめると言った。
「このままこうしていたら離れがたくなってしまうね。私たちには、まだやらなければならないことがある。それらすべての決着をつけてからもう一度話をしよう」
アウルスはアルメリアのピアスをしている耳をそっと撫で、執務室を出ていった。
アルメリアとムスカリの婚約の話は、社交界を駆け巡った。アブセンティーに顔を出す面々も、それを知っていたはずだが、誰もそのことに触れようとしなかった。
アルメリアはふとした瞬間に、どうしても婚約のことやアウルスのこと、ムスカリのことを考えてしまうが、どんなに悩んでもそう簡単に答えは出せそうになかった。
それに今はスカビオサを追い詰める重要な局面にきていて、他のことに気を取られている余裕はない。
「アルメリア、恋愛にうつつを抜かしている暇は貴女にはありませんわ、しっかりしなさい」
早朝屋敷の執務室で書類を目の前に、アルメリアはそう呟いて自分を鼓舞した。
そのときペルシックがドアをノックした。
「爺、なんですの?」
「お嬢様、珍しいお客様がお越しです」
そう言われ、机に視線を落としたままドアの向こうにいるペルシックへ苦笑しながら答える。
「最近はどんな方がいらしても、もう驚きませんわ……。それで、どなたがお見えなの?」
「キャサリン様でございます」
アルメリアは顔をあげると、慌てて言った。
「すぐに会いますわ」
もしかしたらキャサリンの身になにかあって、助けを求めてきたのかもしれない。アルメリアはそう思い、急いでキャサリンの待つ客間へ向かうと、キャサリンは部屋のソファの前に立って待っていた。
「キャサリン、なにかあったんですの?」
部屋に入り、キャサリンの姿を見て開口一番にそう質問した。
「急に訪ねてきたりして、ごめんなさい」
キャサリンはそう言ってペコリと頭を下げた。
「そんな心配いりませんわ。とにかく座りましょう」
ソファに腰かけると、萎縮してしまっているキャサリンに優しく話しかけた。
「久しぶりね、会えてよかったですわ。仕事はどう? 忙しいのかしら?」
「えっ、はい。まぁ」
「クインシー家の人たちは、優しくしてくださるの?」
「はい。えっとそれで、あの、今日ここへ伺った理由なんですけど、これを渡しにきました」
そう言ってキャサリンは鍵を差し出した。
「これはなんですの?」
「私にもわかりません」
「そう……」
アルメリアは渡された鍵をじっと見つめると、それをテーブルの上に置いてキャサリンをじっと見つめた。
「キャサリン、私が貴族の令嬢だと知っていましたのね」
するとキャサリンが話し始めた。
「この前の、孤児院にお芝居をしにいらしてくれたときに、アンジー……アルメリアお嬢様が」
「アンジーでいいですわ、口調も前と同じにしてちょうだい。私たちはお友達でしょう? そう思っているのは私だけかしら?」
すると、キャサリンは照れ臭そうに微笑んで話を続けた。
「私、アンジーが舞台裏でみんなと話してる会話の内容を聞いちゃって、アンジーが貴族だって知ったんだ。それで、いつも孤児院にきたりするのは貴族お嬢様の道楽だと思ったんだよね」
「そう、でしたの……。貴女を騙していてごめんなさい。謝っても許してもらえることではないと思うけれど……」
「か、勘違いしないでよね! 今はそんなこと思ってないんだから! 嫌いだったらこんなとこにこないし。あっ、いや、こんなとこじゃなくてお屋敷にわざわざこないっていうか、迷惑になりそうだし……。あの、えっと、それで、その頃は、もう二度と会いたくないとか思ってたんだけど」
「だけど?」
「クインシー家のメイドたちがさ、アンジーのことを色々言ってたんだよね。クンシラン家のメイドになりたかった、クンシラン領に住みたい。アルメリアお嬢様は素晴らしい方だって。最初は信じられなくてさ」
「そう……」
「うん。でも色んな話しを聞いてるうちに、アンジーが孤児院にきてたのだって道楽じゃないって気づいたんだ。アンジーは他の貴族と違うって思ったんだ。それで、なんかそのみんなが噂してるアルメリアお嬢様と友達だ! って思ったら、なんか、私嬉しくなってきちゃって、アンジーがよく孤児院にきていて、私はアンジーの友達だってメイド友達に言っちゃったんだよね」
「待ってキャサリン。その話しをしたのは、そのお友達にだけかしら?」
「あっ、心配いらないよ。その友達も他のメイドたちも執事もみんなアンジーのこと大好きだから、絶対に変なこと言わないと思う」
「な、なんでですの?」
「だって、なにかしらアンジーにお世話になってるもん。子どもたちがクンシラン領に住んで農園で働いてたり、旦那が船乗りでレモンで助けられたり。流行り病でクンシラン領の治療班に助けられたり。そもそも、病が流行ると必ず無償で治療班を送ってくる貴族なんて、他にはいないよね」
自分のためにやってきたことで褒められ、アルメリアは思わず苦笑した。
キャサリンは話を続ける。
「それで、その話をしたら、あっ、その前にダチュラお嬢様のこと、アンジーは知ってる?」
アルメリアは頷いて返す。
「お会いしたことはないけれど、噂で聞いたことがありますわ」
「私もお嬢様のお世話係じゃないから、直接話したこともないんだけど、すっごい我が儘なお嬢様らしくて、旦那様はとても優しくていい方なのに、なんであんな我が儘なお嬢様がいるのかわかんないぐらい」
「そうなんですの……」
「それで、みんなあのお嬢様がきてからクインシー家がおかしくなった、あのお嬢様はなにか隠してるんじゃないか? って思い始めたんだよね」
そこまで話すと、キャサリンは喉が渇いたのかお茶を一気飲みした。
「キャサリン、お茶はたくさんあるからおかわり言ってね」
「ありがとう、私あんまりお茶の味なんてわからないけど、このお茶はとっても美味しいと思う」
キャサリンは相変わらず可愛い、そんなことを思いながらアルメリアは微笑んだ。
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