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 オルヘルスは不思議に思いながら部屋の中を覗くと、イーファが立っており小手を外しているところだった。

「お兄様?! いつ戻られましたの?」

 オルヘルスが声をかけると、イーファは背を向けたまま答える。

「さっき戻ったところだ」

「そうなんですの。今回はいつまでいられますの?」

「ずっとだ」

「え?」

「だから、ずっとだ」

「どういうことですの?」

 オルヘルスがそう訊くと、イーファはこちらを向き無表情で答える。

「今までの任が解かれた。今日からは違う任務に着くことになる」

「ずいぶん急な話なんですのね。で、次の赴任先はどこですの?」

「護衛だ。お前の」

「護衛?! わたくしの?!」

 護衛なら、すでにグランツが手配している。屋敷の前にも屯所があり、騎士団の者が交代で詰めていた。

 それなのに、さらに護衛をつけることにオルヘルスは驚いていた。

「何を驚く、お前は王太子殿下の婚約者となるのだから、専属の護衛がついて当然だろう」

「専属のって、もしかしてこれからずっとお兄様が?」

「そうなるが、嫌なのか」

「えっ? いいえ、そういうわけではありませんわ。ただ、親族が護衛に着くなんて変な感じだと思って」

「殿下の希望だ」

「殿下のですの? 確かにお兄様なら信頼できますものね。では、お兄様。これからよろしくお願いいたしますわ。わたくしをしっかり守ってくださいませ」

 オルヘルスがそう言って微笑むと、イーファは鼻で笑った。

「当然だ」

「流石お兄様。頼りになりますわ。そういえば、今日ちょうど殿下とお兄様のお話をしましたの」

「私の?」

「えぇ。もしかしたら、殿下はこのことを知っていてお兄様のお話をされたのかもしれませんわね」

「だろうな」

 イーファはそう答えると、オルヘルスの顔を無言でじっと見つめる。

「お兄様? なんですの?」

「殿下は私のことをなんと?」

「えっ?」

「だから、殿下は私のことをなんと言っていた?」

 そう聞かれたオルヘルスは『殿下は、お兄様がシスコンだって仰ってましたわ!』という言葉を飲み込むと、当たり障りのない返事をする。

「えっと……。確かお兄様はとても優秀だと」

「そうか。他には?」

 そう問われ、婚約の話を思い出す。

「それと、昔アリネア様と婚約の話がでたとか……。お兄様、本当ですの? わたくし知りませんでしたわ」

 すると、イーファは不機嫌そうな顔をした。

「余計なことを」

「なんですの?」

「いや、それに関してはもう昔の話だ。とくに話すこともない」

「そうですの? でも、アリネア様もなにも仰らなかったから、本当に驚きましたわ」

 オルヘルスがそう言うと、イーファはなにかを思い出したようにふっと笑うと言った。

「だろうな」

 その様子を見て、二人の間になにかあったのだろうと予測できた。

 だがきっと、何があったのか訊いてもイーファは答えないだろうと思い、オルヘルスは話題を逸らした。

「とにかく、お兄様が帰ってきてお母様はきっと喜ぶと思いますわ。じゃあ、あとで食堂で……」

「まて、お前に話すことがある」

「なんですの?」

「殿下はお忙しいから、明日から私がお前の乗馬の指導をすることになった。私は殿下と違って厳しいからそのつもりで」

 オルヘルスはそれを聞いて内心がっかりしていたが、悟られないよう微笑んで返した。

「わかりましたわ。では、明日からそちらもよろしくお願いしますわ」

 そう言うと、自室へ向かった。

 そうしてオルヘルスは自室にもどり、オルガに着替えを手伝ってもらいながら今日グランツと話した内容を思い出して呟く。

「お兄様がわたくし以外眼中にないだなんて、ありえませんわ」

 すると、オルガが不思議そうにオルヘルスを見つめる。

「イーファ様がどうかされたのですか?」

「なんでもないわ。気にしないで、独り言なの」

「はい……」

 そうして、この日からオルヘルスはイーファと行動を共にするようになった。

 翌朝、乗馬の指導があるためいつものように早朝から厩舎へ向かった。

 始めてオルヘルスが馬房に入って手伝いをしたとき、世話係のギルは慌ててオルヘルスを止めたものだが、最近では朝オルヘルスが顔を出すと笑顔で出迎えてくれるようになっていた。

「おはようギル。とくに問題はないかしら?」

「はい、お嬢様。スノウもお嬢様が来た日はとても元気になるんですよ」

「そうなの? よかったわ。じゃあもっと通わないとね」

 そんなやり取りをしたあと、スノウの馬房に入る。そしてまず馬房の掃除をし、餌をやるとスノウを丁寧にブラッシングした。

 それからあらかじめ手入れした馬装具をスノウに装着し、それから乗馬服に着替えるとスノウを馬場ばばに出し、常歩なみあしで歩かせながらイーファを待った。

「スノウ、今日から先生が変わるのよ? しばらくはお兄様が指導してくださるんですって」

 そんなふうに話しかけていると、イーファがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

「お兄様、おはようございます」

すると、イーファは驚いた顔をした。

「もう来ていたのか」

「当然ですわ、馬房の掃除と馬装具の装着とやることは色々ありますもの」

「まさか、殿下はそこからやれと?」

「違いますわ。これはわたくしが勝手に始めたことですの。スノウが可愛くて」

 そう答えると、イーファは少し考えた様子を見せたあとに言った。

「私が思っていたよりも、お前は真剣なのだな」

「もちろんですわ。わたくしいたって真面目に取り組んでますの」

「そうか、わかった。私は少々お前を見くびっていたようだ」

「わかっていただければ結構ですわ」

 そう答えるオルヘルスにイーファは苦笑する。

「それにしてもお前は馬の扱いがうまいな」

「この子だけですわ。他の子だったらこうはいかなかったと思いますの」

「いや、お前がそれだけスノウを大切にしているからだろう」

 そんな会話をしていると、突然スノウがオルヘルスの肩に自分の鼻先を押し付けた。そのお陰で、オルヘルスの肩はスノウのよだれと鼻水でべっとりと汚れた。

「もう! スノウってば自分がかまってもらえないからっていたずらして!」

 それを見てイーファが声を出して笑った。

「洗礼を受けているな。それにしても、スノウは本当にお前のことが好きらしい。じゃあスノウをこれ以上待たせるわけにもいかない。指導を始めよう」

 そうして、イーファによる指導が始まった。だが、オルヘルスが予想しているよりもとても優しいものだった。

 殿下より厳しくすると言っていたのはなんだったのかしら?

 オルヘルスはそう思いながらイーファの指導を受けた。

 指導中、イーファはオルヘルスの上達の早さにも驚いていたが、とくにスノウの賢さに感心していた。

「スノウはまるで、お前の考えを先読みしているような動きをする。本当に不思議な馬だ」
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