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第百五話 生きてこそ

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 しばらく夢中でオペラグラスを覗き込んでいたが、アルメリアはふとムスカリも楽しんでくれているだろうかと思い、そちらに視線をやる。
 すると、熱っぽくアルメリアを見つめてくるムスカリの視線とぶつかり、アルメリアの心臓は大きく鼓動した。思わず目をそらそうとすると、ムスカリが口を開く。

「君はセントローズの伝説の内容を知っているか?」

 もちろん、アルメリアはその伝説を本で読んで知っていた。

 それは戦の最中さなかの出来事だった。戦のかなめであった、イキシア騎士団の団長が不治の病にかかってしまったのだ。チュウベローズ教のシスターだったローズは夜通し神に祈りを捧げ、その祈りが通じると神からお告げがあった。

『お前の命と引き換えになら、その願いを叶えてやろう』

 ローズは、迷いなく答える。

『この国の多くの民を救うためになら、この命を捧げることになんの躊躇がありましょう。喜んでこの命を捧げます』

 そのときローズの瞳から、光輝く一粒の大きな涙がこぼれ落ちた。すると、その涙がこぼれ落ちた場所から芽がのび、その芽は蔓となりあっという間に大きく育ち、光輝く黄金の薔薇を咲かせた。ローズが急いでそれを床に伏している団長の上に掲げると、団長は光に包まれあっという間に病が治ったのだった。

 団長はローズにお礼を言い、彼女に必ず勝利を勝ち取ることを誓うと戦場へ赴いた。そして宣言通りに無事に敵を打ち負かすことができたのだ。勝利を勝ち取ることができた団長は国へもどると、すぐに戦果の報告をするためにローズのもとへ訪れるが、ローズは自身の命と引き換えにその涙を流したために、すでに亡くなっていた。

 団長はローズに深く感謝し、ローズの亡くなった日をセントローズ感謝祭として、その伝説を後世まで語り継がせることにした、といった内容だった。

「はい。ローズがその命で団長を、国を救った話ですわ」

「そうだ。だが、その話しには違う意味の話もあったのを、君は知っているか?」

 そう言われ、アルメリアは少し考えるが思い浮かばなかった。

「いいえ、知りませんわ」

 ムスカリは頷くと話し始める。

「この伝説は悲恋の話なんだそうだ。ローズは団長に恋し、団長もまたローズを愛していた。だが、ローズはシスターであり、恋愛ごとは固く禁止されていた。そんなときに団長が倒れ、その話を聞いたローズは、自分の命と引き換えに彼の病気を治して欲しいと神に強く祈った。すると、その気持ちが届き命と引き換えに彼を救ったというものだ」

「そうなんですの。ところで、そのお話はどちらでお知りになられたのですか?」

「城内には古書が収蔵されていてね、そこにこの話が書かれている書物も残されていた」

 そこは以前リカオンと、教会本部の設計図を見に行った場所だろう。時間があるときに、あの古書室で教会のことを調べるのも良いかもしれない。そんなことを思っていると、ムスカリが言った。

「チュウベローズでは恋愛は欲としてタブー視されているために、この話は悲恋の話として語られることはほとんどなくなった」

 この伝説にそんな経緯があるとは驚きだった。教会が絡んでいなければ、オペラなどの題材になっていたかもしれない。

「とても美しい物語だと思いますわ。ローズは愛を別の形で貫いたのですものね」

 アルメリアが素直に感想を述べると、ムスカリは悲しげに微笑む。

「そうだろうか? 私はね、君を見ているとローズのことを思い出す。君なら命と引き換えにでも、大切なものを守ろうとするだろう」

「どうでしょうか。わたくしはいつも自分がしたいと思うことしかしていませんわ。もしもそれで命を落としてしまったとしたら、それはそれで本望なのではないかと思います」

 ムスカリは苦笑した。

「そうかもしれないな、それは否定できない。ところで、君は自分のことを第一に考えたことはあるか? 貴族令嬢としての普通の幸せを望んだことはないのか? 贅を尽くし綺麗に着飾り舞踏会へ行き、刺繍をして夫を待ちながら屋敷で優雅に過ごす。そんな普通の日常を望んだことは?」

 アルメリアは思わず無言になった。確かに、今の生活に不満はないし前世の記憶のお陰もあり、充実した日々を送っていてとても満足している。
 だが、もしも自分の人生が破滅へ進むと知らなければ? もしくは破滅へと向かわないことが確定しているならば? はたしてどうだったろう。
 毎日執務に追われることなく、社交界デビューまで教育を施され、決められた相手と結婚し子供を生む。そんな幸せな人生だってあったはずだ。
 沈黙するアルメリアを見つめ、ムスカリは更に畳み掛けるように言った。

「私は君がなにか目的のためだけに、いつも自分を犠牲にしているように見える」

「そんなことは……」

 ないとは言い切れなかった。俯くアルメリアの手を、更に強く握るとムスカリは優しく言った。

「勘違いしないでほしい、君を攻めているわけではない。ただ、初めてセントローズの悲恋の話を読んだとき、私は、私が団長だったならば、ローズを守るために病気と戦い、教会の規律など変えてでもローズと結ばれる道を模索しただろうと思った」

 いつも冷静で感情に流されない策略家であるムスカリが、そんなことを言うとはと驚いて無言で見つめた。ムスカリはアルメリアから視線を外し、前方にある遠くの山々を見つめながら、穏やかに話を続ける。

「だからこそローズには、なにがあっても生きていて欲しいと思っただろう。騎士団長が勝利し国に凱旋帰国したとき、ローズの亡骸を目の前にして彼はなにを思っただろうか。それは、はたして本当の勝利と言えただろうか」

 つらそうにそう言うと、視線をアルメリアに戻す。

「私の言いたいことがわかるか?」

 アルメリアは黙って頷く。それを見るとムスカリは優しく微笑む。

「もしも、何かあったときは自分を犠牲にするのではなく、みなで共に苦難を乗り越え生きることを第一に考えて欲しい。これは私からのお願いだ、いいね?」

 ムスカリはじっとアルメリアの瞳の奥を覗き込む。その視線から、これがムスカリの本心であることは明白だった。アルメリアは自分のことをそこまで考えていてくれることに強く胸を打たれた。

「わかりました、そこまでお心を砕いてくださったこと、決して忘れません」

 ムスカリはアルメリアの指先にキスをすると微笑む。

「さぁ、演劇はいよいよクライマックスだ。最後まで一緒に感謝祭を楽しもう」

 そう言って、前方を向いた。

 感謝祭が終わり、アルメリアを屋敷まで見送るとムスカリは寂しそうに微笑む。

「明日も会えるとわかってはいても、離れがたいものだな」

 そう言って、宮廷へ戻っていった。
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