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 そう言ってオルヘルスはうつむいた。触れている肌からグランツを感じ、とにかく猛烈に恥ずかしかった。

 そんな様子を見て、グランツはさらに体を密着させる。

「落ちてしまうといけないから、離れないようにしよう」

 絶対に面白がっている。オルヘルスはそう思い見上げるとグランツを睨んだ。

 グランツはそんなオルヘルスを見つめ、微笑むと額にキスした。

「ほら、民衆が君に手を振っている。笑顔で返さなければ」

 オルヘルスは前方に向き直ると、むくれながら言った。

「殿下は意地悪ですわ」

「そうだね、でもそれは君が可愛過ぎるから」

「からかってますのね? そんなの、答えになってませんもの!」

 そう答えると、気を取り直し周囲に手を振ることに集中した。グランツはそんなオルヘルスを愛おしそうにみつめると、スノウをゆっくり歩かせ始めた。

 凱旋を終えると、一度王宮へ戻り両陛下に挨拶をし、グランツに送ってもらい屋敷へ戻った。

 別れ際、エントランスでグランツは真剣な顔で言った。

「今日は、本当なら屋敷へ帰したくなかった」

 オルヘルスは嬉しくて微笑んだ。

「その気持ち、とてもよくわかりますわ」

 グランツは驚いた顔で答える。

「そうなのか?!」

「はい。スノウはとても素晴らしい馬ですもの」

 すると、グランツは苦笑した。

「私は君のことを言ったのだが……」

わたくしの……?」

 オルヘルスはそう答え、少し考えグランツの言った意味を理解すると、赤面しうつむいて小さな声で言った。

「そ、それはまだダメですわ。だって、まだ婚約していませんもの。婚約していればわたくしも……。いえ、やっぱりダメですわ」

 それを聞いて、グランツは目を閉じ天を仰いで呟く。

「君はどうしてそうも素直なのか……。場所なんてかまわない、もうこのまま君の部屋に連れ込んで……」

「はい? 場所は君の部屋? わかりましたわ。今度お茶に招待させていただきますわ。わたくしの部屋でよろしければですけれど」

 グランツは嬉しそうにオルヘルスに視線を戻した。

「いいのか?」

 だが、そう答えた瞬間に首を横に振った。

「いや、君の身の安全のためにもそれはしばらくやめておこう」

「そんな、わたくしなら大丈夫ですのに」

 するとグランツは一瞬固まったあと、作り笑顔で言った。

「うん、今日はもう帰る」

 そして、ぎこちなく後ろを向くとそのまま去っていった。オルヘルスはグランツらしくないと思いながらその後ろ姿を見送った。

 その後、部屋へ戻ると大役を無事にこなすことができたことでほっとしたのか、ベッドにもぐると気を失うように眠りについた。





 それから、オルヘルスがプライモーディアル種の馬の馬主だとしれわたると、社交界ではさらにオルヘルスの話で持ち切りとなった。

 オルヘルスは以前にもまして大量の招待状をもらうようになったが、グランツから婚約を申し込まれており、立場上おいそれと外出できないと断りつづけた。

 そうして断り続ければそのうち落ち着くかと思われたが、逆になかなか会うことができないことで、余計にオルヘルスの人気が上がってしまう結果となった。

 愛馬会の授与式でメダルを渡されたフィーレンス子爵や、愛馬会で進行役をしていたハールマン伯爵などは、オルヘルスと直接話をしたことを社交界で自慢するほどだった。

 そんな中、オルヘルスは今回の愛馬会に出たことで、乗馬を習わなければならないと強く思うようになった。

 来年の愛馬会では乗馬ができるところをみんなに披露する。そんな目標を立てた。

 それにスノウをバルトから譲り受けたところで、いい機会だった。

 オルヘルスがエファにそう相談すると、エファはとても喜んだ。

「少しでも外に出るのはいいことだわ。あなたは元気になったのだもの、やりたいことをやりなさい」

 そう言って全て手配してくれた。驚いたことに、翌日にはグランツから乗馬服など、乗馬の道具が一揃え届いた。

 エファから聞いたのか、先日の愛馬会でオルヘルスが乗馬の話をしていたことを覚えていてくれたのかはわからなかったが、その気持ちがとても嬉しかった。

