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第五十一話 ムスカリの来訪

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 アルメリアは、慌てて立ち上がるとムスカリを出迎えた。

「こんにちは、よくおいでくださいました。しっかりとしたお出迎えもせずに、大変申し訳ありません」

「いや、かまわない。突然の来訪で驚かせてしまって悪かったね」

 アルメリアは改めてゆっくりカーテシーをした。ムスカリはそれに微笑んで答える。と、アルメリアの机の上に広げてある書きかけの絵本に気を止める。

「アルメリア、これはなんだい?」

 そう言って、一枚拾い上げるとまじまじと見つめた。アルメリアはよりにもよって殿下にこんなものを見られてしまうとは。と、恥ずかしくてすぐにでも手元に取り返したい気持ちになりながら、それをこらえてなんとか答える。

「ほんの手慰みですわ。孤児院への寄付でございますの」

 ムスカリは書きかけの絵本を手に持ったまま、しばらくアルメリアの顔を見つめ、絵本に視線をもどす。

「ふむ」

 微笑みながら殿下がそれを机の上に置いたので、アルメリアは慌てて話をそらす。

「殿下、本日はどのようなご用件で?」

 するとムスカリは手を後ろで組んで、こちらに体を向き直して言った。

「先日のお茶会で、必ず君の執務室へ行くと約束していたろう? 本当はすぐにでもきたかったが、私もなかなか時間が取れなくてね。今日になってしまった。遅くなってしまって申し訳なかった」

 アルメリアはオーバーに驚いて見せた。

「いいえ、そのような約束を忘れないでいてくれただけでも嬉しいですわ。では、こちらへどうぞ」

 アルメリアはドローイング・ルームへ案内した。ムスカリはソファーにゆったり座ると、室内の調度品を見回した。

「この部屋で不便に思っていることはないかな? この部屋も君になんの相談もせずに家具を揃えたからね。私は君の趣味がわかっていなかったから、今では少し華美にしすぎてしまったと反省している。それに今後は、君の好みなど教えてもらえるとこちらも助かるんだが」

 アルメリアは恐縮しながら答える。

「殿下、わたくしのためにそんなにもお心を砕いてくださっていたとは知らず、お礼もせずに申し訳ありませんでした。本当にありがとうございます。それに質素にしているのは財政的なものでして、決して華やかな物が嫌いなわけではありません。ですのでこの部屋も大変気に入っております」

「ならよいのだが」

 そう言うと、ムスカリはしばらく考えてアルメリアに尋ねる。

「君は色々手広くやっているようだが、財政的なトラブルがあるのか? そういうことならば、私としても援助を考えないこともないが」

 お金があまりないことをやんわり伝えたはずが、暗に援助を求めているように取られてしまったようだ。

「いいえ殿下、贅沢さえしなければ十分生活ができるぐらいの利益は出ております。それにそれ以上の利益がでたときは領民とそれを分かち合うようにしておりまして、そんな生活に不満はありません。ご心配いただきありがとうございます」

 実際には領民に還元しても、有り余るほどの利益が出ている。だが、ムスカリはアルメリアの嘘を疑う様子もなく微笑んで頷いた。

「そうか、君らしいな」

 するとそこへ、ペルシックがお茶を運んできた。二人ともそれらがテーブルに並び終わるのを待つと、ムスカリが先に口を開いた。

「ところでずっと気になっていたのだが、君は随分私に対して他人行儀ではないか? 私たちは今後親しい仲になるかもしれないのだから、もう少しざっくばらんに話してもらってかまわない」

 アルメリアは話をするならこのタイミングが良いだろうと思い、居ずまいを正し本題を切り出すことにした。

「殿下、その今後のわたくしたちのことでご相談申し上げたいことがありますの」

 するとムスカリは満面の笑みを浮かべる。

「『わたくしたちのこと』か。もちろんだ。二人のことなら、なんでも相談すればいい」

「では、お言葉に甘えさせていただきます。わたくし婚姻は契約だと十分理解しているつもりですわ。わたくしたちが本人の意思と関係なく、王命で婚約しなければならないかもしれないことも理解しているつもりです」

 そこまで言うと、ムスカリは笑顔のまま動きを止めた。こんなことは最初からわかっていることで、あえてそれをを口にだすのは無粋なことだ。なので、この令嬢はなにを言いだすのかと思っているに違いなかった。アルメリアは気にせず続ける。

「ですので、もしも殿下とわたくしが婚約を結ぶようなことになりましたら、ひとつ提案したいことがあります。わたくしとの婚約を破棄したくなられたもきに、どのような条件下でも殿下の方から、一方的に婚約を解消できる。といった項目を、契約の中に盛り込んでいただきたいんですの」

 ムスカリはかなり困惑した表情になり、慌ててアルメリアを制した。

「ちょっとまって欲しい。少し考える時間をくれ」

 そう言うとこめかみに両手を当て目をつぶって何事か考え始めた。アルメリアの提案は思いもよらぬことだったのだろう。驚くのも仕方のないことだ。そう思ったアルメリアは、しばらくそのまま黙ってムスカリからの返事を待った。

 ムスカリは大きく息を吐くとアルメリアに向き合い、真面目な顔で言った。

「君は今までずっと私からのアピールを、王命ゆえのものと思っていたのか?」

「はい、もちろんでございます」

 アルメリアはそう答えると、首をかしげた。殿下は何を言っているのだろうか。それ以外に殿下がわたくしにアピールする理由がないではないか。そう思った。だが、そこで考え直す。もしかすると殿下は、社交界に顔を出さないわたくしが世慣れておらず、アピールを本気ととらえているだろうと考えたのかも知れない。ならば話を進めるうえでも、誤解はといておかねば。アルメリアはそう思い話を続ける。

「まさか殿下がわたくしごときに本気になるなど、あり得ないことでございます。それは十分承知しております。殿下、ここには信用できる者しかおりませんから、本音で話してくださって大丈夫ですわ」

 確かに前世の記憶もなく、なにも知らずにいたらムスカリの行動を自分に気があるのだと勘違いしてしまっていたかもしれない。だが、それでも公爵令嬢という自分の立場を鑑みたときに、これは政略的なものだとすぐに気づいただろう。
 もしも、ムスカリとの婚約に断罪という結末に至る確率がまったくないのなら、アルメリアは婚約を受け入れることにして、ムスカリに騙されたふりを続けたに違いなかった。
 それは貴族同士の婚姻、政略結婚をせねばならない者たちの最低限の礼儀だからだ。
 しかし、この婚約を黙って受ける訳にはいかない現状、礼儀だのなんだのを気にしている場合ではなかった。

 ムスカリは明らかに残念そうな顔をした。

「私のしたことは無駄だったということか……」

 アルメリアは慌てて答える。

「殿下、気分を害されたなら申し訳ありませんでした。でも決して無駄なことではありませんでしたわ。今までの殿下がされた振る舞いは本当に完璧でした。でもわたくしは公爵令嬢です。立場上あり得ないとわかっていますから、分をわきまえただけです」
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