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第百二十話 頬に触れたもの
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そう言うとアドニスは微笑み、前方を見つめて言った。
「もう少しで目的の場所に到着します」
それにつられてアルメリアも前方を見るが、暗闇でなにも見えず、波の音でそこが海に近いということだけしかわからなかった。
「ここです。段差になっていますから、少しお待ちください」
アドニスは、ランプを地面に置いて一段低い場所へ降りると振り返った。
「こちらです。降りられますか?」
ランプに照らされている地面を見ながら、アルメリアも下へ降りる。
「アルメリア、少しお手伝いしましょう。失礼」
アドニスはアルメリアの両脇を抱えて、一段下へ降ろして立たせる。
「波打ちぎわへ行かないと見られないので、こんなところまで降りていただいてすみません。では、ランプを消しますよ。海の波打ちぎわを良く見ていてください」
ふっとランプの明かりがきえると、暗闇に波の音だけがした。
周囲の闇に吸い込まれそうな気がして、少し怖くなってきたそのとき、波が神秘的なブルーに光っているのがみえた。
「アドニス、これって……夜光虫?」
「ご存知でしたか。流石ですね」
「でも、本物を見たのは始めてですわ。こんなに色鮮やかに光りますのね……、美しいですわ」
「そうなんです。しかも今日は月がないので、より美しく見えるでしょう」
アルメリアはしばらく海を見つめる。そして、思ったことを口した。
「でも、夜光虫はこの時期ではなかった気がしますわ」
「そのようですね。ですがこの時期、この海域に南からの暖かな海流が流れ込むので、ほんの少しの期間ですが見ることができるそうですよ」
「そうなんですのね、自分の領地のことですのに勉強不足でしたわ」
そう答えると、アドニスは優しくアルメリアの手を握った。
「アルメリア、知らないことがあって当然なのです。貴女はそのままでも、考え方が素晴らしい女性です。だから、すべてにおいて完璧であろうとしなくてよいのですよ。それにたまには私を頼りにしてくださいね。私はいつでもそんな貴女に寄り添い、支えますから」
「アドニス、ありがとう。私は周囲に支えてくださるお友達がいて、本当に幸せですわ」
そう言ってアドニスの方を見る。だが、暗闇でアドニスがどんな表情をしているかもわからなかった。
仕方なくアルメリアは前方に向き直り、淡く光る波を見つめた。
すると、耳元でアドニスが囁く。
「アルメリア、貴女がどんなに目を背けようとしても、私や貴女の周囲にいる者たちは、いつまでもお友達ではいられませんよ」
そう言うと、頬にかすかになにかが触れた。アルメリアは頬を押さえて、思わずアドニスの方を向く。
「な、今なにか頬に!」
「そうですね、暗闇でなにも見えなくて良かったのか悪かったのか」
アドニスはそう言ってくすくすと笑うと、話を変えるように言った。
「そうそうところで、私の父とモーガンとの確執の話なのですが、実に子どもじみた出来事から端を発していました」
アルメリアはまだ少し動揺していたが、平静を装って答える。
「な、なんですの?」
「それが、モーガンが傷まないよう大切に運び、とても楽しみにしていたマンゴーというフルーツを、私の父が勝手に食べてしまったそうです」
「え? それだけの理由ですの?」
「はいそうなんですよ、どおりで二人とも言いたがらないわけです。私は父からなんとかその話を聞き出すと、謝罪文を書かせました。それと、貴女のプリン。あれは大変役に立ったのですよ」
「そうなんですの?」
「えぇ。プリンを見せると、貴女の仰ったようにモーガンはすぐに食べ始めましてね、あっという間に食べ終わってしまったのです」
「ヘンリーらしいですわ」
アルメリアは思わず笑ってしまった。アドニスも笑いながら話す。
「そうなのですね? 私もあまりにもモーガンが貴女の作ったプリンに夢中になるので、とても驚きました。それで、貴女は私とモーガンの分とで二つ持たせてくださったでしょう? モーガンがじっと私のプリンを見るので、私は自分の分もモーガンに差し出したんです。それで相当気が緩んだというか『お前はアレキスと違うのだな』と。それで少し彼の警戒が緩んだ気がします」
「作戦成功ですわね」
「はい、大成功です」
しばらく二人はくすくすと笑った。
「それから、父が書いた正式な謝罪文をモーガンに渡したところ、モーガンも意地になっていたのが恥ずかしかったのか、照れ臭そうに『この件に関しては水に流す』と言っていました。まぁ、果物一つで正式な謝罪文というのは、かなりおかしな話ですからね」
「考えてみればそうですわよね」
「そういったわけで、私はプリンを食べそこねてしまいましたので、今度私にもプリンをもう一度作っていただけますか?」
「もちろんですわ、城下に戻ったら是非ご馳走しますわ。ところでアドニスは、どれぐらいこちらにいますの?」
「今後はモーガンと一緒に、ロベリア海域でモーガン一派を名乗って海賊行為をする連中を共同捜査する予定です」
「そうなんですのね。では当分のあいだ城下には戻れそうにありませんのね?」
しばらく間をあけ、アドニスはその質問に答える。
「私が城下にいないと、寂しいですか?」
「は? え?」
「冗談です」
そう言ってアドニスはくすくすと笑うと、話を続ける。
「たまに城下に戻りますが、基本しばらくはこちらで過ごすことになりそうです。城下に寄ったときは、アルメリアの執務室へ顔を出しますね」
「お待ちしてますわ」
