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第六十話 正直言って怖いです

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 一瞬困惑し固まってしまっていたが、なんとか気を取り直すと、カーテシーをした。そして、ムスカリに訊く。

「殿下がこちらにいらせられるのはとても光栄ですわ。ですが、わたくし相談役を仰せつかっておりますので、他の者もこちらに訪問することがあるかもしれません。殿下には失礼があるといけませんから」

 そこまで言うと、ムスカリがアルメリアを制した。

「わかっている。それに私が毎日君のところに通っていると、噂になるのもうまくないね。だから今日から非公認で君の部屋に訪問する」

 アルメリアは頭を下げる。

「恐れ多いことですが、申し上げます。殿下はとても魅力的で、そのお姿は数十メートル離れていても認識できてしまいます。非公認というのは難しいかと」

 ムスカリはじっとアルメリアを見つめると、口を開く。

「この前君に言ったはずだね、君は私にそんなに堅苦しい話し方をしなくていいと。それに、君は私が隠れて通うのは難しいと言うが、問題ない。私が非公認と言ったからには、私以外の者がなんと言おうと私はここにはいない存在だ、心配しなくていい。それ故にここで誰がどんな失礼を私に働こうとも、私はそれを大目にみようと思う、さぁ、顔を上げて」

 そう言うと、優しく微笑みアルメリアの頬をそっと指先で撫でた。アルメリアが顔を上げると

「君はなんとも可愛らしい心配をするのだね」

 と言って、アルメリアの頬に触れていた手を背中で組んだ。そして、ドローイング・ルームの方を伺う。

「どうやらアドニスはまだ来ていないようだ」

 そう言ってアルメリアに向き直ると、満足そうに微笑んだ。
 昨日あらぬ噂を立てられるよう仕向けるという作戦を立てたばかりなのに、非公認とはいえ本当に毎日ムスカリに通ってこられては、作戦がまるで役に立たない。アルメリアはリカオンが裏切って昨日のことを全部報告してしまったのではないかと思い、ムスカリの背後に控えているリカオンに視線を送る。するとリカオンはそれを察知し小刻みに激しく首を振った。いつもの反応とまるで違い、本気で焦っているようなので、彼が裏切ったわけではなさそうだった。

「殿下、ではこちらにどうぞ」

 そう言ってドローイング・ルームへ案内しようとすると、ムスカリが突然立ち止まった。アルメリアは不思議に思い振り返ると、ムスカリは微笑みアルメリアの手を握った。驚き困惑していると、そのまま手を引いて歩き始めてしまった。
 訳がわからぬままムスカリにドローイング・ルームに連れていかれソファの前まで来ると、アルメリアに並びで座るよう促した。

「殿下、とんでもないことでございます。図々しくも殿下の隣に座るなど、もっての他です。こちらのソファは殿下がお使い下さい」

 そう言って、隣にある椅子へと移動しようと振り返ったところで、更に手を強く握られ引き止められる。

「私が良いと言っているのだから、どうか座ってくれないか」

 そう懇願され、アルメリアは仕方なくムスカリから少し離れた場所に腰かけた。それを見てムスカリは苦笑しながら言った。

「この距離が君と私との現実の距離だな」

 慌ててアルメリアは答える。

「いいえ、そんな恐れ多いですわ。殿下は尊い方ですから、わたくしとは比べ物になりません。ですから、こんなに近しいはずがありませんわ」

 そう断言され、ムスカリは少し悲しげに微笑んだ。

「そんなにあからさまに距離があると言われると、私も流石に傷つくな」

「申し訳ございません」

 アルメリアが頭を下げると、ムスカリは何事か考えている様子でしばらく沈黙したのち、口を開いた。

「昨日話していたときには、幾分砕けた話し方をし始めていたのに、一晩でもとに戻ってしまったね。それに殿下、殿下と呼ばずに名前で呼んで欲しいのだが、それは難しいことか?」

 アルメリアは頭を下げたまま答える。

「申し訳ございません。殿下をそのように呼ぶなど、恐れ多いことでございます。どうかお許しください」

「では、私と婚約したら名前で読んでくれるか?」

 ひぃ! と、アルメリアは内心悲鳴を上げた。婚約後に自分を断罪するかもしれない相手を、名前で呼ぶなど正気の沙汰ではない。そんなことを思っているアルメリアに、ムスカリは優しく話しかける。

「顔を上げてかまわない。さぁ顔を上げて」

 アルメリアは顔を上げる前に、どうやって断るか頭をフル回転させた。はっきり良い返事をしてしまえば、婚約や名前で呼ぶことを楽しみにしていると取られかねないし、言明することによって婚約が成立したときに、約束をはたさねばならなくなってしまうからだ。
 顔を上げるとアルメリアは微笑んで返し、適当に誤魔化すことにした。その微笑みを見るとムスカリは満足そうに頷く。

「わかった。ではそうなるよう努力しよう」

 勝手にムスカリは納得しているが、承諾していないので、アルメリアはもし間違って殿下と婚約してしまったとしても、名前で呼ぶつもりは毛頭なかった。

「殿下、もういらしてたんですね。しかもアルメリアを横に座らせるなんて、紳士のなさることではありませんね」

 声のする方を振り返って見ると、アドニスが立っていた。アルメリアは立ち上がり、アドニスにも座るよう声をかけようとしたが、ムスカリに腕を捕まれソファに戻される。

「アルメリア、こんなやつもてなさなくていい。放って置いても勝手に座るだろう。君はここに座っていればいい」

「ですが殿下……」

 そう言い淀んでいるとアドニスがアルメリアに声をかける。

「アルメリア、私はかまいません。心配なさらず」

 そう言って、アルメリアとムスカリの正面に座った。

「本当は、アルメリアには座る場所を変えてほしいのですが、どこかの我が儘王子がいるんで仕方ありませんね。今日のところは我慢しましょう」

 そう言って微笑んだ。それを聞いて、ムスカリは鼻で笑う。

「ふん、勝手にほざいていろ」

 そう言うとムスカリは足を組み、ソファに深々と座り直すと、腕を組んで微笑んだ。

「遅れを取ったことが悔しいとみえる」

 それを聞いてアドニスは、誰が見てもわかりそうなぐらいの、オーバーな作り笑顔をしたあと口を開いた。

「ところで殿下、殿下は今後シエスタ導入でこの時間は宮廷にこもると聞いていましたが、まさかこんなところでシエスタだとは思いもよりませんでした。執務はどうされるのですか?」

「どこで昼寝しようと私の勝手だ。それにどうせここには、リアムやスパルタカスも来るのだろう? そのままここで会議すれば問題ない」

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