上 下
79 / 190

第七十八話 なんだかんだいそがしい

しおりを挟む
 視線を向けられたリカオンも、眉間に皺を寄せ小さく首を振っている。

「フィルブライト公爵、それはわたくしには荷が重すぎますわ。もっと社交界やまつりごとに詳しい名門の貴族にお願いした方がよろしいのではないでしょうか」

「いいえ、古い考えを学ばせるなら私でもできるのです。ですが貴女は、物事の捉え方や考え方そのものが他の者とは違っています。そこを学ばせたい」

 リカオンのときもそうだったが、フィルブライト公爵は教会派である。こちらの動きを探る目的で、ルーカスを送り込もうとしているとも考えられた。
 アルメリアが少し考えこんでいると、フィルブライト公爵は付け加える。

「ではまず、見習い期間として三ヶ月ほど手元に置いていただいて、様子を見ていただけないでしょうか」

 少しなやんだが、三ヶ月ぐらいならばなんとかなりそうだった。それに三ヶ月も年下の公爵令嬢に付けば、ルーカスもうんざりして離れて行くに違いない。

「わかりましたわ。ですが、もしも本人が拒否された場合は、そこで終了としても宜しいでしょうか?」

 その返事を聞くと、フィルブライト公爵は嬉しそうに答える。

「もちろんです。まぁ、本人が拒否することは絶対にないでしょうが、もし嫌がれば即見習い期間を終了してくださってかまいません。無茶なお願いを聞いてくださってありがとうございます」

 改めて、深々と頭を下げた。

「頭を上げてください。それに今すぐということではなく、ルーカスの怪我が完治してからでも宜しいかしら?」

「はい、もちろんです。そちらも準備があるでしょうし、開始時期はそちらにおまかせいたします。本当にありがとうございます」

 そう言って冷めてしまったお茶を一口飲み落ち着くと、不意に思いついたようにアルメリアに質問した。

「ところでずっとお訊きしたいと思っていたことがあるのですが、あのような画期的な治療法や、薬学の知識はどちらで学ばれたのですか?」

「あれは本で読んで知っていましたの、独学で役に立てたかわかりませんけれど」

 不思議そうな顔でフィルブライト公爵は更に尋ねる。

「本……からですか? 私も本は好きな方なのですが、あのような治療法が書かれているものは、読んだことがありません。そのような稀少な書物を所蔵しているとは、クンシラン家の図書を一度拝見してみたいものです。それにしても、本から得た知識だけで、あれだけのことをこなしてしまうなんて」

 ひとしきり感心すると、フィルブライト公爵はアルメリアの背後にある柱時計に目を止めた。

「申し訳ありません。だいぶ遅くなってしまいました。私はこの辺で失礼させていただきます」

「いいえ、またいつでもいらしてください」

 そう言うと立ち上がり、執務室の入口まで見送った。フィルブライト公爵の姿が見えなくなったところで、リカオンがため息を漏らす。

「お嬢様、引き受ける必要はなかったと思いますよ」

 その意見にアルメリアは苦笑いで返した。

 確かに、引き受ける必要はなかったかもしれない。しかし、なるべく教会派の人間と関わり情報を集める必要があったので、こちら側の情報を漏らされるリスクを冒しても、フィルブライト公爵家とは関わりを持っていた方が良いとアルメリアは考えていた。


 一週間後の夕刻、屋敷に戻るとペルシックから気がかりな報告があった。

「クンシラン領と帝国の国境近くで、アンジーの塩レモンと類似した商品が出回っていると、複数の行商人から報告がありました」

「似た物を作っているということですの? おかしいですわね、いずれは類似した商品が出回ることはわかっていましたけれど、それにしても少し早すぎますわ。檸檬の栽培も時間がかかりますし、発酵塩レモンを作るとしても檸檬をうち以外から仕入れるとなると、今のところ遠方から取り寄せするしかありませんわ。そんなコストのかかることをしたら、儲けはでないはずですし」