「さて、だいぶ冷えてきました。戻りましょう」
アドニスに手を引かれ、二人は屋敷へもどった。
「もう少しで目的の場所に到着します」
それにつられてアルメリアも前方を見るが、暗闇でなにも見えず、波の音でそこが海に近いということだけしかわからなかった。
「ここです。段差になっていますから、少しお待ちください」
アドニスは、ランプを地面に置いて一段低い場所へ降りると振り返った。
「こちらです。降りられますか?」
ランプに照らされている地面を見ながら、アルメリアも下へ降りる。
「アルメリア、少しお手伝いしましょう。失礼」
アドニスはアルメリアの両脇を抱えて、一段下へ降ろして立たせる。
「波打ちぎわへ行かないと見られないので、こんなところまで降りていただいてすみません。では、ランプを消しますよ。海の波打ちぎわを良く見ていてください」
ふっとランプの明かりがきえると、暗闇に波の音だけがした。
周囲の闇に吸い込まれそうな気がして、少し怖くなってきたそのとき、波が神秘的なブルーに光っているのがみえた。
「アドニス、これって……夜光虫?」
「ご存知でしたか。流石ですね」
「でも、本物を見たのは始めてですわ。こんなに色鮮やかに光りますのね……、美しいですわ」
「そうなんです。しかも今日は月がないので、より美しく見えるでしょう」
アルメリアはしばらく海を見つめる。そして、思ったことを口した。
「でも、夜光虫はこの時期ではなかった気がしますわ」
「そのようですね。ですがこの時期、この海域に南からの暖かな海流が流れ込むので、ほんの少しの期間ですが見ることができるそうですよ」
「そうなんですのね、自分の領地のことですのに勉強不足でしたわ」
そう答えると、アドニスは優しくアルメリアの手を握った。
「アルメリア、知らないことがあって当然なのです。貴女はそのままでも、考え方が素晴らしい女性です。だから、すべてにおいて完璧であろうとしなくてよいのですよ。それにたまには私を頼りにしてくださいね。私はいつでもそんな貴女に寄り添い、支えますから」
「アドニス、ありがとう。私は周囲に支えてくださるお友達がいて、本当に幸せですわ」
そう言ってアドニスの方を見る。だが、暗闇でアドニスがどんな表情をしているかもわからなかった。
仕方なくアルメリアは前方に向き直り、淡く光る波を見つめた。
すると、耳元でアドニスが囁く。
「アルメリア、貴女がどんなに目を背けようとしても、私や貴女の周囲にいる者たちは、いつまでもお友達ではいられませんよ」
そう言うと、頬にかすかになにかが触れた。アルメリアは頬を押さえて、思わずアドニスの方を向く。
「な、今なにか頬に!」
「そうですね、暗闇でなにも見えなくて良かったのか悪かったのか」
アドニスはそう言ってくすくすと笑うと、話を変えるように言った。
「そうそうところで、私の父とモーガンとの確執の話なのですが、実に子どもじみた出来事から端を発していました」
アルメリアはまだ少し動揺していたが、平静を装って答える。
「な、なんですの?」
「それが、モーガンが傷まないよう大切に運び、とても楽しみにしていたマンゴーというフルーツを、私の父が勝手に食べてしまったそうです」
「え? それだけの理由ですの?」
「はいそうなんですよ、どおりで二人とも言いたがらないわけです。私は父からなんとかその話を聞き出すと、謝罪文を書かせました。それと、貴女のプリン。あれは大変役に立ったのですよ」
「そうなんですの?」
「えぇ。プリンを見せると、貴女の仰ったようにモーガンはすぐに食べ始めましてね、あっという間に食べ終わってしまったのです」
「ヘンリーらしいですわ」
アルメリアは思わず笑ってしまった。アドニスも笑いながら話す。
「そうなのですね? 私もあまりにもモーガンが貴女の作ったプリンに夢中になるので、とても驚きました。それで、貴女は私とモーガンの分とで二つ持たせてくださったでしょう? モーガンがじっと私のプリンを見るので、私は自分の分もモーガンに差し出したんです。それで相当気が緩んだというか『お前はアレキスと違うのだな』と。それで少し彼の警戒が緩んだ気がします」
「作戦成功ですわね」
「はい、大成功です」
しばらく二人はくすくすと笑った。
「それから、父が書いた正式な謝罪文をモーガンに渡したところ、モーガンも意地になっていたのが恥ずかしかったのか、照れ臭そうに『この件に関しては水に流す』と言っていました。まぁ、果物一つで正式な謝罪文というのは、かなりおかしな話ですからね」
「考えてみればそうですわよね」
「そういったわけで、私はプリンを食べそこねてしまいましたので、今度私にもプリンをもう一度作っていただけますか?」
「もちろんですわ、城下に戻ったら是非ご馳走しますわ。ところでアドニスは、どれぐらいこちらにいますの?」
「今後はモーガンと一緒に、ロベリア海域でモーガン一派を名乗って海賊行為をする連中を共同捜査する予定です」
「そうなんですのね。では当分のあいだ城下には戻れそうにありませんのね?」
しばらく間をあけ、アドニスはその質問に答える。
「私が城下にいないと、寂しいですか?」
「は? え?」
「冗談です」
そう言ってアドニスはくすくすと笑うと、話を続ける。
「たまに城下に戻りますが、基本しばらくはこちらで過ごすことになりそうです。城下に寄ったときは、アルメリアの執務室へ顔を出しますね」
「お待ちしてますわ」
「さて、だいぶ冷えてきました。戻りましょう」
アドニスに手を引かれ、二人は屋敷へもどった。
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