 鏡の前で乗馬服を体に当てて見ていると、エファが背後からオルヘルスの両肩に手をのせ、鏡越しに話しかける。

「オリ、乗馬のことだけど。とってもいい先生が見つかったの。よかったわね、お忙しいかたなんだけどオリのためならって、毎日時間を作ってくださるそうよ」

「お母様、本当ですの? ありがとう。こんな短期間に、そんな熱心な先生を探すのは大変でしたわよね」

「可愛い娘のことですもの、こんなのなんの苦労にもならないわ。楽しんでいらっしゃいな」

 そう言ってエファはにっこり微笑んだ。

 訓練初日、乗馬服に身を包んでスノウを預けている牧場へ緊張しながら向かうと、そこにグランツがいた。

「殿下も乗馬にいらしたんですの?」

「いや、私は個人レッスンを頼まれてここにいる」

 その台詞に驚いてオルヘルスはグランツの顔をまじまじと見つめる。

「どういう……。では、殿下がわたくしに?」

「そうだ、私が君に乗馬を教える」

 そう言ったあと、グランツは呟く。

「毎日他の者に君を任せるなんて、耐えられないからな」

「殿下?」

「いや、なんでもない。今日からよろしく頼む。ところで君は一人ででも乗れるぐらいになりたいのか?」

「そうですわね、できればそうなりたいと思いますわ」

「そうか、ならば最低でも半年から一年はかかることを覚悟したほうがいい」

「わかりましたわ」

 そこでグランツは苦笑しながら言った。

「私としては、君が乗れなくても一向に構わないのだが」

「ですが、これからのことを考えると立場上、乗馬ができないのは問題ですもの」

 そう答えると、グランツは満面の笑みを見せた。

「そうか、君は私たちの未来のことを考えてくれているのか?」

 そう言われ、オルヘルスは急速に自分の顔が赤くなるのを感じた。
  
「えっと、はい」

 消え入りそうな声でオルヘルスがそう答えると、グランツは目を閉じ呟く。

「くそ、可愛すぎるんだ。だが、まだダメだ。まだ連れて帰ることはできないぞ、グランツ」

「えっ? まだ帰れない? そうですわよね、わたくし頑張りますわ」

 グランツは大きく息を吐き呼吸を整え咳払いをすると、オルヘルスの手を取った。

「とにかく、そういうことなら私も君にしっかり指導しよう」

 こうしてほとんど毎日のように、グランツから乗馬のレッスンを受けることとなった。

 スノウは他の馬と違って、オルヘルスの言っていることがわかっているかのように言うことに従った。

 オルヘルスはとにかくそんなスノウが可愛くて、進んで世話もした。

 それにオルヘルスの筋がよかったこともあり、みるみる上達していった。

 そんなある日レッスンのあと、グランツはオルヘルスを屋敷のエントランスまで送り届けると言った。

「来週、シーズン最後の狩猟会がある。応援に来てくれるか?」

「狩猟会ですの? でもわたくしまだ狩猟について行けるほど乗馬は上達しておりませんわ」

「いや、君は来てくれるだけでいい。ダメか?」

「いいえ、もちろん一緒に行きますわ」

「そうか、よかった。では、当日迎えに来る」

 そう言ってグランツはオルヘルスの指先に口づけた。

 このときオルヘルスは、グランツがいつも自分のために手を尽くしてくれていることに対して、なにかできることがないか考えた。

 そして、狩猟で使う刺繍入りのベルトポーチを作って贈ることにした。

 狩猟会まではあまり時間がない。オルヘルスはその日から、寝る間も惜しんでベルトポーチの製作にかかった。

 手に入れようと思えばなんでも手に入れてしまうグランツが、こんなものをもらって喜ぶだろうかと多少不安に思ったりもしたが、オルヘルスに準備できるものといったらそれぐらいしかなかった。

 それと、そのベルトボーチと同じ刺繍柄のハンカチを自分にも作った。これでお揃いになる。

 出来上がったベルトポーチを綺麗にラッピングし、オルヘルスは無事に狩猟会当日を迎えた。

 当日は、なるべく動きやすいドレスに着替えるとエントランスでグランツを出迎えた。

「お待ちしていましたわ」

 グランツは、そんなオルヘルスを見つめて嬉しそうに微笑む。

「ありがとう。では、行こうか」
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