 ペルシックは無表情で答える。

「しかも、その商品はアンジーの塩レモンと全く同じ味だそうです」

 アルメリアは、行動を止めペルシックの顔をじっと見つめた。考えたくないことだったが、一つの恐ろしい仮説が思い浮かんだからだ。

「誰かが横流しをしているということですのね?」

 ペルシックは真剣な顔で頷く。

「はい。わたくしどもも、色々調べたのですが、かなり不穏な動きがありまして、一度しっかりお調べになった方が宜しいかもしれません」

 ペルシックがそう言うなら、そういうことなのだ。アルメリアはすぐに国境へ向かう決断をした。

「わかりましたわ、国境はヒフラの別荘とも近いですし、しばらくお休みをもらって静養名目で行って調べてみましょう。でもその前に、ブロン司教とお会いする約束は三日後でしたわよね、その後に出発しても問題はありませんわね」

 そう言うとペルシックは頷く。

「はい。では、そのように準備いたします」

 そう言って、報告書をアルメリアに手渡すと下がっていった。二ヶ月後にセントローズ感謝祭が迫っていたため、早急に調べなければならないと思いながら、アルメリアはペルシックの報告書に目を通す。
 報告書によると、三ヶ月前ぐらいから国境付近の帝国からの品物を卸している露店で、ソルトレモンという商品名の塩レモンが流通するようになったと、クンシラン領お抱え行商人から相次いで報告が入ったそうだ。
 値段はアンジーの塩レモンより若干安いが、味はほぼ同じで、品質は少し落ちるとのこと。

 発酵塩レモンは塩と檸檬だけで作られている。真似をすれば、誰にでも作ることはできるだろう。だが、アンジーの塩レモンは、塩分濃度や発酵過程や品質管理などを徹底してこだわった商品でもある。完全にあの味を再現するのは、そんなに容易なことではないだろう。

 そこで考えられるのは、従業員の誰かが作り方や檸檬の横流しをしているのではないかということだった。

 ヒフラはアルメリアが一番最初に農園を作った場所でもある。従業員たちとも親交が深く、信頼できる者たちばかりでこんなことは考えたくもないことだった。
 更に関係があるかはわからないが、若干ヒフラ地域の治安の悪化が見られると報告書には付け加えられていた。治安が悪化してしまった原因は、まったくわからないとのことだった。

 報告書を読み終えると、アルメリアはあの地域でなにかしらのトラブルが発生しているのは確かなのだろうと思った。




 そんな不安を抱えつつ、アルメリアはブロン司教との約束の日を迎える。この日は、アルメリアが直接孤児院へブロン司教を訪ねることになっていた。助祭が慰問のついでにアルメリアの執務室へ遊びに来るぐらいは問題ないが、司教がプライベートで教会派でもない、社交界に影響力の強いクンシラン家の屋敷に訪問すれば、変な噂がたてられかねなかったからだ。

 いつものアンジーの格好をすると、アルメリアは孤児院へ向かった。もちろん、リカオンもついてきたがったので、一緒に行くことにした。
 考えてみれば、リカオンにとってはブロン司教は伯父に当たるのだから、ついてきたがって当然かもしれない。と、そこまで考えたときに、地下倉庫でリカオンが『伯父から聞いた話』と言っていたのを思い出す。きっとあの伯父とは、ブロン司教のことだったのだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者にフラれたので、復讐しようと思います

紗夏
恋愛
御園咲良28才 同期の彼氏と結婚まであと3か月―― 幸せだと思っていたのに、ある日突然、私の幸せは音を立てて崩れた 婚約者の宮本透にフラれたのだ、それも完膚なきまでに 同じオフィスの後輩に寝取られた挙句、デキ婚なんて絶対許さない これから、彼とあの女に復讐してやろうと思います けれど…復讐ってどうやればいいんだろう

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

奪われたものは、もう返さなくていいです

gacchi
恋愛
幼い頃、母親が公爵の後妻となったことで公爵令嬢となったクラリス。正式な養女とはいえ、先妻の娘である義姉のジュディットとは立場が違うことは理解していた。そのため、言われるがままにジュディットのわがままを叶えていたが、学園に入学するようになって本当にこれが正しいのか悩み始めていた。そして、その頃、双子である第一王子アレクシスと第二王子ラファエルの妃選びが始まる。どちらが王太子になるかは、その妃次第と言われていたが……

元妻からの手紙

きんのたまご
恋愛
家族との幸せな日常を過ごす私にある日別れた元妻から一通の手紙が届く。

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

処理中です...