上 下
61 / 190

第六十話 正直言って怖いです

しおりを挟む
 一瞬困惑し固まってしまっていたが、なんとか気を取り直すと、カーテシーをした。そして、ムスカリに訊く。

「殿下がこちらにいらせられるのはとても光栄ですわ。ですが、わたくし相談役を仰せつかっておりますので、他の者もこちらに訪問することがあるかもしれません。殿下には失礼があるといけませんから」

 そこまで言うと、ムスカリがアルメリアを制した。

「わかっている。それに私が毎日君のところに通っていると、噂になるのもうまくないね。だから今日から非公認で君の部屋に訪問する」

 アルメリアは頭を下げる。

「恐れ多いことですが、申し上げます。殿下はとても魅力的で、そのお姿は数十メートル離れていても認識できてしまいます。非公認というのは難しいかと」

 ムスカリはじっとアルメリアを見つめると、口を開く。

「この前君に言ったはずだね、君は私にそんなに堅苦しい話し方をしなくていいと。それに、君は私が隠れて通うのは難しいと言うが、問題ない。私が非公認と言ったからには、私以外の者がなんと言おうと私はここにはいない存在だ、心配しなくていい。それ故にここで誰がどんな失礼を私に働こうとも、私はそれを大目にみようと思う、さぁ、顔を上げて」

 そう言うと、優しく微笑みアルメリアの頬をそっと指先で撫でた。アルメリアが顔を上げると

「君はなんとも可愛らしい心配をするのだね」

 と言って、アルメリアの頬に触れていた手を背中で組んだ。そして、ドローイング・ルームの方を伺う。

「どうやらアドニスはまだ来ていないようだ」

 そう言ってアルメリアに向き直ると、満足そうに微笑んだ。
 昨日あらぬ噂を立てられるよう仕向けるという作戦を立てたばかりなのに、非公認とはいえ本当に毎日ムスカリに通ってこられては、作戦がまるで役に立たない。アルメリアはリカオンが裏切って昨日のことを全部報告してしまったのではないかと思い、ムスカリの背後に控えているリカオンに視線を送る。するとリカオンはそれを察知し小刻みに激しく首を振った。いつもの反応とまるで違い、本気で焦っているようなので、彼が裏切ったわけではなさそうだった。

「殿下、ではこちらにどうぞ」

 そう言ってドローイング・ルームへ案内しようとすると、ムスカリが突然立ち止まった。アルメリアは不思議に思い振り返ると、ムスカリは微笑みアルメリアの手を握った。驚き困惑していると、そのまま手を引いて歩き始めてしまった。
 訳がわからぬままムスカリにドローイング・ルームに連れていかれソファの前まで来ると、アルメリアに並びで座るよう促した。

「殿下、とんでもないことでございます。図々しくも殿下の隣に座るなど、もっての他です。こちらのソファは殿下がお使い下さい」

 そう言って、隣にある椅子へと移動しようと振り返ったところで、更に手を強く握られ引き止められる。

「私が良いと言っているのだから、どうか座ってくれないか」

 そう懇願され、アルメリアは仕方なくムスカリから少し離れた場所に腰かけた。それを見てムスカリは苦笑しながら言った。

「この距離が君と私との現実の距離だな」

 慌ててアルメリアは答える。

「いいえ、そんな恐れ多いですわ。殿下は尊い方ですから、わたくしとは比べ物になりません。ですから、こんなに近しいはずがありませんわ」

 そう断言され、ムスカリは少し悲しげに微笑んだ。

「そんなにあからさまに距離があると言われると、私も流石に傷つくな」

「申し訳ございません」

 アルメリアが頭を下げると、ムスカリは何事か考えている様子でしばらく沈黙したのち、口を開いた。

「昨日話していたときには、幾分砕けた話し方をし始めていたのに、一晩でもとに戻ってしまったね。それに殿下、殿下と呼ばずに名前で呼んで欲しいのだが、それは難しいことか?」

