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第百十話 弓道

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 エントランスで待っているアウルスの前に行くと、アウルスは満足そうに頷く。

「見立てどおり、似合っている」

 しばらくアルメリアを見つめたのち、てを差し出す。

「では行こう」

 弓場に入ると、的の距離が一番近くにある初心者用らしき立ち位置についた。アウルスはアルメリアの背後に立ち、まずはスタンスから教える。

「足を肩幅ぐらいに開いて、両足に均等に体重をのせる。体の重心は腰の辺り、肩は落として」

「こうかしら?」

「そう。次は矢入れから矢を取り出して、矢つがい、打ちおこし、引き分けをしてゆくのだが、弓の弦はかなり強く張られている。引き分けのときに手が滑ってしまうと、とても危険だから私が後ろから補助をする」

「お願いしますわ」

 正直、アルメリアは始めてのことなのと、アウルスとの距離の近さに緊張してしまい、説明がなかなか頭に入って来なかった。
 若干戸惑っていると、アウルスが背後から弓を引くアルメリアの両手に手を添えた。

 アルメリアは背中にアウルスの温もりを感じ、安心感や緊張感などの複雑な感情が入り交じり、心臓が強く脈打ちそれがアウルスに伝わってしまうのではないかと心配した。

「アルメリア、俯いていないで顔を上げてごらん。そして横を向いて的を見るんだ」

 耳元で囁かれ首筋がぞくりとする。
 ちらりとアウルスの顔を見ると、真剣な表情で的を見つめている。
 アルメリアは、アウルスは真面目に指導してくれているだけなのに、こんな感情を持ったことを申し訳なく思い、冷静になると的を見つめた。

「では、打ちおこしをするよ」

 そう言ってアウルスは、下を向いている弓矢を的に向ける。

「次は、引き分けだ。絶対に引き分けの最中に手を離してはいけない。とても危険なんだ」

 アルメリアに再度注意してから、手を強く握ると矢を引く。弓のしなる音がし、弓が折れてしまうのではないかと不安になった。

「矢から手を離すよ。同じタイミングでないと危険だから私に合わせて」

 そう言うと

「三、二、一」

 と、合図があり、一緒に矢から手を離した。矢は真っ直ぐ前に放たれたが、わずかに的を外れた。

 アウルスはアルメリアの手を握ったままで、背後からアルメリアの顔を覗き込むと微笑んだ。

「最初はこんなものだろう。さて、どうだった?」

「とても緊張しましたわ。でも、慣れれば楽しそうですわね」

「そうか、良かった」

 そうしてしばらく二人で練習をした。そして、一人でも的に矢を当てることができるようになってきた。
 そうなってくると面白くなり、自分の手が多少痛くても、そのまま続けた。

 アウルスはアルメリアが一人でできるようになると、遠い位置に的がある立ち位置で練習していた。だが、かなり遠い位置にある的にも的確に矢を当て、練習が必要なのかと思うほどであった。

「アズル、素晴らしいですわ。練習する必要がありまして?」

「いや、たまにやらないと腕が落ちる。それに、的に集中して矢を放つこの瞬間が私は好きなんだ」

 そう言って微笑んだ。

 アルメリアは練習しながら、自分はこんなに近くにいれば緊張してしまうのに、アウルスが緊張もせず冷静でいられるのは、やはり自分に全く気がないからなのだと再確認した。

 貴族や王族などそれなりの地位にいるものは、社交辞令で必ず女性を褒めたり、口説いたりするものだ。
 アルメリアはアウルスを少なからず思っていたので、社交辞令と本気の区別がつけられなくなっていた、と強く反省した。

 アルメリアがそんなことを考えながら、矢を射っているとアウルスから声がかかる。

「あまりやると、肩を痛める。最初は楽しくて夢中になってやってしまうものだが、肩を痛めないよう今日はこれぐらいにしよう」

 確かに、止められなければアルメリアは肩を痛めるまでやっていたかもしれなかった。

「そうですわね、とても楽しかったですわ」

 そう言うと弓を片付け始めた。

 帰り支度をしているときに、ふとアルメリアは思いたち、アウルスにある質問をぶつけることにした。

「アズル、貴男がロベリアに来た本当の理由はなんですの?」

 アウルスは、一瞬動きを止め、ゆっくりアルメリアの顔を見る。そして苦笑いをした。

「やはり君には誤魔化せないな」

 アルメリアに会いたかっただの、貿易相手をちゃんと見たいだのうまいこと言っていたが、やはり他に理由があったのだ。
 アルメリアはそう思いながら、アウルスを見つめて向こうから話すのを待った。
 すると、しばらく考えたのちアウルスは口を開いた。

「うん、確かに私は目的があってロベリアに来た。だが、これは私の国に関わることだから君にも話すわけにはいかない」

 それはそうだろう。だが、自分には信用して話してくれるのではないかと思っていたアルメリアは、内心少し落ち込んだ。
 だが、皇帝としてのアウルスのその選択は決して間違えていない。

「そうなんですのね? わかりましたわ」

 落ち込んでいるのが表情に出てしまったのか、アルメリアを見つめていたアウルスは、言葉を付け加えた。

「ロベリア国のスパイできたわけではない。だから、君が心配することはない」

 アルメリアはそれは考えていなかった。なぜならムスカリが、アウルスがロベリアに来ているのを容認していたからだ。
 おそらく、この二人の間でなにかしらのはかりごとがあるに違いない。と、思いながら苦笑する。

「アズルがスパイをするためにロベリアにくるだなんて、そんなこと考えもしませんでしたわ」

 笑顔でそう答えながら、そうではなくてアウルスが自分を信用してくれなかったことや、会いたかったと言っていたのが嘘でなければ良かったのにと、勝手に残念に思っただけですわ。と、心の中で呟いた。

 だが、アルメリアも前世のことなど、人に話せない秘密を持っている。それにアウルスは皇帝だ。
 皇帝ともなれば、その立場上人にはおいそれと話せないことを、たくさん抱えていてもおかしくはない。
 それに令嬢に対して社交辞令を言うのは普通のことで、アルメリアに対して『会いたかった』と社交辞令を言うことは、決して悪いことでもなんでもなかった。
 なので、そんなことを思うのは我が儘だと言うことも十分理解していた。

 苦笑しているアルメリアを見て、アウルスは申し訳なさそうに言った。

「信頼してくれてありがとう。いつかときがきたら、必ず説明する」

「アズル、貴男は皇帝ですわ。わたくしのことを気にかける必要はありません」

 アルメリアがそう答えると、アウルスは困惑した顔をしたあとアルメリアの手を取り真剣な眼差しでいった。

「そんなことを言わないでくれ。できれば信じて待っていて欲しい」

 アウルスがあまりにも真剣に見つめてくるので、アルメリアは頷く。

「わかりましたわ。お待ちしています」

「信用してくれて、ありがとう」

 アウルスはそう言うと、悲しそうに微笑んだ。
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