 アルメリアは頭を下げたまま答える。

「申し訳ございません。殿下をそのように呼ぶなど、恐れ多いことでございます。どうかお許しください」

「では、私と婚約したら名前で読んでくれるか?」

 ひぃ! と、アルメリアは内心悲鳴を上げた。婚約後に自分を断罪するかもしれない相手を、名前で呼ぶなど正気の沙汰ではない。そんなことを思っているアルメリアに、ムスカリは優しく話しかける。

「顔を上げてかまわない。さぁ顔を上げて」

 アルメリアは顔を上げる前に、どうやって断るか頭をフル回転させた。はっきり良い返事をしてしまえば、婚約や名前で呼ぶことを楽しみにしていると取られかねないし、言明することによって婚約が成立したときに、約束をはたさねばならなくなってしまうからだ。
 顔を上げるとアルメリアは微笑んで返し、適当に誤魔化すことにした。その微笑みを見るとムスカリは満足そうに頷く。

「わかった。ではそうなるよう努力しよう」

 勝手にムスカリは納得しているが、承諾していないので、アルメリアはもし間違って殿下と婚約してしまったとしても、名前で呼ぶつもりは毛頭なかった。

「殿下、もういらしてたんですね。しかもアルメリアを横に座らせるなんて、紳士のなさることではありませんね」

 声のする方を振り返って見ると、アドニスが立っていた。アルメリアは立ち上がり、アドニスにも座るよう声をかけようとしたが、ムスカリに腕を捕まれソファに戻される。

「アルメリア、こんなやつもてなさなくていい。放って置いても勝手に座るだろう。君はここに座っていればいい」

「ですが殿下……」

 そう言い淀んでいるとアドニスがアルメリアに声をかける。

「アルメリア、私はかまいません。心配なさらず」

 そう言って、アルメリアとムスカリの正面に座った。

「本当は、アルメリアには座る場所を変えてほしいのですが、どこかの我が儘王子がいるんで仕方ありませんね。今日のところは我慢しましょう」

 そう言って微笑んだ。それを聞いて、ムスカリは鼻で笑う。

「ふん、勝手にほざいていろ」

 そう言うとムスカリは足を組み、ソファに深々と座り直すと、腕を組んで微笑んだ。

「遅れを取ったことが悔しいとみえる」

 それを聞いてアドニスは、誰が見てもわかりそうなぐらいの、オーバーな作り笑顔をしたあと口を開いた。

「ところで殿下、殿下は今後シエスタ導入でこの時間は宮廷にこもると聞いていましたが、まさかこんなところでシエスタだとは思いもよりませんでした。執務はどうされるのですか?」

「どこで昼寝しようと私の勝手だ。それにどうせここには、リアムやスパルタカスも来るのだろう? そのままここで会議すれば問題ない」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者にフラれたので、復讐しようと思います

紗夏
恋愛
御園咲良28才 同期の彼氏と結婚まであと3か月―― 幸せだと思っていたのに、ある日突然、私の幸せは音を立てて崩れた 婚約者の宮本透にフラれたのだ、それも完膚なきまでに 同じオフィスの後輩に寝取られた挙句、デキ婚なんて絶対許さない これから、彼とあの女に復讐してやろうと思います けれど…復讐ってどうやればいいんだろう

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

奪われたものは、もう返さなくていいです

gacchi
恋愛
幼い頃、母親が公爵の後妻となったことで公爵令嬢となったクラリス。正式な養女とはいえ、先妻の娘である義姉のジュディットとは立場が違うことは理解していた。そのため、言われるがままにジュディットのわがままを叶えていたが、学園に入学するようになって本当にこれが正しいのか悩み始めていた。そして、その頃、双子である第一王子アレクシスと第二王子ラファエルの妃選びが始まる。どちらが王太子になるかは、その妃次第と言われていたが……

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

冤罪を掛けられて大切な家族から見捨てられた

ああああ
恋愛
優は大切にしていた妹の友達に冤罪を掛けられてしまう。 そして冤罪が判明して戻ってきたが

処理中です...